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日々の破片

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著作一覧

2021-12-07

_ 煥乎堂

思い出したので備忘。

白井晟一入門で煥乎堂と高橋元吉という名前が出てきたとき、ちゃんと文章は読んだはずだが、なぜか富山のことだと勘違いしていた。

その後に諸般の理由から群馬に行ったのだが(ついでに旧松井田町役場を眺めたり)、妻が煥乎堂は群馬と言い出した。

富山じゃないのか? いや群馬! と言われてはっと気づいた。

以前、暇潰しに前橋駅の近くの本屋に行ったとき、どうせ田舎の駅前本屋だからろくでもない本しか置いていないだろうと高を括って入ったらこはいかに。

3階(だと記憶している)の文芸書コーナー(また雰囲気が実に良い)は厳選されまくっているし(岩波文庫を数冊購入した)、1階の半分は子供教育用なのだろうが実用書類もなぜか高度でびっくりしたのを思い出した(白井晟一の建築とは関係ない)。

ぐんまの城30選 戦国への誘い(飯森康広)

(そのとき買ったぐんまの城はおもしろい)

ということは、あれが煥乎堂か? 詩人にして地方在住教養人(実際には新潟だから2重に間違えているが、どうも鈴木牧之を類推したのかなぁ)たる高橋元吉の遺風ならばどえらく納得だ。

それで妻に「あの品ぞろえが抜群の本屋か?」と聞くと、「さすがにそれはないんじゃない?」とか言いながら調べてくれたら確かにその煥乎堂だった。

東急本店のじゅんく堂のように、とにかく書籍の密林のような書店もわくわくするが、煥乎堂のように中規模なのに目利きが揃えたかのような書籍がきれいに配置された書店も美術館のような楽しさがあって好きだ。


2021-12-05

_ ニルス・リューネ読了

翻訳者がTwitterでいろいろ呟いたりRTしたりしているのがおもしろそうなので買って読み始めると、想像以上に絢爛たる文章で、おやこれは久々に本物の文学ではないかと、時たま開いてはちびりちびりと味わっていたのだが、ついに読了してしまった。残念だ。酒は飲まないので想像だが、極上のコニャックをちびりちびりとみたいなのは、こういう感覚なのだろう。

とにかく訳業が素晴らしい。言葉が次々と出て来て世界を言葉で作り出す。

物語はニルス・リューネという19世紀後半を生きたデンマークの何もしない人の誕生(というか父母が家庭を持つところ)から死までを描く。

各章はとびとびに、子供の頃の叔母さんへの思慕のようなもの(死に別れ)、学生になってからの金持ちの未亡人(なんとなくフォンメック夫人とかを想像しながら読んでいた)との馴れ初め、実母とのスイス旅行(母親は老衰死)、戻ってからの未亡人との別れ(相手が結婚)、田舎旅行での従妹との出会い(友人と結婚してしまう)、従妹との不倫(友人が死んだことで追い出される)、旅先でのオペラ歌手との出会い(歌を取り戻したため捨てられる)、知己の娘との結婚と病死、こうやって書き出すとつまるところは女性遍歴なのだが、これっぽっちもドンジュアン的な要素はなく、常に相手の意志に従う形で関係を持ってしまい(最初の叔母さんのは関係は持たないけど、子供だから)相手の意志によって別れる。それにしても、なかなかうまい配分だ。

という内容が結晶の森のような文体で綴られる。

主人公は詩人になりたいのだが、(一応詩作があるようなのは、結婚後にかっての作品を読んで感心したりしている)特に何も行動しないので、そのまま郷人となる。

はて、これは余計者の系譜の文学なのだろうか?

