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以前古書店で購入したクライストのミヒャエル・コールハースの運命-或る古記録より を読了。
最初の20ページ弱にえらく難航したが(一度読み始めて放置していた)、突然シュトルム・ウント・ドランクッがやってきた。
あっという間に引き込まれて読了(もともと100ページちょっとの薄い本なのだ)。
例によって、シラーのドンカルロス-スペインの皇子を探していて見つからないので代わりに買ったのだ。
誠実にして温厚な長者である馬喰のミヒャエルコールハースは部下を連れて国境(神聖ローマ帝国なので各王国は異なる国なのだ)を越えようと、かねて懇意にしてもらっているサクソニア国境(なぜサクソニアなのかは、クライストの反ナポレオン愛国意識からライン同盟を敵視しているからだと解説にあった)に入ったところのトロンカ公の城を訪れる。
すると先代はみまかっていて、公子が当主として采配していた。
そこで無理難題を言いつけられ、結果的に馬を止め置かれてしまい、世話役が必要と部下も軟禁されてしまう。
ドレスデンで所用をすませ戻ると、見事な名馬中の名馬の黒馬3頭は無残に痩せ衰え駄馬中の駄馬と変じている。どころか、屈強だった部下も、無残な姿となっている。
コールハースは憤然とドレスデンの裁判所に訴える。
が、トロンカ公子(と表記されるが、現在の当主なんだからトロンカ公のような……)の親類縁者はあらゆるところにいて、すべて棄却されてしまう。
懇意のドレスデン市長(かな)がとりなしを約束してくれるが、訴状が選帝侯の目に届く前にトロンカの親戚の侍従によって、これも握りつぶされる。
それではと、選定候へ直訴しようと財産を片付け始めると(善良なるコールハースは、トロンカの理不尽を法律で裁きたいのだ)、妻のリースベトがそれを止める。自分がベルリンへ行き訴える。おそらく女の私のほうがその役にはふさわしい。
しかしリースベトは宮廷で直訴する前に事故と見せかけて殺されてしまう。
ついにコールハースの善良なる精神を怒りが突き破る。突破者の誕生である。
部下10数名を引き連れ騎馬隊を結成、サクソニアに入るとトロンカ城を制圧、火をつけ、殺戮を開始する。
しかしトロンカ公子は掛け軸の裏の抜け穴から炭小屋経由で叔母の営む修道院へ逃走。
コールハースはさらに反逆の徒や化外の民を巻き込みながら数100人規模の軍団となり、各地を制圧、放火、殺戮を繰り広げながらトロンカを追い詰める。
殺戮、放火で苦しんでいるにも関わらず、サクソニアの人民は、本来のコールハースの善良篤実さとトロンカ一族の無法っぷりを知っているため、むしろコールハース反乱軍に対して好意的ですらある。
(ここで次々と繰り広げられる各地の制圧と、国家側の軍隊との戦闘っぷりが、がまさに疾風怒濤(というキーワードもちゃんと出てくるが、執筆時期は19世紀に入っているのでクライスト自身はシュトルム・ウント・ドランクッではない)でむちゃくちゃにおもしろい。まるで曹操のチンタオ制圧のようだ)
たかが下郎1人に国家を荒らされ、貴族の命が付け狙われていては、しめしがつかぬ、とサクソニアの宮廷は大騒ぎとなる。
そこにマルティンルター登場。
コールハースについて、裁判所によって却下された訴えを逆恨みして悪逆非道の限りを尽くしていると吹き込まれたルターは、コールハースに対する弾劾状を記し、ビラ撒き攻撃を開始する。
それを読んだコールハース、愕然として深夜単独でルターを訪問。
驚くルター(こいつ、すごく嫌な奴だが、それでも正義の人ではある)にトロンカの理不尽を説く。
ルター、コールハースを許しはしないが、選帝侯への取次とそのための大赦(天下の極悪人として今や知られるコールハースを安全に選帝侯と会見させるためだ)のために労をとることを約束して、コールハースを家から追い出す。
かくしてコールハースは晴れてサクソニア選帝侯のもとで正当な裁判を得ることができることとなる。
