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キャタピラ? ゴム紐? ヘッドを移動するためのバンドががブチ切れ。5年もたったし、両面印刷ができるやつに買い換えるのもいいな、と考えてビックカメラ。
HPは4機種(設置可能なサイズで5万円以下の)しかない。でも、前面給紙重要。うちコピー機兼用(ちょっと惹かれる)が2種類だけど、両方とも、USBポートしかないので却下。って言うか、リモートプリンタのせいでNetBEUIは捨てられないし、パラレルが必須な状況をどうにかしたほうが良いのかも。今ではLinuxマシンを上げっ放しなんだからサンバを躍らせれてればいいのかな。また5年だかしたら考えよう。
5551(買ったから機種名覚えた)はパラレルもあるし、両面モジュールが同梱。1万5千円(すごく安く感じる)。もう片方のほう(2万5千円)が印字は速そうだったけど両面モジュールがオプションで取り寄せというので、やめた。
#というのをキアロスタミとトルンカの間に実行。
女の子が皇帝のために、舟に乗って探すシーン。配給のレンコーポレーションってレンフィルムと関係あるのだろうか? 関係ないだろうな。
悪魔とドライブじゃなくて、フェリーに間に合ったを見たいが、ちょっと難しそうだ。交通安全映画。無理な追い越しで悪魔に憑かれる? ガートルード=ブレッソンのドライヤーリスペクトの話をする。アランレネの広島のやつ。その後、ブニュエルのサドゥールと羊とか、ウォルシュはアイルランド人か、とか。
盆が終らないうちに、暮れてしまい、正月なのに、桜咲くというか、なんか、忙しいんですが。って、いうか、それぞれ、バラバラなら、おもしろいんだけど、一気に来るとたまりませんな。
僕は、原作を知ってるし、映画の話法もまあわからなくはない。だから筋が追えるのは当然なんだが、子供はどうなんだろうか? と見ながら疑問に感じてた。横目で見るとまじめに見てるようだし。
で、やっぱり相当わからないらしくて、今日になってもまだ、なぜ女の子は舟に乗ってたの? とか、ブルーベリーを食べてる(というのは僕は印象に残ってないんだが、こちらが見過ごしたか、向こうの誤解かは不明)時やってきた男の人は誰、とか、細部を聞いて来る。どちらも、原作とは無関係な映画の話法にまつわる部分だから、多分、筋は追えてるようだ。なんとなく安心。
だが、「あれは、鶯を探してるんだよ」と答えたのに対し、「なぜ、それがわかるのか?」と聞かれて、答えにつまる。アプリオリに理解したわけではないから、説明はできる。女の子は皇帝のことを好きなんだ。その皇帝が死神に連れて行かれそうになって困っている。鶯の助けが必要だから、探しているんだよ。「なぜ、死神だってわかるの?」あ、これは難しい。それはアンデルセンがそう書いたからだ、じゃ答えにならない。最後に墓場を作っていくだろ? そんなことができるのは死神だけさ。「そう言えば透明だもんね」となんとなく納得するが、それが映画を見るということだ。「なぜ、王冠を取り上げたの?」それはわからないから、勝手な解釈を垂れて見る。「皇帝を殺すには、まず、皇帝じゃなくす必要があるんだ。皇帝が皇帝なのは、王冠を被っているからだよ」と、慎子を換骨奪胎して説明してみる。だから、王冠を取り上げると、ただの人間になってしまうんだ。死神は人間の魂を持って帰るのが仕事だから、まず、皇帝をただの人間に変えるところから始めるんだ。「なぜ、鶯が唄うと死神は帰ってしまったの?」なぜだろう? 筋(語られること)は覚えていても語られないことは覚えていない。ここも勝手な解釈を垂れることにする。鶯の唄を聞いて、涙を流していただろう? 鶯の唄には人間の心の中を大きく膨らませる力があるんだ。本当に美しいものは、人間に力を与えてくれるんだよ。それで、鶯の唄を聞いたおかげで皇帝の命の力が強くなったんで、死神は殺すのをあきらめたんだと思うよ。……
チェコの子供たちは、どう見たんだろうか? 言葉は存在しないから、映画の話法と原作がすべてだ。チェコの子供もアンデルセンを読むんだろうか?
確かに、舟のシーンはすばらしく印象的だ。
[uuid(BFB73347-822A-1068-8849-00DD011087E8), version(1.0), helpstring("Useful help string."), helpcontext(2480)] dispinterface MyDispatchObject { properties: [id(1)] int x; // An integer property named x. [id(2)] BSTR y; // A string property named y. methods: [id(3)] void show(); // No arguments, no result. [id(11)] int computeit(int inarg, double *outarg); };この場合、変数に対するIDispatch::Invokeの呼び出しってどうなるんだっけ? というのを調べるには、MFCでとりあえずCOMのDLLか何かを作って、MFCのCOleDispatchDriverだったかな(もう忘れた)にブレークポイントを入れて、Win32OLEからの呼び出しを止めてチェックすりゃいいんだな、とか手順はわかるんだけど、「ごめんね、今は相手できない……ポン(小島
vtbl使ってくれ。
忍者タートルの頃だから、相当、前の話だが、何かを読んでたら、日本じゃけろっぴだが、向こうじゃタートルだ。同じような水棲生物でも、日本じゃふにゃふにゃな蛙が好まれ、向こうじゃ固い亀が好まれる、というような与太記事だかエッセイだかを読んだのを突然、思い出した。
でも、クルテクにしろ、皇帝の鶯にしろ、それどころか利口な女狐にだって良い役回りで蛙が出てくるじゃん、チェコの人たちも蛙に親しんでるね、とか書いて気付いたが、チェコとスロバキアって今でも紛争してるんだろうか? 上にあげたのは、全部、チェコなのか、それともスロバキアも含まれてるのかとか。
うーんと単純に言えば、バッファリングできる限りして、小さなパケットでネットワーク帯域が無駄に消費されるのを抑制しようっていうことだ。ちなみに、RFC896。
大いに結構なことなのだが、100m秒程度の遅延でも十分に問題になる場合がある。で、その場合は、回避するために、TCP_NODELAYをsetsockoptしたりする。 たとえば、スモールデバイスだと、制御電文をバシバシ投げたかったりするんだが、良く考えずにUDPを選ばずにTCP使ったりすると、こんな恐ろしいことが待っていたりする。
MSの資料は引きやすいので引用を続けると、これなんか、出た当時は熟読したもんだ。
で、まあ、こういうのは最近、すっかり忘れていたんだが(というか、このあたりのチューニングを目的としてFreePeekとか作ったりしたわけだが)、Oracleが思い出させてくれたよ。タイプ4のネットワークドライバだ。Javaの制限で、ローカルマシン間の通信でも、UnixドメインじゃなくてTCP/IPを使うから、しっかり影響されるんですな。で、つい直前のOracle9iだと(今現在は違うらしい)、隠し属性がDriverManagerにあったりするんだが、DataSource(やConnectionPoolDataSource)使いたい場合が、問題なんですな。最悪、オレConnectionPoolDataSource作るかとか思ったけど、なんとなく誤魔化せてるから(多重度上げれば—しょせん、待ち状態になってるだけだからCPU的には閑—、結局、全体の処理量はそれほど変わらない=スループットは変わらないが、ターンアラウンドタイムは悪くなると言うので正解だったかな?)まあ、いいや。
と思い出したのでメモ。
MSDNJ #35
なんてシンプルな……
どうして、日露戦争だか、日清戦争だか、それとも八甲田山かな? で、麦飯のほうが体に良い(脚気にならないそうだ)から米が食えなくても我慢しろなんて話が出たんだろう?
江戸時代に、青木昆陽が飢饉の時の代用食を探したくらいなんだから、基本的には米食ってたんだよね。なんで、明治になって徴兵するようになったら米が食えなくなったんだ? それじゃあ、何かい、御一新ってのは、生活が悪くなるもんだったんですかい?
そりゃそうだろう。革命とはおままごとでもなければ社交でもなければ上品なものでもなんでもなく(ちぇ、毛の先ほども真似できないレトリックだな)、それまで食えてた人を食え無くし、それまで食えてなかった人が食えるようになるものだ。だったら、数の論理を重視したいなぁ。
というようなことを、埼玉農協の、小麦はどこでも栽培できる……とか書いた舌のネも乾かないうちに、日本では高温多湿なので小麦の栽培は難しいってような話(でも、県で作った小麦で給食のパンをまかなうってのは良いことかもよ?)から連想していって、途中で、牢獄の話になった。
どうして、アメリカの牢獄ではお尻が危ないのだろうか? そりゃやはり、したくてたまらない人を男だけで閉じこめてるからだろう。
そういや、動くな死ね甦れだと、シベリアじゃ、野外労働中に、男女の仲が進むってことが描かれてたが、考えてみれば、オーストラリアしかり、八丈島しかり、そもそもの殺すまではないけれど、本国に置いて置くわけにはいかない人ってのは、男女区別無く島流しにしてたわけなのに、いつごろから、野郎は野郎だけで箱の中に閉じこめるように変質したのだろうか、とか。
江戸時代にも、小伝馬町に牢があったわけだが、ありゃ、未決みたいなもんだよね、だって、30年の禁固刑とかって無いわけじゃん。獄門か遠島か百たたきとか、江戸ところ払いって具合だよね。あとは、強制労働(佐渡金山とか)で、閉じこめて無駄飯食わせるなんてのは、よほど政治的な深慮遠謀(鳥居とか)の結果にすぎないわけじゃん。それが、どうして、今みたいな変なシステム(善人ーーつまり、君や僕)が税金を払って看守に給料、囚人には飯、を提供してやるようになったんだろう?
