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日々の破片

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2025-09-28

_ ザ・ザ・コルダのフェニキア計画

シャンテの最終回でウェス・アンダーソン。予告編でもう一人のアンダーソン(多分、三銃士しか観たことないが、こちらも良い監督)の映画についてデカプリオが野郎の映画は実に良い(演じていて抜群)みたいなことを褒め称えていた。

同じアンダーソンでも片やイギリス出身の職人娯楽作家、片やテキサスというイメージからはまったくアーティスティックではない地域出身の野放図作家とえらい違いがたまたま同じスクリーンで出て来るタイミングの妙がおもしろい。

ザ・ザ・コルダの物語は1950年バルカン半島上空で始まる。今は存在しないユーゴスラビアをフェニキアと読み替えることで好き勝手な絵が書ける舞台を用意したのだろう。

ザ・ザ・コルダは超大富豪であらゆるいかさま、かけひきを使いまくって、自分の富を最大化することに賭けている。

おもしろくないのはアメリカで、アメリカの産官陰謀団はザ・ザ・コルダを破滅させるために、ビスの価格を100倍に釣り上げる。

かくしてザ・ザ・コルダは計画中のフェニキア縦断鉄道(巨大トンネル)、大ダムなどなどの建設コストを負担しきれなくなり破産寸前と同時に世界中(どうやら元従業員連中の恨みをかっているらしく、主体はこの連中)から刺客が送り込まれているため、相続をさせるために一人娘を呼び出す。

それと同時に友人のギャングや親戚からフェニキア計画に対する出資額の増資を求めに娘と各地を旅する。

というのが大筋で、小ネタとして、一人娘はどうやら今は亡き(死亡理由はザ・ザ・コルダ自身による殺害、自殺、コルダの兄弟による殺害などいろいろ語られる)妻がコルダの兄弟(「伯父さん」という言い方をしているが、娘の伯父さんという意味だと思うが、別にコルダ自身の伯父であっても全然どうでも良い)と浮気して生まれたらしく、コルダに全然似ていなくて、伯父と目がそっくりという設定がある。

また、コルダと子供たちに昆虫について教える科学者の家庭教師(途中から秘書の役回りもする)と娘の恋愛や、家庭教師が実はアメリカの産官連合のスパイという設定もある。

が、

そんなことは全然ウェス・アンダーソンの興味の対象ではない。単にそういうシナリオにすれば好き勝手に撮りたいシーンが撮れるからそうしただけなのだろう。

というわけで、

飛行機が刺客が仕掛けた爆薬によって空中分解しそうになると、コルダ自身が操縦席の副操縦士の席に陣取り、文句を垂れる操縦士を空中に射出(タイミングが抜群で、あっけにとられるのが、おれにはルビッチの天国は待ってくれるの、閻魔大王が小うるさいおばさんを地獄へ送るシーンを想起する)する。このシーンは2回反復される。よほど本人、気に入ったのだろう。

最初のクレジットは固定した天井からの真っ平なコルダの入浴シーン(ただし、画面下手下で、何かいろいろ看護士らしき人物の妙な動きがあったりするのだが、細かくてよくわからないが、しょせん細部だからどうでも良い)。

こんなあほうな撮り方は初めて観た。延々と続くので笑いださずにはいられない。

とにかく冒頭から舞台セットがシンメトリー。これが爆発的におもしろくなるのはトンネルに入っていくところなのだが、最初の出資者の説得はバスケットボールの2on2だが、ここでは相手側の技を撮るのが楽しかったらしく、最後の決めのところは存在しない。