裁判官は公平無私な人であった。彼はコールハース側に立ち、トロンカと裁判の公平を破ったその一族を強く弾劾する。
市民はみな、コールハースの味方だ。
すべてはコールハース有利へ傾く。トロンカは社会的に抹殺されようとしている。
しかしコールハース本来の善良さと公平さのため、彼は賠償金ではなく(殺された部下の遺族のための年金のようなものは要求する)、黒馬の原状復帰を要求する。
ところが黒馬たちはトロンカの逃亡のどさくさに紛れて羊飼いへ売られ、あまりの駄馬っぷりに今や皮剥ぎの持ち物となっている。
この皮剥ぎの親方の無法っぷりが原因となり、市民感情は反コールハースに傾く。
さらに悪いことに、軍団解散後に主導権をとった一部の悪党が、コールハース(今や国民の間では人気者である)の名前を騙って、相変わらず放火、略奪、殺戮を繰り返す。
ここに目をつけたトロンカ一族の貴族らしい見事な陰謀が張り巡らされ、善良にして高潔たるコールハースが罠にはまる。
ついに大赦されたはずのコールハースは灼熱の大ばさみで肉をむしられる極刑を宣告される。だが、コールハースはひるまない。自分は火をつけ、無辜の民を殺戮した。それは甘受しよう。しかし黒馬を返せ。
話が変わったためにルターや、コールハースの味方の市長などが心を痛める。ついにブランデンブルク選帝侯(登場のシーンで、脳裏にバッハの協奏曲5番が鳴り響く)を動かし、国と国の話となり、ローマ帝国皇帝に裁可を求めることにまで話が広がる。
サクソニア選帝侯としては、トロンカ一族の横暴を知ったために、今やむしろコールハースの味方であり、外国人(コールハースはブランデンブルク領の国民なのだ)のコールハースの運命をベルリンへ委ねることに賛成する。
話は唐突にサクソニア選帝侯とブランデンブルク選帝侯が過去に怪しい占い師に占われた話に飛ぶ。なぜかサクソニア選帝侯の運命を記した紙は、コールハースが持っているのだ。
ぐだぐだした後、コールハースの遺族などに対する賠償は正しく行われ、その一方でコールハースは斧による斬首が決定される(これは圧倒的に軽い刑なのだ)。
占いの紙を奪うために処刑場にこっそり入り込んだサクソニア選帝侯の目の前でコールハースは紙を取り出し、読み、食べる。もう、サクソニア選帝侯の手には戻らない。
そしてすべてを完了して生をまっとうして正義を貫いた人間として首を斬られて死ぬ。
ミヒャエル・コールハースの運命―或る古記録より (岩波文庫)(クライスト)
クライスト(それにしてもWikipediaによれば「世間からも認められないクライストは自殺を決意し、癌を患った人妻ヘンリエッテ・フォーゲルと共に1811年11月21日ポツダム近郊のヴァン湖畔でピストル自殺した」とまるで太宰治のようだ(まあ絶望の度合いと方向性は相当違うようだが))の作品はシラーのように自由を希求したりはしない。むしろ、秩序を求めているように読める。ルターやブランデンブルク選帝侯の尽力で解決するという点では反動的ですらある。にも拘わらず、(片や自由、片や正義と異なるが)何かを求めて反逆の限りを尽くす点で共通しているのがおもしろい。
メタプログラミング、日本語で書けば超プログラミング。
最初に「超」を強く意識させられたのは、大学2年の一般教養の数学だ。 なぜか受講するのがおれ1人だったので、教授が初日にあきれたのか、1冊の本を買えと言ったかくれたのか覚えてないが、読んで出席して質問しろ形式となった。
それが数学から超数学へだった。
数学から超数学へ―ゲーデルの証明(E.ナーゲル)超数学は、数学を斜め上(「斜め」の部分はレトリック)から研究する学問だというのは読み始めてすぐにわかる。数学という学問がどのようなお膳立てで成り立っているかを解明することにある。いずれにしても、メタに考えるには常に「上から目線」の立場に自分を置くべきだ。「上から目線」で語れるということは実に良いことなのだ。
メタプログラミングの場合、それはプログラミングを斜め上からプログラムすることになる。
ちょっと前までは最初に出会うメタプログラミングは、Cのプリプロセッサだろう。
