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オーム社の森田さんから新装版の達人プログラマーをいただいたので、ピアソン版と見比べながら読み返してみた。
2回目だと、1回目よりも意図が良くわかるというよりも、おそらく旧版で読んだ時よりも経験値が上がったからか、うーむなるほど、さっそく真似しようと考える点が新たに出て来て新鮮だった(完全に何をいまさらな話なのだが、自分でも信じられないが図2.1(確かに良く似た図はしょっちゅう書いているわけだが)の意図を今更ながら再認識してしまった。明日の仕事が増えた)。
というわけで、信じられないが(実際の仕事っぷりを見たわけではないから、アンディハントとデイブトーマスがそんなに凄まじい達人とも思えないわけだ。というわけで、おそらくwww.c2.comまわりのコミュニティの知識を集約した本と考えるのが筋なのだろう)、組み尽くせぬ泉のような本(おれにとっては2章、4章、5章、8章が特にそうだ)なので、以下の人はすぐに買って読むべき本だ。
で、ここで読むべき人について書くわけだが、おれは非常に懐疑主義者なので、本書の「まえがき」にある素直な「誰が本書を読むべきなのか?」は正しくないと考える。ここには「より効率的、そして、より生産的なプログラマーになりたいと願う方々のためのものです」とあるが、それはおそらく間違っている。
そうではなく、次のページに続く「達人プログラマーになるためには?」に書かれている2つのTip(旧版ではヒントとなっていて、16年の間にTipがヒントに取って変わった日本語の変遷にも少しは思いを馳せたいものだ)に当てはまる人が読むべきだと思う。
・自らの技術に関心をもつこと → 自らの技術に関心を持っている人
・あなたの仕事について考えること → 自分の仕事について考えている/考えられる人
ということだ。これが最初になければ、そもそも達人プログラマーを読もうと考えるわけがないし、与えられても図が少なくて読みにくいといった感想しか持たないのは当然だ。
では、旧版を持っている/読んだ人に新装版が必要か? というと、必要ないと思う。
判型が小さくなって読みやすくなったという利点はあるが、基本、同じ本だ。
違いは、新たな読者のために相当な配慮を訳者の方がされているという点だ。
たとえば、端的な例として、ソースコード管理ツールについて本文はオリジナル通りSCCS(というかSYSVを使っていたおれですらRCSをポートしていたくらいに誰も使わないし、今は完全消滅だ)としているが、チャレンジの訳注で筆頭にGitと書いてある。もちろん、付録にも。(かといって付録は必ずしも補足されているわけでもない。訳注にはWindowsのシェルとしてPowerShellとbash on Windowsが出ているが、付録のDOS上で稼働するUnixツール(PowerShellは当てはまらないから良いとして)は昔通りUWINとCygnus CygwinとPerlパワーツールのままだ)
本文に手を入れている例としては、「柔軟なアーキテクチャ」(P.52)で、ソフトウェアのターゲットについて自問すべき例として「どのブラウザのどのバージョンを対象にするのでしょうか?」(その前にあれ? となるもっと極端な例が追加されているけど)というのが入っている。
でも、15年前に旧版を買った人のポートフォリオには15年前の本に書かれたものが積まれているはずだから無問題だろう。
新装版 達人プログラマー 職人から名匠への道(Andrew Hunt)
それにしても良い言葉が多い。
「トラッシュにするのではなく、クラッシュさせる」
まったくその通り。例外を握りつぶすくらいなら、コンソール(リダイレクトされている前提で)にスタックトレースを吐かせるほうが1億倍良い。中途半端に動き続けてデータベースを破壊するくらいなら、止まるほうが100億倍ましだ。
「枠にとらわれずに考えるのではなく、枠を見つけ出すこと」
正しい。まったくその通りだし、実にうまく表現していて感心する。
本屋に行くと、岩波文庫のコーナーでシラーのドンカルロスが再版されていないか調べるのが日課なわけだが、もちろん無いわけだが、ナディンゴーディマのジャンプという短編集が目についた。
ドン・カルロス―スペインの太子 (岩波文庫 赤 410-4)(シルレル)
ジャンプといえばボウイの歌を思い出すし、南アフリカ(ナディンゴーディマは南アフリカの作家と表紙に書いてある)の文学といえばクッツェーの夷狄を待ちながらが南アメリカ文学とはまた異なる味わいの呪術的神話的物語でおもしろかったので読むことにした。で、買った。
まったくクッツェーとは異なる文学だった。
むしろおれの親しんでいるところではガッサンカナファーニに近い。
ハイファに戻って/太陽の男たち(ガッサーン カナファーニー)
