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久しぶりに映画を観に行く。
最初はユーロスペースで、アキカウリスマキのルアーブル。映画館についたら、ジジババばかりで唖然とする。なんか、おれが最初に見始めた頃に観に来ていた連中(おれを含む)が、そのまま歳月を重ねただけで、まーったく新しい観客を集められていないんだなぁと思わずにはいられない。で、じじばばばかりでほぼ満席。
駅の中でアジア人と初老のおっさんの靴磨き。いつものアキカウリスマキの俳優(浮雲の悪役とかやった人)がスーツ姿で来て靴を磨かせる。カメラ切り替えてコートの男。いつもの俳優。カメラ切り替えて別のコートの俳優。
おー、昔懐かしい映画話法だなぁと観ていると当然のように、いつもの俳優は靴磨きを中断させ、金を払い、画面の外へ消える。銃声。
「でも金はもらった」
というところから始まる。音楽は、マカロニウェスタン調。
したがって、どういう物語が展開されるかまったくわからない。
妻との関係(妻はフィンランド人)をパン屋のおばさんが話す。
妻、夫を酒場に送り出した後(窓辺に立って外を観る。家の外のカメラが戸口から左へ曲がって行く夫、窓辺を立ち去る妻。教科書みたいなカメラの使い方にしびれまくる)、腹を抱えて机に突っ伏せる。
夜警がコンテナを叩くと赤ん坊の泣き声がする。
朝、3週間放置されたコンテナ。「生きているのか?」「水と空気と運があれば」。内閣の要請で配置される狙撃手。コンテナを開けると黒人がたくさん。こちらを凝視する。老人と子供が目配せする。走り出す子供。狙撃手が撃とうとすると現場の責任者が止める。
で、いかにも日本の長屋人情物語が展開されて、最後は文句のつけようがないハッピーエンドで終わる。珍しい。
リトルボブの元に妻が帰るシーンでの妙な盛り上げ方。
カレーの難民キャンプでのカレー鍋。
愛国者のジャンピエールレオー。本当はベトナム難民の同僚。子供の赤いコートを掴むジャンピエールレオーの腕を掴む同僚の赤いコートの腕。
映画みたいな映画で、本当に楽しかった。やっぱり映画は映画じゃなきゃつまらんな。
で、こんだ、イメージフォーラムで、ロメールの3重スパイ。1933年の人民戦線と続く独ソ不可侵条約を背景に、パリの白軍将校とギリシャ人の妻の生活。階上には共産党員。
ロメールの映画ならではの会話の連続なのだが、途中、だれた。だれたのは、本来最もサスペンスがあるはずの、白軍軍人協会の会長の失踪のあたりなのでちょっと不思議なのだが、なんでだろうな。
3重スパイ(諜報員のほうが良さそうだが)の意味は、パリの白軍将校=対ソ情宣活動+ソ連=コミンテルン=共産党の情宣+ナチスの意味。
一応、歴史劇なので、理不尽なくらいに悪気のないギリシャ人の奥さんは逮捕、懲役、獄死する。夫の行方についてはPOUMと同じことになったのだろうという会話で終了する。
会話の精緻さと脚本のおもしろさは相変わらずにさえにさえているのだが、あまりぱっとしなかったような。前半の奥さんが共産党員の陰気な娘のスケッチを描くところとかはえらくおもしろかったが、後半のサスペンスがいまひとつなのは、おそらく物語に引きずられてもっとフリッツラングみたいな映像を期待してしまったからかも知れない。が、ロメールはそういう過剰な演出をまったくしない人なのだから、別の観方をしなければだめだったのだろう。
続けて、シャブロルの刑事ベラミ。これは文句ない娯楽作品なのだが、例によって妙な脚本。
冒頭、崖の下の焼け焦げた自動車と、その脇の首がもげた黒焦げ死体。
バカンスで奥さんの実家がある南仏に来ているベラミ夫妻。あやしい男が庭をうろつく。奥さんが玄関に出る。男は電話番号を告げる。奥さん、メモも取らずにふんふんしている。男、メモを取らないのかと訊く。ああ、まったく取り付く島もないのだな、とがっかりして帰る。
夫が奥さんに訊く。電話番号を告げた。番号は? 私が覚えているとでも? もちろん。奥さん、ペラペラ番号を復唱する。夫、メモを取る。なんじゃこりゃ。
で、この奥さんがやたらとコケティッシュで、おお、これがフランス人の夫婦生活か、と思ったりしていると、見るからにゲイの歯医者がやってきて、帰宅した後、ベラミ刑事はゲイが嫌いだということがわかる。
庭の花壇に踏まれた跡を見つけてベラミ警部は怒って、男に電話する。留守だ。と言う調子で、保険金殺人の謎を追うのだが、謎は最初からなくて、映画の中での人間関係のもつれを明確化していくことだけが目的のような物語。最後、ベラミ警部の入れ知恵で弁護士はブラッサン(の墓を観に行くというのが、死体の原因だからだ)の歌を歌って保険屋の無罪を勝ち取る。ベラミ警部は家族に溺愛されている弟を殺そうとしたことを思い出す。その頃、弟は交通事故で死ぬ。おしまい。