IDEによる補完サポートがないCのプログラミングで構造体SのインスタンスAへインスタンスBから同名のフィールドAからZへ詰め替えを行うコードは以下のようにうんざりするものとなる。
typedef struct { int field_A; // (24行省略) int field_Z; } S; S A; S B; A.field_A = B.field_A; ...(24行省略) A.field_Z = B.field_Z;
(もちろん、全フィールドのコピーであればA = B;
で済むわけだが、他にもたくさんフィールドがあって、ここではこの26個のみを対象としたい場合とする)
うんざりするのが嫌な人(それ自体はまっとうな感覚である)は、コピペを覚えて、最初の行をコピーして25回ペーストして50個のAをそれぞれ2個ずつのBからZへ直していく。コピペプログラマの出来上がりである。彼はここで学んだコピペ技術を一生大事にするだろう。
それは悪いことではない。正しく常に機械のように正確に字の置き換えが可能ならば。
が、そこで満足せずに斜め上からコードを眺めてみるとまた違った風景が見える。
このばかげた26行のコードは良く見れば同じパターンの繰り返しだ。
繰り返しはばかげているので、繰り返し部分をマクロにする。
#define B2A(x) A.filed_##x = B.field_##x; B2A(A) ...(24行省略) B2A(Z)
ずいぶん手数が減った。
ここではA.field_(x) = B.field_(x);というコードの生成をプリプロセッサマクロによってプログラムしたわけだ。
が、26行の打ち込みが必要なことは変わらない。
とは言え、ここでコピペ技術を駆使すると、最初は各行に対して2文字を置き換える必要があったのが、わずか1文字で済むようになっている。作業が半分に減った! 当然、あり得る置き換えミスも半分に減った勘定だ。
だが、なぜ手作業で25個も文字を置き換えなければならんのだ?
もしfield_A~Zの型が同じであれば、次のように定義すれば詰め替えはさらに楽になる。
typedef enum { field_A, ...(24行省略) field_Z, filed_count } SFiled; typedef struct { int field[filed_count]; } S; S A; S B; for (int i = field_A; i < filed_count; i++) { A.field[i] = B.field[i]; }
構造体のフィールドは配列に変えたが、アクセスに直定数ではなく、filed_Aやfield_Zという列挙子を使う限りにおいて安全性は最初のものとそれほどは変わらない(個々のフィールドへのアクセスについては、フィールド名を記述しなければならない分だけ手数が増えるのでフィールド名か列挙名を工夫する必要がある)。
これはソースコードレベルでのメタプログラミングではないが、フィールドの定義というデザインレベルのプログラミングによる、メタプログラミングと言えなくもない。
同じように、ソースコード上でのメタプログラミングを離れても、エディターマクロであるとか、スクリプトを書くとか、他にもソースコード記述時の繰り返し作業をなくして人間の代わりにソースコードを吐き出す手段はいくらでもあることに気付く。
これらもプログラム(ここではソースコード)をプログラミング(ここでは生成するプログラムを作る)する意味においてメタプログラミングなのだった。
結局のところメタプログラミングの目的は、人間の作業の低減にある。
人間の作業は確実に間違いを伴う。しかも手の動く速度が律速となる。したがって、手作業をどれだけ減らすかが作成したプログラムの品質の高さと生産性のキーとなる。
そのためには、機械化しやすいようにあらかじめターゲットとなるシステム内に出現する要素の名前をデザインしておくことも重要となる。
DRYにやれるのは、逆に言えば、名前なり操作なりパターンなり要素なり構成部品なりが重複しているからだ。
