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日々の破片

著作一覧

2010-09-01

_ ディズニーシー

予想よりも空いていた(小学生とか中学生は少ないだろうとは元々考えていた)。

·海底20000リーグ

·トリトン王国制覇(ふぐはお休み中)

·とびうおなんとかの弱っちいジェットコースター

·やどかりのなんとか

·インディージョーンズ(40分くらい待ち)

·360度回転はお休み

·シンドバッド

·ジーニー劇場は混んでいたのでスキップ

·アクアトピア

·砦巡り

·ゴンドラ

·タワーオブテラー(50分くらい待ち)

·センターオブジアース(50分くらい待ち)

·トルネードなんとか

·アクアトピア×2

·インディジョーンズ

·シンドバッド

·ジーニー劇場

·木馬(おれはスキップ)

·トリトン王国の昆布か若布のティーカップ

·海底20000リーグ

·センターオブジアース(40分くらい待ち)

-360度なんとかに乗れなかったのは残念。

-センターオブジアースの怪物って、顔はバラゴグみたいな名前のガンダルフの宿敵にちょっと似ている。というか、アトラクションとしては一番かな。

-と思ったがタワーオブテラーの消失マジックや緩い自由落下感はおもしろい(ラスベガスのやつみたいに、外へ剥き出しだともっと面白そうだが、サマーランドの単純なやつよりおもしろい)

-アクアトピアは海側コースの滝はおもしろいが、噴水が多い山側も捨てがたい。というか、これはどういう制御方法なんだろうか? 床の線を見ているのかなぁ。

-スティームパンクの原点っぽい


2010-09-02

_ ディズニーランド

途中の順序は怪しい。

・キャプテンEO

・スペースマウンテン(FP)

・スプラッシュマウンテン(15分?)

・ビッグサンダーマウンテン(FP)

・カリブの海賊

・アリスのティーパーティ

・ビッグサンダーマウンテン(20分)

・ジャングルクルーズ

・カリブの海賊

・魅惑のティキルーム

・イッツスモールワールド

・白雪姫

・ピーターパン

・プーさんのハニーポットみたいなやつ

・ウェストリバー鉄道

・ビッグサンダーマウンテン(20分?)

・スプラッシュマウンテン(FP)

・スペースマウンテン(15分くらい?)

・ビッグサンダーマウンテン(20分)

暑いからだと思うがスプラッシュマウンテンは午前中の一時(たまたま遭遇)を除き、いつでも1時間程度の待ち。

キャプテンEOを25年ぶりに見て、3D映画の進歩っぷりに気が遠くなる。

気づいた点。スズメとハトとカモはいるが、カラスは一羽たりとも見かけない。不思議だ。

植物を見ると、ごく少数だが虫食いがある。にもかかわらず、夜の街灯を見ても虫一匹見かけない(地面に蟻はいないわけではない)。これも不思議だ。

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_ ムムリク [そのスズメやハトやカモは、本当にスズメやハトやカモでしたか? 実はそれらはすべて・・・ #3.0.0 にしたのでテー..]

_ arton [テーマはアマゾン書影が以前の位置に入らないのでちょっと変えてみました(が、こちらも思った位置ではない)。 ハトはとも..]


2010-09-03

_ Ruby-1.9.2-p0インストールパッケージ

Rubyパッケージ置き場

ActiveScriptRuby1.9版、OLE ViewerのHTA版、DXRuby、Algebra(未テスト)、VisualuRuby、Swinなどを同梱したパッケージです。

るりまのchmは7/29版を収録させていただきました。

このパッケージに含まれるreadlineやzlibなどのDLL(インストールディレクトリ\binにコピーされるもの)は、MSVCR100とリンクされています。MSVCRT版と混ぜると危険なので注意してください。注意というのは、つまりはインストールされたディレクトリから移動やコピーはしないという意味です。また、PATHを通したりせずに、スタートメニューに登録してあるコンソールから起動するようにしてください)。

(20:08)再公開

_ 追記(2010/9/5)

上のパッケージにはopenssl関係のDLLを同梱していません。

RubyGemなどを利用する場合は、お手数ですが、libopenssl-msvcr100をダウンロードして、インストールしたディレクトリ直下のbinディレクトリへコピーしてください。この時、特に管理者権限やインストール先ディレクトリを意識せずにmsiをインストールした場合は、Administrator用コンソールを利用したほうが良いと思います。そうでないと、VirtualStoreのほうへコピーされるため、後のバージョンアップ時などで予想していないことが起きる可能性があります。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ ムムリク [えっと、再公開となってますが、その前に落としたのですが、なにか問題があったのでしょうか?]

_ arton [tcltkutilとか幾つかのライブラリを入れ忘れてました。できれば、アンインストールして、新しいのをインストールし..]

_ ムムリク [なるほど。というかすでにインストールしなおしました。いつもありがとうございます。]


2010-09-04

_ Win32OLEのこと

1.9でのクロススレッディングイシューだが、IGlobalInterfaceTable使えば簡単だなぁと思ってパッチを作ってみた(結構でかい。IGlobalInterfaceTable無しの環境を半分だけサポートしているので中途半端(RELEASE時にもチェックが必要)なのは、以下の理由から仕上げに入っていないからだ)が、最後にオブジェクトをリリースできない。

Revokeを呼び出さない限りどうにもならないからだ。とは言え、いちいちole_freeの呼び出しが必要というのもよろしくはない。

結局、あのてのクリーンアップが必要なオブジェクトを操作するAPIは、RAIIにしておけということだなぁ。

たとえば

WIN32OLE.create(progid) do |obj|
  obj.foobar
end  # <- Releaseが勝手に呼ばれる

となっていたら、簡単だったね。

で、それ以外の利用方法なら、明示的にfreeを呼び出すことに決める。ちょうど、IOにブロックを渡すか、さもなければcloseを呼ばせるか、と同じことだ。

テストプログラム

# coding: cp932
 
require 'win32ole'
 
c = WIN32OLE.new('Excel.Application')
Thread.start do
  c.visible = true
  sleep 5
end.join
c.quit
# c.ole_free   有効にすればOK。無効なままだとEXCELが居残る。

2010-09-05

_ 羊肉泡糢

何気なく入った刀削麺の店でメニュー見てたら、点心のところに、羊肉泡糢というのがあって、西安風のナンのようなパンをどんぶりに入れて上から羊のスープをぶっかけた食べ物みたいな説明が出ていた。食いたい。羊は好きだし、小麦粉の塊に汁をかける食べ物は好きだ。

で、それを頼んでしばらしくしたら、どんぶりに白くて四角くて平たい糢(という字がそれを示すのだと思う)が3枚ほど入って出てきた。はて。スープは?

