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日々の破片

著作一覧

2021-01-09

_ セブンティーンアゲイン

妻が観ようというので、アマゾンプライムでセブンティーンアゲインを視た。

監督も何も知らないが、滅法おもしろかった。なんか、オタクマンガというか、異世界転生もののバリエーションみたいに思った。

主人公は高校3年生のときに、大学から特待生扱いでスカウトされて、そのままプロに進むことが能力的に余裕で保証されたスポーツマンだ。ところがガールフレンドを妊娠させてしまったために、そのまま二人で所帯を持つために高校を中退し地元で地味なセールスマンとして過ごして中年になっている。

子供が二人いて、娘は高校3年生、息子は1年生(だと思う)で、妻は庭園デザイナー(の成りかけかな?)だが、家庭生活はあまり良いとは言えず、離婚秒読み段階。

だけだと、全然オタクマンガでも、異世界転生もの(オタっぽい主人公が異世界で特異な能力を生かして大活躍)にも見えず、いわゆるリア充のその後っぽいが、そこが一捻りあるところがおもしろいと思った。

まず、主人公の高校時代の友人は、これは本気のナードでバスケ部員からのイジメ対象にされているが、主人公だけは彼の趣味を認めて庇っているし、事実仲が良いのだが、この友人が長じて、超一流のプログラマーとして大成功して大金持ちとなっている(30インチクラスのモニターを30台くらい並べた部屋で複数のゲームを同時プレイしまくっていたりする)。

で、この男と楽しくオタジョークを言い合っているわけだから、要はイケメンでスポーツもできるオタクという設定だったのだ。

で、セブンティーンアゲインという題名通り、17歳の自分に戻ってしまう。ここで戻るにあたって、雨の中、鉄橋から河へ飛び込もうとする男を救うという素晴らしき哉、人生のパロディになっているわけだが、おれの知らないものを含めて全体がいかにもそれっぽいパロディのオンパレードになっている。

異世界転生ではないから、17歳に転生したが世界はそのままで、どうにもしょうがないので、親友の息子というふれこみで再度高校に入り直してバスケをやることになる。

このあたりから、どんどん映画そのものもオタクっぽくなっていく。

特にうまいなと思ったのは、もちろん凄まじいスポーツマンではあるが、性格的な発言や、力はありそうなのに、暴力にはやられっぱなしな平和主義者なところとか、要は映画のターゲットに対して同じ側の人間であることを示すための仕組みがいろいろあることだ(いや、お前、オリジナル17歳のときは妊娠させてるじゃんと突っ込みたくなったりもするが)。

紆余曲折あって娘に惚れられたりもするが(ちょっとバクトゥーザフューチャーで母親に惚れられるところを思い出さないでもないが、あの映画のマーティンは明らかにオタクではない。全体としてネタが違い過ぎるので、特に意識はしていないだろうと思える)、ジャック・ドゥミーの映画ではないので、そこはクリーン(まあ、アメリカの青春映画なんだから当然だろう)。

特に大爆笑したのが、親友(金はあるがまったく女性に縁がないし、縁がないのも当然だろうという描写が山ほどあり、しかも本人が本気で自覚しているわけだが、いちいちこれらが、この映画のスタッフは本物のオタクっぽい目線を感じさせる)が、一目惚れした高校の校長を口説くシーンだった。

自分が何をやってもうまくいかない例として、ガンダルフの杖を馬鹿高い値で入手したことを話した瞬間に、うんざりしていた校長が「本当にバカね。灰色は第一部で、白い杖が出てくる第二部では白い魔法使いよ」と言い出して(きちんと記憶できていない。杖の色か魔法使いの色の話か、それが逆転しているので偽物という話だったか)、そのまま二人でエルフ語(通信教育で習得)で会話が弾みだすところだ。ここは最高。

と、想像をはるかに超えておもしろかった。

セブンティーン・アゲイン(字幕版)(ザック・エフロン)

(それにしても終わらない思春期問題を抱えた映画のような気もするな)


2021-01-12

_ 「みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史」読了。モノリスからマイクロサービス

年末にKindleセールしていたので買った「みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史」を読了。