重複しているからこそ、重複点を串刺しして、単一のものにまとめることが可能となる。
テーブル名、カラム名、モジュール名、パラメータ名、ファイル名、モジュール名、クラス名、メンバ名などのシステムのさまざまな構成要素の同じ意味にマップされるべきものが、あらかじめ厳密に異なり、マッピング不可能な名前として定義されていたら、しかも意味も微妙に異なっていてある時は同一、ある場所では包含、ある処理においては無関係で他の要素によって置換されたりしていたら、これらをDRYに処理すること自体が難問となる。データの重複をなくしておくことも必要となるわけだ(バックアップや代替構成が不要という意味ではない)。
すると、メタプロングラミングのためには、あらかじめまともなデザインが必要だし、それを決めるのはアーキテクチャだ。
というわけで、個々のプログラミング言語でのメタプログラミングの技術も肝要だし
メタプログラミングRuby 第2版(Paolo Perrotta) (やりやすい言語というものはある)クラスライブラリ(というよりも仮想マシンのレベル)が実行時のプログラム自体の情報取得と操作をサポートしていることも重要だが
メタプログラミング.NET(Kevin Hazzard)より重要なのは、ソフトウェアシステム全体をどう考えるかという上から目線となる。
で、エバーグリーンで常緑な達人プログラマーはそういう観点について学ぶための本なのだ。
新装版 達人プログラマー 職人から名匠への道(Andrew Hunt) (したがって書かれている要素技術は20世紀のものなのだが、常緑を歌えるということなのだ)前橋の駅前通りの近くのででっかな本屋の煥乎堂(岩波文庫の充実っぷりが素晴らしいが、さすがに版元品切れのドンカルロス―スペインの皇子は置いていない)をうろうろしていたら、古代ぐんまの本が売っていたので買った。何しろ、埼玉ほどではないが(というのは通る場所の問題だったようだが)やたらと古墳があっておもしろいからだ。
東国文化副読本 - ~古代ぐんまを探検しよう~(群馬県文化振興課)
すると、200円と言われてびっくりする。何そのばかげた値段? (群馬県が小学校の社会科の副読本用に作って一般に頒布しているものらしいが、良い仕事をしていると思う)
値段はティッシュ並みだが中身の充実っぷりは素晴らしい。大判カラー印刷で26基(寺も含むが)の古墳については全体像と出土品、詳細説明がついているし、大和朝廷との関係についての説明や、県を5つのエリアに分けて132基の古墳の位置がびっしりと示した地図まである。というか、Web版はないのかな?(Googleマップ連動で)
ところどころクイズが出ていて、しかも設問がなかなかうまくできている。
例 P.27(山王廃寺のページ)『このころから古墳→寺に変わったのはなぜだか考えてみよう』
5世紀あたりの天皇権力確立前から、どうも畿内政権(群)と群馬の総社を中心とした豪族(群)は連携していたらしい。
中国か韓国かはわからないが、外来人(それ言ったら大和も同じだろうが)には住みやすかったらしく、群馬に腰を落ち着けたらしい。
・もっとも縄文人の居住跡もあるから、例の縄文-弥生混合集団から発生した豪族なのかも知れない。
いずれにしろ、魏志倭人伝には馬がいないと書かれていた日本で、5~6世紀に群馬で馬を育てて畿内に輸出していた痕跡があるらしい。ということは、結局、中国か韓国から騎馬を引き連れて来た連中が群馬を繁殖の場として選んだことは間違いないようだ。
(P.22 6世紀後半の山王金冠塚古墳から出土した金冠の意匠は明らかに韓国の影響下のもの)
かくして古代の軍事政権の必需品の鉄と馬のうち、馬は群馬、鉄は中国(地方)-畿内で生産/交換するようになったらしい。
おもしろい。
追記:教師用の解説書を見つけたがすげーつまらなくて驚いた。しかも小学生用ではなくて中学生用だというのにもびっくりだ。本当にこんな意図(たとえば『国民としての自覚を深める』(P.3))で編纂したのかなぁ。