なんだ、これ? と物語については思うのだが、映画としてはごくごく普通に映画でおもしろかった。
ここに、東京の観測史上の気温の高いほうからの10傑と低い方からの10傑がある。
観測史上1~10位の値(7月としての値)(月平均の10傑を比較するが、日最低気温の高いほうから(ぶれがあり過ぎるはずなので余り経年的な意味はなさそうにもかかわらず)も興味深い)
気象庁の出している値なので、風通しが良い百葉箱の中の値だということを考えれば、実際に人が生活空間で体感する温度はこれよりもはるかに高い値となることが推測できる。
この結果を自明のものとして(なぜなら、東京人はその人間が生活した時間だけ、上記の温度を体感してきているのだ)、『徒歩圏とは』を読み、
わが多摩市では、今年度からすべての小・中学校に冷暖房設備を設置した。「熱中症」で保健室に駆け込む生徒が多くなっているためだそうだが、そんな対症療法でなく、どうしてそのような子どもが増えたのか根本的な原因に手をつけるべきだ。
という末尾の文章を読むと、「愚か」という1語しか出てこない。もしかしたら、「わが多摩市」とか書いているが、経年変化を体感できるほど地域に根差した生活をしていないのかも知れない。であれば、大きなお世話ということだ。
そのような子供が増えたのではない。温度が上がったのだ。
根本的な原因に手を付ける? もちろん、温度を下げれば良い。どうやって? 中期的には冷暖房設備の設置でしょ。
オリーブの木を置いているのだが、今日、不思議なことに気付いた。
最初の5月は一昨年なのだが、黒いテントウムシモドキが寄ってきて、7月には巨大なイモ虫が出現したりして驚いた。
去年はそれがほとんどなかった。黒いテントウムシモドキは多少来たけど。イモ虫系はまったく見かけなかった。
そこで、小豆島の畑時代に卵が植え付けられていて(したがって、家での最初の5月以降に出現し、翌年=去年は出現しない)、それが孵ったのでイモ虫(や、その他のの虫。カマキリも2匹いた)が出たのだろうと思っていた。
ところが、今日、気づくと枝の先端に糸が出ているところがいくつもある。で、たいてい、そういう場所には丸まった葉っぱがあって、それをめくると芋虫が……やっぱりいるじゃん。というわけで、5~6匹退治したのだが、はて? セミとかじゃないんだから、3年も卵のまま葉っぱに埋まっていたりはしないだろう(というか、先端ということは今年の葉っぱだと思う)。
ということは、去年は虫がいなかったということだ、としか考えられない。
気温の違いに影響されるのは想像できるけど、こういう観察をしてしまうと、去年の3月の事故の影響があったのかな? と考えてしまうなぁ。
#と書いてみたが、はて、イモ虫ってどういう生活なんだろう。夏に羽化して卵を産んで、それが翌年の初夏に孵るのだとしたら、去年に蛾だか蝶々が卵を産み付けたわけだから、去年は虫がいたということになる。でも、なんかすぐに孵りそうな気もするのだが、わからんなぁ。
会員登録とかで、メールにURLを埋め込んで送るってのがある。で、そのURLをクリックすることで登録が完了するとか。
こういうURLを作る時、改行は避けられたら避けたほうが良いだろうけど、amzon.toくらいに金をかけられればともかく、短縮URLは使わないほうが良いだろうね(そういうの気にしない人ばっかりだというのは別の話だ)。
でも、ここでのBKはそういうのではない。
実は2つのQueryパラメータを取るサービスでやってしまったのだった。
具体的にはパラメータが2つある(後悔先に立たないが2つ使うように作ってしまったのだった)。1つは受付番号で、もう1つは登録IDだ。
学んだことは次の3つ。
1) できるだけ、QueryStringを使わず、URL埋め込みを利用する。
たとえば、受付番号が32001、登録IDのハッシュが1111e53dというパラメータを与えたいとする場合、http://example.com/fooservice/confirm/32001/1111e53d
みたいにする。
2) でも、諸般の事情でそうできなかった場合には、登録IDを先にする。http://example.com/fooservice/confirm?regid=1111e53d&qid=32001
(受付番号をキューされた番号としてqidとしてみた)。