おもしろいが、きついなぁ。

おもしろさは4点ある。

・内容そのもの

大規模システムの障害とそれに対する対応の記事としておもしろい。

・構成

日経BP社は日経関係なのだからみずほや富士通やIBMや日立、沖と不仲になるのは絶対的にまずいはず。

そのため、バンザイ! → こんなことあったらそりゃ障害起きるよね、良く頑張った! → バカ? という3部構成になっている。なぜ時系列にしなかったのかと考えると、これしか理由がない。し、それを別にしてもうまくまとまっている(極論すると最初のバンザイパートだけで十分におもしろい)

・システムアーキテクチャ

モノリシックな3つの(実際には4以上の)塊があり、それをオーケストレーションするアーキテクチャで失敗し(特にモノリシックで行くと決めたのであれば、絶対的に個々のモノリスが外部インターフェイスを保持すべきなのにそれを外してしまうのはアーキテクチャ的に異常だが、もちろん接続コストを考えればその選択をした理由についての理解は可能)、最終的にはSOAできれいなオーケストレーションができるようになるというのは美しい。とはいえ、絶対個々のノードは美しくないと思うが。

・DFD

そもそもとしてDFDが無かったということが信じがたいが(だって、IBM、富士通、日立の世界なんだけど)、このタイプのシステムではDFDが最重要というのはわかる。

長いこと、金融ではないまでもある程度の大規模トランザクション、長大データフロー、バッチ更新などのシステムを見てきたので、とんでもなく大変だったことはわかる。夜明けに近づいてもバッチが完了しない状況の恐怖だの、トランザクションが糞づまってシステムが止まってしまう恐怖だの、実に切実感がある。(という生々しさを第一部、それに対して社内政治と国内産業的な政治が中心となる第3部という書物としての構成のうまさには舌を巻く)

みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 史上最大のITプロジェクト「3度目の正直」(日経コンピュータ)

で、SOAという言葉から思い出したが、マイクロサービスだ。

SOAとマイクロサービスという言葉の違いは巨視的にはそれほどはなく、主に各サービスの粒度によるのではないかと思う(メインフレーマ対サービスプロバイダというような作り手の違いのほうが大きそうだ)。

マイクロサービスのほうが粗粒度で、各サービス単位に異なるデータベースを持つくらいの勢いだ。SOAだと同一のデータベースに接続されたサービスも十分にあり得るだろう。

いずれにしても一番の問題はトランザクションの一貫性と、エラー時の補償(または抹消)で、オライリーからもらった「モノリスからマイクロサービスへ ―モノリスを進化させる実践移行ガイド」にはそのあたりについても結構細かく書いてあって感心した(それはそれとして、みずほのシステムはモノリスからマイクロサービスへのレベルでは作れないだろうとは考えてしまうわけだが)。なんとなく、このあたりの問題についてサービスプロバイダーは正しく考えていないのではないかと思っていたからだ(PayPay障害とかそういうのが念頭にあった)。

モノリスからマイクロサービスへ ―モノリスを進化させる実践移行ガイド(Sam Newman)

_ みずほのシステムと住信SBIのシステム

いろいろ理由があって、みずほ銀行(第一勧業銀行の時代から使っているからなぁ)、住信SBI、SONY銀行を使っている。

で、結構重要なのは、どのATMを利用して金を引き出せるかと、どれだけ安く他行振り込みができるかなのだ。

こういったものは、顧客のロイヤリティのレベル(カタカナで書くと意味がわからないが、要はどれだけその企業に対して忠実な顧客であるかということだ)に応じて無料の回数などが決まる。

で、なかなか興味深いのは、預けている金額についてのレベル分類だ。

この中では圧倒的にみずほ銀行が良い(サービスそのものについてではない。何しろ無料で利用できるATMはEネット(なぜか? と思ったらもともと息がかかっているからだと苦闘の19年史を読んでいてわかった)とイオン銀行しかないから、使い勝手の悪さは最悪だ)。ここでの良し悪しは預けている資産についての扱いについてだ。