が、そうとは思えない。本人に余計者という意識が全然ないからだ。かといってスタヴローギンのように全能感を抱えながらあえて行動しないというわけでもない。

主人公が強い意志(友人のため、女性のため、母親のため、といったものではなく、自分自身のための)を見せるのは、子供が死にそうなときに無神論者の信条を曲げて神に祈るところと、死んだあとにその行動を全否定するところ、そして最後に恐るべき激痛に呻吟しながら、断固として牧師の召喚を拒否するところだ。わざわざ作者も結婚の申し入れを父親に行うところでは、女性側の意志に間違いないが若過ぎるから自分が切り出す必要があるというような断り書きを書いているくらいに、それまでのリューネはどう仕向けようが、どう手を出そうが、自分の意志で行動したのではないように振舞っている。

一方で死ぬ原因となる義勇兵への志願が実にどうでも良さそうな書きっぷりで示されているのもおもしろい(た、どうでも良さそうな書きっぷりであっても、これまでの女性関係と異なり、これは確実に自分で決断している)。

そこが、どうにも、セリーヌの夜の果てに文学的には繋がっているように見える。ニルス・リューネでは最後に戦争に行く。バルダミュはいきなり軍隊に入隊するところから始める。読んでいてニルス・リューネが19世紀文学ではなく、おれには20世紀文学のように感じるところもその点にあるのかも知れない。

息をするように無神論者であったのに、本当に大切な子供が死にかけたときはついつい神にすがり、それゆえ自分を終わったと感じたように書いている。が、実はそれによって、自分が始まったのではなかろうか。つまり、近代人(神の沈黙と向き合い戦う人間)から現代人(神は存在しないことがわかっているので、もう祈ろうが何しようが全然どうでも構わない)への成長を遂げたのだろう。あとに残るのはどこの誰でもない自分自身であり、自分のために生きるもへったくれもない現代人であり、たった一人で苦痛に呻吟しながら死んでいく。

ニルス・リューネ (ルリユール叢書)(イェンス・ピータ・ヤコブセン)

で、作者のイェンス・ピータ・ヤコブセンというのは全然知らんなぁ(そもそもデンマークの作家はアンデルセンとイェンセンくらいしか知らない)と思ったらとんでもない話だった。

グレの歌の作者だった。

シェーンベルク:グレの歌(小澤征爾)

(ボストンの管の気持ちよさとかいろいろあって小澤のを愛聴)

(どうでも良いが、訳者解題には「歌曲」とあるが、実態は歌付き交響詩だし、カンタータとか演奏会形式オペラいうのが正しいのではないかなぁ。もちろん少年の魔法の角笛だって歌曲なのだから歌曲でも良いのだが)

柴田南雄のエッセイにグレの歌のレコード評があって、その中で対訳歌詞に苦言を呈していたのを思い出した。

手元に原書がないので完全なうろ覚えだが、対訳では「グッツェン(これはもちろんでたらめ)夫人よ身を屈めよ、フンディンン(これももちろんでたらめ)氏よ腰を曲げよ」となっているのを、ちょっと待て、これそれまでと全然関係ない人名が出て来て訳者はおかしいと思わなかったのか? 大文字で始まっているから固有名詞と思ったのかも知れないが植物の名前だから「アカザの木のおばさん体を縮こめないと危ないよ、(なんかの木の名前)の木のおっさん、腰を曲げとかないと吹っ飛ばされるよ」で、嵐が来るから植物たちに暴風に備えよと言っているのだから、ひどい訳だというような内容だった。続けて、なんで唐突にこんな植物名(あまり一般的ではない)が出てくるのかと考えたがなんのことはなくヤコブセンは植物学を学んでいるのだった(かくいう誰かもそうだった)とあって、なるほど柴田南雄は植物学を学んだのだったな(小金井なんとかの弟子だったような)と知ったのだった。

というような翻訳者泣かせの作者かも知れないが、訳注を読む限り、ニルス・リューネの翻訳にはそういう心配は全然無さそうだ(というか、読んでいて唐突に変な固有名詞が出て来たりはしないし)。

私のレコード談話室―演奏スタイル昔と今 (1979年)(-)


2021-11-28

_ 新国立劇場のニュルンベルクのマイスタージンガー

おもしろかった。

エレートはいつも実におもしろい歌手だが(最初に観たウィーンシュターツオパーの総裁引退記念のローゲといい、新国立劇場でのコウモリのエイゼンシュテインといい、ドンジョバンニですら常に軽妙にして洒脱、実に好きだ。ウェルテルの兄貴の印象はあまり残っていないけど)、今回も実に抜群。取り澄ました顔(キートンみたいだ)で提灯パンツに羽根つき帽を被って出てくる2幕だけでもおもしろいが、しかも歌も良い。

