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日々の破片

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2024-04-20

_ マシュー・ボーンのロミオとジュリエット

シアターオーブでマシュー・ボーンのロミオとジュリエット。

途中、エスカレータから下を眺めたらボウリングのピンが見えて、まだ残っているのかとちょっと驚いた。

プログラムを買って、冒頭のインタビューを読み始めたら、パリスはジュリエットの友人のフレンチーに変えたとか言っていて、完全な読み替え版なのかと知って、そこまでで読むのをやめた。読み替えは読み解いてこその読み替えだ。

子供とわずか正味1時間30分にまとめるのだから、もしかしてロミオが旅立つところで終わるんじゃないか? とか話す。が、実際に観たら時間軸では中らずと雖も遠からずだったが、そんなことはどうでも良いほど異なる物語となっていた。

とにかくモダンバレエを観ると言うのは筋肉と人体の美を観ることだなぁと痛感。素晴らしく美しいのだ。おまけに短く、かつ小編成用にまとめたプロコフィエフの音楽も美しい。

舞台はベローナ大学(instituteなのでMIT的には大学だが高校くらいかな)寄宿舎。

・白い服や従順に踊り続ける学生たちの姿から、どうにも私を離さないでが思い浮かぶ。

わたしを離さないで (字幕版)(Andrew Garfield)

(というか、英国の若者を描く作品ってやたらと寄宿舎が出て来る印象がある。そのくらい背景としてコンテキストが共有されているのだろうか。ハリーポッターですら寄宿舎が舞台と言えなくもない。長距離走者の孤独は似たような収容施設だが寄宿舎ではないか)

ティボルトは強圧的な寮監でジュリエットを犯している。止めようと足掻くのがフレンチーだな(というか、パリがフレンチというスライドはおもしろいような単に安直なような)。

両親の邪魔になったロミオが入寮してくる。神父と乳母の合せ技のような先生がダンスの時間にロミオとジュリエットをくっつける。

二人は惹かれ合う。

そこにティボルトが乱入、ジュリエットに手ひどく振られて泣きだしたところを学生たちにバカにされて激怒して銃を取り出して暴れ始める。逃げ惑う学生。当然のようにマーキューシオはころされる。

激昂してティボルドに迫る学生たち、拳銃を取り上げる。拳銃を撃とうとするベンボーリオかロミオ(はっきりいってこのあたりで誰が誰か黒いティボルト以外は良くわからなくなってしまった)だが、撃てない。代わりにジュリエットと一緒にベルトでティボルトを絞め殺す。綱引きのように絞め殺すのを手伝う学生たち。

逃げ遅れたロミオが捕まる。拘束着で連れ去られる。放校処分かなぁよくわからんけど警察は出てこない。両親の元に送り返されるが暴れて学校へ戻るのか、そのあたりも夢なのかよくわからん。

神父+乳母=先生の計らいでジュリエットはロミオが監禁されている部屋に入り一夜を過ごす。

しかしその一夜がジュリエットにティボルトの恐怖を蘇らせる。

執拗に追ってくるティボルトをジュリットはナイフで刺す。刺されて倒れるのはロミオだ。二人は最後のパ・ドゥ・ドゥを踊る。ジュリエットは自分の腹を刺す。

寝台の上で複雑に絡み合う二人。冒頭の不可思議なオブジェは二人の亡骸だったのか。学生たちが連れ出す。

幕。(結局まだプログラム冒頭のインタビューは読んでいないから誤読している可能性はある)

・最後のジュリエットの悲劇は化物語(原作は読んでいないから知らんが、マンガ版)の星空の下でひたぎが暦に話す内容の実現だ。

化物語(1) (週刊少年マガジンコミックス)(西尾維新)


2024-04-24

_ 2024年版WindowsでRuby 3.2のタールボールビルド方法

・sedとbisonが必須。

GnuWin32だとインストーラ付きだとbisonのバージョンが古い(新しいのも探せばある)ので、Chocolateyを使う。

choco install sed

choco install winflexbison3

それぞれ妙なところにインストールされるのでPATHを通す。

set PATH=c:\programdata\chocolatey\lib\sed\tools;c:\programdata\chocolatey\lib\sed\tools\winflexbison3\tools;%PATH%

bison.exeはwin_bison.exeという名前になっているので、リネームしておく。(おれはcopyで元のexeはそのままにした)

・必須ライブラリ

GitHubのmasterブランチから(まだタールボールに入っていないので)vcpkg.jsonをタールボール展開ディレクトリにコピーする。vcpkgは事前にインストールしておく。(@hsbt GJ!)