SONY銀行の仕組みでは、預金と投信が対象となる。SONY銀行自体が投信を扱っているから当然だ。

みずほ銀行の場合は、預金と投信(これまたみずほ銀行自身が投信を扱っているから当然)と、加えてみずほ証券へ預けている資産が対象となる。

で、一番だめなのは住信SBIで、銀行と証券が別建てになっている。証券との共有口座に預けた現金は対象となるが、一度証券側の資産(投信や株)になると勘定外となってしまうからだ。

という具合にロイヤリティプログラムでの保有資産に対する扱いは最もみずほが高度だ。

不思議なのは、なぜ、みずほができて、よりネット証券、ネット銀行風味が強い住信SBIができないのか?だ。

で、銀行と証券の仲が悪いのかなぁと思っていたが、これ、要は苦闘の19年でみずほ証券も含んだシステムをみずほは構築したから提供できるサービスなのではないか? と気づいた。


2021-01-17

_ ロボット・イン・ザ・ガーデンを観た

自由劇場でロボット・イン・ザ・ガーデンを観る。

300人くらいの劇場で、入るとなんかガラクタの山のような舞台セットが見えて、CATSといいガラクタの山が好きなのか? と考えるが、もちろんたまたまなのだろう(そうではない演目のほうが多いし)。

先日読んだ小説とは幾分異なる。

1幕での1番の違いは原発事故で無人となった町の犬の扱いで、原作のほうだと奇妙な味わいがあるエピソードなのに対して、物語の登場人物たちと密接に関係させることでうまく物語の枠に組み込んでいる。歌われる砂漠の歌もなかなか良いものだ。

2幕はというよりも最後は相当別の作品としている。

まず、東京を示す歌(曲そのものだけではなく歌唱方法も含めて)と踊りが見事でこれは抜群にうまい。なるほどこれは東京ですな。

幾分か子供用かあるいは日本の観客の道徳観(なのかなぁ)に沿わせた改変はあるが、それは元の作品がいい加減なのでどうでも良く、びっくりしたのは、最も感動的な2つのシーン(ロボットのタングが命名の由来を語るところと、新しい家族を迎えるところ)がまったく異なるものになっていることだった。

この2つを合成して、タングが新しい家族に挨拶するように改変することで、見事に凝縮したクライマックスが描かれる。四季だけにあざとさは抜群と感じてしまうが、それをおいておけば実に見事だ。

というわけで、あまり体調が良くないので1幕のカリフォルニア(劇中ではサンフランシスコとなっていた)のホテルでの長い歌と踊りのシーンで気を失った以外は、全編楽しめた。

その他の原作との異動でなるほどと思った細かい点では、原作ではタングがアンドロイドを憎悪していることが処々で示されるのに、それらのエピソードが切り捨てられていることと(おそらくこれは辻褄としてタングのプログラムの由来を原作(曖昧だが、それ自身もその場ででっち上げた)と変えて物語に連続性を持たせたことに由来しているのだろう。もちろん突っ込もうと思えば、相当学習済みのはずなのに最初はほとんど空っぽなのはなぜだ? となってしまうから、その点では原作が正しいのだが、短いセリフで辻褄を合わせるにはしょうがないのだろうな。

あと、アルミニウムに対するベンのツッコミが無い点は気になったけど(嘘をつく能力とベンに内緒にする能力の表出は、四季版ではネットワークアクセス以外については特に示していないからだが、逆にそれがクライマックスの作り方にも影響していなくもないのだろう)、物語的には余計だからしょうがない。


2021-01-22

_ 嘘喰いを読んだ

コミックバンバンみたいな名前のアプリを入れて読み始めたらやたらとおもしろいので結局、全巻購入するのとほとんど同じような価格で課金しまくって読破してしまったが、この作家すげぇやつだ。