次にポーグナーのギド・イェンティンスも良い声。

ザックスのトーマス・ヨハネス・マイヤーは堂々たる貫禄でおおザックスですなという感じ(もっと声量があればなぁ)。

で、エーファが最初まあエーファだし(ヒロインとはいえそれほど見せ場があるわけでなし)と思ったら3幕で大活躍。良い歌手だった。

ダビッドはなんか甲高い声でダビッドっぽいダビッドで、演技も良いしこれでもう少し声量があれば文句全然ないダビッド。

で、びっくりするのが夜警で素晴らしい。

コートナーが実にイヤミなコートナーでこれまたコートナーっぽい(どう考えてもさもしいかも知れないが常にくそまじめに必死なベックメッサーよりも、コートナーのほうが嫌いなのだ)。

それはそれとしてハンス・フォルツが目立つのは「確かに韻を踏んでいる」だけなのではちょっともったいないが、しょうがないのかなぁ。

テンポは遅い。もう少しさくさく流しても良いようには思う。が、今回、トリスタン和音がびっくりするほどトリスタン和音として立ち上がってきて、あれ一体なぜこのハ長調のドンガンドンガンした音楽にこんな精妙なものが紛れ込むのだ? と訳がわからなくなった。もちろんザックスがかって作ったトリスタンとイゾルデについて語るからだし、自己引用という点ではドンジョバンニを真似てみたのかも知れないが、ただ聴いていて今回くらいトリスタン和音を意識したのは初めてだ。この一点に焦点を絞って指揮をしたってことはさすがにないだろうけど。

あまりの衝撃に、確かワーグナーはマイスタージンガーをタンホイザーの後に構想したが実際に作曲したのはトリスタンの後になるわけだが、脚本自体は構想時点からさくさく書いていてザックスがトリスタンとイゾルデに言及するセリフを書いた瞬間に、まずトリスタンとイゾルデを書くべきだと考えたのではないかと想像してしまった。

で、マイスタージンガーといえば、どう演出するかがやはり興味の焦点だ。

ナチスの問題があるのをおそらくカタリーナ自身(ワーグナーのひ孫でありバイロイトの総裁)の手で引導を渡したバイロイト演出の後だと、どの演出家もまじめに取り組み必要があるはずだ。

カタリーナ版では、だらしない年老いたヒッピー崩れのザックスが、生き生きとしたヴァルターの音楽を型にはまった操り人形の劇伴に変えてしまい、一方誤読によりベックメッサーが天地創造を開始しアダムに引き続き自分のエーファまで創造する。この偉業を民衆が理解できるわけもなく、ベックメッサーは追い払われ、つまらない人形劇の伴奏音楽が喝采を受ける。翻然とヴァルターは自分が伝統により殺されたことを悟り逃げ出し、それを羊の皮を脱ぎ捨てて本性を露わにしたザックスが民衆を煽る。

先年のマイスタージンガーでは、ドイツ音楽の伝統者たちがニュルンベルク裁判にかけられる。

でも、ナチス問題についてカタリーナが引導を渡したことで呪縛から解放された、つまり無視できるのであれば、この作品の一番の問題は、ワーグナーの女性蔑視(女性による自己犠牲という奇麗言になるわけだが)なのは間違いがない。それに比べればザックスのour land(英語字幕)の文化に対する思い入れは健全と言えなくもない。

女性による自己犠牲といってもオタク少女が夢見ながら身を投げるゼンダや、夫婦は一蓮托生とばかりに親父の家に火をつけるブリュンヒルデは、それでも自分の意思で動いているから良い。

だが、エーファは父親によって拒否権を与えられているとは言え(この拒否権をマイスター達はブーするわけだが)、拒否したからといって自由意志を尊重されるわけでもなんでもなく、父親の見栄によって音楽の捧げものにされてしまっているのが大問題だ(それに比べるとレーネとダビッドの関係は実に健全に見える――ワーグナーはばかではないので、常にエクスキューズの役割を用意している)。

この演出ではヴァルターはザックスの演説に心を動かされて改心する。正しく本来の演出だ。が、最後の最後、エーファが否を突き付けて、ヴァルターを引っ張ってマイスターが支配するニュルンベルクから逃走する。