店の主人が、「このくらいのサイズに千切れ。終わったらスープをかけるから呼べ」と言って、どんぶりの一角を指差して消えていった。みると、スズメのえさのように細かくちぎった糢が数片落ちている。

まさか、この細かさはないだろうと千切ろうとしたら熱い。蒸したてというか焼きたてというか、すごく熱くて千切るとか無理だろう。でもまあ、しょうがないので、普通のクルトン程度の大きさに千切って、時々つまみ食いしてまあうまいから、あんまり小さく千切ると歯ごたえとかなくなってつまらんし、とにかく熱いから2センチ四方あたりにすりゃ大丈夫だろう、とか考えながら手を腫らして、とりあえず全部千切ったので店の主人を呼んだ。主人、どんぶりを一瞥して

「最初に示したサイズにはほど遠い。これではでか過ぎておいしくない。もっと細かくやれ。できたら呼べ」

と言ってこちらの動きを見張っている。なんという罰ゲーム。しょうがないので、2センチ四方をさらに4分割して1センチ四方くらいにしていくが、やはり熱い。

「面倒かも知れないが、細かいほうがおいしいよ。おれなんか西安でビール飲みながら適当に千切っていたら、店のやつにばかやろうと怒られたものだ。もっとも、でかいまま食う人もいるがな。でもそれは邪道だ。というか、人によって食いごろのサイズがあるのだが、とにかくまずは細かく千切れ。面倒だろ?」「いや、面倒というよりも熱い」「うむ。それはそうだが、冷めると千切りにくくなるから我慢しろ」どうも我慢前提の食い物らしい。

で、さんざんでかいでかいと文句を食らいながら、どうにか千切ってどんぶり渡すと、羊肉が4片くらい入ったスープが入って、パクチーとらっきょうと豆板醤が入った小皿と一緒に戻ってきた。「西安じゃにんにくかじりながら食うが、家ではらっきょうだ。好みに応じて入れろ。あと、でかすぎるのは家の女の子にいって小さく千切らせたから感謝しろ。だいたいにおいて西安というのは貧乏人ばかり住んでいるから、パンをスープにつけて見た目の大きさを増やしたこういう貧乏くさくて腹が膨れる料理が多いんだが、特にこいつはいいね。腹がふくれるよ。本場のはもっと羊の脂がぎとぎとに浮いていてまっ黄色なんだが家のはそこまではしてない」というような意味のことを言って去っていく。というか、いちいち注文が多い料理店だが、初めて食う料理だから言わせておいて聞くしかないのでどうにもしょうがない。

で、食ったらどえらくうまかった。というか、確かに細かく千切った部分のほうがうまい。結構、味が強い(基本、羊と塩みたいだが)から、でかすぎると一口あたりに染み込んでいるスープの量が多くなりすぎるからかな? あと、確かに満腹しまくり。

というわけで、指を火傷した(もう治った)が良い経験をした。今度食うときはもっと細かく千切ることにしよう。

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_ ムムリク [次回はクッキング鋏等々、一式準備の上ということで。 #「耳の後ろもクリームつけた?」とか言われなくてよかったです。]


2010-09-06

_ Win32スレッドの終了

WIN32OLEのパッチでIGlobalInterfaceTableからRevokeするためのタイミングを調べようといろいろ試したが、まったくうまくいかないのである意味驚いた。

win32ole.so自体はDLLだから、DllMainを記述すれば各種イベントが取れるだろうと考えた。

それ自体は正しく、PROCESS_ATTACHEだのPROCESS_DETACHだのは取得できる。が、この中からCOMの呼び出しは案の定不可能。ハングしてしまう。

ではTHREAD_DETACHだと思ったら、すべてのスレッドについて呼ばれるわけではないことに気づく。なんだこれ?

つまり、こんなことを考えた。

Init_win32oleの中でモニタースレッドを起動し、Init_win32oleを呼び出したスレッドのTHREAD_DETACHの中でモニタースレッドに対してメッセージをポストし、そのスレッド内でRevokeさせるという方法だ。

が、モニタースレッドはいつの間にか消失してしまう。THREAD_ATTACHはあるが、THREAD_DETACHもない。

メッセージを取るわけだから、GetMessageを使うメッセージポンプを作るわけだが、GetMessageの呼び出しの中で静かに殺されてしまう。WM_QUITも無い。うーむ。これでは、どうにも打つ手がない。あとは、Kernel.exitの中で、requireされた(というよりもInit_xxxxを呼び出した)DLLに対して、もし定義されていたら、Exit_xxxxを呼び出すように本体に手を入れるとかしかないのではなかろうか。というか、そういう方法はありかな?

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ suke [すいません。まだ時間が取れなくて見てないのでよくわかっていないのですが、at_exit を使うとかは駄目なんでしょう..]

_ arton [試したのですがハングします。メッセージキューがなくなった後か、ole32.dllをアンロードした後で呼ばれるのではな..]

_ arton [すみません。C関数のatexitと勘違いしました。Kernel.at_exitですね。それならOKです。]


2010-09-07

_ ruby-1.9.2.msi、今気付いてる不具合メモ

パッケージの不具合という意味(2は別)。

1.readlineがカーソルキーを無視。

2.rjbでbindができない(なんだこれ?)

3.opensslのdllが入っていない。

意外と多い。


2010-09-08

_ パスワード

ちょっと用があってFSFのFTPサーバにanonymousアクセスした。

ら、いきなりエラーとなる。

はて? と、コンソールをしげしげと眺めるとパスワードプロンプトがない。

つい習慣でメールアドレスを入れたのがコマンドと解釈されたのだ。

なんかささやかにハッピーな気分になった。


2010-09-09

_ ジゼル

東京バレエ団のジゼルを観に五反田。

ジゼルはコジョカルで、アルブレヒトはコボー、ヒラリオンは最近いつもこの人ばかり観ている後藤。

コジョカルとコボーのジゼルは、DVDで結構観た(し、東京バレエ団のジゼルは生で散々観ている)ので、なんとなく見覚え感につきまとわれた。

コジョカルのジゼルは感情表現が踊りそのものよりも仕草にあらわれているようにおれには感じるので、どうにも観ていて不憫な子感がつきまとう。

そのため、この突っ込みどころが満載されたくだらない話がそれほど気にならない。

それにしても嬉しそうなところでは実に嬉しそうだし、哀しそうなところではいかにも悲しげだ。特に今回は、2幕で後ろ向きにちょこちょこ左手に去って行くところがやたらと印象的だった(いや、一幕でアルブレヒトが隠れて見ているとちょんちょこ踊りながら探し回るところから花占いしてしょんぼりして、ささやかなトリックで喜ぶところまでの流れも実に印象的だ)。一方、コボーはやはり2幕目で十字架形に飛び上がって脚をパタパタやるのを繰り返して死にかけるところが妙に印象に残る。あれは妙な踊りだな。それにしても二人で踊ればふわふわ感が漂う。

Giselle / [DVD] [Import](Alina Cojocaru)

最初、コボーが従者と話す場面で、おわ、コボー小さいな、という印象を受けた(実際、比較的小柄だろうとは思う)。

墓場の場面で、カルタ遊びをする演出が急に思い出されて、一体あれはなんだったか気になって困った。後で子供に訊いたらオペラ座の演出だ、と言われて納得したが、オペラ座のジゼルはカルタの場面しか印象に残っていないことに愕然とする。

_ やっかい過ぎるreadline

どうしてカーソルキーが取れないのか追っかけてわかる愕然とする事実。

非同期IOのために、readline.soはchar取得APIにrubyのSTDIN.getbyteを利用しているのであった。で、こいつがwin32の場合は、win32に回ってReadFileに落ち着くのだが、この状態では特殊キーはまったく読めない。

ちょっとReadConsoleInputを呼び出すように変えてみたが、はてうまく動かないぞと思ってreadlineのソースを読むと、特殊キーの場合はPREFIXを付けたりいろいろVKEYに操作した値を設定してそれを利用するようになっている。この時のマーク用に9ビット目を利用しているように見える(\M-\xf?\x??の形式を作るため)。。