日本の裏社会暴力マンガのフレームワークでダークファンタジー(英語だと。日本語だと言葉本来の意味での幻想小説、たとえばETAホフマンやエーヴェルスの作品群に対して用いる)を展開した作品でこれまでまともに読んだ(要は通読した)のは新宿スワンだが(多分、この形式の大元は男組や野望の王国の雁屋哲とさかのぼれば手塚治虫のロックを主役にした作品群なのだろうが、貸本の辰巳やつげの弟のほうの系譜と言えなくもなさそうだ。もしかすると米原秀幸のウダウダもこのジャンルかな、というかそうだなと一瞬思ったが、チームの特徴配分とか考えるとRPGというかおそらくドラクエ以降として別建てで考えた方が良いのかも知れないかなとかいろいろこちらにも思考が伸びておもしろい)、調べると同時期なんだな(集英社と講談社のヤング(ジャンプ|マガジン)バランスとしてこれはこれですごくおもしろい)。

どちらも大傑作だと思うがスケールの大きさでは嘘食いのほうが勝っているように見える(かっているわけではない。相手がまけたわけではないからだ。まさっている)。

しかし本来見開きの週刊誌で読むマンガだろうからページ単位に読むと何がどうなっているのかまったくわからない点が多過ぎて相当の情報を誤読しまくっていそうではある。

この作家の癖なのだろうが、同じコマの中に同一人物の全体の動きとクローズアップを重ねている点と、遠目だと相当異なる個人(服が違うし)の顔が、クローズアップだとよほどうまく特徴的な点を示していないと5人単位くらいで区別がつかない(読み込めばつくのだろうけど)点が難読化させまくっている(おれが悪い可能性も高いな)。

しかも、吹き出しがコマを飛び越えて書かれていたりするうえに、そもそもそのコマ自身に発話者の表示を省略(というよりもあえて書かない)したり、マンガならではのセリフの短縮化のために、これまた余程特徴的な文末表現を伴う人物以外のセリフの場合、誰が何を言ったかがわからないことおびただしい(特にひどいのが、all[-2]話のダイヤモンド製造者とファンド設立者のモンタージュ部分で未だにどれが誰のセリフなのか今ひとつ見当がついていないけど、これもおれの読解力不足の感もある)。

とにかくモンタージュとフラッシュバック、クローズアップ、ミキシン、ザッピングあらゆる技法をこれでもかと投入しているので、どれが布石でどれが遊びでどれが息抜き用か区別するのが難しい。が、それが話の内容とマッチしているのでどうにもしようがない。

しかも、個々のエピソード(これがシリアスなものからユーモラスなものまで千差万別で作者のポケットの多さには舌を巻かざるを得ない)をジグソーパズルのピースとしてみた場合に、あるピースについては枠線だけで中を書かずに放置みたいなものもやたらとある。書かなくてもこれまでの経緯からわかるに決まっていて面倒だからパスみたいな感じだ。これも特に極端なのがall[-2]のジョーカーをめくった後の箇所だ。

本来なら小説として記述されていれば良いのだが、暴力表現(というか肉体の動きの表現が実に美しい。この美しさも魅力だ)が圧倒的なので(個々の動きが)マンガでしか表現できないわけで、難しいのなんのって.、そういう意味ではここまで読解しにくいマンガを読んだのも初めてかもしれない(同一ジャンルとして比較にあげた新宿スワンは遥かに単純な構造だ)。

それにしてもびっくりした。集英社のジャンプ(ヤングはつくけど)マンガだから、せいぜいカイジの劇画版だろう程度に読み始めたら(冒頭2話は、カイジのダメ人間人格とカイジの闘争人間人格を2つに分けて劇画にしたのかな程度の雰囲気で始まる)とんでもない話だった。世の中にはすげぇものがごろごろしているんだなぁ。読めて良かった。

嘘喰い 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)(迫稔雄)


2021-01-23

_ 新国立劇場のトスカ

もういまさらどうでも良い(とはいえプッチーニ作品なので大好きではある)トスカなのだが、作品そのものよりもコロナで無事来られるのかどうなるかドキドキものだったメーリが、しばらく前に来日して2週間の隔離中(様子見のほう)とかFBに情報を流していたので安心していたのだが、そうはいっても声を聴かなければ話にはならない。