ユーロスペースへこの世界の片隅にを観に行く。
チケット予約制度とかないから、9:30の整理券配布のころに着くように加減して行き、10:30の回を選ぶ。40分程度の空き時間ができるが、(時間的に)ゴーストタウンと化したラブホ街をうろつくのは楽しいのでまあ良いかな。
で、うろつきながらサンタ帽を被ったピカチュウを捕まえたり、お稲荷のジムを攻略したりしていると、後から家を出てきた妻から、道頓堀劇場のところで道がわからなくなって遭難したというメッセージが届いたので2頭目のカイリューをギャラドスで仕留めたところであわてて迎えに行く。道路に絵を書きながらぼーっとしているかと思ったら、そんなことはなかった。そういえば急に思い出したが大芽園ってどうなったんだろう? 高校のころは良く食べたな。
で、道々話を聞くと、ムルギーのほうへ曲がるところまでは良かったが、ブラックホークだったところを越えたあたりでマンションの行き止まりになってそこでパニックになったというので、それは一見さんが攻め込まないようにしてある孔明の罠なんだと説明しながら抜けてみせる。
予告編を見ているとキンフーの侠女の予告編が出て来て思わず懐かしくなる。
そうそう、キンフーは(1980年代カルト的に)最高の作家の1人なのだった。まったく忘れていた。
が、一緒に借りたビデオを観たはずなのに妻はすっかり忘れているようだった。
で、まあ本編が始まる。ユーロスペースの初回で80%程度の入り。そんなものかな。客層いろいろ。
くだくだ説明し過ぎずに映画としてアニメを作っているがとても素晴らしい。語られないことや見過ごしたものが存在することこそが正しく世界を認識することなのだ。まぎれもない傑作だ。
悲しくてやりきれないのは、闘争が不完全燃焼のまま終わってしまったからなのだが、最後、市井の人として死ぬか勝つかの2択だと信じて我慢していたものが、負けるという第3の選択を前にして感情が爆発するところで、ああ、そういう考え方もあったのかと初めて知った。なるほど、それであの曲なのか。
左手で子供と手をつないでいる別の人生を歩んできたもう一人のすずの右手の先には何があったのだろう。
原作は読んでいないので細かな脈絡は想像するしかない。
一番の疑問点はどこで周作がすずを知ったかなのだった。
最後、ワニの奥さんを人さらいが連れて行くところから、お兄さんがからんでいたのかなと考える。
4歳差ということは、10歳と14歳、途中で引っ越したとかだとしてお兄さんと同級生だったという可能性はありそうだ。しかしそうすると19歳で結婚だから9年間。そんなものかな。
クラウドファンディングの出資者を眺めていて、下のほうで女郎街で再会した座敷童のエピソードが流れていることに途中で気づいて最初のほうを見逃してしまった。
この世界の片隅にを観ていて、そうなるとは知らなかったのだが(全体から見るともっと大きなものが出てくるのでさほどでもないエピソードのような気もするが、それより前に語られるさまざまなエピソードからはもっとも重要な気がする)喪失について、何か以前、似たような感覚を覚えたことを思い出して、それがひっかかっていた。
そして悲しくてやりきれないから、ふと思い出した。
高校の頃読んで、リストと呼ばれたピアノの才能あふれる少年が新宿で機動隊に指を切断されてしまうところで感じたものだった。
どちらも週刊漫画アクションだな。
JSONを受け付けるシステムをVBで記述している。
受け付けるJSONはいろいろなので、いちいちJsonSerializerでかっちりクラスを定義するつもりはない。
かといって、今更Dictionary<string, object>もないだろうということでdynamicだ。
というわけで、評判も良いしコンパクトだしDynamicJsonを使うことにした。
が、だめだ。VB Runtimeの問題だとは思うが、TryInvokeMemberは呼び出すが、TryGetを呼び出さない(C#からは呼べるのでTryInvokeMemberのバグということはないよな?)