3) でも、それが無理なら、パラメータ名の先頭は「reg」では無いものにする。http://example.com/fooservice/confirm?qid=32001&torokuid=1111e53d
なぜか? それは、どこかに、「®」(末尾の「;」が無い点に注意)を1トークンとして「®」(つまり®)に置き換える腐ったメーラか、または腐ったWebメーラか、または腐ったブラウザーがあるからだ。
具体的に何が起きるかは、I・O DATA サポート&サービス Q&A にある。
テキスト形式に変更してもアクセスができない場合、URL内の「○で囲まれたRのマーク(著作権マーク)」を削除して代わりに®と入力してアクセスをお試しください。
「著作権」じゃなくて「登録商標」の間違いだな
きっと、IOデータの人も、URLに、®id=12345 とかを埋め込んだのだろうなぁ。
同じことで、「copy」で始まるパラメータを2番目以降(つまり&の後ろ)に持ってこないほうが良い。ampやlt、gt、quot みなきっと同じだ。でもregは、罠だなぁ。
クロードミレールの『ある秘密』を観にイメージフォーラム。
(2回バラ売りと3枚券が同じ値段なので、先日2本観たときに、友人が気をきかせて3枚券を買ってくれていたのだった)
クロードミレールは、トリュフォーの弟子筋だけど、ジャンルが普通の娯楽映画に分類されてしまうような映画しか撮らないので、シャルロットゲンズブールが主演したレフロンテとか、小さな女泥棒は日本で公開されたけど(多分、アイドル映画枠)、後は鷹の眼(だと思うが、確かパルコパート3で観た。イザベル・アジャーニが出ていたような)とか、結局観れずじまいだった一番上手な歩き方くらいしか公開されてないんじゃないかなぁ。
で、どんな映画かも知らないまま始まる。
すると、貧弱な子供を古臭い水着の女性がプールへ連れて行き、自分は飛び込み台から飛び込む(で、レフロンテを思い出したのだな、おれは)。ここまでで、古臭い水着を通して乳首の突起とかむき出しの脚とか肩とか、実にいやらしくというか、セクシャルに撮るので、ああー思い出した、確かにトリュフォー(やたらと女性の生脚を撮る)の弟子筋というかクロードミレールは、こういう舐めまわす妙な視線の文体の人だったよと思い出す。水着が古臭いはずで、1955年とクレジットが出る。
すると1985年に変わる。デプレシャンの映画に良く出てくる人だと思う役者がその子供のなれの果てを演じる。
いったい、これはどういう話なんだ? とちんぷんかんぷんで観続ける。
この映画は結局、一種のサスペンス映画ではあるが、おそらく今後再公開されることもないだろうから、以降、すべての物語を自分の備忘のために書く。心理的なサスペンス劇として味わう予定の人は、以降を読むべきではない。と一応、書いておく。
子供は虚弱な自分の代わりとなる、たくましい幻影の兄の存在を想像する。それが高じて、食卓に兄の分の皿を出す。両親がそれを不審に思う。「兄さんの皿だよ」。親父激昂する。
屋根裏の整理をする母親。子供、何の気なしにトランクを開けると、馬のぬいぐるみが出てくる。もらっていい? と訊くと、あわてて取り上げてトランクに元通りに戻す母親。
ここまで、兄貴の幻影の映像もあって、まるで静かなホラーだ。
同じアパルトマンの向かいで薬剤師と整体師(母親が全裸でマッサージを受ける、また異様に長いセクシャルなシーンがそのうち入ることになるが、実にきっかいな作者だなぁ)を兼ねる(良くわからないが民間療法師ということなのかな)、両親の旧友らしい独身女性(もちろんおばさん)。
1942年から疎開したことが語られる。想像上の両親の疎開物語。
しかし、段々と核心に近づく。カソリックの洗礼を受ける(のだと思う)ことと、それを祖父には内緒にしなければならないということ、名前の綴りとか、外国人のおれにも、ユダヤの話だなというのは感づいてくる。
中学生になったときに、アウシュビッツのドキュメンタリーを観る授業を受けていると、クラスメートが「ユダ公にはいい薬だったよな」というような戯れ口を叩く。そこで殴り合いになる。両親に喧嘩の理由は話さないのだが、近所のおばさんはなんとなくわかってくれる。さらには、アプローチしてくる同じ学校の女の子のエピソード(苗字のこと)。そこから、徐々に、ドイツ支配下というか、ヴィシー政権時代の両親の過去がわかってくる。
実際に、たくましくスポーツ万能の兄貴がいたことや、母親は最初から父親の妻だったのではなく、その兄貴の母親が別にいたことなど。
とは言え、心理劇なので、兄貴の母親と兄貴は、その時点で予想がつくようにナチスに殺されたのではなく(結果論は別として)、主人公の母親に対する、兄貴の母親の嫉妬(というよりも、不安と恐れなのだろう)による、一種の無理心中だということが、現場に常にいる整体師によって語られる。