原発のカマド磨きみたいなことに囚人を使う(=佐渡金山相当)とか、紛争地帯の地雷除去とかに囚人を使うほうが、よっぽど、世界のためになるよね。もちろん、男女区別なしってことで。そのほうが、お互い、精神的にすっきりするよ。
ってなことを、オーストラリア料理屋で話し合ったり。
ばかですな、調べもせずに作ってから、IDispatchがありません攻撃を食らいますた(昨日の話)。
口惜しいから貼っておこう。なんの役にも立たないけど。
require 'win32ole'
BG_JOB_TYPE_DOWNLOAD = 0
BG_JOB_STATE_QUEUED = 0
#--snip--
BG_JOB_STATE_CANCELLED = 8
bcm = WIN32OLE.new("{4991D34B-80A1-4291-83B6-3328366B9097}")
bcm.createJob('download job', BG_JOB_TYPE_DOWNLOAD, nil, nil)
jnum = WIN32OLE::ARGV[2]
puts 'job#' + jnum.to_s
job = WIN32OLE::ARGV[3]
job.addFile('http://arton.hp.infoseek.co.jp/ActiveRuby18.msi', 'd:\\temp\\asr.msi')
job.resume
while true do
sleep(300)
bcm.getJob(jnum, nil)
job = WIN32OLE::ARGV[1]
job.getState(nil)
state = WIN32OLE::ARGV[0]
puts 'state=' + state.to_s
if state == BG_JOB_STATE_ERROR
job.complete
puts 'error'
break
elsif state == BG_JOB_STATE_TRANSFERRED
job.complete
puts 'done'
break
end
end
とか、上の垂れ流しを見ながら、ちょっと考えた。って言うか、イタリアあたりじゃなかったかな?
中国の革命ってのは、易姓革命(天子の苗字—姓—が革まる)だから、たとえば、劉朝が曹朝に代わり、それが司馬朝に代わるとか。李自成読んでたら、張献忠が檄文書かせるシーンが出てきたんだが、いろいろ考えた末、朱朝という言葉をひねくり出してそれを使ってみたりとか。
と考えて見ると、氏姓制度というのを最初に考えついたやつは、中国の歴史をじっくり観察した末に、革命が起きないというか、起きようがないシステムを構築したってことじゃなかろうか。
中国の場合、天は天だ。で、人間様の世界には、天の子たる天子様がいて、まあ時期が来ると易姓革命で別の天子様の時代がやって来る。
本朝の場合、天が人間様なんですな。しかも姓がないわけ。だって、姓を与えるというかつけてやる立場なんだから、自分に姓があるってのは矛盾だろう。というわけで、姓がない。姓がないから易姓革命なんて起きようがない。天子様の子分が平と源で交代するのが関の山だ。
チャンスは1回くらいしかなかったらしい。足利義光満が、システムに気付いて、自分の娘を娶らせて、岳父という立場で取って代わろうとしたんだかなんだか細部は忘れたけど、ようするに、自分も姓を持たない人の集団に入り込むことによって取って代わろうとしたとか。
多分、このシステムをデザインしたとんでもない人が聖徳太子なんだろう。2000年近くもってるわけだから、アーキテクト冥利につきるってもんだな。
#こんなのは、何の根拠もない、単なる思いつきを書いてるだけだから、一切信用してはいけないよ。
冷徹に考えれば、たった1件の例だから、これだけで云々するのも誤りだろうし、そもそも単純な2元論(氏 VS 育ち)で片付くはずもありえないだろう。性差を育て方で変えるのは難しくても、理性/知性を育て方で変えるのは簡単(オオカミ少年とか野生の少年ってのは実話だそうだし)というのは、直観的にはありえそうな気がする。また、立小便うんぬんについては作為を感じないわけでもない。坊主憎けりゃ袈裟までをゼロにすることはできないだろうし。逆だったらどうなのかな?
まあ、なるようにしかならないからねぇ。あと、なりたいようになるってのはそれなりにできそうでもあるが。
8月7日。ここに書かれたことだけからは、単にこの人に妙な偏見があるってことだけじゃないか? 別に調理師が、もうオイラ、他人のために飯作るのやーめたっと。と言い出すこたぁ、可能だろ。ところが、この論理だと、この職業については、それができないってことになる。
しかし、ここでは、この職業をハレというか、日の当たる職業にするってのがそもそもの前提のはずだ。少なくても、そう読める。日の当たる職業の人は、いつでも(契約によるだろうが)、その人の自由で、その職業からはずれることができるんだ。それを、「あーら奥様、じつは、あのかた、ついこないだまで、他人のために料理していたそうよ、ひそひそ……」なんてこと、前提にしてどうすんだ? そりゃ、過渡期の問題よ。
たとえば、伊藤博文とかの奥方はどうよ? 年期明けたら、あくまでも以前の職業は以前の職業、今の職業はファースト(伊藤の場合はセカンド程度かな)レディというこった。別に明治の元勲たちが異常な性癖の持ち主だからでもなんでもなく、それがパブリックな職業だった時代だからこそできたわけだろうに。
むしろ、アングラな職業(矛盾した言い回し)だからこそ、その職業に1度手を染めると永遠なる烙印が押されるってことじゃないのかい?
自分で大工を例にしてるが、1度、大工に足をそめると、一生抜け出せずに、大工で固定されてるか? 違うだろうが。大工やめても趣味で家の修理したり犬小屋こさえても誰も文句は言わないぞ。
別にその職業がどうなろうと知ったこっちゃないが、妙な偏見をもとに変なことを書いてるのを見ちまったな。
というか、書き方が曖昧すぎてるだけかも。最後の結論はまったく正しいと思うんですが。そうか、過去は悲惨(平均して24歳で死亡とか)だった妄想にとらわれてるのかな。悲惨なのは御一新のあとの富国強兵時代の収奪(資本確立)期の話だと思うが。
なんとなく読んでしまったため、さらに考察を続ける。この人は、特殊技術が不要だと書いている。だが、それが間違いだということは、中国の閨房術について書かれたものを読むとすぐわかる。残念かどうかはわからないが、専門学校で学んだほどの人に出会ったことがないから見当もつかないが、羽根のように軽く桃源郷に舞い上がるほどの世界を構築できるらしい。その技術は、仕事をやめたあとも、大いに役に立つはずだ。しかし、ばかですな。なんでこんなたわけたこと、書いてるんだ。やーめた。
羽化登仙。
どーしてそーらはあーおいのかーどーしてあかくてーくーろいんだー
あたーりまえーのこーとなんてー、なーんにーもーなーいんだー
+
どーしてうーみはひろいのかーどーしてあさくてふーかいのかー
ひとーつだけーのこーとなんてー、なーんにーもーなーいんだー
と、子供が歌ってるので思い出した。モダンチョキチョキズ
720Cと比べて、最初に印刷が始まるまで、うーーーーーーーーーーーんと待たされる。まるで90年代中頃のページプリンターみたいだ。どーしてこーんなにまたすのかーそーれーがやすさのりゆうかなー。たーんにやーすいものなんてー、なーんにーもーなーいんだー。
多分、今回で1度終了なんだろう。WindowsとPCアーキテクチャを誰よりもわかってに通暁している方だけに、読んでて違和感がなく、大体、共感する。
Windowsの有効なライセンスを持っているユーザーが、Linuxに乗り換えるメリットは、現時点ではほとんど見出せないのが実情だ。
というのが、どうしようもなく、正しい結論だよな。「ほとんど」というところがミソで、もちろんメリットはいろいろあるんだけど。
でも、こういうメディアにこの人がこういった記事を書かざるを得ないというのが、1番、興味深いとこだった。
MSが誰よりも感じているだろうが、明らかに停滞感と閉塞感が漂ってるね。
昨日はバヤヤを見てきた。前半、不覚にも意識を失いいつの間にかバヤヤが城の中で働いていたのだが、別に普通に就職したのかな。リュートを弾き語りしているところは覚えているんだが。
章立ては本で、章題の向こうで行われる寸劇。
梟。
蛇の頭がどんどん増えてくところ(子供によれば3,6,8だそうだが、3,6,9に僕には見えた。とはいえ、数えてないんだけど)。橋の上で足を踏み外しそうになる白馬。迫ってくる鳥の足。切られてからもしばらく動いている蛇の頭。