最高なのは、ザ・ザ・コルダが底なし沼にはまって助けに行った家庭教師ともども灰色の石地蔵になっていることろで、どう考えてもこの石地蔵を撮りたかったのだろう。そこからどうやれば石地蔵(ちょっと八甲田山を想起する)を作れるかを考えて、底なし沼を思いつき、底なし沼にはまったシーンとして単に首だけ出している(まるで肩まで入浴みたいだ)シーンを考えついたのだろう。というわけで、唐突にザ・ザ・コルダが娘と家庭教師を置いて歩き出し、何か声がするので二人が後を追うと、底なし沼に首だけ出ている(もちろん首から上はきれいな状態)入浴シーンとなり、家庭教師が助けに行ったかと思うとそのまま沈んでしまい、次には石地蔵が二人となる。もう一人のアンダーソンであればスリル満点の活劇シーンとなるところだろうが、こっちのアンダーソンの興味はそこにはない。なんて自分勝手な野郎だ。抜群におもしろい。

時々入るモノクロのシーンは適当やっているのだろうと思ったら、実はちゃんとシナリオ的に意味があり、金のことしか頭の中にない修道院長かな、に、臨死体験(しょっちゅう死にかけるのだ)でいろいろ思うところがあるというセリフで引用される。

最後はザ・ザ・コルダは奴隷に富をのような正道に目覚めて町のレストランを娘と一緒に経営する(家庭教師は娘と婚約する。指輪もちゃんと偽物ということでシナリオとしては一貫性を持たせているのがおかしい)。

席を予約したときはガラガラだろうと思ったが、日曜の20時の回とは思えぬほど人が入っていて驚いた。やっぱりおもしろい映画は人を呼べるのだな。


2025-09-15

_ ジャージーボーイズ

シアタークリエでジャージーボーイズ。

以前日生劇場で観たのとは舞台装置が異なって、ミラーボールの代わりに客席などが映るモニターが上手下手と上部にあり、3階構成となっている。

とにかくゴールディーの音楽が良いのでそれだけで楽しいのだが、フランキーのファルセットを鼻にかけて歌うことで再現しているのはちょっと辛い。

以前ニック役だった人がトニー役になっていて、これは良いトニー。一方ニック役の人が小柄でがっちり型でイメージとは違うのだが、逆に強そうでこれまた良いニック。

とにもかくにも実に楽しめた。

_ ヒックとドラゴン

家族で豊洲のユナイテッドシネマでヒックとドラゴン。

Ⅱのアイスクリーム屋が閉店するというので食べに行くことにしたのでついでに観ることにした。

アイスクリーム屋はおいしいし、それなりに盛況だし、なぜ閉店と思わないでもないが、とにかく店員が少なくて品出しに1人取られるとクープする係とレジ打ちが1人なので全然列が進まない。持ち帰り専門(ただし脇に椅子が数脚ある)なので回転率は良いはずなのだが、ここが問題で、結局のところは人手不足による閉店なのではないかなぁ。

数日にかけて何種類か食べたが桃のソルベに桃の果肉がトッピング(ストロベリーアイスクリームであればストロベリーがトッピングというような同族の組み合わせみたいだ)のやつが抜群に美味しかった。

ヒックとドラゴンはアニメ版を先日ミュンヘンへ行く帰りの飛行機で吹き替え版で観たのだがあまり音が良くなくて聴き取りにくいところがあったことは別とすれば、とれも良くできたアニメだった。あのてのやつに良くある(というのは映画、ビデオ層ということなのだろう)、ちょっと仲間うちからはみ出したやつが、はみ出しているだけにみんなの困りごとを別の方向から解決してヒーローになる(チキンリトルとかズートピアとかベイマックスとかたくさんある)パターンの物語だ。というわけで、実写版も良いものであろうと観ることにしたのだった。

で、アニメと今回観る実写でそれなりに変えているのかと思ったら、どう見ても全く同じで再現力がすごいというか、脚本=監督がアニメで完成しているのだから実写であっても変えないという強い意志で作ったのだろう。と、ほぼすべてアニメ版と同じだが、1点、ドラゴンを撃退する方法の1つにマタタビがあったと記憶しているのだが、実写版では綿毛を使っているので、ここは変えたのかな?という点はあった(マタタビはドラッグと意味的に同じになるので子供用実写映画としてはよろしくないなど理屈は考えられる)。ただ機内環境から聞き取りにくかったし画面も小さかったので本当にマタタビだったかは自信ないが。