ということは、もしカーソルキーをサポートしようとすると、単にReadFileではなくReadConsoleInputを呼び出すように変えるだけではなく、readline 4.3.2のWin32固有実装のキー変換処理をrubyのwin32.cかreadline.cのいずれかに取り込む必要が出てくるということだ。

ちょっとあり得ないなぁ。

(Win32の場合はreadlineを利用するとスレッド切り替えはできないという制限付きにしてreadlineのgetcを利用するという方法はあるかも知れないけど)


2010-09-10

_ Win32OLEマルチスレッド対応

できた(win32olepatch-2.txt)。

rb_set_end_procを使えば良いのだった。というか、助田さんの助言を取り損なって再発見してしまった。これなら、スクリプト終了後かつCランタイムライブラリのexit呼び出し前に介入できる。

あと、アパートメントの初期化をしたかどうかを保持するTLS(g_ole_initializedを流用)に、__declspec(thread)を利用したので、mingwが対応していなければそこをTLS APIを利用するように修正する必要があります。

が、テストを動かしてわかったけど、rb_set_end_procが動くのが先か、testの実行が先か問題とかあるような。

_ 良くない名前(事例)

上のパッチにRELEASE_GLOBALというマクロを定義したが最悪の名前だ。グローバルインターフェイスから、つい名前をつけたが、リリースしているのはローカルインターフェイスなのだからRELEASE_LOCALと、対象を示すべきだ。


2010-09-11

_ さよならinfoseek

楽天がフリーのホームページサービスをやめるとか聞いて、まだそんなものやってたのかと、他人事として聞き流してた。

が、気付いた。 これか!

という訳で、長いことASRダウンロード用サイトとしてお世話になったが、もうすぐ打ち止め。

今後はここのASR置き場に絞ることにするか。


2010-09-12

_ 百段階段

目黒雅叙園の百段階段ツアーに行ってみる。

目黒雅叙園は、デブサミとかで行くと、わーなんて趣味が悪いんだ! という妙な居心地の悪さを感じる場所だが、最初から趣味が悪いわけではなく、ある時点まではまるで天国のようなものだったものが、時代の変化によって趣味の悪さに変わり、さらに時間が流れて独特の様式美を獲得したものでもある。

そのルーツを知るには、百段階段ツアーはもってこいではある。

実際のところは、たまたまコスモポリタンの仕手戦がらみの情報を追っていて、直接は関係ないが舞台が近いところで雅叙園を調べていて、そこに百段階段と呼ばれる昭和十年代の傑作建築+内装があるという情報に突き当たって興味をそそられていたというのがある。そこにたまたま妻が何かで調べて百段階段ツアーの存在を言い出して、そこで行ってみようと話がまとまったのであった。

百段階段は、現在の雅叙園のビルの左手、傾斜部にその傾斜にそって奥へ向かって続く階段で、その向かって左手に絢爛たる5つの部屋(上2つは仕切って利用できる。また地図には頂上の間というのが書かれているがこれは別格らしい)が並んだ建物だ。現在のビルでは正面入り口入ってすぐ左手のエレベータ(内装は螺鈿の唐獅子牡丹だが、これは平成の作らしい)で2階まで上って降りたところから始まる。

ツアーの案内人は、眼鏡をかけた老人である。

同じツアーには、中年女性のカップル2組と、老夫婦らしき二人連れが参加していた。

千と千尋の神隠し (通常版) [DVD](柊瑠美)

(百段階段を見学して内装の参考にしたとのことだが、確かにそうなのだろう)

_ 細川力蔵

福井の生まれの細川力蔵、東京に出てきて風呂屋に丁稚奉公して、ついには自分の浴場を持つに至る。そこで何か思うところがある。

庶民が楽しめる料亭というものを考えてみよう。田舎に作れば安くつくし、周囲に森もあれば山も川もある。日がな楽しめるに違いない。と、まるで現代のうかい鳥山のような発想のもと、細川力蔵は思いつき、コンドルが設計した(忘れた)の別荘を買い取り作ったのが雅叙園。もちろん昭和初年の目黒というのは、現在の八王子市のような場所である。

庶民とくれば、値段も知らなければ料理の種類も知らないに違いない。お任せとかが通用するとも思えない。とさらに考えて、メニューという仕組みを考案。さらに回転テーブルも考案して大皿をどーんと提供してもOKな体勢ではじめたところ大評判。

しかし、根が風呂屋だし、客が野山を楽しんだ後では汗もかいているし手足も汚れていてこれでは落ち着いて飯にはできぬ、それではでっかな浴場を用意しようと豪華絢爛たるラヂウム温泉百人風呂をこしらえた。かくして、健康ランドという業態の創始者ともなった。

さらによくよく客を見ていると、なぜか金襴緞子の花嫁を中心によたよた橋を超えてやってくる集団の姿がちらほら見える。あれはなんだ? 近くの大鳥神社で結婚式を挙げた集団が、その後にみんなで食事をしようとやってくることに気づいた。

あれでは大変であろうなぁ。という考えの裏でソロバンがピピピピと弾かれ、出雲から7柱の神様を呼んで(最初は1柱だろうが評判が評判を呼び、最終的に7柱となった)神社を作り、結婚式と宴会を同じ敷地でできるようにした。と、今度は総合ブライダルセンターの創始者となる。最盛期には1日270組余りの縁組をしたというのだからすさまじい。

さて、大もうけをしたところでふと考える。大金持ちの使命とは、残すべきものを残し掬うべきものを掬うことである。

そこで、伊豆の大棟梁とたくさんの職人を呼び寄せ、螺鈿、七宝などの装飾を随所に散りばめた和風建築の集大成と成し、若い芸術家を結集し一つの部屋に一人の画家、自ら興の赴くままに画を描かせ(なんかへうげものの世界のようだ)、世に問うたのが百段階段。欅の段を99個並べ、百は王を意味し、それは不遜であるから99として最後の一段はお客様が御自分で架け給へ、古来多数あることを九十九と称するのであるからここには実際に九十九段を用意して多数の段となし、云々と絢爛豪華たる昭和の竜宮城を目黒の地に建てたのであった。

昭和二十年料亭廃止令により海軍横須賀病院目黒分院として接収されて、途中なんどか爆撃を受けたものの、そこにいるのは病や怪我に倒れたとは言え海軍のつわものども、火を消して周り、残念なことに百人浴室は失ったものの、ほとんどは無事残ったまま敗戦を迎える。

その後、目黒川拡幅工事でコンドル由来の建物は取り壊しなどいろいろあったけれど、百段階段だけはそのまま残り、現在も絢爛たる姿を留めているのであった。

_ 十畝の間

枯淡の人かな。天井の花鳥画は墨絵を基調として淡く色を付けたという風情。精緻を極めた螺鈿。

障子の(名前忘れた)が正面からは非常に薄いのだが、深さがあるため、遠くのは非常に太く見えるため、不思議な奥行きを壁面(といっても障子だから向こうの光で明るい)に形作る。これはすげぇや。

十畝画選 (1963年)(荒木 十畝)