'実証コード Imports System Imports Codeplex.Data Module Module1 Sub Main() Dim o As Object o = DynamicJson.Parse("{""strprop"":""abc"", ""numprop"": 123}") Console.WriteLine("strprop:" & o.strprop) '=> True Console.WriteLine("numprop:" & o.numprop) '=> True End Sub End Module
オープンソースはすばらしい。
というわけで、おれさまJsonParserに改造した。
ExpandoObjectに全部読み込んでしまうから、VBでも問題なし。
Sub Main() Dim o As Object o = DynamicJson.Parse("{""strprop"":""abc"", ""numprop"": 123}") Console.WriteLine("strprop:" & o.strprop) '=> True Console.WriteLine("numprop:" & o.numprop) '=> True o = JsonParser.Parse("{""strprop"":""abc"", ""numprop"": 123}") Console.WriteLine("strprop:" & o.strprop) '=> abc Console.WriteLine("numprop:" & o.numprop) '=> 123 End Sub
追記:いや、DynamicJsonのTryInvokeMemberの実装バグだ……。C#と違ってVBは()を省略できるから、プロパティゲッタではなくメソッド呼び出しと解釈して、かつ結果がTrueになるからoutパラメータに設定したTrueを結果としているわけじゃん。今更Issuesに送るのもなんだな(6年前のプロジェクトだし)というか、本当にVBは誰も使ってないんだなぁ。
何気なく道端に停まった車から流れるセリフを聞いていた。
「キリストを信じなさい」みたいなやつ。
で聞いていたら「人は死を恐れ……」みたいなセリフ回しがあって、そういえば仏陀もそもそもは城から出て初めて知った老いや病気や死というものへの恐怖を克服するために出家したのだったなと考える。
宗教の存在意義は何よりも死への恐怖に対する克服だったわけだ。
車から流れる説法は、そのあと、思いもよらぬ理屈になってびっくりしてそのまま内容を忘れてしまったが(予想としては、永遠の生としての天国というような話になるのかと思ったのだったが、むしろ恐怖で人の思考を支配しようというような方向になったように思う)、むしろ別のことを考えた。
武士道とは宗教なのだな、ということだ。
武士道では死は常にそこにあるもので、常にそこにあるからこそ恐れる必要もなければ忌避する必要もない。毎日のように朝起きたときに生まれれば夜になるたびに死ぬ。それは戦闘マシーンとしての合理性ではあるが、本来的な根拠があるわけではない。
むしろ、死の恐怖に対する克服としての宗教という、宗教本来のありようと等しい。
なるほど、それで武士道が完成した江戸期にあっては、天皇はあってなきがごとき(したがって神道は庶民にとってだけではなく武士にとっても全くどうでも良く)、将軍家の墓所が単一の寺にあるわけではなく分散していて(したがってどこか一つの宗門に帰依しているわけでもなく)、家康は神様(東照宮)なのに、個々の将軍の墓は寺にあって成仏していて、と、世俗宗教を超克しているわけだ。
考えてみると、おれも少しも死というものに対して恐怖がない。痛いのはいやだなとは思うが。死ぬことに対して恐怖がないので、死をことさらに意識する必要はなく、あえてわざわざ死ぬまでもない。ただ生きている間は生きているというだけのことだ。
おれのそういう死に対する意識が、もしもこれまで日本で生活することで培われた日本人の文化に由来するものであるならば、なるほど日本人の大多数が全然宗教に対してでたらめ(クリスマスを祝い、新嘗祭を祝い、4月8日に甘茶を飲む)だということも、実は江戸期に形成された武士道という宗教のフレームワークの内側にあるからなのだろう。