vcpkg --triplet x64-windows install

DLLをロード可能にしたりする。

set PATH=(rubyのルート)\vcpkg_installed\x64-windows\bin;%PATH%

set INCLUDE=(rubyのルート)\vcpkg_installed\x64-windows\include;%INCLUDE%

set LIB=(rubyのルート)\vcpkg_installed\x64-windows\include;%LIB%

cl.exeなどはVisual Studio 2022 Communityをインストールして、x64 Native Tools Command Prompt for VS 2022などを開けばOK。

3.2.3は上述の方法でnmakeできたが、3.3.0は失敗する(どうもRubyのライブラリの読み込みに失敗するみたい(c:/Users/〜/ruby-3.3.0/tool/lrama/lib/lrama/counterexamples.rb:1:in `require': cannot load such file -- set (LoadError))だがとりあえず放置中。RUBYLIBとかセットしてもだめなので良くわからん)

もっとも3.2.3もnmake installでcannot load such file -- fileutilsとなるから結局は同じことになる。クリーンインストールはできないのかな。

追記)しょうがないので、binとlib\ruby\3.2.0を作って、.ext\commonやら.libやらをツリーを維持してコピー。rbconfig.rbはタールボール展開ルートにあるのでそれをコピーしてフェイクなインストール済みRubyを作ってnmake installして完了。(以前は、Rubyが存在しない環境でもbisonかbyaccあたりがあればインストールまでできたと思うのだが、gemに委譲した関係かな?

_ Emacsのshellモードでirb

3.3.0になってさらに何か変わったらしく、3.2.0のときの.irbrc

IRB.conf[:USE_SINGLELINE] = true

としてもプロンプトが1文字エコーバックする都度だらだら出て来るので全然使い物にならなくて、しょうがないから3.2.xで過ごすしか、となっていたのだが、そうは言ってもやはり3.3.0にアップデートしたい。

しょうがないので、irbのソースを眺めて、エコーバックを行うのは、InputMethodというクラス群で、StdioInputMethodなら余分なことはしないということがわかった。

で、trueに設定するとReadlineInputMethodをrequire 'readline'してロードできなければRelineを使うというところまでわかった。

だったら、true以外の真に設定すれば良い。

というわけで、

IRB.conf[:USE_SINGLELINE] = 0

で解決。

しかし、なぜ3.2.xでは問題ないのだろうか? と不思議になって調べると、3.2.xはreadline.soがあって、これを利用するReadlineInputMethodはEmacsフレンドリーなのだが、3.3.0はreadline.soを作らないのでReadlineInputMethodがRelineを使うのだが、これがアンチEmacsフレンドリーなのだった。GNU Emacsのshellモード内ではGNU Readline互換ではないということか。(が、Gemでインストールする気にはならないのでStdioInputMethodで問題なし)

基本、Emacsの中でしか入力はしないからReadlineが無くてもまったく問題ないのだが、たまにシェルの中で使うときはirb -fで.irbrcの読み込みをスキップさせてRelineを使う。


2024-04-27

_ メトライブビューイングの運命の力

レオノーラがリーゼ・ダーヴィドセンだし指揮はヤニックネゼセガンだしで、運命の力を観に東劇。

以前新国立劇場で観てひどい話だと思ったが、メトのトレリンスキによる新演出はうまく再構成していて(あと字幕の翻訳家の改変(用語を中世から現代に置き換えたりする。たとえば4幕で兄貴がメリトーネの誰何に対して「おれさまはカヴァレロだ」と身分を明かすところの「カヴァレロ」を「紳士」と訳すとか。もちろんメリトーネは「け、何が紳士だ、ぜいたくな。今日からお前の身分はごろつきだ」とかぶつぶつ言うのだが、この男が長じてトスカの堂守になるのだろうというか、オペラ的には修道院の下っ端はそういうものだという了解があるのだろう)の仕方がうまいのだと思う)、まったくおかしくない。イル・トロヴァトーレのほうがよほど無茶苦茶だ(運命の力は脚本をリゴレットの人が担当していたってのも大きいかも)。なぜ新国立劇場で観たときは異常な作品と感じたのか不思議だが、おそらく最初のレオノーラの父親の殺しっぷりがあまりに印象的だったからかな?(あと、修道院の描き方によるのかも知れない)

演出上の最大の工夫は、レオノーラの父親と修道院長を同じ歌手に割り当てたことにある。それによって、修道院の決闘を親父が眺めるとか、最後の修道院長の言葉を親父に重ねるとかが実に効いている。

それ以上に抜群なのが4幕冒頭の修道院による施しの場で、戦争によって大量に発生した被災者への食糧配給を、新自由主義に凝り固まったメリトーネの、働かないくせに飯を寄越せと権利ばかり主張する乞食いや犯罪者ども(不正受給者)といった罵りや扱いが極めて現代的な情景として浮かび上がってくるところだった。