床柱はごつごつした立派なもの。

_ 漁樵の間

2つの床柱に浮き彫りというか一刀彫というかで極彩色に塗りたてた、左に浦島太郎、右に養老の滝、方や一気に年をとり、方や一気に若返るの、対称を配し、中央に美人画、欄間に正月と菖蒲の節句(若者-正月-老人、左右が菖蒲で橋でつながるだと記憶しているが怪しい)、桃の節句、七夕、重陽節と配し、金色に輝く、とんでもない部屋。窓は(名前忘れた)上のほうが雲みたいで下に向かって末広がりになっているくりぬき。

漁礁の間

ja.wikipedia(これは養老の滝の床柱と西の桃の節句の一部だな)

_ 草丘の間

一番気に入った。後で聞いたら子供もこれが一番好きなようだ。

下の2部屋と異なり、天井の蒔絵(だと思う)と七宝がこの部屋からはなくなっていたような気がする。

欄間には群馬の景色を配しているというのだが、西へ向かって遠景、東は近景というよりも接写で雲のたなびきはそれぞれつながっているが、同じ光景(妙義山だったかな)が2回とかそれぞれの画は独立している、これは前衛的。草丘20代(30代のような気がしてきた。天井の花鳥画は躍動的)の作。

おれは、この部屋好きだなぁ。西の窓を開けるとかっては富士山を一望とかだが、今は雅叙園のビルが見える。でも手前には漁礁の瓦屋根が見える不思議な光景。

この部屋一番の見所は、庇の下の(忘れた。横木)が実は見事な一本ということ。

床柱は槐とブラジルだったような気がするが、それは別の部屋かも(内容が盛りだくさんで覚えきれないなぁ)。ブラジルは、ブラジルから綿花を運んでくるときに、船が横風にあおられないように船底に積む固くて重いので利用されている大木の幹。日本に着くと捨てられるだけ(国内林業保護の意味もあったらしい)なので細川力蔵がもったいないからおれが使うと持ち込んだとか。

_ 星光の間

む、わからない。

誰もが親しめるモティーフの画ということで、食べ物を主役にこおろぎや蟷螂を配しているのが特徴で、お見合いすると破れないというので評判となった部屋だったような気がする。けど、お見合いは次の静水の間かも。

_ 静水の間

確か、床柱が固くてとんでもないやつを利用しているのに、見事に横木と組み合わせているのが素晴らしいと解説の人がほめていたのがこの部屋だったような気がする。

_ 清方の間

ここも2つに分かれていたような。まずは、杉(だったと思う)を薄く削った板で作った網代格子で天井を葺き、その上に画を描いた板を張り合わせて作った部屋。ここも障子の模様がすばらしかった。

次の部屋は目黒づくしなのだが、お不動や太鼓橋(今は太鼓橋ではないが目黒川にかかっていて、その昔、大鳥神社から花嫁が上ってきたあれだ)とかは良いが、さっぱりわからない画もある。

鏑木清方 (新潮日本美術文庫)(日本アートセンター)

なぜか曽我兄弟? これは曽我兄弟の絵というよりは、曽我兄弟に扮した団十郎の絵なのですな。当時団十郎は目黒に住んでいたと、そういうわけです。

では、なぜ白井権八? これも団十郎かというとさにあらず。どうみても白面の優男であって役者画ではない。なぜか脇に菖蒲が描かれている。わからん、いやヘンリーが本を調べている。「この菖蒲は小紫という種類のようですね。白井権八の脇に小紫ということは、まさに目黒の比翼塚のことかと存じます。」

と、いくら教養人のおれでも解説がなければまったくわからぬ目黒尽くし。あーおもしろかった。


2010-09-13

_ おむすびの画

未完のレーニン 〈力〉の思想を読む (講談社選書メチエ)(白井 聡)

なぜ革命そのものはスルスルいったのか、なぜ維持は難しいのか、のあたりは面白い。

開発と運用の対立。

後でまとめる。

措定は「せきてい」では、ない。


2010-09-15

_ レーニン

はるか100年近く前のことなので多くの人はすでに忘れたか元々知らないのだが、ロシア革命を主導したのは、科学者――少なくとも彼らはそう考えていた――たちであった。まだ、社会科学と自然科学にはっきりと境界線がなかった時代のことだ。

レーニンを例にとる。

彼はマルクスの論文を読み、思考実験を重ねる。

・マルクスによれば、労働者と資本家は対立関係にある。それを止揚するのは革命である。

・上の命題が真か否かを実験により確認しよう。実験というのは革命である。

・では、どのようにすれば革命ができるか?

・労働者は資本家と対立していて、現時点の主人が資本家であるのだから、革命の主体は労働者である。

・しかし、資本主義の原理により、労働者と直接対立関係にあるのは、次の2つである。

1. 他の労働者: 同じ労働市場において競合する

2. 国家: ストライキを打てば警官が来る。暴動を起こせば軍隊が来る。

・現実の問題として、労働者と資本家の対立は可視性を持たない。

・可視性があるのは、対労働者および対国家だけである。

・したがって、労働者が革命を起こす理由がない。労働者は競合関係にある以上、団結はできず、したがって力を持つこともない。

はたとレーニンは行き詰る。

そこで、いかにして労働者を革命に寄せることができるかのマニュアルを作った。

なにをなすべきか?―新訳 (国民文庫 (110))(レーニン)

が、理論的に無理なものは無理だ。

・では、資本家は革命を起こすか? (と、一応考えてみる)

・資本家にとって労働者は、労働力の供給者であり、労働力なくして生産はできない。したがって、資本家が労働者と対立することはない。

・資本家にとって国家とは、労働者による破壊から資本を守る機構である。また他の競合関係にある資本家による不正を監視する装置である。したがって、資本家が国家と対立することはない。

まずい。これでは革命はできない。革命できなければマルクスの命題の真偽を確かめることもできない。

・では国家とは何か?

・国家とは暴力装置である。それ以上でもそれ以下でもない。

ああ、そうか! と、ここでレーニンはひらめいた。

国家と革命 (ちくま学芸文庫)(ヴラジーミル・イリイッチ レーニン)

・国家が暴力装置という意味は具体的には軍隊と警察を意味する。それを構成しているのは労働者と農民である。

この事実により、不可視ではあるが資本家と労働者の対立による緊張が高まり臨界点に達すると国家の暴力のベクトルが逆転し得るのではないか?