より近代人の心理を描いて、その人が住む社会の異常な制度との確執から生じる日常の歪みを語る種類の文学だった。ほとんどの作品はアパルトヘイト続行中の作品で、後ろのほうではマンデラ解放後の作品も含まれる(個々の作品の執筆年は書かれていないが、全体として1991年という微妙な時期に出版されたものだ)。
最初の作品『隠れ家』は政治犯として指名手配された男の逃走生活中の人妻とのエピソードで、読んでいて太平洋戦争中に徴兵忌避者として逃走する男を描いた丸谷才一の笹まくらを想起せずにはいられなかった。
なるほど解説によるとナディンゴーディマは「作家というものはある意味では第三の性であるといえる。女性だから男性は書けない、女性しか書けないというのは、真の作家ではない」と語っているそうだが、その通りなのだろう。傑作だ。
というわけで、冒頭の作品が見事なものだったので結局そのままどんどん読み進めて読了してしまった。
続く「むかし、あるところに」は児童文学を書けという依頼に対しての作家の所信表明から始まり、そのまま児童文学の姿をした寓話に入る。まるでサキの作品のような結末に至るのだが、痛烈だ。
そして村を破壊された人々の国境を越える旅を描く『究極のサファリ』では、ローティーンの希望に満ちた少女(ローティーンで絶望に苛まされている主人公を描くほど残酷な作家ではない)の視点を主軸に置いて、希望も絶望もなくとにかく生き延びることと孫たちを未来へつなげることを強い使命とする祖母の闘争を描く。これも傑作だ。
唐突に、南アフリカへ移民した東欧に住むユダヤ人の時計職人と南アフリカ本国人の妻の生活と、その子どもが成長した後の東欧への狩猟の観光旅行をカットバックしていく『父の祖国』で、英語を話す本国人-東欧人-ユダヤ人-ジプシーの間の壁とそうとは書かない父親への思いのようなものを語り出す。
そして恐るべき『幸せの星の下に生まれ』が来た。これはものすごい傑作でわかっていても読了して震えた。
アイルランド人はなぜかお断りな家主の家に住む家族が、息子の長い留守中に部屋をアラブらしき国の異邦人に又貸しする。物静かでアルコールを一切口にしない異邦人と、家の娘の間に心の交流が生まれ、それは娘の中で恋に変わり……という物語を娘の視点で(しかし第三者の冷静な語りで)描く。
この作品はすさまじいものだ。
続く『銃の暴発する寸前』で、使用人を事故で射殺してしまった農園主、その仲間の反応、そして予想される海外メディアや黒人解放運動関係者の反応、何が実際に起きたのか、農園主と使用人の関係、使用人の家族それぞれの反応といったものを妙に突き放した語り口で描く。
この作品は間違いなく優れた作品なのだが、どうにもピンと来ないところがあり、それは読んでいるおれが「海外メディアや」の側だからなのだろう。だが、当事者には実に切実なやり切れなさのようなものが漂っているところが優れた作品だということはわかる。
母親が息子の活動に連座して逮捕されたことに対して北欧(かどこかはわからないが)に住む娘とその夫の夫婦関係のぎくしゃくを夫の視点で描く『家庭』はおもしろい。相当におもしろい。うまい作家だなぁと感嘆する。
そして『旅の終わり』というまたちょっと異なる視点の作品が来る。この作品はいろいろな面からおもしろい。カサヴェテスあたりであれば、見事な映画を作れそうだ。
で、再び恐るべき『どんな夢を見ていたんだい?』が来る。この作品は作家自身による解説だ。
ヒッチハイクをしようとするカラード(純黒人ではないので市民ではあるが、2等市民という扱い)の視点を通して最初語られる。
彼は外国人(本物のイギリス人)の若者と助手席に座る本国人の老婆(あるいは初老の婦人、読んでいて、作家の分身とわかってくる)の車に乗せてもらえる。あらんかぎりの話術を駆使してできるだけ目的地に運んでもらって、かつ可能ならば幾ばくかのお布施も欲しい。
そのうち彼は寝込んでしまう。
すると黒人解放運動のためにやって来たイギリス人が、この国についての質問を始める。
それに対して、長く民主的な黒人解放運動に携わっている老婆が、この場にいる3人3様の視点を包括して考え、説明する。
この作品は「恥」と翻訳されている感情について書かれている。
「聞いたことがあるでしょう? それは、"かわいそう"という意味だと思っているのよ。その人たちへの同情を表しているつもりなのよ。恥。」(おそらくhumiliationではなくshameだと思う)
しかし、それは日本語では「行動せずにはいられないほどの居た堪れなさを生じさせる申し訳なさ」とでも訳すのが良いのではなかろうか。
恥と翻訳した場合の英語の言葉の意味をもしかするとおれは勘違いしていたのかも知れない。もしそうであれば、「恥の文化」というのは実はとても高貴なものではないか。それはnoblesse obligeの源泉だからだ。
驚いたのは歯並びに対する説明と心理だ。おれも犬歯を残して前歯がない黒人少女の笑顔(だから口が開いているので歯の状態がわかる)というのは写真や映像で見たことがある。そういうことなの!? という驚きの説明。栄養状態とか歯磨きの習慣とか差し歯をする金とか技術とかの話ではなくむしろポジティブなものなのだ。本当か?