物語の主軸は暴力で敵対勢力を片付ける方法の守旧派に対して、敵対勢力の敵対理由を知ることで共通の敵を見つけ出して解決する(ということと、実は敵対勢力と考えていたものがそうではなく協調できる相手であるということを認識する)というのをバイキングのリーダー(強い)の息子(ひ弱)という親子関係の悩みと、敵対勢力のドラゴンと仲良くなることで協調関係を作るということ、あと強くて自分の代わりに次期リーダーになりそうな女子に対する恋心を成就させてしまって良かったねの3本柱で実装している。

この仲良くなる(そもそも自分が怪我をさせて動けなくなっているのを餌付けするという、よくよく考えてみると卑怯な感じもするが)ドラゴンが、黒くて顔ぺしゃんこで口が広くて爪じゃなくて歯がここぞという場合以外は引っ込んでいて、おでこに手を当てると静まって、口の端というか頬を撫ぜると喜ぶ、何から何まで猫なのがとても良い。多分作者は猫飼ってるだろうと親近感まで湧きまくりなので観ていてハッピーだ。

原題がHow To Train Your Dragonで、全然ヒックとドラゴンではなくて、まるでマイスタージンガーのワルターのマイスターの歌の題のような直截さなのもおもしろい。

あと、アニメは吹き替え版で観たので気づかなかったが主人公の名前はヒックではなくヒカップで、語呂的にも意味的にも大きくは外してはいないのがおもしろかった。


2025-09-13

_ Google TVに「アマゾンプライム 韓国 怖い映画」といったら出て来たやつ2本と、関連して出て来たやつの1本、合わせて3本を観ていろいろ考えた。

結論からいくと怖い映画は大しておもしろくなかったが関連したやつはおもしろかった。

まずは『コンジアム』。始ると日本語を喋るので字幕版に変えようとしたが(おれは読むのは超速いし読解力は人並み以上だが、聞くのがものすごく苦手。このあたりもあって洋画は全然OKなのだが吹き替え版と日本の映画は古典以外はほぼ観ない)、吹き替え版しかない。が、乗りかかった船なので我慢して観た。

モキュメンタリ―っぽく、韓国版ユーチューバー6人のチームが廃墟となっている精神病院を探検して皆殺しになる話だが、興味津々なところ(機材の使い方とか、いかにビュー数を稼ぐために仕込んだり、ビデオを構成したりとか)はあるものの、肝心なホラーとしては最後の3つ前くらいの部分を除くと別になんだこりゃという感じでいささか拍子抜けだった。

特にドラマツルギー的にだめだろうと思ったのは、一番可愛い看護士さん(当然、この人を主役にするのだろうと観ていた)が後半ほとんど出ずに(というのはユーチューバーとしては大した能力が無いからなわけだが)、いつの間にか殺されていることだった。が、考えてみたらおれがかわいいと思うかどうかと、インプレを稼げるかどうかは別だな(と、物語のメタ構造もドラマのうちなのだろう)。

コンジアム

次に『箪笥』を観た。妻によれば定評があるホラーらしい。

どうにも、「となりのトトロ」の5年後みたいな人物設定だなぁと思いながら観ているわけだが、観始めてすぐに、ポランスキーの『反撥』か? と思春期の少女の妄想話だなぁと感じてげんなりしたが、乗りかかった船なので最後まで観た。しかもなんか『君たちはどう生きるか』のようですらある(単に継母ものだからそう感じたのだろうが)。

最後まで観て、やはりとなりのトトロの5年後+反撥だなぁと(であれば、となりのトトロや反撥を見直したほうが良いし、見たこたないから悲しみよこんにちはを観たいなぁとか)しか感想がない。

つまらなかった。

箪笥

最後に『Exit』、これはおもしろかった。

パニックもの+パルクール(というかボルタリング)なのだが、主人公がこのタイプの映画で途中で滑落死はありえないとわかっていても、見せ場の作り方がうまいし、最後に二人(主人公の無職青年と、大学時代の後輩(かって無職青年が告白して振られた))で手に手をとってパルクールしていくところはとても良い。