(が、なぜ疎開せざるを得なくなるのか、というか、実際には疎開ではなく、亡命をすることになるのかであるとか、どんどんフランス人の客が来なくなり店が成り立たなくなる様子、父親自身の反ユダヤ主義、書いているうちに思い出したが、結婚式(父親側に合わせてカソリック教会で、母親側に合わせてユダヤ教会で、都合2回行っているのだと思う)のシーンは興味深かった)、この映画は家族映画なので、ユダヤ人以外はほとんど出てこない(が、親父や山羊ひげの親戚はともかく、ユダヤ人といっても見た目はばらばらだから、なんだかさっぱりわからない。中国人ですか韓国人ですか日本人ですか、みたいなものだな)ことで、フランス人(この場合はゴール人とかラテン人ということになるのかなぁ、ユダヤ人ではない人たちということ)もナチスに協力していたんだよ、ということは黙って語られている)
それにしても、最初の妻との結婚式が始まる前の場面での、父親の視線と、主人公の母親の撮り方、河で水泳をする主人公の母親、窓から眺める父親、視線と視られていることに直接気付かないフィルムの中の人物と、そういう撮られ方をされている役者そのものとか、実に細かく映画らしい映画だ。
最後、この物語を語る大人になっている主人公が、この話を物語っている(娘と一緒にいる)場所が、今は廃墟となったピエール・ラヴァルの娘の別荘であることが語られる。そこには墓地があり、刻まれた名前(ディグディグとかモナーとか)から、そこがラヴァル家のペットセメタリーであることが示される。墓碑銘(つまり多分、犬の名前)を子供が読み上げる。1匹に1つの立派な墓である。
それに続けて、おそらくヴィシー政権時代に強制収容所に(フランス人の政権の手によって)送られて殺されたユダヤ人の名前を刻みこんだ1つの墓碑が映る。おしまい。
2007年の映画だそうだが。
この映画については、公開時のコンテキストが見えないのだが、
1) 多くのフランス人は、ヴィシー政権時代のことを忘れたか、または忘れたふりをしているので、それに対する(一種の)異議申し立て
(そういえば、両親はシモンとアンナは存在しなかったかのように振る舞った(あるいは彼らの名前を口に出すことはなかった)、というようなディアログがあった)
2) というか、(これも映画の中のディアログにあったが)、ナチスが悪いということにしているが、いやいや皆さん、皆さんが協力したのですよね、という(一種の)異議申し立て
が、根底にあるのかな?
(父親の父親だと思うが、ドレフュスの名前を口に出して、フランス人は、ユダヤ人が嫌いだから(この国でも良からぬことが起きるぞ)、と言わせているわけだ)
と、不思議に思っていたら、原作が翻訳されていることに気付く。で、アマゾン評を読み、フランスの高校生が2004年にベストに選んだとか書いてあって、うーんと複雑な気持ちになる。
ある秘密 (新潮クレスト・ブックス)(フィリップ グランベール)
日本で、1930年代から1950年までの家族の歴史を、きれいごと抜きで知っている(それは聞かされている、ということになるのだが)家庭ってどのくらいあるのかなぁと、跳ね返ってくるからだ。
帰宅したらテーブルの上に妙な児童文学が置いてある。妻が図書館から借りてきたそうだ。子供に訊くと、おもしろかったから読めという。では読むか。
で、昨夜読んだのだった。
おもしろかったが、はてこれは児童文学なのか? いや、確かに児童文学で、対象は小学校低学年から中学年くらいだろう。
だが、なんか違う。
作家は、どうも本気で、愛と憎悪、背信と寛容、心の中にあるネガティブなものとポジティブなものを、読者に教えるつもりのようだ。
地下牢に生まれたドブネズミは光に恋焦がれて、ついに地上に脱出する。そして広間(舞台は王様と王女が暮らす城だ)のシャンデリアに心を奪われ、人々の優雅さに我を忘れる。中でも王女の光り輝く美しさに見とれる。
そこでアクシデントが起きる。王様も王女も、結果として国民も不幸になり、ドブネズミは地下牢へ逃げ帰る。光の世界から追放されたような気持を味わい、自分は闇の世界で生きるべきだという思いにとらわれる。そうやってバランスを無理に取った心には闇が生まれる。何かがねじまがったからだ。
作者は、これでもかこれでもかと、心の状態を示す言葉を強調し、それがどういうものかを、極端なシチュエーションを設定しては説明する。