これだよ、これ。若々しい(って感じるのだが、実際にはどういう意味だろう? 張りがあるということかな)良く通ってドーンと蒼天を射貫くような声。囁いていてもはっきり聴こえてそれでいて余計な震えがない声だ。

おれはこういうイタリア人のテノールを聴きたかったのだ。

妙なる調和がなんと妙なる調和なのだろう。

バーリ歌劇場来日公演のときの感動は間違いのないものだった。

こんなカヴァラドッシが初台で聴けるとは本当に幸福なことだ(全然性格が異なるがその意味ではフォークトを聴けたのと同じくらいの幸福度だ)。

ダニエレ・カッレガーリという人の指揮には特に感想はないが、メーリが歌い出すとテンポを相当落としているように感じた。いずれにしても出ている全員(日本人スタッフもいつものアンジェロッティやいつもの堂守だし)トスカなら目を瞑って一発勝負で演じられるような演目だからどこまでリハーサルをしたのかわからないが、聴かせるところは聴かせてくれる。(ただ、2幕のスカルピアが死んだあとあたりからは曲自体の退屈さが出て来てしまうのは、この演出を見慣れたからだろう)

トスカのキアーラ・イゾットンはやたらと重くてドラマティコなのかな? でおれがイメージするトスカの声とは違うのだが、悪くないというか、これはこれでありだな。メーリに声量でも負けてはいない。

スカルピアのダリオ・ソラーリは見た目と動きがこれぞスカルピアという感じ。ただもっと声が飛ぶと良いのになぁ。

2幕冒頭の変質者のクレドは、子供曰く好色漢のクレドか嗜虐者のクレドかの2択なら、明らかに後者のタイプだったとのことだが、おれも同感だった(とはいえ、前者のスカルピアって演出上ありなのか? という気はするけど、声や歌でならまああり得る)。

で、確かに2幕冒頭はクレドだし、そもそも1幕はスカルピアのテーマで嵐が来て序曲なしでいきなり始まるし、もしかしてプッチーニはトスカを大先輩のオテロを意識していたのかな? と(シナリオ上も、スカルピアにおれはハンカチではなく扇を使うのだと言明させているし)思わずにはいられない。すると柳の歌に対応するのは星は光りぬとなり、デズデモーナがカヴァラドッシになるけど、そもそもハンカチを与えられるのがオテロ(タイトルロール)で扇を示されるのがトスカ(タイトルロール)なのだからそりゃそうか。考えてみればカヴァラドッシの死は、トスカが騙されたとは言えパルミエーリ伯風銃殺を承諾したために招いたとも言えるから星は光りぬが柳の歌というのはちゃんと照合しているのだ。そしてオテロと同じくトスカも自ら死を選んで終わる。

雨ということもあってやたらと駐車場が混んでいた。


2021-01-30

_ 東京芸術劇場でパレード

なんか東急の割引サービスを受けられたのでパレードを観に行った。

このミュージカルを子供は知っていたようだがおれは完全に初耳かつ初見だ。

いきなり南軍の軍歌っぽい歌で始まる。北部野郎の血の海を降らせるぞのような、いかにも諸外国の国歌(軍歌)っぽい勇ましい歌で(なのだがフレーズは物悲しくもある)、異様に耳に残る。

軍人の着ている服が真ん中ボタン留なので、おれの知っている胸を覆う南軍の軍服と違って違和感がある。後で調べたら兵士の服としては正しいもので、おれが南軍の軍服=捜索者のネイサンの軍服と思い込んでいるのが原因だった。

捜索者 (字幕版)(ジョン・ウェイン)

北部(というかブルックリンかな?)出身のユダヤ人のレオは、妻の故郷のアトランタの鉛筆工場に工場長として勤めている。妻とちょっと言い争い(食事についてかな)をした後(レオは南部が大嫌いで、かつ、妻を含めた南部人を知的にバカにしていることが示される)、街中が敗戦記念日のパレードで賑わっている中を、「負けた日を祝って復讐を誓うとはなんと野蛮な連中なんだ。こんなところからさっさと逃げ出したいな」と思いながら工場へ向かう。