これは実に納得感がある良い演出だった。

ワーグナー:《ニュルンベルクのマイスタージンガー》 バイロイト音楽祭2008 [Blu-ray](フォークト(クラウス・フローリアン))

カタリーナ版は演出が優れているだけではなく、フォークトのヴァルターの優しい歌声と破れかぶれのBeck in the townのフォレの怪演も素晴らしい(次の演出ではフォレがザックスになるのもちょっとおもしろい)。


2021-11-27

_ 白井晟一入門

松濤美術館へ白井晟一入門を見に行く。

朝起きたら妻が予約はちゃんとしたか? と聞くのでなんのことかと思ったら、今回は予約が必要だった。美術館に予約とは? と思ったが確かに土日は予約が必要だった。

でも当日でも問題なかったので予約して行ったのだった。

とはいえそんなに混むはずもあるまいと高を括っていたら、確かに混んではいないが滞留はしまくっていて、なるほど展示名こそ「入門」だが中は章立てになっていて、とにかく読む展示が多い。くそまじめに読むことになる(おもしろいからだ)ので滞留しまくる。これは予約で人数制限が必要な道理だ。

ろくに知らなかったとは言え、ノアビル(の設計者だと聞かされていたのでそれは知っていたし、それで行く気になったのだった)だけではなく、中公新書の装丁やらマークやら、三原橋の親和銀行やら、知っているもの多数でまさに(おれにとっては)無名の質だった。

めんたいこ

それにしても林芙美子まで出てくるとは驚きでもあった。

文学や絵画と違って実用分野だけに名前を知らずに済ませているものは他にもたくさんいるのだろう。

ノアビルは子供の時分に衝撃を受けた。のっぺりとして窓がほとんど見えない塔が聳えているのだから謎以外のなにものでもなく(今回の展示でフィジー大使館などが入居している普通のオフィスビル――とはいえ、塔の背後に普通の建物があるので、むしろノートルダム大聖堂は2本の塔かといえばさにあらず背後に大伽藍があるような形なのだなと納得したりもした。

なぜ子供の頃に衝撃だったかといえば、当時買っていた曙出版のおそ松くんの単行本の後ろに、吸血鬼と塔の恐怖漫画の広告が出ていて(結局読めなかったのでどんな話か知らない)、その広告に出ていた塔に似ていたからだ。

白川まり奈の吸血伝の塔

秋田の市役所か何か忘れたが実物の写真だと階段の曲線が美しいが、設計図だと直線だったりするので、大工さんの現場でのアドリブなのかな。

意外なのは重要な協力者が生没年不詳だったりすることで、秩父で余生を過ごしたとか設計を依頼されたのに途中で白井に選手交代させられたりしていたりする大場とはどういう人だったのだろう?

原爆館という企画倒れした作品についての言及が最初の時点から散見されるので、なんとなく広島か長崎の公募かなと思っていたら第3章に出ていて、水の中に浮かぶ様が美しい。(展示を壁沿いに見て行ってそのまま最終章に入ってしまったので、妻(別行動していた)に「原爆館ってそこら中で言及されているけど本当の幻だったのかなぁ」と言ったら「見たぞ」と言われてあわてて3章へ戻ることになった)

いずれにしても、自宅には「~亭」「~居」「~堂」とか「~館」とか名前をつけるべきだと思った。

その後、松濤美術館に行って、トイレを見学。手前のトイレは赤い表示だったので上に登って緑を確認してから開けたらびっくり仰天、すべてが小さい。これでは用は足せないだろう? 天地神明の流派か? と思った。良く見たらピクトグラムに男女の子供が並んでいるので、なるほど子供用なのかと納得したが、下には男と女のピクトグラムもあるので、小は大を兼ねるのかなぁとか考えた。中の見学はそこだけだったが、延々と赤い状態の個室の中がどうなっているのかとか、ありとあらゆるピクトグラムを網羅してあるでっかな中央下のはどうなっているのかとか(緑だったが、上の余韻があったので見なかった)興味は尽きない。

ジュンク堂の本の森でさんざん森林浴をした後、白井晟一に経緯を表して中公新書を買う。

古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで (中公新書)(柿沼陽平)