主人公は、地上(城の1階より上の意味)で暮らすハツカネズミ。生まれたときから虚弱児で、ちょっとへんな母親以外からは異端視されている。母親は外国人なので、ちょっと感覚が異なるのだ(というのもあって主人公の名前は絶望君なのだった)。
父親は常識人で、社会と子供の板挟みになり、結局、子供を裏切ることになる。作者は、背信というものがどういうものか、しつこく説明する。
悪意の塊のような人物も登場し、一方、愚鈍としか形容できない愚鈍な少女が登場し(箱の中で一番切れ味が良いというわけではないナイフという表現を好んで使う)、悪意の塊は最後まで悪意の塊で、愚鈍は最後まで愚鈍だ。
この世界にあって、救いは、愛と寛容だけで、そしてどちらも無力なので奇跡は起きない。しかし、それほどひどいわけでもない。
なぜか、ほぼすべての登場人物を皆殺しにできるチャンスを手にしたのに、それを行使せず引き上げるドブネズミの老婆(期待を外すのが一番の喜びなのだ)が良い味を出している。これはアンチハッピーエンドの期待を外したのではなく、人生の一番弟子への手向けなのだと思いたい。
この内容は、小学低学年にはちょっと重くはないか? ほとんどYAものだ。だが、文体や、言葉の説明は、これは確実に小学校低学年対象の児童文学だ。重いというのはおれの勘違いで、わかりやすく説明すると、具体的になるというだけなのかも。とすれば、ここまでネガティブな精神をわかりやすく子供に説明した作品というのはあまり無い。
稀有の作品だ。
# 9.11の後の作品だということを作者が意識して書いた作品らしい。ならば良くわかる。無力かも知れないが、そして世の中は背信と憎悪で満ちているのだが、だからこそ愛と寛容を失ってはいけないよ、と子供に言いたいのだな。きれいごとではないことを見せるには闇を真っ暗に書かなければならないということだろう。そして闇を描くには、おとぎ話の体裁をとらなければやっていけなかったのだろう。
step1)プログラミング言語Cを勉強した!
step2) Hello worldは書けるよ!
step3) Hello worldなら、echoでいいじゃん。
というのは、どう考えても倒錯している。
これって
step1) ヘリコプターの免許取ったよ!
step2) ヘリポートさえあればヘリコプターで行けるよ!
step2.5) でもコンビニにはヘリポートが無いよ! 困ったなぁ。
step3) コンビニ行くなら歩いていけばいいんだ!
ってのと相似だ。
ふたこぶラクダのテストを採用試験に使う方法を読んでいて、先月か先々月にネットを駆け巡ったいかさま(だと思っているがそこはどうでも良い)幼児は3分で解けるが大の大人は1時間かかる問題(リンク先は今検索したら上のほうに出てきたやつ)を思い出した。
つまり矛盾している。
矛盾してないのかな? 幼児問題は、プログラマでも1時間かかるとしているわけだが、プログラマに向いている40%であれば、幼児のように風林火山できなければおかしいと思えるからだ。でも、所要時間は元の論文のJavaを見せるやつには出ていなかったから、時間は関係なく、一貫した仕組みを見いだせるかどうか「だけ」が問題なのかも知れない。
いずれにしても、すべての幼児はプログラマーに向いているのが、大きくなるにしたがって、その特性を失うってことだ(いや、誰もすべての幼児が30秒で解けるとは言ってなかったか。40%の幼児が30秒で解けるということかも知れない)。
中間層が、より下の層を(さげすむのでもなく、かわいそがるのでもなく、つまり上から目線ではなく)なぜか、やつらばかり得をしやがってと嫉妬するというバカげた構造がまた観察されたので、つい、排除型社会を読み返したくなって、手に取った。
排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異(ジョック ヤング)
そこで、ぺらぺら見ていたら、P.41に何気なく見過ごしていた次のような記述があって、? と考える。
文化研究においても同じように、スチュアート・ホールとパディ・ワンネルは、1964年におこなった『大衆芸術』の調査委において、……(中略)……次のように述べている。――消費社会という教会の慈善市では、巨大なバザールが、都市大衆の習慣や外観、感覚を、流行という定期的な礼拝のために捧げるよう定めている。この礼拝が、大衆の想像力さえも組織してしまった。(1964,p151)―― ここで述べられた巨大なバザールは、1970年代には、都市における中心的な一大商業になっていた。消費社会が生んだ個人主義は、多様な選択可能性なくして成り立たないものであった(選択可能性の多様化のおかげで、人々は現在と過去のあれこれを組み合わせ、新たな下位文化を自在に作り出すことができる)(後略)