ちょっと、竜の子太郎を連想。家を出て行った母が白馬に化身して息子を連れ出す。
すべてを見通している道化。
ナイフ、フォーク、気まずさから唄われる下手な歌。楽譜を破られ退場するドンガバチョ。
熊いじめ(じゃないけど)。
なぜ、熊は熊なんだろう。2本足で立てるから、変な人間の一種として認識されていたのかな。
林檎が蛙に姿を変える。道化が差し出す林檎に飛び上がり退室−熊が出てきて窓から退散する髯親父。
林檎による婿選び−バラを投げ捨てるのに対して、お返しに騎馬戦−ティアラを投げ捨てる。
白馬=母の首を切ると白い鳥が飛び立ち、梟と交代する。
難しいところだな。首を切ったら蜘蛛の糸が切れる場合もあるしね。結婚の前に母を殺すというのはいささか出来過ぎているような。
皇帝の鶯が、陶器のような無表情な人形劇なのに対して、きれいに描かれた顔。別に目が動いたりするわけじゃないんだが、寂しそうだったり憂鬱そうだったり。
これも音楽が良い(まあ、あまりに良すぎて意識を失うっていうのもあるわけだが)。
忘れているわけではないが、映画は光と闇の両方から構成される。闇がない映画は映画ではない。ということをあらためて思い起こす。最初の梟。最後の白い鳥。(皇帝の鶯の舟のシーンがスポットライト風に描かれているのが、水面の月のようなのもそうだ)
解説を眺めると、王女は騎士=バヤヤと知って求愛を受け入れるというように書いてあるが、そうは見えない。婿候補の騎士達を見ているうちに、庭に落ちたままのバラに気付き、それを眺める/拾う。ティアラがそこには落ちていないのは、それをバヤヤが差し出すからだが、それによって騎士=バヤヤに気付いたとしても、それ以前にバラに気付いているわけで。
二人は城を出て、それを見届けているのは道化師。祝福の踊りをテーブルで行い、拍手を強要する。強要された拍手は、道化師のためではなく当然、二人のためになるのだが、どうしてこの道化師はここまでするんだろうか。
母親はなぜ、最初に騎士の姿になることを止めるのか? 「わたしの正体がわかってしまう」
もしあの白い鳥が母親ならば、梟も母親なのかな。ならば夜の支配者だから魔ということだ。
さすがに、失われた時間が気になるので、調べるとこういう物語として見ている人を発見。試合の時点で認識したとこの人は見ているが、僕とは違う見方だな。でも、リュートが鳴らなくなることはこの人の解釈が正しいのだろう。高い部屋でのリュートのシーン。窓からの光。そういえば、章題が「魔法」なのに何が魔法かわからなかったがそうなのかな。
機会があれば、また見ることもあるだろう。
予告編でカレルゼマン。というか、チェコがブームなのかな? イメージフォーラムに子供連れてく気はしないなぁ−と思ったら四谷じゃないのか。
逆に言うと、いかにWindowsの出来がいいか、ってことなのか?
食玩(って言うらしい)っていうものがあるってのは薄々感づいてはいたが、コンビニ行かないし、お菓子といえばシャトレーゼへ買出し生活だから、特に手にとることもなく暮らしていたんだけど、旅行でしょうがないからコンビニ行ったら、なんとなく欲しくなって買ってみたら、中身がルノホートで、でもそんなもの知らないんだけど、小冊子が入ってて、こいつが滅法おもしろいから、ついつい、こっち戻ってからも、と言ってもたかだか全部で4個なんだけど、買っているんだけど、重複(ちょうふく)もなく、1から4まで集まって、スプートニク見ながらHIKARIのCD聞いてみたりしながら、なんとなく楽しい気分。
で、3で多分、ネタばらしなんだろうが、最初見たときから、大伴昌司(字は違う可能性が高い)を想起してたから、やっぱりなぁ、と、それまでまったく無縁だった岡田斗司夫という人にも、多少の親近感を覚えて、でもやっぱり興味ないから、それはそれでおしまい。
そういや、思い出したが、あの頃の少年マガジン(他のは知らない)って、欄外に、今風に言えばトリビアが出てたんだよなぁ、とか、ショウジセンスイとかがいろいろ書いてたよなぁ、とか、別に感傷的でもなく、感慨も湧かず、ただただ、思い出して見る。
はみだしyouとピア。
ジェミニに付属してた小冊子で、ロケットのパイロットが技術者(ガスという名前)だというのを読んで、ライプスタッフの映画でも、そう言えば、技術者だったな、そういうもんなのか、と納得してみる。
確か、モラビアと紅衛兵が、お互いに毛沢東語録から引用しながら、相手を否定するということについて、書かれた何かを読んだんだが、それはなんだろうか?
引用が、おもしろいのは、文脈を無視できるからだ。逆に文脈がなければ切り出せない言葉は引用できないのではなかろうか。
どうやら、Rubyをスクリプト言語の標準として認めさせた模様。
おいら含めてksh(bsh)でスクリプト書くのがダメダメな人が多いからね。でちょっと疑問に感じたんだが、世の多くはWindowsならWindowsだけ、UnixならUnixだけしかやらないんだろうか? Javaにメリットを感じている企業なら、Rubyにも同様なメリットは見えると思うんだが。
以下、余談。単なる事実だけ。
date = '20030704' # yyyymmddで日付が入り込んでくる。
y = Integer(date[0..3])
m = Integer(date[4..5])
d = Integer(date[6..7])
というようなスクリプトを書いた人がいて、8月1日に、ちょっと問題になりましたとさ。
このへんは、Windowsなメンバーにはわかりにくいかもなぁ、とは思うが。
たとえば、Windowsで
ping 127.08.08.1
とやってみてから、LinuxでもなんでもU系文化で
ping 127.08.08.1
をやると、inet_addr(とは限らないけど)の振る舞いが異なって痺れますな。
D:\home\arton>ping 127.08.08.1
Pinging 127.8.8.1 with 32 bytes of data:
Reply from 127.8.8.1: bytes=32 time<10ms TTL=128
[root@monde root]# ping 127.08.08.1
ping: unknown host 127.08.08.1
[root@monde root]# ping 127.8.8.1
PING 127.8.8.1 (127.8.8.1) 56(84) bytes of data.
64 bytes from 127.8.8.1: icmp_seq=1 ttl=64 time=0.202 ms
#Windowsプログラマを100人集めたらU系の振る舞いを説明できない人数は90人を超えると予想。
#chmodがある限り、しょうがないかも。
あれ?、スーパーユーザーじゃなくてもpingできるぞ。
うるさいです。CPUファンが。
落ちます。MSDNのCD2枚目で落ちました。気を取り直してやってたら3枚目で落ちました。一瞬、MSブラスターを疑うほどです。
アンインストールしてても落ちます。
多分、2度とAthlonは買わないでしょう(で、単に電源がへたれなだけという可能性はあるけど、最初の呪いは変わらない)。
でも、「あ、今は動いてないんだ・・・」には惹かれます。
って言うか、アクティブスクリプト機能の無効化でしょう。
ワークフローの各ノード(と呼ぶのは正しい?)を1つのトランザクションと考える。この単位をビジネスコンポーネントと見なす。
1つのビジネスコンポーネントは複数のビジネスロジックから構成される。
申請書モデルをあてはめてみる。申請書を受け付けてはんこを押して次へ回すまでが1つのビジネスコンポーネント(ビジネスの単位であり、トランザクションの単位。ロールバックは申請書の差し戻し、コミットが次のノードへの送信)である。
ビジネスは、複数のビジネスコンポーネントから構成される。
ワークフローの最初から最後までで、1つのビジネスが構成される。トランザクションとして見た場合、これはロングトランザクション。ビジネスは常に並行稼働する。
では、なぜ、WindowsではAdministrator権限がなくてもpingが呼べるのか?
こんなのを思い出した。here症候群ですか? そうですよ。では、Windows XPのrawソケット問題。
良く、ハリウッドの成功者インタビューでプロデュースする役回りの人間が出てくると、二言目には、「シナリオ」と言う。
間違いだ。
もちろん、完全には間違いではない。おもしろい物語を聞けば、人は次にどうなるのか知りたくなる。登場人物に興味を惹かれ、感情移入する。
でも、それは映画のごくごく1部の要素なのだ。
なぜ、そう言えるのか?
それは、我々が、知っているからだ。
何を?