一方そのころ13歳だか14歳だかの女工のメアリー・フェイガンはボーイフレンドのフレッドとデートのために給料もらいに工場へ行くと言って出かける。二人が電車へ乗るところの演出は楽しい。別れた後、フレッドは別の女の子をナンパし始めるのでろくでもない奴だなと思わされるが別に伏線でもなんでもない。

フェイガンだけど給料をちょうだい、と事務所でメアリーが言うと、レオは名簿を調べて(要は南部人の工員とかまったく興味もなにもないのでいちいち覚えていない)そんな人はいないよ。社員番号は? と聞く。501です。レオは名簿を見直して、あー、phのフェイガンなのかFaganかと思ったよ、といって時給10セントだから1ドル20セントになるね、と言って金を渡す。なんか、このシーンは妙に鮮明に覚えている。

メアリーの死体が見つかる。

武田真治(病み上がりらしいが全然そんな様子はなくプロだなと思った)が新聞記者の役回りで出てくる。この事件はおいしそうだ。(ジョージアのマスコミのでっち上げ記者といえば、クリントイーストウッドのリチャード・ジュエルにも出てくるな)

一方、知事はこのての猟奇殺人を早急に解決しないと市民が暴れ出しそうだと気が気ではなく検事をせっつく。

ここでこの検事(ヒュードーシーという名前だがドーシーと言えばジャックドーシーを思い浮かべるのはしょうがない)が静岡県警のように張り切ってでっち上げをしまくることになる。

とりあえず連行してきた黒人の掃除夫(実際には犯人ではなさそうだが)を犯人としても、あまりにも当たり前で市民に対してインパクトは無い。

しかし北部から来たユダヤ人、しかも経営側で偉そうなやつだ、が犯人なら最高の政治ショーになるぞ。

というわけでレオが家でくつろいでいるところを逮捕する。レオはコーヒーが飲みたかったが、それすら許さずに連行する。

ジムコンリーという工場の守衛のところに警察(だと思う:追記、子供がドーシーだと教えてくれた)がやって来て、脱獄したことを不問にする代わりに役に立てと告げる。

一方、レオは完璧に無実なので刑務所の中で全然平気でいる。一方、街中の不穏な空気を読んだ妻は裁判の間雲隠れしようとしていると面会時に言って、レオから止められる。

かくして新聞記者、南部人、検事が一丸となってでっち上げに走りまくって裁判の幕が開く。

裁判は、バラエティに富んだ歌と踊りで実におもしろい。

女工3人組によるフランクさんは嫌らしい覗き魔で女工を執務室に連れ込むのよの歌、レオが見たこともない娼家のミストレルによるフランクさんはいつだって子供がお好き、時々黒人男性と二人にもなるのよ(ラブホテルみたいな利用方法もあるのか?)の歌、家政婦のご主人は変態さんよの歌(レオの妻が恥を知りなさいと怒鳴る)、そして守衛のジムコンリーによるおれはフランクさんに頼まれて死体を地下室へ運んだよ、いつもの通りにね。100ドルもらってるし、の歌(これは実におもしろい。坂元健児という人で抜群)などなどとヒュードーシーによる煽り演説の歌が混じり合って、当然のように有罪となって、傍聴席は大喝采、北部のユダヤ野郎を絞め殺せの大合唱の中で一幕は終了。

というか、まともな弁護士なら100ドル(時給10セント時代なのだから、10セントを現代日本の1000円とみれば100万円相当になる。それが複数回だと証言しているのだから)の支払いがあり得ないこと(レオの性格から、工場の帳簿に使い込みは見つかるはずもなく、レオの家の家計簿からその額のポケットマネーも出せないことは明らかではないか?)について反対尋問すればそれで偽証がすぐに明らかになると思うのだが、なぜかそういうことは(歴史的事実としても)無いのだな。

2幕は、妻のルシールフランクが大活躍。

1年がたっている。最初は無能な女は出しゃばるなと虚勢を張っているレオではあるが、檻の中からは手も足も出ないし、そもそもその態度が(それにしても事実ではなく、感覚で犯人を決めるという野蛮な法治仕草(あくまでも仕草であって法治とは言えない)はいやなものだな)自分を追い詰めているし、そもそも後5日で首を括られるのにどうするつもりか? と指摘されてぐうの音も出ない。