歌手はまったく素晴らしい。メリトーネが端役ながら存在感抜群なのは上述の演出のせいもあるだろうが、ドンカルロのゴロヴァテンコはもとより、ブライアンジェイドのアルヴァーロの陰影ありまくりの歌唱も絶品、リーゼダヴィトセンのちょっと鼻にかかるような音は気に食わないがしっかりとした特に高音の美しさは見事だ。メト的には第2のフラグスタートなのかなぁと思ったが、レパートリーを増やす方向でブッキングしているのも興味深い。

幕間で、珍しく合唱指揮のパルンボが長いインタビューに応えていてこれまた興味深い。なんか眼鏡白髪の頑固者っぽい印象(もちろん合唱がすばらしいということは指揮者が抜群なのだろう)が新国立劇場の三浦に重なる印象があるのだが、2幕の合唱の移り変わり(最初は荒くれものたち、最後は修道僧による「オルガン」と表現していた)についての音楽としての構成の見事さや修道僧による合唱の美しさについての力説っぷりや、「さあ、度肝を抜かせてやろうぜ」(不正確)みたいな団員への激励とか、観ていて実におもしろかった。

良いものを観られた。


2024-04-28

_ デカローグ1と3

新国立劇場のピットでデカローグの1と3.

1は大学教授?(言語学かCSのような導入部の講義がある)の父親と息子の話。母親は出張中でクリスマスに帰る。父親は妹に子供の面倒を見させる。コロンの香りを漂わせて帰宅する。

子供は池でスケートをしたい。父親は割れる心配をしているので止めている。

しかし連日氷点下10度の日が続き、父と子はコンピュータを使って予想される氷の耐荷重を求める。父は本来クリスマスイブまでお預けだったはずのスケート靴を子供に与える。

犬の死体や腐った牛乳など最初から不穏な空気が漂う不思議な空間の物語だった。

3はクリスマスイブ。タクシー運転手の父親がサンタクロースに扮して家に戻る。子供は大喜びする。妻と二人でワインを飲もうとしているところに来客がある。父親は出かける。

3はあまりにも来客が一方的であまり見ていて気分は良いものではない。タクシー運転手は禿頭初老の冴えない男に扮しているので、妙な生活感がある。そういった演出の細やかさもあって、気分は良いものではないが、演劇としては抜群におもしろい。

タクシーは何度も危険な運転をしながらクリスマスの夜を彷徨う。

最後、男は妻の元に帰る。


2024-04-29

_ デカローグ2と4

昨日に引き続き新国立劇場のピットでデカローグの2と4

2まで(といっても通算では3話目だが)見ると、さすがに同じ団地というか集合住宅を舞台にしていることはわかってくる。

今度は医者の家に最上階に住む非常識な女性が殴り込み(という勢い)でやってくる。先生、私をご存じですか? 昨年、私の犬を車で轢き殺した人ですよね。

という3に引き続きとんでもな女性の襲来話である。

彼女の夫は医者の病院に入院している。彼女は犬を轢き殺してろくに謝罪もしていない(ように見える)のに厚かましくも来院の予約もせずに容体を聞こうとする。医者はいろいろ思案するが結局は教えることになる。わからない。

どうも彼女の夫は癌らしい。そして彼女にとって死ぬか生きるかは大きな違いらしい。

医者がわからないという正しい答えをいくらしても彼女は納得しない。ついに、自分が妊娠していることを告げる。死ぬなら産む。生きるなら堕ろす。今が堕胎のための最後のチャンスなのだ。

70年代の欧州の映画が元だよな? と一瞬に疑問に感じたが、旧共産圏は欧州と異なり、女性の自由の一環として中絶の権利を認めていたことを思い出す。

彼女は産婦人科医を予約する。手術の当日になって医者は決心する。死ぬから産みなさい。

が、世の中、思う通りにはならない(1がまさにそうだった)。しかし、それはそれで更に思う通りにはならないので意外なハッピーエンド(苦味はある)。

幕間で子供が、ポーランドは浮気がデフォルトなのか? ともっともな疑問を呈する。とは言え、4は父と娘の物語だから(タイトルが)さすがに浮気はないだろうと思ったら4も浮気の話だった。

娘は演劇学校(の超名門らしい)に通っている。父親はしょっちゅう出張していて不在なことが多い。舞台には黙役の若い女性がいろいろちょっかいを出す。彼女が置いた封筒が回りまわって娘の手に入る。死んだ母親からの手紙だ。

娘は父親を問いただす。私の父はいったい誰なのか?

しかしすべては娘の謀だった。二人は手紙を焼く。しかし途中で焼くのをやめて読む。肝心なところで焦げてしまって読めない。

心理劇としてはうまくできているとは思うが、ちょっと気持ち悪い話でもあった。途中、池にパルジファルが出てきて白鳥ではなく白い凧を上げる。


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