それは、不愉快になるくらい、くだらない、最低の、ばかじゃなかろうかな、つまらない物語であっても、熱中し、知恵を絞り、そして何よりも楽しめるものが存在することを。
同様に、優れた映画にとって、物語は単なる背景に過ぎない。
#楽しめるかどうか、美しいかどうか、きれいかどうか、は純粋に思索の領域だから、別段、蝙蝠傘とソーイングマシンを照合させても、なんら問題なし。
9日のスクリプト、あれだとなぜ8/1かわけわかめだ。月の最初にしか動かないってのが前提。まあ、to_i使えってこった。(Integerってなんだ? と思わず聞いたのは秘密だ)
そういや、NTの頃は、パケットドライバーのデバッグ中くらいしかお目にかかったこたないし、2000になってもNDIS4対応の修正してるときくらいしか……(続く)、けど、Athlonマシンについては、日に何回も見ることがあって、BIOSの更新したら3日に1回くらいに減って、冬になったら全然見なくなって、電源入れなくなったら、完全に見なくなって、一昨日久しぶりに火を入れたら、何回も見ることになりますた。
って言うか、今、必要なんだよな。MSDNのインストール終ってないし……
#勝手に再起動に設定してるから、青い(紺に変わったような記憶が)のは見ないんだけど。
VC6+MFCでこんなの作ったけど再現しないや。(VC7だとこういうの作るのどうやればいいんだろう? まあ、MFCで作ることは一切無いからどうでもいいけど)
[ uuid(F7CFB2B4-9872-4184-ABEF-28674EE38ABA)]
typedef enum _CountVal {
CV_0 = 0,
CV_1 = 1,
CV_2 = 2,
} CountVal;
// TestOle のプライマリ ディスパッチ インターフェイス
[ uuid(A56A571E-B2B9-48F6-93BD-F0E9BD0365B5) ]
dispinterface ITestOle
{
properties:
// メモ - ClassWizard はここでプロパティの情報を追加します。
// このセクションの編集は慎重に行ってください。
//{{AFX_ODL_PROP(TestOle)
[id(2)] CountVal UpValue;
//}}AFX_ODL_PROP
....
}
これをSimple OLE Browserで見ると
Dispatch ITestOle
GUID : {A56A571E-B2B9-48F6-93BD-F0E9BD0365B5}
PROGID :
DESCRIPTION :
(empty-liens)
DISPATCH CountVal UpValue
だから、外部インターフェイスとしては同じだと思うんだけど……
というわけでWin32OLEはあきらめて 1.8.0.5。
vruby、swinを030906に更新。irb.bat, irb.rb, erb.batに手を入れて-Sを付けたのと、irbはあらかじめrequire 'irb/completion'
するようにした。
またか、と思わず感想。しかし、以前の頬かむりに比べれば、というか、およそこれだけカコワルな状態でも、きちんきちんと公表し続ける姿勢には、一応、拍手を送りたくもなる。それは明らかに顛倒してるけど。
MS03-026のパッチ作ってる時点で気づかなかったか、と思わなくもないが、余分な修正に手を広げてすべて台無しってこともあるし、着実にやってったんだろう。と見られないこともないかも知れなくもないし。
ただ、NT〜XPについてはともかく、2003も影響を受けるってのは、いただけないな。
MS03-026対応時にDCOMを無効化したマシンは大丈夫なように読めるが、実際はどうなんだろう。
イタリア料理店で。不愉快な大演技(デフォーとかいう人)を見させられてウンザリしながらも、時制を越えて再現させる演出とロングが多い点が印象的。
その後、プラトーンが始まったところで店を出る。
しかし、飯屋のくせに、妙に血が多い映画ばかりやるなぁ、と気づく。トマトソースと唐辛子ソース。
手に刺青。真理と公平。Love and Hate(It's thin line between)の刺青(ロートンの。誰だっけ? 眠い目をした人。初代恐怖岬の)に対する言及ってわけではなさそうだ。でも、2人の子供と2人の青年。ー多分、目にしてない刑務所のシーンで手を見せているのかも知れない。手を印象づけるのは難しいから。指が飛ぶ。手を使うのが好きなのかも。にしても、大演技ってのはいやだね。告解室で寝ころんでハアハア。手を振って足を振って頭を振る。
昨日は暑かった。
ノ ノ ノ 。こんな感じ。一昨日。
直接ネットワーク上を流れるパケットのMACアドレスの読み取りとは異なるが、MSがMACアドレスをGUIDの生成に使用していた時期がある。
Windows2000から変わったが、それ以前は、CoCreateGuidやその下のUuidCreateで生成するGUIDの下6バイトはMACアドレスそのものだった。マシンのMACアドレスを取得する簡単な方法としてGUIDを生成するという方法がTIPSだった。
それを利用した登録ウィザードActiveXコントロールの問題というのがあった。
11月になってリアルネットワークスも利用していたことが発覚。
このあたりは1999年(PIIIやモバイルPIIのIDも)頃。
で、学校の図書室で借りたやつで、今でもなんだか、猛烈な印象があるのが、ぴかぴかのぎろちょん。作者の佐野という苗字だけ覚えてる。
挿絵は覚えている。アーケードの上を伝って、ぎろちょんを見に行くところも覚えている。あとは全然、覚えてない。でも、すごーく印象的なんだ。
と唱えてから、essaさんのとこ経由で見たサイトへ行くと、いやぁ、やっぱり印象的なんだなこれが。おいらの読書兄弟みたいなのがわらわらいるではないか。
後知恵で考えれば、おそらく高度経済成長期の弱者切り捨て路線や危うい安保体制とか、を、理屈ではなくぎろちょんという子供には見せることができない謎物体として描いていたんではないかとか思うんだけど、全然、違うかも。もし、予想どおりなら、それはそれで確かな手腕で子供心に知らしむべしと刷り込まれたりしたわけだし、もし全然違うとしたらそれはそれで、作者、画家、編集者、出版社、学校図書室、そして読者が、こんな強烈な児童書を受け入れたというその事実によって長く記憶されるべきだろう。
ちなみに、猫の本屋(というのは子供呼び方で、名前を度忘れした、落合恵子の店)に行く都度、復刊されてないか書棚を探しているおいらだが、ようするに絶版ってことなのね、しくしく。
なんで、探してるかと言えば、別に今、読みたいわけじゃないな。子供にも読ませたいわけなんだ、と今、明確に意識した。
なぜ印象的か考察を続ける。
挿絵。目が無いんじゃなかったっけ? 鬼太郎かワタリか、横に凪ぎつけた髪の少女が主人公。
ぴろぴろっていうのを覚えてる人がいる−−おいらは忘れてたよ−−本質は謎なままおいておかれてるわけだな。
ぎろちょんってのは主人公の命名。もちろん、ぎろちんなんだが、主人公の女の子が首がちょんと落ちるというのを知ってるから、そっからぎろちょんと呼ばれることになった。これは思い出した。
ぎろちょんは広場に設置されているのだ。思い出した。
バリケードっていうキーワードを覚えてる人がいる。そーだ、あの頃はバリケードがあった。おいらんちの近くには社会事業大学があってそこにだってバリケードとかあったさ。明治公園で闘争が行われれば、催涙ガスがもくもく家のほうまで沸きあがってきて(えらく離れてるんだけどね)目が痛くなったもんだ。でも子供だから、僕らはバリケードの内側が何かは知らない。
と考えると、政治的な意図はあり、それを寓話として描いたのかなという気がしてくる。仮にそうだとしたら、最初に出会った政治的な本だということだ。そりゃ印象的だろう。そんなもん知らないんだから。
光る風とかを読んだときの印象と似てるかな? −−そりゃ後知恵が過ぎるだろう。でも、あれもそうだったんだ。なぜそうなるかまったくわからないんだから。
つい投票してしまったが、コメントは出てくるんだよね、まあ、そんなもんか。ちなみに「山村」は私が生まれたところではなく、もちろん育ったところではなく、かって1度も過ごしたことがない、すなわち、ありえない私を意味するキーワードです。
うーん、何と言われようとパクリだと言われてもなぁ。
もしからしたら、パクリ=悪と考えていないのか? と最初思ったが、そういうわけではなさそうで、無理矢理好意的に考えると、再利用したら後になってやっぱあれ使ったらみかじめ料頂戴しますわ、とか言われるリスクを考えて、常にパクリと意識するためになんでもかんでもパクリと表現するということなんだろか。
こっちは車輪の再発明を回避するどころか運転手だって雇いたいくらいだ。
#某所での米政府機関のドキュメントを巡っての会話から
19世紀芸術と言えば、パトロンだ。お相撲にはタニマチだ。
優れたパトロンは、金を出すことにより芸術家の生活を支え、創造のための機会を与える。ただし、口を出すこともある。
さて、21世紀だ。
政治的には民主主義、経済的には資本主義(ケインズによる修正入り)、文化は大衆消費文化ということになっている、と思う。