リバタリアンが、ジョック・ヤングの本を読むことは考えにくいが、引用元のホール&ワンネルは眺めたことがあるのかも知れない。ここでは、バザールは教会前広場で開催される(イタリアのドゥオーモ前のピアッツァで開かれる市がイメージしやすいが、おれがARしているのは、国連大学の妙な建築物の前で土日に開かれるエコ&有機なバザールの光景だ)。
つまり、伽藍とバザールは、同じ敷地の中で共存している(つまり、その敷地はノウアスフィアだ)。
この同じ敷地での教会とバザールの対比(人が礼拝する場所は教会(=消費社会そのもの)ではなくバザールのほうだ)をレイモンドが持ってきたという可能性は高いかも知れない(それ以前の問題として、アングロサクソン文化では、教会とバザールというのは常識としてペアで出てくるものなのかも知れない)。
と、考えて、民主主義者と共和主義者が妙なところでおれの中で出会ったのが、ちょっとおもしろかった。
あまりにも、IS04にいらいらしまくっていて、良く考えたら金で解決できるなら、このいらいらを我慢するよりも乗り換えるほうが賢いんじゃないかと考えた。
で、HTC Jを予約してしまったわけだが(emobileをやめられるかな? というWiMAXへの期待もある)、たださんがXPERIA SXをうらやましがっていたので、ページを見たら実におもしろい。というのは、どこのBlogで読んだか忘れたけど、彼我の違いそのままだったからだ(HTCJは日本色が非常に強いと思うのだが、それでもやはり違うのだ)。
・リード
HTCJ:音、カメラ、使いごこち、これから楽しむあなたのために
Xperia:思いのままに操る快適さ。Xi対応世界最軽量・プレミアムパフォーマンスXperia
出た! 「~対応」「世界最~」「パフォーマンス」
・概要
HTCJ:あらゆる音を忠実に再現。
Xperia:Xi対応世界最軽量。高性能1.5GHzデュアルコアCPU。
出た! CPU自慢
なるほどね。
(が、HTCJの売り文句を写していると、全然、おれにはアピールしない点しか書いてないのがなんともかんとも)
#っていうか、富士通ならいざ知らず、なんでSONYがCPU自慢とかするのかね?
角谷さんから頂いたアジャイルサムライを読了(通勤のお供にできる薄さなのだが、そこは最近の本なので実際には300ページもある。なので軽くはない)。感謝。
この本はさすがアジャイル10年の蓄積を経ただけあって、出始めの頃の固さや神々しさから一皮剥けた、肩肘張らずにこなれた調子でアジャイルプロジェクトの進め方について教えてくれる本だ。というわけで、アジャイルの書籍というと、ケントベック! とかアリスタコバーン! ヘリコバクターピロリ!とか、なんか押しつけがましそうな印象を受けて敬遠していたような人でも安心して読める一品となっている。
というか、マネージメントという観点でいくと技術書というよりもビジネス書なのだから、このくらいがちょうど良い塩梅なんじゃないかな。とは言ってもさすがに野球部の女子マネージャほどゆるゆるでもない。
各章は適当な長さで、ユースケースがあって解決案があって、先生と弟子の教理問答(の形式を取った自分で考えてみようのコーナー)を経由してまとめがあるという形式のイテレーションになっている(のだろう)。つまり、解決すべき課題があり、それについて考えて解決策を練り、振り返りがあるということだ。
で、これ読んでいていろいろ思うところがあって、そのうちの1つは、これを中学か高校の教科書にできないかな? ということなのだった。野球部のマネージメントではない。
端的に言えば、文化部の学園祭への出展プロジェクトを考えてみればよかろう。
なんでそんなことを思ったかと言えば、ここで説明されているプロジェクトが、(児戯に等しいというネガティブな意味ではなく)そういう楽しさというか、みんなで何か1つの目標に向かって知恵をだしあってうまいこと協力してやっていこう、みたいなことが、実にうまくステージ分けされて、そこに適用すべき具体的な手法やその代替案などが示されていて、しかもそれがうまいこと文章とビジュアル(イラストもたくさん、図もたくさん)で表現されているからだ。単に、班分けしてみんなで相談して進めてください(という方式だとコーチング能力が先天的かあるいは意識的にかわからないけど優れたやつが1人で経験値を積むだけだ――逆の言い方をすると、そういう教育方針というのもありといえばありとも言えるけど)みたいな教育の前に、こういったプロジェクトマネージメントの教材を使う方が効果的なんじゃないかな。