レーニンは、この仮説について考える。

・その臨界点は過去に一度出現した。パリコンミューンである。

フランスの内乱 (岩波文庫)(マルクス)

かくしてここまで考えたところで、国家と革命の執筆を中断する。ロシアにまさにその臨界点が出現しそうだと観察したからである。しかし、臨界点に達しても手をこまねいていれば再びそれは消失してしまうだろう。したがって急がなければならない(と、弾丸列車に乗り、亡命先のフィンランドを後にする)

革命はあっと言う間に完了する。

軍隊が自分を保護しないと理解したケレンスキーがさっさと亡命したからだ。

仮説通り、臨界点にある国家の暴力装置は反転した。

(その後に長い長い内戦やシベリア出兵のような火事場泥棒との戦争が始まるのだが)

未完のレーニン 〈力〉の思想を読む (講談社選書メチエ)(白井 聡)

というような、やたらと見渡しが良い解釈というか説明は、確かに新鮮だった。この見方にしたがうと、ボリシェビキの中で唯一学問を受けていない(神学校で聖書は学んだらしい)スターリンに権力が集中していく状況も解釈できそうにさえ思う。論理的に考えるボリシェビキたちと、理屈ではなく感覚で動くスターリン。また軍人たちがトロツキーを支持していたのも同じ理屈で説明できそうに思える。この時代の将校は、ナポレオンに代表されるのだろうが工学/数学(設営や砲術に代表される)と経営/数学(兵隊と兵站の管理)が必須科目だ。

・当然、資本主義国家でも、暴力装置の反転現象を観測していろいろ考えた。

・たとえばケインズの手法。緊張の高まりを抑制することで飽和点に達することがないようにする

・欧米の徴兵制度。思想的な徴兵忌避を権利として認める(飽和点になったとき結晶の核になりそうな要素を最初から排除)

・徴兵制度をやめて、すべて志願制度とする

・洗脳。

・国家に人格を付与する(宗教国家など)

反転現象は、ロシアのクーデターの時とか、ベルリンの壁崩壊とか、何度か見る機会があった。軍隊が国家の保護(反乱の鎮圧)を放棄する状態だ。(その伝でいくと、天安門事件では紅軍はきちんと国家を守った。したがって、あれはオウム事件などと同様に歴史的には一部の異常者による暴動ということになるのだろう)

それにしても、官僚は確かに資本家ではない(し、資本を持たない)。また、階級でもない(世襲はできない)。あのときの緊張は、何と何の対立によって生じていたのだろうか?

もう一つ、逆説的におもしろいなぁと敷衍して考えたのは、大きな国家の支持者は性悪説で、小さな国家の支持者は性善説だということ。性悪説なので暴力装置の反転をおそれて緊張抑制の施策が必要と考える。性善説なので暴力装置が反転することなどあり得ないと緊張をむしろ高めようとする。


2010-09-17

_ 英国ロイヤルオペラの椿姫

元々(金の問題もあるけど)ゲオルギュという歌手については何も知らないし興味もないのでパスするつもりだったのだが、チケットをプレゼントしてもらえたので行く。と思ったらゲオルギュはキャンセルになったが、元々知らないので、それは問題なし。

場所はNHKホール。指揮はパッパーノ、ヴィオレッタはヤオ(ヤオという苗字はポール・ヤオをすぐい思いつくが、この女性はアルバニアの出身。アルバニアといえば、地理的には東欧だが文化大革命の中国の影響下にあってしかも鎖国しているという非常に不可思議な国というイメージだけがあるのだが、アリア政権の比較的うまくいった改革によって開国して今ではオペラ歌手を輩出するようになったのだな)、ヤオは小柄で(パッパーノと並ぶと同じくらいの背丈だが、アメリカ人のアルフレードと並ぶと頭2つ分以上小さくて、気丈ではあるが孤独に打ち負かされそうになるヴィオレッタを表現するには向いていると思った。地理的にはマケドニア人なのかなとか思うが、ギリシャの女性というとすぐにメリナ・メルクーリが浮かぶのでそれはないだろうなぁとか思ったり。

声を震わせて強弱をつけるタイプの歌手で技巧的には(ときどき地声はこういう感じかなと気づくところがあって、それはそういうものだろうけど)うまいのだと思うが、場所が2階左翼の奥で3階の天井が狭い、どうにも音が入らない席だったので、相当な音域がカットされていたように思う(あるいはそういうCDで聴いても生で聴いても同じような音しか出せない歌手なのか)。というか、NHKホールって確かに音が悪いなぁ。残響がこんなに無いとは思わなかった。

1幕は指揮が良いのか、とても快調。だが、あまりにも快調なので作曲の構成ミスじゃないかというような、ぶつ切れ感をすごく持った。

2幕はとても良い。というか、親父役が実に良くて、あれ、こんなに良い音楽だったのかとちょっと驚く。ただ、演出のせいで、3歩引いたところでうつむいて歌うので、さあお泣きなさいとか、どうも念仏を唱えているかのように見える(歌は歌として)。

最初のところでアルフレード(全体的には実にアルフレードらしいでくの棒という印象。ディズニープリンスのようだと思ったら本当にアメリカ人だった)が歌う、これでは漢が立たないぜの歌が唐突に目だって、おやこんな良いメロディーがあったのかとはっとする。

と書いていて気づくが、パッパーノってダメ指揮者なんじゃないか? メリハリを付けすぎて音楽の流れをブツ切れにしているような(そこがオペラ向きなのかも?)。ただ、2幕の指揮台に立つやいなや振り始める思い切りにはちょっと度肝を抜かれる、というか、やっぱりメリハリを付けすぎなんじゃないかなぁ。

3幕はすばらしい。トラヴィアータの歌とか、あるいはわたしは元気を取り戻したわ飛行機ぶーんのあたり(飛行機ぶーんの演出はちょっと驚いたが、他の演出はデッカーの抽象舞台しか知らないので、本来そういうものかも知れないけど)、つまりヤオが良かった。親父は相変わらず3歩下がってうつむいて念仏。妙な演出だなぁ。

そのあたりの親父関係の演出に引っかかるのだが(かといって、目の前で胸を張って歌われても困るので、そういうものかも)、抽象化せずにかといってばかみたいな写実主義でもない奇怪な舞台装置(特に2幕2場の天井の角度とか、3幕の妙に高さを強調した鎧戸の部屋――牛様のお通りだの合唱のときに巨大なシルエットとして外の世界の猥雑さを強調することでヴィオレッタの孤立感を浮き立たせるのは見事かも)も合わせて、この演出は好きだ。2幕2場がだれないのは演出が良いからかも知れない。

ただ、この歌手、この指揮、この演出であれば、新国立の舞台で十分というか椅子や観客の数からは新国立のほうが良いというか、もし自腹で見に来ていたらちょっと別の感じ方をしたと思う。価格は1/8だからだ。

その意味でも先日のトリノ-フリットリはつくづく素晴らしかったのだな、と思う。


2010-09-18

_ 英国ロイヤルオペラのマノン

今日は(というか、昨日の17日)上野でマスネのマノン。席は4階中央。遠いが見晴らしは良く、音も良く通る。

マノン・レスコーを聴くのはこれが最初(と思ったが、後で確認したらデュエットで神父さんになったデ・グリューを訪れるとこを持っていた。が、ほとんど聴いたことがないとわかるiTunesの便利さ)。

1幕があくと、遠近感を強調するために2階の町並みを極端に小さくしたセットに紳士・淑女がやって来て宿屋の前で暴れるところ。こう始まるのか。セットの極端さが妙な効果を生み面白い。突然プワソンと聞こえて字幕に魚と出ていて、ああ、フランス語なのかと気づく。

しばらくして田舎娘に扮したネトレプコが出てきてきょろきょろちょこなんと振る舞うのに見とれる。大歌手だと思うから見事に見えるのか、見事に振る舞うから大歌手なのか、先入見があるので判断は難しい。トランクに腰掛けて脚をぶらぶら。40近いはずだが、舞台の上には世の中に対する好奇心でいっぱいの小娘が活き活きと動き回る。わたしは楽しむのが大好きの歌。デ・グリューは深みと甘みのある好きなタイプの声。きっとラテンの人だろうと思い、あとで配役表を見ると母音で終わる名前なのできっとそうだろう。オペラグラスで観ている子供によるともみあげが長いおっさんっぽいとのことだが、遠目にはがっしりタイプだが情熱的な騎士(称号が)っぽくて声と合わせて良い感じだ。というか、こんなにおっちょこちょいな出奔劇とは知らなかった。これがマノン・レスコーの物語という妙な台詞で自己紹介。それが枠組みになっていたと気づくのは最終幕が閉じたときだ。