ここでは文化を考える。
いくつか、キーワードを並べる。20世紀を当然、含む。
オレタチおじさんには今、唄う歌が無い
一億総白痴化 (この言葉の裏には、おれさま=大宅壮一=とそのインテリジェンスあふれる読者諸子=が見るに耐える番組はないというのがあるだろう)
日曜はゴルフ
自分は、文化的に好きでマイノリティズムをやってるから、全然、構わないんだが、どうも、文化の正当なパトロン(=お金を出して支えてる人)が文化を享受できていないのではないかと思う。
ようするに、どう考えたって、富を生み出してるのはオヤジなのに、文化の中心が18時〜21時に集中するという構造があるために、オヤジはなぜか、NHKのプロジェクトX(それなりに競争があるらしいってのはシマゲジ騒動のとき知ったが、一般論としては視聴率によってCM収入が変わるっていうような競争をしてないとされている)くらいしか、その恩恵を得ていないんじゃないかということだ。
家族は一心同体ですか、そうですか。
ならば、別にどうでもいいんだけど、いわゆる「おこさま文化」みたいな言い回しがもし、正鵠を射ているのであれば、明らかに富を生んでいないおこさまに対してアウトプットが向いているというのは健全な構造ではないだろう。いや、おこさま命なら、言うことはないんだけど。
っていうか、仕事ってのが、本気で9時−5時で、通勤時間が平均30分とかになれば、現在のテレビの番組編成とか、がらっと変わるんじゃないかなと思っただけなんだけど。
資本主義には市場が必要だし、市場が成立するためには、その時点で富が蓄積されていなければならないんじゃないだろうか、となんとなく想像する。
何を想像しているかと言えば、えんえんと富の蓄積をいろいろ模索していたヨーロッパはいざ知らず、
奴隷(資産だから、減価償却するだけ)を使って綿産業によって富を蓄積
メンシェビキを始め政治犯(囚人だから、飯を食わせるだけ)を大量に動員して黒海ダムとかシベリア鉄道とかのインフラを作ったり、飢饉が起きようがなんだろうがNEPの次のやつ(忘れた)でウクライナの農業生産物をすべて没収して国家資本に変換
植民地での消費材(用語忘れた。米、麦とかじゃなくて、砂糖黍とかバナナとかの販売用の農産物)生産
で、ある程度、富が蓄積されたら、今度は市場を回すためには、市場の拡大が必要になる=消費者を増やす必要がある
奴隷解放(奴隷じゃなくて、労働者にして、給料払ってやれば、給料が市場に回る。一握りの富農のための市場ではなく、富農が没落しようとも、大きな市場が必要=北の論理)
自由化(衛星国家の誕生と雪解けとか複合的)
植民地解放(これから、工業製品を輸出するからよろしく)
で、今、富がないところはどうやって富を蓄積(市場を立ち上げるための起爆剤ってことか)するんだろう? という疑問。
どーも、フォントが汚いなぁ、これだからLinuxはぶつぶつとか言いながら我慢して使ってたけど、どうにも腑に落ちない。
そうしたら、当然といえば当然だが、デフォルトでは/etc/X11/XF86Configを見るんだね。vncserver側の設定を全然やってなかったことに思い当たった。
で、~/.vncrcに$XFConfigPath = "/etc/X11/XF86Config-4"
を入れてやって、やっと快適(というかまとも)に。
教訓:ちゃんとman見ろ。
その教訓は違う。インフラを更新したら設定を再確認しろ、ってのが正解だろ?
_ わらをも掴む思い… [場違いでしたらごめんなさい…私はバツイチ二人の子持ちで今月いっぱいで今の会社も契約切れ…貯金は底着き…八方塞がりな今..]
無為に過ごすってのはあまりよろしくなさそうだが、無為にして化すってのは良いことのようだ。
発音は同じだが、無畏ってのは、仏や菩薩がそなえる徳の1つで、知恵があるから教えを説くときに自信たっぷり何者も恐れないこと。
無意は、意思のないこと転じて故意ではないこと。
無畏だからこそ無為に過ごすとか、無意に無畏に振舞うとか。
もう買わないつもりだったが、つい新宿高島屋に足を運んだので、東急ハンズにも寄ってしまう。しかも3個も買ってしまう。
1個は月面に立つ宇宙飛行士(new!)、1個はスプートニク(子供が欲しがるのでやる。確かに地球儀はきれいだし)、1個は3度目のレンジャー7(月球儀もきれいだから職場の机の上用だ)。いよいよ残るのはアポロ13(だから、もう買うなよ、って)。
おいらもそういう徳があればなあ。
あと500年程度、休んでたいな。
switch (a.p) { case P1: b(a); break; case P2: b(a); c(a); break; ... } void b(A a) { a.d(); a.e(); } void c(A a) { a.f(); }から
X x = getX(a); x.do(a); ... interface X { void do(A a); } X getX(A a) { switch (a.p) { case P1: return new X1(); case P2: return new X2(); ... } class X1 implements X { void do(A a) { a.d(); a.e(); } } class X2 implements X { void do(A a) { a.d(); a.e(); a.f(); } } ...さらに
class XBase implements X { void do(A a) { a(a); b(a); } void a(A a) { a.d(); a.e(); } void b(A a) { a.f(); } } class X1 extends XBase { void b(A a) { } } class X2 extends XBase { }
羊堂本舗から旅に出て、企業倒産の読み物まで行って、なんかそれとは別ので結構おもしろかったのがあったなぁと思い出したものの過去のブックマークから掘り起こしたら404攻撃にあって、もはやこれまでか、と思ったけど、どうにかこうにか再発見。
これがおもしろいのは、まあ、意見の相違はあるものの、主人公の技術者としての成長物語になってることと、からんでくるクソ上司とかまともな上司、バランスが取れるヤツ取れないヤツ、といった登場人物の典型化がうまいこととか、そのあたり。
とーつぜーん、ルチーオ・フルーチ見たくなる、ほいほい。
シリアライズ/デシリアライズされる可能性がある。
ってバッカじゃなかろーか、と思う反面、そんな危険なものでも多分、技術革新を生んだりもしたんだろうから、必ずしも無意味とばかりも思えなくも無くも無くもないかなぁ。
これが、くだらないのは、互いにすくみあう状態になる(という状態を表現する言葉を度忘れ)からで、それに比べれば、スプートニクだレンジャーだっていう競争のほうが端で見ていて楽しいかも知れなくもなくもなくもなくもない。
って言うか、今のソフトウェア特許って基本は、核抑止力と同様に働いている分には、お互いに牽制し合いながらも、それなりに競争してけるわけで、そっちで使われる分には、そんなに悪くもなくもなくもなくもなくもなくもない程度なのは、新規参入業者への障壁になるように思えるからなんだけど。それは革新の芽を摘みかねないっていう意味ではそれほどうまくもないかも。で、さらに、フリーな陣営に対しては単に脅威としてしか働かないわけで、これっぽっちもメリットは無いだろう。とも限らないソフトウェア特許ってあるのかな? つまり、秘伝にされているという意味なんだが(本来の特許の意味はそのアイディアなりを公開することにあるわけで)。っていうか、プロプラエタリティの世界ではソースの非公開という慣習があるんだからそっちだけでやりゃいいんじゃないかなぁ。(いろいろ)
核の比喩で行けば、そりゃ全面戦争にならないという意味で保有国同志はそれなりに安心感を持てるわけだが、かわりに局地戦をバカスカやってたわけでそっちの人にとってはどうよ、というのがあって、さらに、っていうかそんな危険なもの保有してどうするのよ、っていうまっとうな考えの人もいて、というような構図だな。
でも、こういうのは、全然、かわいいもので、やっぱ、問題はソフトウェアを開発しない単なる特許管理業者だなぁ。でも法の下の平等性って必要だよね、というわけで、この連中を締め出すのも考えものだし(でも核の比喩だとこの連中、核テロリストだよな)、いきなりチャラにするってのは、80年代に核をなくしましょうと言ってるのと大して変わらない(なんらかのコンセンサスは得られるだろうが、事態そのものは変わらない)。
だから、思考実験に留まるしかないわけで、とりあえず笱安するしかないんだろうなぁ、とミライのセダイに託してみる。
何を見たのか忘れたけれど、日本の人口は大体3000万人くらいで明治のはじめまでは推移してたなんてのを見かけた。
もしも、それが本当なら、それは食糧自給率100%での3000万なんだから、それより多くても可として、もちろん、平屋しかない時代での3000万なんだから、それより多くても可として、さらに乳幼児死亡率がすさまじく高い時代での3000万なんだから、それより多くても可として、では、現在の適正人口ってどのくらいなんだろう?