何十年ぶりかでやしまの看板を見つけたので(以前、みずほの向かいの地下にあるときは妻とよく行った)入って、やたらめったらと腰のあるうどんを食べてから帰宅。

高橋元吉(煥乎堂の設計を白井に依頼)という名前は 高橋新吉と良く似ているうえにどちらも詩人だが接点はないのかな。


2021-11-23

_ やとの家

甲州へ旅行するときに、甲州街道を使ったので八王子を通過したわけだが、どうも街並みがおもしろい。

というわけであらためて八王子へ軽くでかけてみた。

とはいえ、八王子については知らないわけでもないが、あらためて観光に行くと考えてみると全然知らない自分に気づく。

で、ちょっとネットで検索したら一休のサイトが出てきたがこれはひどい。最初の数件は八王子だがどんどん八王子をはずれてしまってなんの役にも立たない。

それでもいろいろ調べてみたら、小泉家という旧家が目についた。

そう言えば以前吉田家というのを訪れて随分おもしろかったので、そこに行くことにした。

で、妻のスマホのYahooに道路案内させていたら「やと」で左折と言われた。

やと? どうも聞き覚えがあるようなと、昨年買ったやとのいえという絵本を思い出した。江戸時代から現代まで多摩丘陵にあるやと(丘陵に谷が食い込んだ地形)の風景の変化を一見の民家にフォーカスして静謐でありながら波乱万丈の歴史を描いた実におもしろい本だ。

やとのいえ(八尾慶次)

で、周囲の景観を見れば丘陵に同工異曲の戸建てが立ち並ぶ(特に右手の鋸の歯状の家並みがおもしろいが、左手の川の向こうの丘陵のも興趣がある)不思議な風景だ。でも街道(野猿街道になるのかな)沿いは商工の家で時間差がある。

で、目当ての小泉家に着いたら、市の重要文化財だけど生活しているから敷地に入るなと立て看板があり、入り口には柚子(もちろん知っている)とはやとうり(おれには初見)を適当にビニール袋に入れて並べた台があって1袋100円と書いた札と貯金箱が置いてある。

まあ家を見世物にしているのを見学に来たのだから、払うものは払うのが筋だろうと、特にはやとうりというのは初見なくらいだから当然食べたことがないので買ってみた(まだ冷蔵庫の野菜室に入っている)し、妻は柚子は正月に使うから買うといって買った。

それにしても確かにやとのいえだった(中とか裏庭とかも見てみたいものだがしょうがない)。

で、近くの絹の道資料館にも立ち寄って、展示物を眺める。

駐車場にはおれの車だけだし、受付の奥で爺さんが閑そうにしているし、入場料もないし、誰も来ないだろうと思ったら、それなりに人の出入りがあって意外だった。

展示物はなかなかおもしろい。

元々のおれの知識から、明治の一大輸出産業は当然生糸と絹で、群馬の養蚕地帯から高崎-八王子-横浜(電車でいえば八高線-南部線、国道であれば16号)の東京迂回輸出ルートで八王子はターミナル駅だから生糸の集積機能を持っているのだろうと想像していたら、とんでもない話で、やとのある鑓水が養蚕のメッカでもあり絹の豪商が軒を連ねていた地帯だった。良く見ると小泉家の屋根の上に屋根があるから、あれも養蚕農家で元は蚕室だったのかも知れない(現役の養蚕農家ということはないのではないか?)。

八王子は単なる集積場ではなかったわけだ。

群馬-横浜に八王子が絡むのは単に東京迂回ルートというだけではなく効率よく二つの産地と貿易港を結んでいたのだな。

で、これらの豪商が富と知識から三多摩民権派の中心となり、そこに神奈川県知事と東京府知事のゲリマンダー政策で多摩川の向こうにも関わらず東京市に組み込まれて……と話がつながるのかと、途中の調布(なぜか旧甲州街道ルートをYahooが選択したのだが渋滞していたので良く観察する余裕があった)が、びっくりするほど立憲民主党の事務所やポスターが並んでいて、調布立憲派かと思ったのとも時代を越えて結びつかなくもなく、実におもしろかった。


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