かくして二人でデュエットで信頼と正義のための歌が何度も入る。

ルシールは知事の元に訪れ、この有罪を認めるなら愚か者か臆病者かどっちかだと告げる。

そもそもドーシーを焚きつけたのは知事なのだが、今度は知事の妻が夫を諫める。

かくして知事が調査に乗り出す。

3人組の女工は誘導尋問に引っかかってドーシーに入れ智慧されたことをばらしてしまう。

家政婦も同じく。

共犯として1年の刑で服役中のジムコンリーはブルースを歌いまくりながら徹底的にごまかすのだが、こちらは検死報告からあり得ないことが証明されている(というか、これもなぜ裁判では無視されているのか謎だが、検事が隠していたということになるのだろう)のであまり問題ない。

かくして、知事の元に、活動家トムワトソンがやって来て余分なことをすると大統領になることはできないぞと脅す。

・活動家とプログラムに書いてあるので、労働運動か人種差別反対運動の活動家だと思い込んでいたら、KKK的な(WikipediaではKKKと直接的な関係があるという証拠はないとされているので、「的」)活動家だった。

それでも知事はほとぼりがさめたら再審をさせるつもりで、終身刑に減刑する(何しろ死刑執行まで数日しか無いからだ)。妻が勇気を与えてくれたのだ。この物語は、レオとルシール、知事と知事夫人の2組の夫婦の物語(そして、どちらも真に力強いのは妻のほうという)でもあるのだった(とはいえ、知事夫人は決めぜりふを連発するが歌的な要素はなかったような)。

かくして、2000年前に一人の無実のユダヤ人を有罪とした知事がいた。彼の悪名は未だに皆が覚えている。私は、それを望まない。と激昂した南部人を前に歌いまくる。

(2000年前ってなんだ? と観ているときは思ったが、それは「知事」に引っかかったからだ。都督と翻訳されていれば、あーピラトか、とすぐにわかったとは思う)

妻が面会に訪れ、(所長に賄賂を贈ったおかげで)レオと一緒に食事を取る。賄賂を受け取る所長というのはミソだったのだな。二人は美しい歌を歌う。自由への希望に満ちている。

・追記:演出は最初の南軍の歌のところで紙吹雪を舞台に散らして、それがさまざまな役割をする。ここでは牢獄の中がピクニック(これは1幕の夫婦喧嘩のキーワードだった)の野原となる。蝶々夫人で、鈴木と蝶々夫人が部屋の中を花で埋めて希望に満ちた美しい歌を歌うシーンと妙に照合している。

そしてズボンを履く猶予もなくフレッドを初めとした謎の男たちにレオは連れ出される。

有罪を認めろと迫られたレオはシュマイスラエルを歌いだす。歌い終わることなく首を吊られて死ぬ。

(おれにとってシュマイスラエル(と聞こえるのでシュマイスラエルと覚えていたけどカタカナではシェマイスロエルらしい)はシェーンベルクのワルシャワの生き残りなのだ)

ユダヤ人を政治がスケープゴートにすると言えばドレフュス事件(この事件も1つのきっかけとなってこんだパレスチナの民がひどい目にあうのは別の話)は知っていたが、アメリカにもレオフランク事件というのがあったのだな。それは知らなかった。

・という赤いジョージアが今では青いジョージアになっているのは興味深い。

主演の石丸幹二は知的かつ高圧的、でも誠実な人の役をうまく演じていて気に入った。ルシールの役の人も(えらく難しそうな飛びまくる歌なので)ときどき?と思うところもあったけど、デュエットの良さとか印象的だが、ナンバーのおもしろさも手伝ってジムコンリーが儲け役だなぁと思った。

とにかくミュージカルとして実にうまくできている。ほぼ全編が歌(これがバラエティに富んでいるのが見事だ)なのに筋立てがきっちり見える。


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ジェズイットを見習え