もしかしたら富国(絶対、フゴクと読むと思うんだが、IMEはフコクとするんだよな)強兵(って言うか、富国強兵で1つの単語なんだから濁るべきじゃないかな−大辞林もフコクキョウヘイか……でも濁るほうがいいけどな)、で兵隊の数も欲しいし満蒙開拓団とか植民地への入植者も欲しいんで生めよ増やせよとした結果、水脹れした人口が増えすぎたままで昭和まで惰性で増えつづけただけかもなぁ、とか想像してみる。
だから、今は過渡的に紡錘形じゃない年齢分布になりつつあるだけで、このまま適正人口まで揺り返してるだけなのかも。
大体100年かけて増えすぎたんだったら、100年かけて戻っていくってのもありだよね、と、これもミライに託してみたり。
とは言え、実は2億くらいが現在の適正人口だったりするんだろうか?
人口減らして、1人あたりの生産性を高めるってのはどうだろうか?
人口増やして、1人あたりの生産性を低める(ワークシェアリングってそういうことだよね?)ってのもありなんだろうか。
っていうか、現在のGDPがどの程度、妥当なんだろうか。
なるほど。
なんて考えながら、やっと気付く。
なるようにしかならないんだよ、と。
そんなもの計画経済みたいなもんで画餅だな、全然決定可能じゃないよね。
増え過ぎりゃ困るし、減ればそのうち滅びるだけだ。ほら、減ると滅びるは同じ字だ。と今、気付いただけだけど。ふむ、減ると滅びるは同じ字だが、増えると栄えるは違う字だな。それとも盛えるかな?
while (true) { if (トスカ) { 歌に生き、恋に生き } else if (20世紀最後のサラリーマン) { 24時間働けます } else if (ジャックス) { 空っぽの世界 } else { 食う寝る } }この人生に対してlife_cancel()を実行してもデフォルトでは(おい)この人生がキャンセルされることはありません。 やっぱり、キャンセルポイントとしては、? どんなシステムコールだろ?
つまり核テロリストに対して核保有大国が断固たる態度を取って控訴戦をすることにしたってことか。
イラクがヨルダンに侵攻したとき、「おお、そのテがあったか」と思うまもなく秩序維持部隊にコテンパンにされて現在に至り、さあ、どうもってくのかなぁ、と興味しんしんではありますが。
韓国については、花岡鉱山や鹿島建設の前身(忘れちゃったけど)とかの事例があって、ソ連の政治犯なんかと同様にただで使える労働力とした経緯があるから、評価はされにくいでしょうね。台湾は、どうも、その後にやって来た国民党政権がすごかったため、昔は良かったと錯覚された側面があるという話を聞いた覚えがあります。
足踏みながら金を渡したら、感謝されなくてもしょうがないですな。
後進国という言い方は最近しないようだけど、やっぱり後から来てやがて追い抜く可能性がありそうな幻想を抱かせる言葉だからで、発展途上と言えば、途上ってのは永遠に続くものだから、永遠に現状が維持されるだろうという残酷な含意があるからか、と思いつき。
「稀な自国史観」というのは、微妙ですね。たまたま、こちらの評価が向こうの評価に近いものになったという可能性があります。
少なくても、民国のインテリを助けた事実がありそれなりの感謝をされてたんだから、やりようはあったはずなのに(南京政府とかやればできるわけだし)、特に当時最強の北方軍閥を敵に回したセンスの無さ(本当にバカだよな。これのおかげで息子が後先考えずに国共合作を迫って呑ませちまったもんだから、勝てるものも勝てなくなったわけだし)、これのせいでうまいこと大陸に入り込むことに失敗したわけだし、しかもリットン調査団とかを招き寄せるはめになって列強から警戒されて包囲網を作られ、せっかく手にした南洋まで失うハメになるとか、まったく子孫のために美田を残さない素晴らしい政治をしてくれたわけですから。
うまくやってくれてば、今だってハルピンの大豪邸に住めてたはずなんだけどね。と、これは個人的な恨みつらみだ。
しかも負けた場合のことを考えて、捕虜の扱いくらい国際法にしたがっておくくらいの知恵もなく、と挙げてけば切りがないくらい、それに加えて自国民に対してもひどい扱いしてたわけだから、その経験から周囲にもご迷惑おかけしたでしょう、あんなカスな国家だったわけでございますから、となるのも無理はない気がします。
まあ、薩長政府のしでかしたことで、おいらにゃ関係ないからいくらでもへいへい言えるってことなんだろう、と想像してみたり。
という見方を追加しておこう。
essaさんの書かれるものは、すごい影響力があるのだ、と痛感。
Windows Rights Management (以下 RM) クライアントは、RM テクノロジに基づく機能を提供するアプリケーションの実行に必要です。このクライアントをインストールすると、RM 対応アプリケーションは Windows Rights Management サービス (以下 RMS) と連携して、RM で保護された情報の発行や使用に必要なライセンスを利用できます。インストール後には、コンピュータの再起動が必要になる場合があります。
RMとはなんじゃらほい?
おおRMSのことか。よりによって著作権管理情報保護サービスだよ……
know your right.
まあ、数を集めることが重要なんだろうと、回答することにする。
で、考えながら埋めていき、最後の「送信」を押す。
反応がないぞ……
はいはい、input type="button"ですね。ブァカですか?
というわけで、わざわざスクリプティングを有効にしてやる義理までは無いので放置決定。
しかし、考えれば考えるほど、ブァカだ。最後になんなきゃ送信ボタン押さないわけだし、スクリプティングを有効にするのはページロード前だってこたぁ、知ってるんじゃないか?
書いてから気付いたら(手順からいきゃ普通そうだわな)、再ロードするしかないわけで、こっちの手間が倍増になるんじゃないかい?
だったら、pageの先頭に「この調査は最後にあなたの入力を疑ってスクリプトでチェックして差し上げますから、有効にしてちょ」と一言出せよな。
と書いたdivかspanを用意してonloadで消すように作るだけの手間だろうに。
と、書いてるうちにどんどん不快になってきたので、もう寝る。ぷんぷん
しかし、まあ、こういうブァカなページに出会ったらそのまま閉じりゃいいのに、わざわざソース見て、input typeをbuttonじゃなくてsubmitにしときゃスクリプト有効無効関係なくて誰も困らんのに、とか、ユーザー入力の手順とか考えて仕様を練り直したりとか、頼まれもしないのにやっちまうところが、ソフトウェア頭ということなんでしょう。
だいたい、アンケートの対象者がどういった連中か考えりゃJavaScriptの動作を前提にしてる時点で、だめだろう。
2000もそうだけど。
NTまでのパーティション戦略だと、C:\に2GBくらいとってD:\に残り全部割り当ててユーザー領域(Unixでいけば/homeってとこかな?)にするってのが比較的問題が無い方法だったわけで、これにはfdiskの制限(NTインストーラの制限かも)も絡んでたように記憶してるんだけど、違うかも。
って、お前はぷんぷんして寝たんじゃなかったのか? とインタラプト。
で、この2GBというのが、すごく困ったという話。
内容が無いのは、困ったままだからだったりするんだけど。
はい、もうおわかりですね。Windows UpdateでSPを当てたいのに、容量不足でにっちもさっちもいかないんですね。
無理矢理シャドウを消すってテもあるかな、いや、それはまずいでしょう。
うーん。自分のマシンなら、パーティション切り直しなんだが、それは時間からもリソースからも手間からもちょっと無理くさい。
Document and Settings全体の移動が簡単にできればどうにかなるか、というとどうにもならないみたいだし(消せるもの全部消した後だし)。
知ったかではなく、「強か」と書く。ってことは、「強か者」と書いて「したたかもの」と読む。なんとなく、これまで脳内で「つよかもの」と読んでた気がするんで修正をかける。
「強」とつくことから意味も「強くて手強いさま。また一筋縄ではいかないさま(大辞林)」が筆頭で、次が「強そうなさま。丈夫なさま。いかめしいようす(同)」と来るから、どうも、ボブサップみたいな人間を指すのが本来の意味のようだ。
これまで、「一筋縄ではいかないさま」のほうの意味で考えていたところから、権謀術数に通じているとかそっち系の意味に捕らえていたんだが。
元々は、したたか3人組として、アラファト、カダフィ、カストロとか、例のイスラエルの追放問題にからめて書こうとして、ふと、「したたか」とは何ぞやと疑問を持ったところから。
昨日書いたやつとは別件。
再起動を繰り返す。セーフモード、コンソールだけ、とにかく何を選ぼうが入力可能な状態になる前に再起動する。
電力供給を断ち切って、放置しても、同じ。
うーん、KB見てもとにかく、回復コンソールだというんだが。
うんざりしながら、XPのCDからブートしようと決断。
BIOSの設定を変えて1stブートデバイスをCDに変更。
ところが、ちょっと目を離した隙に、CDからブートして良いかというBIOSのメッセージがタイムアウトして、またもやHDからブートしてしまう……ってちゃんと起動してるんですが? なぜでしょう。
可能性としては、前回シャットダウン時にCDを参照するように「何か」がなっていて、それができずに再起動してたのかな?