幕間(合間はアイマと読むのだが、アイアイと読むことにすると面白い)は暗転のみで休憩なく2幕へ。というか、どの幕もぱっと暗転する演出。始まりはオーケストラのほうを向くやいなや振り始めるパッパーノスタイル(と2日目だとそう思う)。

2幕の妙な櫓に組んだ神田川沿いの四畳半のようなセーヌ河沿いのアパルトマンのセットも良い感じ。左側は一度デグリューがうろついたが屋根のようだな(明かり取りの窓が描かれている)。

小さなテーブルだったけど私たちには大きすぎたの歌とか、おおネトレプコだなぁと。良くのびる固い声。とにかく、歌もそうだが立ち居振る舞いが美しい。このあたりで、チャラララータチャララララーというモティーフがこの曲のイデフィクセなのだなと気づいた。というか、この後を含めて、このメロディー以外まったく記憶に残らない。妙な作曲家だ。

後頭部を鈍器で殴って気絶させるというあまりに乱暴な誘拐方法にびっくり(きっと、この後のデグリューの奇行は、この時に生じた脳障害ということだろう。違うと思うけど)。あと台詞の付け方によって、従兄レスコーに好感を持つ。どうにも良くわからないが、同時代のカルメンのホセと言い、兵士とオペラの関係(記憶の上だと愛の妙薬もそうかも)の良さというのは何なのだろうか。

この幕はいいなぁ。歌もセットも大好きだ。

3幕1場。大通りの喧噪。おや、これはボエームだなと気づく。その前がパリのアパルトマンだし。というかそもそもプッチーニもマノン・レスコーを作っていた。しかもマノンは大通りの女王として君臨して、ムゼッタ以外の何者でもない。プッチーニは自分のマノン・レスコーではマスネの影響を排除しているが、でも次のラボエームでは脚本的にオマージュを捧げたのかな? その歴史的な流れの1つとしてこの公演のマノン・レスコーと椿姫という2つの作品の組み合わせにも意味があることに気づく。椿姫は直接のマノンレスコーの子供だからだ。

この舞台でも親父役は堂々たる歌手がやっている。パリオペラ座が来るよという触れ込みだがコールドの揃わなさから考えるにやって来たのはロイヤルだな。というのはどうでも良いが紳士たちはチュチュをめくるだけでは済まず、最後は誘拐していくとは実におそろしい通りだ。

2場、左が寝室、右が礼拝堂という不思議なセット。それにしてもひどい話だ。カソリック教徒なら憤激するだろう。靴を脱ぎ捨てて抱擁して暗転。

話はひどいが歌はすばらしく美しい。ここでもチャララララーというモティーフが目立つ。

《ハートに灯を点けて》―情熱のデュエット (限定盤)(ジャコモ・プッチーニ)

これに収録されている君かあなたでしたか、だな。

4幕。右に縦の線。左に横の線。不思議な賭博場。テーブルを2つ並べて勝負。中段の右に別の部屋があるらしく、そこで乱闘。最後に親父の説教ソング。続けて4重唱で、ざまあみろ+もう勘弁ならぬ+やめろ+お慈悲を(だと思う)(ヴェルディの4重唱と比べると音の重ね具合が単純なのでそれぞれがうまい具合に分離していないように感じる。ヴェルディのx重唱というのはどうにも不思議な存在だ)。ひどい話だ。

5幕。連行されてきたマノンがいきなり袋だたきにされる演出。なんで袋だたきなんだ? (歩けなくて座り込んだから、とかそんなことだろうか)従兄レスコーが話をつけて助ける。ぼろぼろの服(この衣装でカーテンコールしたのだが、それはとても良い効果があるように感じた)。ネトレプコの亡霊のような動き(足使いを見せずに横移動する)。これがマノン・レスコーの物語と言って息絶える。最初と最後が灰色の服。

指揮は今日のほうが良い。曲のせいかな。特に4幕か5幕の序曲の2番目の主題のところで妙に交響楽的に音の渦が湧き上がるところ。

曲の印象はチャララララーというモティーフだけ。きれいなオーケストレーションだった記憶があるのだが、また、情景や言葉との結びつけもうまいように思うのだが、これというメロディーに欠けているように思う。マスネってオペラ作曲家よりも純器楽曲のほうが向いている作家なのではないかなぁ。逆にこれといった歌がないため、ほとんど途切れる必要がなく、それが指揮者のスタイルと合っていたのかも知れない(と、たった2作品を聴いただけで傾向を決めつける)。

いずれにしても、ネトレプコを含め、この作品を生の舞台で観られたというのは実に喜ばしいことだ。それ以外のメディアであれば曲の単調さによって途中でいやになってしまっただろう。演出(装置)、歌手(声と動き。特に動き)、管弦楽いずれも良かった。

パリ・オペラ座バレエ 「椿姫」 [DVD](パリ・オペラ座バレエ団)

マノン<-椿姫 の関係を示した作品。


2010-09-19

_ おっかない生き物

フナムシ。だから海辺の道はあまり歩きたくない。


2010-09-21

_ 長い物の干し方

バスタオルを物干し竿にかけていて、突然、思い出した。

ある時点まで、おれはバスタオルのような長方形の布を物干しにかける場合、長辺の真ん中で折って、そこを竿(紐の場合もある)にかけていた。バランスである。

ところが、ある時点から、可能な限り端を折って、そこでかけるように変えた。大体、長辺の11:1あたり。短い方は5センチとか、洗濯バサミでうまく止まる程度だけとする。

この方法は、ロベール・ブレッソンから学んだ。

ラルジャン [DVD](クリスチャン・パティ)

ラルジャンの中で、洗濯女(か、主人公の母親か忘れたが)がシーツかタオルかそのての長方形の布を干す場面がある。それが、まさに端を折って留める方法だった。

このシーンは、とりわけ印象的なのだが(ブレッソンの映画は、すべての構図、色彩、カットが印象的なのだが、それでも時の流れによって風化する。しかし、そうでないものが多い。たとえば白夜の光り輝く船とか、バスの中でのつぶやきとか、題名忘れたがドミニク・サンダの入浴シーンとか)、特に柄杓が滑るシーンと、洗濯のシーンが忘れられない。

観終わった後、友人に、洗濯ものの留めかたにすごく違和感があると言ったら、相手もそのシーンを覚えていて、フランスではああやって留めるのかな(ということは、相手も、真ん中で留めるという認識だったに違いない)と話し合った。おそらく、と、どちらかが言う。乾きやすさを考えた場合、折られていると当然その分乾きにくいはずだ。なぜなら重なっている面積が多いのだから。特に紐にかけた場合は折りしろがほとんどないからそうだろう。それに対して一枚ぶらーんとした状態がほとんどを占めているラルジャンスタイルであれば乾きやすいのではないか? なんという合理主義。というような結論となった。

折りしろの問題であるならば、物干し竿を利用する場合は、それほど神経質になる必要はないかも知れない。たいてい直径3センチ程度はあるから、それだけ2枚(として数えられる)の布の間に風が通る余地が生じるからだ。

が、なぜかおれは断固としてラルジャンスタイルで生きていくことに決めたのであった。

というわけで、端のほうを折り曲げて留めている。

が、それは本当の洗濯物の干し方を知らないブレッソンが想像で演出したあり得ない情景の可能性も、ゼロではないだろう。というわけで、本場ではどのように干しているのか、いささか興味はある。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ ムムリク [毛布など大物を干すときに、ハスにして干すというのはさる方面ではよく知られた干し方ですね。もしくは、平行棒式とか。 物..]