パニックの作り方が、猛毒ガスが徐々に下から上に昇ってくるので、8階建てビルから10階建てビルに飛び移って、10階建てビルから15階建てビルに飛び移って(というほど単純ではなく、防毒マスクをつけて地上を駆け抜けたりいろいろある)と、パルクールとパニックものを見事に組み合わせているのには感心した。

ただ、主人公の親類縁者の無能っぷり(ギャグ要素要員たち)がさすがにうざったいのが難点だが、ドラマ的には必要なのだろうからしょうがない。

Exit


2025-09-07

_ シナリオ

ハチブドーのところに移動したル・シネマでゴダールのシナリオ。

2部構成で1部は一応映画(ここも2部構成)、2部はこの映画の構想を語るゴダール。

バルトークの中国の不思議な役人のような始まり。

第一部DNA

西側はどこだ?

フーガの技法

B

多分ショスタコーヴィチ

馬は馬に非ずに白馬を使うよりも馬ではないものを使うほうが良い

第2部MRI

イワン雷帝

上海から来た女(やっぱオーソンウェルズは圧倒的だ)

軽蔑(バラードのクラッシュを思い出す)

ウィークエンド(炎上のところ)

はなればなれに(決斗シーン)

馬は馬にあらずをゴダール

第3部相当のゴダールが語るセナリオ構想

モレスキン

映画は平面なので区切りをつけるために黒。

抜けているページを補うために四苦八苦し、思い余って完成しているページをくしゃくしゃにしようとしてインタビュアーに止められる。ぼけてはいなそうだが、とぼけてはいる。

ベレニス


2025-09-06

_ 2025年バイロイトのマイスタージンガー

NHK BSの録画のバイロイトのニュルンベルクのマイスタージンガーを観る。

ガッティの前奏曲はなんかどうでも良い(元々音楽そのものも単純で盛り上がりはするもののそれほどおもしろいわけではない)のだが、始まるや否や一変した。ガッティは主役ではなく歌手と歌手の演技が主役となり、その意味ではガッティのなんか腑抜けた指揮は悪くない。

今年のミュンヘンのラインゴールドもそうだったが、服は現代にしているが脚本そのものの読み替えはほとんど無い演出で、特長は長い階段を使った教会だなぁ(地上では楽士が演奏)と思いながら観ていると、まずヴァルターがとても良い。甘くはないが(どうしてもヴァルターというとフォークトを思い浮かべるからだ)柔らかい声でとても良い。当然のように始めよが素晴らしい。

が、まるで双子のように扮したベックメッサ―とザックスが登場したあたりから様子が変わる。

とにかくザックスの(テレビならではのアップが多いからだが)顔芸がすさまじい。すさまじい顔芸なのだがとってつけた感がないのは音楽と心情がぴったりしているからだ。

ザックスで圧倒的なのは2幕の最初でヴァルターの始めよのメロディーに合わせて心境を歌うところと、エヴァの前でヴァルターの3バース目を歌わせて褒め称えた直後の怒り爆発のところで、ザックスの複雑怪奇な心境が露わになるところ。ツェッペンフェルトは抜群だ。

最後、バイロイトのマイスタージンガーといえばカテリーナのザックスがヒトラーに早変わりするのが印象的だったが、あれともまた異なる。ザックスは淡々と歴史の重要性を説く。ヴァルターも説得される。

ここで一転、それまで花に埋もれて何も考えてい無さそうだったエヴァ(※)が主体性を発揮する。これは新しいかも。

※)2幕で駆け落ちの相談のあたりで、ザックスのヴァルターの歌に完全に惹かれているのだが、マイスターたちの心情も良くわかる悩みをまったく理解できずに、あの人は味方だというヴァルターに対してあんたの悪口を言っていたと放言するところが強調されているので、断絶を強調した演出とも言える。

素晴らしかった。


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