そして最も作品としての完成度が高いとおれには思える『体力づくり』が来る。
中流の白人男性が早朝のお決まりのジョギングをする。いつもは引き返す場所まで来るが実に爽快なので少し先まで進むことにする。
そこで日常が一変する。いやおうなくもう1つの現実を突きつけられる。
うまい。文学でここまで語ることができるのだ。
(おれは途中からずっと通奏低音のようにこの映画の映像が流れ続けた)
『釈放』。これは説明的な作品なのだが、希望を大きく取り上げている。優れたジュヴィナイル小説なのかも知れないが、おれには説明的に過ぎるように感じた。
最後が『ジャンプ』。
カットバックを徹底的に使って、ホテルの一室に丁重にかつぞんざいに軟禁されている男の過去を描いて、最後に現在の心境に焦点を合わせる。技巧的に過ぎる印象を受けるが、しかし、これも傑作なのだろう。ここまで『体力づくり』に少し出てくるが取り上げられていなかった側の心理のほうにフォーカスした作品とも言える。時代が変わったのでフォーカス対象が変化したのかも知れない。
1/4世紀前の作品ではあるが、世界は急には変わらないので今読んでも実に鮮烈だった。堪能した。
中学から高校にかけて、クラシック音楽を聴くということについて、だけではなく歴史の観方というもについても、おれが一番影響を受けたのは、柴田南雄だった(高橋悠治の影響も大きいが)。手元からは散失したが当時ビクターから出た作品集も良く聴いた。
特定の時代の作曲様式と、演奏様式の相関であるとかは、実際にレコードを買って(あるいは友人と貸し借りして)聴くことで実際に体験できる。
それは明らかだった。
後期ロマン派から無調への作曲家たちの移行と、コルトーのミスタッチというのはともかく、30年ずれて新古典様式の作曲家たちのスタイルに近づく演奏(戦後のバイロイトにおけるラテンスタイル(と呼ばれた東欧スタイル))、チャンスオペレーションや管理された偶然とそれに続く演奏の1回性に対する復権した名人芸や逆にレコードによる再再生を前提として何度聞いてもその都度に新たな発見をもたらすグールド、ミニマリスムや環境音楽に続く優美なヴィルチュオーゾたち、こういったものは全体としてどうかという見方をすべきで、個々の人々の違いで見るのではないといったことだ。
高橋悠治と違って生な政治的な発言はなかったが、その後唯物史観弁証法を学んで、根底にあるのは同じく産業要請による上部構造の変化という考え方だな、ということが見えてきた。しかしそこは重要ではなく、重要なのは、常に変化するのが当然であり、変わらないようにする努力はだめだな、という信念だった。大人は虎変する。
(というのと、カラスはカラスでフルトヴェングラーはフルトヴェングラーというのも別の話だ)
先日、twitterを眺めていたら東京文化会館のライブラリーが、柴田南雄の没後20年にからめてか、それとも別の話か覚えていないが、未読の「わが音楽 わが人生」について言及していて、そういえば、10代のおれに影響を与えた5人の筆頭といえば柴田南雄だなと思いだして読むことにした。
で、読んだ。
最初は、父方の系図と母方の系図から始まる。父方は俳人、歌人、医者の家系でこれはこれでおもしろく、一方母方のほうはそちらで明治の外交官というのはこういものですかという未知のおもしろさにあふれていた。閔妃暗殺に至るまでの日本政府の現場の自発性に任せるという責任逃れのうまさ(なるほど、ノモンハンも満州事変もこういう指示だったのだろうと髣髴させる)が唐突に読めるとは考えもしなかった(お母さんの誕生が三浦梧楼の回想録にも出てくる当時の一等書記官の娘で、そのためお祖母さんが暗殺後の騒動のために避難することになるとか)。」
それにしても日本人の名前はおもしろい。生年と印象的な名前。
1756 リト(里登)
1764 朖(あきら)
1892 維理(Willy)
1858 万長(つむなが)