_ arton [ハスにする方面ってボーイスカウトとかですか?]

_ ムムリク [あ、ボーイスカウトとかもありそうですね。 というか、テレビの情報番組などでもよく扱っているというところなのでした。]


2010-09-22

_ xmlのメディアタイプ

VS2010のWCFサービスでRESTfulなサービスを実装して、GETについてはIEをクライアントにしてしばらく試してから、POSTでXMLを受けるやつを試しに作ってみた。が、クライアントをどうしようか、と考えるまでもなく、RubyのNet::HTTPを使ってさくっと作ったが、どうやっても400となる。

いろいろ試して、どうもメソッド引数を空にすると200になることがわかった。

どうにも不便だが、Requestからボディを読めばいいのかなぁとか試そうとしたら、ヘッダ情報は取れるのだが(キャッシュ処理をするために特化したAPIのようだ)、ボディは取れない。Stream型の引数を与える形でもだめだ。

うーん、といろいろ試して、結局時間切れとなった。

で、今になって、どうもクライアントがContent-Typeにapplication/xmlを設定してPOSTしなければならないらしいとわかった。おれはtext/xmlを設定していたのだった。大嘘。xmlnsが必要。text/xmlでも処理される。

なんで、text/xmlではないんだ? とRFC2376を読むのだが、いまいちわからない。

どうも単なるテキストとして扱ってもよければtext/xmlで、構造化データとして利用するならapplicaton/xmlと書いてあるように読めるが、その一方で、

Within the XML specification, XML entities can be classified into four types. In the XML terminology, they are called "document entities", "external DTD subsets", "external parsed entities", and "external parameter entities". The media types text/xml and application/xml can be used for any of these four types.

ということは結局どっちでも良いように読める。

Applications which use this media typeは、text/xmlだけにWebDAVが明示されている以外は同じことが書いてあるし。

というわけで、結局、よくわからない。


2010-09-23

_ モスクワ攻防戦がおもしろい

何気なく本屋で手に取りついふらふらと買ったのだが、もちろんスターリンとヒトラーという二人の歴史を変えようとした政治家への興味、個人的にはモスクワ攻防戦に対する興味(ショスタコーヴィッチがビルの屋上で敵機を監視する仕事をしたということだけしか知らない)が根底にはあるのだが、これは大当たりだった。

まさに読書する喜びにしびれまくる。500ページ近い本のうち100ページ程を読んでしまったが、次々と出てくるエピソードの数々に圧倒される。

モスクワ攻防戦――20世紀を決した史上最大の戦闘(アンドリュー・ナゴルスキ)

突然気付いたが、戦争が歴史のネタに特になるのは、それが戦争という極限状況を描いているからではなく(もちろん、それがあることは間違いないが)、「記録」が圧倒的に多いからだ。当時~だった~の思い出話のようなものに始まり、国家の正規な機密文書、公式の外交文書、戦地の司令官による報告書、などなどだ。

だから、個々のエピソードが持つ人間的なおもしろさというのは、実は日常にもあるのだが、それが記録されていることで後の視点から冷徹に分析/整理された後に再提示できる。そのため、時を超えた普遍性を獲得し、後世の読書人を喜ばせるのだろう。

たとえば、こんな一節。

このエピソードの主人公ヴィニツキーはモスクワの大学生で志願してドイツと戦おうとする。しかし配属されたのは、裏切者(つまりは脱走や投降しようとする軍人(ってのは将校も含むからだ))を捕まえる(処刑する権利もある)部隊だ。そこで活躍した後、別の部隊へ配転される。その移動中にスパイと間違えられてNKVD(内務人民委員会で後のKGBになる)に捕まってしまう。まずいことに、正規の軍票が手違いで支給されていなかったため、パスポートなどしかない。拷問が続く。

しかし地元の党書記の一人が、ヴィニツキーの書類を引き続き調べた結果、書類が本物であるとの結論に達した。それの意味するところは何か。想像を超えた大物スパイに違いない、という結論だった。

うわ、最悪。想像を超えていた。

スターリンによる大規模な粛清によって、まともな将校はトハチェフスキーをはじめ皆殺しにされたので、残った軍人はカスばかりというのは歴史の本で知っていたが、個々のエピソードがそれを徹底的に描き出す。もっとも上のエピソードは軍人ではなく、NKVDの少なくとも地方官僚の無能ぶりを示しているわけだが。

だが、そんな連中ばかりではない。第Ⅱ章の冒頭を彩るミクシェフのエピソードは特に印象的、もし文学的に描かれていれば感動的、だ。

ドイツが侵攻を開始した時点で、スターリンは独ソ不可侵条約の効力を信じきっている(信じがたいのだが、それは本書が示す各種資料からほぼ間違いない)。そのため、仮に何かあっても、それはドイツの国境部隊が独断によっておかしなことをしでかしているだけに違いない。そのような行動に対して積極的に反撃することはヒトラーに対する信義(スターリンが?)に反する。したがって、抵抗するな、と厳命されている。

しかし

ゲオルギー・ミクシェフは、同僚の将官と違って、今にも攻撃を仕掛けてこようとしているドイツ軍を前にして、指をくわえて見ていられる人物ではなかった。その指揮下の1万5000人の兵士から成る第四一狙撃兵師団は、ウクライナ西部の国境から、10キロのところに配備されており、国境を挟んで、七万人のドイツ人将兵と対峙していた。ドイツ軍は、約400門の大砲と迫撃砲を備えていた。ミクシェフ隊の火砲の二倍であった。

ミクシェフ(おそらく少将か中将だと思われる)はそういう男だから、兵士だけではなく部隊に配備されているNKVDの役人の心も掴んでいる。真の将官のひとりだ。というか、軍隊には必ずNKVDの監視役が配備されているのは、文民統治という観点だけからは、良いシステムだなぁと、ひるがえって日本の当時の軍隊をみて思うのだが、もちろんスターリンの手先なので良い面ばかりとは言えないところが難しいところだ。でも、ここではNKVDは良い仕事をするプロフェッショナルである。

しかし15000人も部下がいれば、中には叛旗を翻すやつもいる。というわけで、後方の本営に第41部隊は応戦していると、密告するやつがいた。

ミクシェフの直属の上官であるイヴァン・ムジチェンコ中将は、激怒した。

早速若い士官が逮捕状を持って出現する。逮捕の仕事はNKVDだ。

「ふむ、仕事が早いな。まだまだわが軍の情報網は安泰のようだ」

ミクシェフは落ち着き払った様子で、話を聞きつけて集まった部下たちに言った。彼らが、最悪の事態に備えているのは間違いない。が、その最悪の事態を勘違いしてもらっては困る、とミクシェフはすぐさまNKVDの要員に話しかける。

「さあ、逮捕したまえ」

困惑を隠せないNKVDの高官に、お茶でも勧めるかのように軽い口調で言った。

「しかし……」

高官はミクシェフから顔をそらして窓のほうを向く。外では激しい爆発音や、銃撃の音が鳴り続けている。

「構わん。わたしの部下たちは全員、今がどういう状況か、わかっている。なあ?」

と、部下を見る。

「もちろんであります」

と全員が口を揃えて言う。

「では、さっさと持ち場に戻りたまえ」そして、一息つくと「ところで、ひとつ同志に許可をもらいたいことがあるのだが、」

と、まだ部下が見ているのを確認してから、高官へ言った。

というような情景がきっとあったのだろう。


2010-09-25

_ ラッキー

今日は土曜日か!