つまり、ここまで練度が高いと、上で技術書というよりビジネス書みたいだと書いたけど、単にソフトウェア開発チームだけの知的所有物にするのはもったいない。
(で、ここに示されている訓練を中高で積んでいくと、相当に進んだ民主主義国家が作れそうだなというように感じるのだ)
あと、上で書いたような、ちょうど良い塩梅の文章とか、適度にくだけたリラックスした雰囲気というのは、もちろん日本語化のうまさによって支えられているわけだ。というわけで、Dotさんを筆頭とした永和の翻訳チームの手腕には賞賛を送りたい。
アジャイルサムライ−達人開発者への道−(Jonathan Rasmusson)
お勧めだ。
(「ご近所さんをさがせ」はとても良い教えだとつくづく思った)
IS04があまりに使いにくいので、毎月割りの期間が残っているのに、HTC Jに乗り換えた。
で、半日使った印象。
なお、Android 4.0だから可能っていうのも含まれているかも知れないけど、特に区別はしていない。
・インストールされているアプリケーション
バカみたくたくさんアイコンが並んでいることはIS04と同じだけど、良くみると1/4がauのオレンジ色のなんかのショートカットみたいだ。で、、これからもこれが並んでいるのかとうんざりしたが、
・設定-アプリケーション
無効化というのがあって、それを選択すると(もちろんROMに入っているからだろうけど)消せないけれど、システム的にはなかったことにしてくれる(みたいだ)。少なくとも、アイコンは表示されないし、常駐アプリケーションの中にもテレビみたいな一生使う必要を感じないものも出てこない(と書いたけど、もしかすると大災害のときは、テレビを見られるというのは大きなアドバンテージなのかな?)
というわけで、すっきりしたが、なぜかlatitudeという位置サービスとメッセージングのあいのこみたいなアプリケーションは名前が出てこないので、消せない。
# アプリケーション名とそこに表示されるアイコンと、インストールされて画面に表示されるアイコンを分けるという小技をきかすメソッドがAndroid 4.0対応アプリケーション?
・WiMAXとテザリング
確かに、WiFiもどきだけあって速いなぁ。家の中だとかろうじて使えた。荻窪のドトールではまったくだめ。初台のドトールは構造的に外に広い窓が並んでいるからか良く使えて気分良い。
で、使えなかった荻窪のドトールでは3Gになるのだが、速度はIS04で知っていたが、ウィルコムのUSBアンテナを思い出す速度ですな。というよりも、テレホーダイを思い出すというほうが正確かも。
・Felica
というか、お財布ケータイ無しでは当面生活できないシステムを組んでしまったので、これが最も重要。
ご他聞に漏れず、最初の設定では、起動するとPlayがなぜか動くというわけわか動作で困ったが、再起動してからは一見ちゃんと動く。が、ビックカメラでポイントカードを登録しようとしても、一切読み込めない(リーダライタはパソリだった)。
とりあえず、あきらめて家でEdyだのQPだの……(たくさん)……をインストールして設定して引継ぎやって(Edyは引継ぎに150円かかるの忘れてた。ナナコやワオンはマーケティングツールで名寄せ重要だから無料なのか、と今頃になって気づく)、ふと、内部アプリケーションからは読み書きできているが、リーダライタからは読めないということか? と気づき青くなる(うまくアプリケーションがインストールできていくから、ビックカメラのパソリで読めなかったことを失念してた)。
で、7/11のATMを使って、いろいろ試す。
普通に置く→まったく反応せず。
がーす
というところから初めて、少しずつ位置を変えたりしながら何度も再試行して、どうにかチャージができるとこまで試せた。
結論からいくと、アンテナの位置がFelicaマークが示す通りに、異様に機体下部についているということと、起電スポットが狭いということだ。運が良ければ、逆置きで普通のスマートフォンやカード用に用意された読み取り位置にはまるかも知れない。しばらくは店員が置く運用の店(ビックカメラとか)では操作に介入しないとだめそうだ。
この点については、IS04はうまくできてたんだなぁと、感慨深い。
・HTMLレンダリング
3Gが遅いので、必ずしも常にというわけではないけど、IS04とは比較にならない。(日本語入力については、同じFEPを使わないとわからないけど)
・いろいろなおせっかい
いきなり初期設定だとカレンダーに、Facebookから取り込んだ友人の誕生日がすべて表示されてうざったー状態。設定から取り込み範囲を絞ってまともに使えるようになった。何が起きたのかと思った(ほぼすべての日に予定が入った状態になっていたわけだから)