とりあえず、エクスプローラからCDを排出させて、シャットダウン。
BIOSの設定を戻して、起動すると、あーら不思議、さっきまでの状態は嘘のように解消。何度でも正しく再起動可能になった。
……
しかし、現在、同じ症状が。ってことは、ハードディスクの障害っぽいなぁ。弱りましたね。
意外と、こっちかも。
でも、手順が面倒だしな。それに今更、こういう障害が出るとは思えない(が、予想を裏切るのはMSの常套手段)。
この他にも山ほど。考えてみたら、これらの膨大なKBの蓄積ってのは、デバイスの進歩(や追加)と拡張、それに対するドライバーの追加と拡張に伴うもんなんだから、イヤならオールインワンPCを買えってことだな。あるいは、常にデバイスを買い換えるか(All in wonder 128捨てて、All in wonder Radeon買えば良いとか)。それは、こちらには、嬉しいことではないな。
で、Lindowsはこのへんに対する覚悟があるのかと小一時間。少なくてもMSは末端はともかく、企業としてはその覚悟もあるし、まあ、頑張ってはいるとは思うんだが。
これは、IBM対Sun、SWT対AWT(Swing)、と見ていいのかな?
Emacs+JDEが好きなんだけどな。
1.4.2でSwingが改善されているから、NetBeansも試すべきなんだろうな、多分。でも、Forteの印象が強いからその気になれないんだよね……
論っていうほど意味があるわけじゃなし、いつも何か悪いことが起きれば、それはユダヤだったり九鬼一族だったり独占資本だったりするっていう決め付けのことだ。
HDの調子が悪ければそれはMSの陰謀だし(というか、Maxtorの陰謀だよな)、MSブラスターが流行ればそれはノートンやトレンドマイクロの陰謀だ。
というように、陰謀論というのは、非常にくだらないんだが、ここに新たな陰謀論を付け加えて見る。
Eolasのやつだ。
さて、MSは.NETだし、SunはJ2eeだし、IBMもSOAPの仕様作りに励んでるし、JAX-RPCはあるし、ASP.NETはあるし、じゃあ何がないかというと移行トリガーがない。
ブラウザーとHTMLで世の中が満ち足りている限り、スマートクライアントやJava Web Startがあっても、みんな、Apache+Tomcat+Struts/ASP/WebSpher/...で楽しくやっていけるじゃないか、何が悲しゅうてXML使ってRPCやらなきゃならんのだ?
でも、IEもJavaもインフラとしてばら撒いてるから、MSもSunもこれだけじゃ寂しいもんだ。
おおそうか、とW3Cで、ロゼッタネットで、リバティアライアンスで、そこら中で、みんなで相談して決めたんだ。
HTMLとブラウザーを無しにしようよ。
でも、Webサーバーはアリね。
今度はSCOと違って、みんなの利害が一致するよ。
ちょっと待った、とマクロメディアが水を差す。
大丈夫大丈夫、フラッシュ用のクライアントをWindowsに(とMS)、Solarisに(とSun)、Linuxに(とIBM)がなだめてやる。
とか、こんな感じだ。
そう言えば、FEALの仕様書って銀紙みたいな紙を使ってたな。今でもそうなのかなぁ。
まーた、偉そうにも実力に見合わないことを、想像で片が付くんじゃないかと……
というような悲観的な視点を残しながら、背伸びをしなけりゃ、身の丈も伸びない、あるいは、背伸びをしてこそ身の丈も伸びる、と自分に言い聞かせつつ、やっと始める気になった。
問題は、一体元ネタがなんだかわからないものがいっぱいあることだが、学術書じゃなくて実用書だから、そのあたりは素っ飛ばしで進めちゃえ。
セキュリティmemoからオリジナルのポインタ(先達の考察は今でも有効)を得たのと、高木さんの日記に触発されて、ちょっと追記した。
interace Converter : IUnkneown { } coclass Original { interface Converter; }っていうようなIDLがあって。で、こいつに、皮を被せるって感じ。
interface Converter : IUnknown { } colcass Wrapper { interface Converter; }なぜ、interfaceの名前が同じかっていうと、VBな人なら
Dim x as Original.Converter Dim y as Wrapper.Converterなわけだし、実際、メソッドシグネチャは違うんだけど(じゃあ、Wrapperじゃないけど、そのあたりは、最構成してるわけだし)、だって、Converterなんだからしょうがないじゃん。
namespace Original { #include "original.h" #include "original_i.c" } namespace Wrapper { #include "wrapper.h" #include "wrapper_i.c" } #include "converter.h"とするじゃん。
class ATL_NO_VTABLE Converter : ... public IDispatchImpl<IConverter, &IID_IConverter, &LIBID_...のとこで、IConverterが無いよ、エラーになるわけ。
using Wrapper; class ATL_NO_VTALBE Converter : ...とやっても、同じ。
public IDispatchImpl<Wrapper::IConverter, &Wrapper::IID_IConverter, &LIBID_...だめだめ。
時々行くイタリア料理屋(映画が見られる、先週廃業したやつとは別)の魚のランチを食べたら、本人が自覚症状がないままピンクの魚になってしまったという話を聞かされる。
で、その店に行ったのだが、残念なことに、誰も魚のランチは頼まなかった。
「ピンクの魚になっちゃった」という言葉で上の話は終ったので、語呂から突然、「真っ赤なトマトになっちゃいな」を思い出し、口にする。
「そりゃなんですか?」と訊かれる。
「えっ、童夢を知らない?」と思わず訊き返す。そっかー、そんなもんなのか。
しかし、考えたら元歌のコマーシャルも多少、記憶しているんだよね。でもトマトジュースかケチャップかまでは覚えてない。
ロバートスミスのギターが聴きたくなったが、CDが見つからない。
アベルガンスの真似をして、キャメラを振り子のようにして撮ったやつ。
ガンスはキャメラのキャッチボールだったと思ったが、効果は似たようなもんだ。
#この場合、カメラとは書かない。
いい加減にエコーアンドザバニーメン飽きた。この連中は飽きるんだよ。だから、手元にクロコダイルもポーキュパインも残って無い。売ってしまうからだ。当時のだと車に放置したせいでゲイムだけが残ってたりするんだが。再結成1作目と脱退後の妙なの(なんていうかサイケデリックファーズのジャケットに、ヒューコンウェル脱退後のストラングラーズのような嘘臭さがあってそれなりのできのような気もするんだが)を先日買ってずっと聴いてたら飽きたという話。
で、結局グールドのギボンズとかに戻る。
忘れようとしても思い出せない。というのはバカボンの中の科白。
井の頭公園。3年前くらい。
行進だ。
針をふりふり揺さぶりながら。
3頭? 4頭かも。たまに道を逸れるやつもいるんだが、基本的には隊列を乱さず行進だ。尻に鼻先くっつけて。
その後、日本リス、サル、鳥、子供(遊園地のことだ)見て戻ってきても、まだ行進している。
なんか、非常に得した気分になったのを覚えている。
その後、上野含めて7〜8回は見ることはあったが、あんな行動を見たのはあれっきり。
でも、生物学者じゃないから、その光景を記憶に刻み込むだけで完了。
今、TVブロスを読んでたら、タランティーノが夕張映画祭に言及していて、それで思い出した。
日本人の兄弟の故郷が夕張で、そこに遊びに来た台湾(か香港)の女の子。ビルの裏の階段。白い道。雪。夜。街灯。映画のポスターの商店街(青梅みたいだ)。勝手口じゃないな、縄暖簾かな、間口が狭い。スノーキャップ。吐く息の白さ。
ほとんどホームビデオのようにカジュアルで、映像もラフ(と言ってもパリステキサスのそのままビデオとは違って明白にフィルム)。道路の雪は白く光るし、空は夜だから黒い。その間を3人の若者がじゃれ合いながら通って行く。静けさと礼儀正しさとそこはかとない無軌道さ。
これ、誰の、なんていう映画だ? 全然、記憶にないんだが。
(30分経過)
こんな映画を撮れるのは台湾だな、多分。侯かな? いつ見たんだろう。
(30分経過。侯の字を調べてたら、夕張映画祭のページを見つけてそこで確認)
ミレニアムマンボだ。すごい傑作だ。半年も忘却していたにもかかわらず、突然、映像とその映像に伴う心象が浮かび上がってくるんだから、これこそ映画だ。
(10分後)
パリステキサスのはビデオじゃなくてスーパー8のような気がしてきた。ざらつき感が。
原子心母(嘘)。機会があったら聞いてみます。
In Cって聞いたことも聴いたこともありそうだけど、テリーライリーとかかな?