2010-09-26

_ 現実はおっかない

ソルトって映画の中で、ソ連のスパイ養成所のエピソードがあった。

そこでは誘拐されてきた子供たちが本名を名乗らないで、圧倒的なエリート教育を受けていたのだった。

ソルト ブルーレイ&DVD セット [Blu-ray](フィリップ・ノイス)

で、モスクワ攻防戦を読んでいたら、同じようなエピソードが出てきて、あながちフィクションとばかりも言えないのだな、とちょっと驚いた。驚いたというのはあまり正確ではないが(北朝鮮が誘拐した人を利用したりする、というのがあることは知っているわけだから)不意を突かれたというか、なるほどなぁと納得したというか、そういった感覚。

そういう破壊活動を仕込まれる運命をたどった人たちが何人か登場するのだが、そのうちコクロフという人に興味を持った。

19歳の口笛吹きなのだが、ドイツがモスクワを占領した場合に将校を暗殺するためにNKVDに雇われる。優秀なボードビリアンでありながら、冷徹な殺人マシーンとしてその後の人生を歩むことになる。

モスクワ攻防戦――20世紀を決した史上最大の戦闘(アンドリュー・ナゴルスキ)

この男は、いろいろな事情からマシーンであることが嫌になり、1960年代に祖国を裏切って(それも映画的な裏切りである)アメリカに亡命する、ということは1941年に19歳だから、40代ということだろう。

で、コクロフのその後はというと、カリフォルニア大学の心理学の教授となり、モスクワ攻防戦のためのインタビュー時には名誉教授となって悠々自適な生活をしているのだが、待てよ? いつこの男は心理学を学んだんだ?

そこで、不思議に思う。

カリフォルニア大学で教授-名誉教授になっているのだから、たとえばCIA経由でアメリカ合衆国が便宜を図ったとしても、教授ってことはないだろう。

たとえば、こういうことなのかなぁ。

亡命後、一定の給付金を貰えたので、大学に入って心理学を勉強し、その後博士課程へ進んで学位を取って教授になった。

そこから、ちょっと別の方向へ考えが移る。

時々本を読んでいたり、歌手とか演奏者とか作家とかその他の人々の経歴をみたりしていると、もともと法律を学んでしばらく仕事してから、やはり音楽家への道へ進みたくなって大学に入ってやり直して……のような例が結構出てくる。

おれは、そういうのは、お金持ちで本来働く必要が無い人なのだろうと思っていたのだが、もしかすると諸外国では異なるのだろうか?

たとえば、奨学金というのは、今になって日本でいろいろ育英会の転換もあって言われているが、本来的に投資ビジネスだと考えてみれば、大学に入って学問を積んで、その結果として新たな職に就いて利息をつけて返してもらうというビジネスモデルは十分にあり得ることだ。

ただ、学籍を持つ間は払う一方だから、中期的(5年以上)な投資ということになるわけだが。

それがビジネスとしてあり得る条件というのは、

・就労に年齢がハンディとならない(大学をやりなおすのだから当然だ)

・大学進学率が低い(あるいは学位を取る人数が少ない)というか、これは当たり前だがビジネスとして学位の価値を高める必要があるのだから少なくしなければならない。

・学位保持者を社会的に優遇(上記の投資を回収でき、かつ投資を受ける学生本人も当然、それなりの報酬を最終的に得られなければあまり意味がない)するシステム

が、あるということだろう。

日本は、そうとは思えないな。というか投資ビジネスとしてあまりうまくいかないので、今、ちょっと問題になっているわけだろうから。

でも、確か、ルネサンスよりちょっと前あたりからイタリアには大学があって、ほぼ男女の性差なしに学者がいまくったのだから、欧米では大学という人材育成機関の歴史は1000年近いことになる。

それに比べれば、女大学は江戸時代にあったけど、日本の大学はたかだか150年だ。

官僚/研究者養成のための機関という側面は十分に機能しているように思えるが、投資ビジネスが可能となるような職業学者(MBA保持者とかをこのように呼ぶことにしよう)養成ビジネスとしてはまだこれっぽちも成熟していないどころか生まれてもいなくてもしょうがないだろう。

ということは、投資ビジネスとしての奨学金というものがまだ始まったばかりなので問題もあるかも知れないが、将来的にはそれがビジネスとして成立できるように社会がその方向で合意を形成していく必要があるということだろう。

でっきるかな? でっきなきゃだめだろな。

できるかな?ドアでピンポ~ン! (音としかけのミニ知育絵本 (2))(友紀, 坂崎)


2010-09-27

_ Win32版Rubyで音楽再生

getsが非同期で動くということは、こういうことができるんじゃないかなぁとやってみたら、うまく動いた。
require 'win32ole'
m = WIN32OLE.new('MediaPlayer.MediaPlayer.1')
m.filename = 'c:\\users\\Public\\Music\\Sample Music\\Sleep Away.mp3'
m.play
b = false
Thread.start do
  gets
  b = true
end
loop do
  WIN32OLE_EVENT.message_loop
  break if b
end

ところで、Sleep Awayってなんなんだ?

しかし、おれの本来の目的は、ole_activex_initializeが必要なんじゃないかと思ったのだった。が、ole_activex_initializeを呼ぶとハングするのであった。


2010-09-29

_ への期待

シャープの新しいau端末にはとにかくFelicaが搭載されてるといいな。Felicaさえ載っていれば眼鏡ケースだろうが蒲鉾板だろうがまあOKだ。

というわけで、おれにとっての携帯電話のキラー機能はFelicaなんだよな。

という人って他にはどれくらいいるのかなぁ。


2010-09-30

_ 予定調和

endで終わるのってつまらなくないか?

というか、元々は次のように書いていて、それはバグなのであった。

File.open('foobar').each_line do |line|
  ...
end

これだとオープンしたファイルはクローズされない。

で、書き直してみる。

File.open('foobar') do |fin|
  fin.each_line do |line|
    ...
  end
end

なぜ、ここでネストが必要なんだ?

と、いやんな感じがするので書き直す。

fin = File.open(

っていうか、RAIIじゃないし、とこれは早々にやめる。

そこで

File.open('foobar').each_line do |line|
  ...
end.close

お、いいじゃん。

なんといっても最後が良い。「お終い。〆」という感じ。

そこで代わりに{}を使うと

File.open('foobar').each_line {|line|
  ...
}.close

なんかぱっとしない。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ tko [IO.foreach(path){|line| ...}]

_ arton [おお、こんなものが。何がforeachかわけわからないので使う気にはまったくならないけど、覚えておきます。どうもあり..]


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