・連絡帳の引継ぎ
途中でIRが切れてどうにも始末に負えない。ここは課題だなぁ。どうすれば良いのだろう? というか、SDメモリから連絡帳のインポートの道が無いように見えるのが大問題。追記:とかいているが、連絡帳のメニューにSDカードからのインポートがあって、無事解決。
・ボタンがさわるだけ
さわるだけで反応する(物理ボタンではない)ので慣れないと使いにくい。でも、そんなに悪くないかも(iPhoneよりひどいとも言える)
・ブラウザー
下部3ボタンにメニューがなく、メニューはアドレスバーにある。ということは、タブ切り替えたいのに、ページの下を見ているときは、いちいちページトップへ戻さなければならないわけで、かす、の一言でしょう。これはひどいと思った。追記:上にスクロールさせると一瞬メニューが出るので素早くタッチするとどうにかなる……けど、女神の前髪仕様だな。
というところ。
HTC JのFelicaの読みにくさは単に付いている位置が下のほうという点だけではないように思う。
・7-11のATM: 位置さえ合わせれば利用可能(位置は比較的合わせやすい)
・ビックカメラのパソリ: 位置合わせが難しいが、お店の人にレジの表示を見せてもらいながらずらしていけば可能(読み取れると表示が出る)。
・ナチュラルローソンの多種カード読めるやつ: 楽勝。
・ピーコックストアのEdyリーダライタ(多分最初期のリーダの真ん中にEdyのマークが入っているやつ: 読めない。どうやっても読まない。
で、まずそうなのが、ピーコックストアのEdyリーダライタは比較的良くみかけるやつだという点。つまり、ビットワレット(今は楽天だっけ)と単独契約した店舗では利用できない可能性が高い。ピーコックのロットの問題なら良いのだけど。あと、ピーコックのやつは、読み取り面の上に比較的厚手の(ねっとり感から判断するに)ビニールの保護シートがかぶっていて、これの厚さが問題のようにみえる(他の契約店舗では保護シートが無いかも知れないので、それだとパソリ程度には使えそうな気がする)。
・予想だが、HTC JはFelica用のアンテナとしてすごく小さなものを利用しているのではなかろうか。というわけで、リーダ側アンテナから数ミリ離れただけで誘電できなくなるように思える。
というわけで、Felica搭載携帯としてはちょっと残念っぽい。
次は、パパスママスのQuikPay専用リーダライタに挑戦だ。
JAFの月報を眺めてたら、ガソリン車(ハイブリッド含む)の燃費10傑みたいな表が出ていて、ふんふんしながら眺める。
で、1位がプリウス(32.6 km/l)で2位がレクサス(30.4 km/l)、ふむトヨタってさんざん上から目線でホンダをこき下ろす宣伝してたけど、口先番長じゃねぇんだなとか思っていると、やっとインサイト(27.2 km/l)が来て、またトヨタでプリウスα(26.2 km/l)で、今度買うならフィットが(26.0 km/l)同着でフィットシャトルか、で7位は……で目が点になった。
デミオが25.0 km/lで純ガソリン車なのにエントリーしている。クラスはフィットと同程度なんだから、ずばねけているではないか。(ついでに、8位がカムリ、9位がインサイトエクスルーシブ、10位がCR-Zでいずれもハイブリッドだけどクラスがちょっと異なる)
で、ガソリン車のみのランクだと、デミオが25.0で1位、2位がマーチで22.6 km/l、3位がヴィッツとスイフトが同着 21.8 km/lと、圧倒的に2位と差をつけている。
まさかロータリーの技術が応用できているわけではなさそうだし、国民車ファミリア時代の基礎技術のたまものなのかなんだかわからないけど、マツダってすげぇあなと思った。
参考:自動車燃費一覧(平成24年3月)(国土交通省の資料はメーカー別で見にくいのでJAFがランキングを出したのだな)
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_ arton [あー、確かに。あの女優さんの意味なく途方に暮れたような感じがまた良いですね(なんか、ハッピーエンドになっちゃってどう..]
_ ram [でも、あのラストシーンで包み紙を持って家に帰ってきますよねー。あれって、ほんとうは奥さん死んじゃってるの?とも思える..]
_ arton [あー、言われてみればそうも取れますね。そもそもベッドの上に包みが置いてある時点で、まあそうなるよな、と感じたわけだし..]