(続きは後)
で、Amazonの一緒に買ったCDとか見るとライヒだったりして、ミニマリスト(とは音楽家の場合は言わないかも。でもいいや、ライヒ、ライリー、亀ちゃん、グラス、ラヴリーミュージックとかひっくるめてこう呼ぶことにする)のようだ。で、僕はバラードにはミニマリストのようないかがわしさ(それは、インドかぶれのヒッピー臭さであったり、ニューサイエンスの似非タオイズム−とは言え、老子はいかようにも解釈できるから、別に彼らのタオがあっても一向に構わない−の持つ腐敗臭のようなもの)とは全然別のもの、たとえば明晰さであったり、単純にテクノロジーの持つ美しさ−ハイテクの元祖−艶かしさといったものに対する賛美であったり、を感じる。どちらかというと人間の技術能力に対する懐疑から自然回帰するのとは、対極の姿勢、技術に対して素晴らしいと感じる心の動きが持つ鋭敏さに対して、思考がそれに追いつけないもどかしさ、といったものを感じる。
それは、ハンガリー民謡の構造分析から、黄金率をすべてに当て嵌めようとする徹底した人工的な意思と、その人工性から引き出されるものが、ほとんど対極にあるとしか思えない非常に感覚的にしか聴こえない夜の音楽に代表される複雑さ。
なんてことは旅先のノートパソコンで書くには荷が重いので気がむいたら、また。
ちょっと目を離してたら小仏峠までマッカッカになっている。で、降りてしまう。っていうか、出口なしな状況の渋滞って嫌い。まだ国道のほうがまし(で、無駄な時間とガソリンをいつも使う)。
で、相模湖とか津久井湖のダムを眺めて16号線に回って八王子バイパス通ってとかやってるうちに、適当に崩れてきたから東八経由で帰る。
おとなしく耐えてれば90分くらいで済んだだろうに、結果的に180分以上使ってしまったのだが、微妙だな。時間は無駄にしたが、相模湖の水門は見られたし、津久井湖をはじめて見たうえに水門に架けられた橋も通れたし、八王子バイパスの闇(なぜ街灯を点けないんだろう?)とか。
一昨日というか実質は昨日だけど、いくらミニマルミュージックは嫌いにしたって、あんな書き方はないな、とちょいと反省。
っていうか、眼を閉じてとかカーブドエアーとかライリーなんかは寧ろ好きだったわけだし。でも、ヒッピー崩れとか感じて嫌っているのもまた事実。もっとも、十把一絡げにした物言いは乱暴かも。
感じている問題は、偶然にどれだけ頼るか、ということで、間違いとかを含む演奏のブレを計算ずくにしておいて複雑さを増すという考え方に対して好きになれない、という最初の方法論に対する嫌悪感と、そういうことを多分捨てて、テープのループと自分自身の生演奏でズレを生み出すライリーの(上で言及している僕が割りと好きなやつ)方法論、それからいろいろ取り込んでるグラス、レーベルカラーはあるにしろ、方法論は全然バラバラなラブリーとかを、一緒にしての物言いではないだろう。
などと言い訳がましく書きながら、しかし、ライリーの写真のグル風な衣装や、ラブリーのいかにも西海岸風な雰囲気(レーベルカラーだな)、にやっぱりヒッピー崩れだよな、とか感じて、それに対して嫌悪感を抱いているのも、どうしようも無い事実なので、どうしようもないところ。
ちなみに、それがバーミリオンサンズか、それとも題名を忘れてしまったけど、遠い星からのカウントダウンと奇妙な住居なんかについて書かれた小説か、いずかでに直接バルトークの弦楽四重奏曲について言及されていたはずです。
ほえー、ますます、どんな投稿者層なのか、謎と混迷は増すばかり。
つまんないですなぁ(と、18:00くらいには思ったが、今見ると、多少改善が見られてたり。っていうか17:00〜18:30くらいまでがひど過ぎたのかな)。
というか、ここ見ていると、文字通り額面通りでしかモノを考えられない人が多いようで不思議になってくる。レトリックとか文脈とか無いんだろうなぁ。それじゃあトランザクション処理なんかは任せられないな。
#どこまでが自社か他社かの微妙な線引きもあるみたいだな。
#って言うか、垂れ込み文がひど過ぎる例だからかな? しかし、垂れ込み文は取っ掛かりであって、主眼は「皆さんのリファクタリングに対する意見・経験をお聞かせください」であって、「垂れ込み者が会社人間失格かどうかをご批判ください」じゃないんだが、その程度も読み取れていないわけで。
ネットワークがslooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooow!!
上位回線が細くなった? それとも、虫が飛び交ってる? それとも小さめなウィンナ?
なんか書いてあるコラム。どう読んだって空疎な言葉の羅列のように見えるが、実は、当を得ている(と思う)。だから、元ネタがIBMなんだから、IBMはやっぱりすごいという結論となる。
もちろん、プロセスだけではだめで、データ重要。
だから、ここで書いてあるITとビジネスプロセスというのは、
ビジネスアーキテクチャ
データアーキテクチャ
アプリケーションアーキテクチャ
テクノロジーアーキテクチャ
の最上層と最下層をさしていて、当然、中間の2層も含んでいると解釈すべきなんだろう。
っていうか、OSI7階層の次は、EA4階層で決まりなんだろか?
「決まり」=コアとなるビュー。
TVブロスを読んでたら、キリンジが武道館公演をやるってんで、武道館の歴史特集とかが出てた。
で、ビートルズ武道館公演は開館(正力松太郎他議員525名の署名で建設されたそうな)から1年9ヶ月後で、当時TBSテレビの「時事放談」(ってことは相当な長寿番組だな)で細川隆元とかが「こ●き芸人に武道館を使わせてたまるか」「夢の島でやればいいんだ」とか発言して問題になったり、正力松太郎が「訳のわからない連中に武道館は使わせられない」と発言してもめたとか。
それを読んで、経済効果をぜーんぜん考えもせずに、見てくれの好みだけで「こ○き」とはブァカですな、と。鄧小平みたいに、「黒い猫でも白い猫でも金持ってくる猫は良い猫だ」とか言えないのかと小一時間、とか考えていたら、essaさんのとこ経由で趣旨としては「文化面でも評価していたのだった」だけど(って言うか、上にブロスから引用したのがそのまんま出てるし)、経済効果をもたらしても日本では相手にされないとかを読まされて、いろいろ考える。
どうも、この例もそうだが、国家に本当に寄与(そりゃ、国庫を豊かにするってことだろう)した人間を評価しない国というのは、おかしいな。
逆に、国家に寄与しなかったどころか社稷を失う(そりゃ、国庫を空にするってことだ=ろくな戦略もなしに戦争しかけた)原因となった連中を、きっちりと問題視しない歴史の教科書も変だよね。人道問題は道徳の時間にやれば良いんで、社会の時間は、政治と経済のありようについて語るのが筋だろう。
現在のキューバやリビアのありよう(駆け引きという面からは北朝鮮だって遥かにうまいことやっているようにすら見える)を見れば、ABCD包囲網(というか、そもそも、北洋軍閥をすぐばれるような方法で敵に回した時点からだめなわけだが)があったからといって、新高山に登る必要はないわけだし、では、どのようにすれば良かったかを考えるといった授業を本来はすべきだろう。
別に台湾の人々が忘れ易いわけではなく、実際に日本人の植民地統治下にあったのは台湾人であって、中国人ではなく、そして1949年以降、台湾を統治していたのは、中国人による国民党政府で、こちらは共産党とのバランスから日本に賠償を求めないとかいろいろ作戦があった(というか、賠償を求める必要もないほど富を抱えて逃げたわけだし)という点を忘れちゃいけないな。で、毀誉褒貶はあろうが、1980年代末に李登輝の一種の宮廷革命(彼は台湾人の国民党員)によって、やっと主権が台湾人の手に戻ったということだから、旧悪に対する糾弾の直接の対象は2代前の日本ではたまたま無いというだけの話だ。
しかし、玉井事件とかの有名な事件も、インターネットでは見つからないもんだ。
民進党の略史(十分に公平な書き方をしている)で、もう1つの隣国、台湾の現代史でもどうぞ。
そっか。日本人は頬被りしているから、玉井(これは日本名だ)事件で調べても出てないってことか。「西来庵事件」(タパニー事件)だな。幼児まで撲殺した、相当、鬼畜な事件だったようだけど、あっさり書かれているのは、あくまでも前史だからだろう。
我々が何をしたかを、知っていることは、これっぽちも自虐史観とは関係ないことだ。
しかし、知りもしないで開き直るのは、みっともない。
_ arton [おい、北洋じゃなくて東北だろ。全然、間違ってるぞ。]
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_ むらまさ [チェコアニメファンです。トルンカの「皇帝と鷲」ですが、観たいのですがDVD化されていないようで残念です。ちなみに、レ..]
_ arton [ありがとうございます。本当に、全然、関係ないんですね(そもそもRとLが違うし)。なんとなく、レンフィルムの配給用に設..]