23日は東京国際フォーラムのホールCでレント(ブロードウェイの引っ越し公演)。
地下鉄のポスターで見かけてチケットを予約したときは、ほぼ完全満員だっただけあって、混んでる混んでる。
おれが最初にレントを知ったのが6年前だが、それから6年たってもまったく人気は衰えていないらしい(作品としては20年記念ということだ)。
映画と違って、いきなりマーク(映像作家)のモノローグから始まるし、ライフサポートの集会(吾妻ひで夫のアル中のやつに似ているが、3年前に半年後に死ぬと言われたがというような歌が出てくるくらい、こちらのほうが切実かも知れない)の途中でいきなりミミの歌(これ大好き)が始まったり、ダイナミックさでは舞台のほうが激しく、おもしろい。というか、舞台版は80分+休憩20分+60分と、映画より長尺なのだが、そんな感じがいっさいしないのは素晴らしい。
ロジャーの曲で唯一好きな栄光の一曲は悪くない。
シーズンスオブラヴは2幕の最初に入る。これはやはり抜群な歌だ(ライフサポートも良い曲だけど)。
左手に機材を積み上げてバンドが演奏する。
映画だと結構だれるのだが、疾走感が素晴らしい。なんか圧倒的な舞台じゃないか。
映画版ではカットしていたのかまったく印象に残っていないが、マークがホームレスからアーティストの偽善にはうんざりだ、1ドルくれるかい?(当然、マークは金を持っていないので上げられない)そらみろくそが、と罵倒されるところに圧倒される(この後もマークはロジャーから魂を売ったかす扱いされたりとひどい扱いだが、そういえば本家のマルチェッロも看板描きしていたなぁ)。
あまり好きではないラヴィドボエムのところもまったく退屈さがない。好きではない曲という点ではタンゴモーリーンもムームーも、舞台だとえらくおもしろい。役者(歌手)も抜群なんじゃないか? エンジェルがやたらと好青年なのが印象的。
原作と唯一同じ設定の(とおれには感じる)コリーネの低音も良い。服装の感じのせいか、やたらと若者に見えるが、いかにもむちゃくちゃなハッカー(悪い意味での)ぽくて、好感が持てる。I'll Cover Youは良い曲だな。
ロジャーは良い男だが、それにしてもYour Eyesのだめな曲加減は、サブウェイのラストギグと双璧だ。
舞台で観ていて、いろいろ気づいた点。ロジャーは自分が陽性なことをすごく気にしているのが、ミミはまったく気にしていない点で、いやそれは殺人鬼だろうと思ったが、そうでもないのかな?(現実には注射回し打ちが一番の問題だという点からかなぁ)
映画ではえらく長く感じるロジャーのサンタフェ滞在が舞台では全然無いも同じ(ほぼ、マークの語りで終わる)。
逆に映画ではほとんど気づかなかったが、親からの電話がやたらと多い(それが変化球になっていて、これまた効果的)。
例年の如く着実にRuby-2.4.0がリリースされました。すばらしい。
というわけで、VS2010でx86用にビルドしてMSIにパッケージしたものを以下から配布します(2015にしようとしたけど、いろいろ面倒になって挫折)。
(一応パッケージングミスはないと思うけど、asrページからのリンクはまだしない)
今回から同梱物はRuby本体といくつかのDLL(readlineは外した)、Diceさんのchm版リミックス(これはやはりむちゃくちゃ便利です。感謝!)以外はartonプロダクツのみとなります。
MD5チェックサムは dd445a60ce6164374ab4689990dfc6f1 です。
x64版(Visual C++ 2010)のパッケージです。
Diceさんのchm版リミックスとASR、Rjbを同梱しています。
MD5チェックサム: 6966be9a91c9390d3f26612817ba75d8
それはそれとして、スティーブズが完結してしまった……
B01MSYK1O0
ジェズイットを見習え |
_ ムムリク [いつもありがとうございます。 lib/ruby/2.4.0/socket.rb がないようです。x86 のほうはある..]
_ arton [どうもすみません。再構築したので/data/asrから再取得していただけますか。]
_ ムムリク [ありがとうございます。無事に動作しました。]