1895 ナミ(別名 南美子)-余談だがおれの祖母は普段は松枝だったがどうも本名はマツだったような良くわからない不思議な名前なのだが、このナミという名前も漢字が別名というのが似ていておもしろい。明治には、女性は本名を確実に読み書きができるようにカタカナにしておくが、本当の名前として漢字の別名を用意しておくものが少なくとも一部にはあったのかもしれない。
そして本人の幼少期に移る。ここでは幼稚園(大正期)のエピソードが抜群で、それは日本の幼児教育の開祖とでもいえるらしい倉橋惣三の教育者らしい姿勢が見事だからだ。
小学生のころは病気療養のため千葉のほうに滞在したみたいだが、全裸藁を見て頑健で威勢が良いというようなことを書いている。
知らなかったが、大正末か昭和初年あたりに、暁星中学の靖国神社参拝拒否問題というのがあったらしい。カソリックの学校にそんなことを強制して断られるというようなことがあったのだな。
15年戦争中のエピソードは、いかに徴兵を逃れるかにあって、まあ、負けるとわかっていればそりゃそうだな、と思う。山田耕筰の戦中のふるまいには何か含むところはありそうだ。
敗戦の玉音放送を聞き終わって解放感に浸るところは読んでいて実に気分が良い。ここで、玉音放送は音声明瞭に聞こえたが、それと違う回想録しか目にしないのは不思議だと書いてあっておもしろい。ラジオは疎開先の隣の家のとか書いてあるから、特別に良い受信機とは思えないから、おそらく明瞭に聞こえては困るか、困ることにしたい人の声が大きいということなのだろう。
ところどころ語られていないことがある。一番大きいのは母親のことで、次がなぜ理研科学映画の仕事を長く続けるべきではないと考えたかだ。
桐朋を去る理由も同じように語られないのかと思ったら、こちらは語られていた。それにしても演奏主体教育だったとは、三善晃の時代とはずいぶん最初は異なっていたのか、それともこちらが知らないだけでやはり演奏主体なのか、ちょっと興味深い。
60年安保のときに所要で休講したら、学長(芸大)に呼ばれて国会議事堂前のデモに参加していたろうと怒られたというエピソードが語られ、どこからそういうデマが飛んだのか考えてみると、芸大閥と東大閥の確執に巻き込まれた(というか、読む限り東大卒の人たちは何も考えていないようだが)ようだとか、いろいろ大学勤めにうんざりしてくる様子も描かれる。事務仕事も煩雑で、どうして画を書く余裕がある美術系と違って音楽系はこうも冷遇されているのかといったような記述があり、結局退官して在野の作曲家になる経緯は、ちょうど敗戦時の解放感に似た印象を受ける。
トランソニックの話は孤立した活動を続けていたから誘われてうれしかったと書いている。そうなのだろう。
中村絋子や高橋悠治、小澤征爾のエピソードがちょっと入るが、いずれも良いものだ。
16章から冒頭の音楽史観の形成についてになるが、驚いたのは、どう考えてももっとも至極なのに、孤立していたらしいことだ。
音楽教育が偏ってしまったこと(明治に欧州から教育制度を移入するにあたって、音楽だけは除外したことから始まる日本での音楽教育の変遷も本書の柱の1つだが)が、人類の社会の歴史と、その中での文化の変遷という当たり前な考え方を欠落した人たちを作っているかのようだ。
わたくしの持論だが、テレビでも講座番組などは、出演者が自宅か自分の研究室にカメラを2、3台据え、それを自身でリモートコントロールしながら作成し、挿入すべき図版やVTRなども簡易な編集器を操作して、すべてを自分で編集するのが理想だと思う。
1952年のテレビ台本作法に縛られたテレビの窮屈さについて、なぜラジオには出演するのにテレビを避けるかの理由として書いている。おそらく1950年代からそう考えている。
先生、21世紀になるとyoutuberの時代で、その前にも(消えてしまったけど)ustというものもあったんですよ。couseraの授業はほぼ先生の理想の実現だと思います。
放送には出るが、聴取者にはまったく期待していない。というのは、あらかじめテレマンの曲を流すにあたって、古楽器の調律なので「ト短調の曲ですが、半音低く嬰ヘ短調のように聞こえます」と断っているにも関わらず、放送中に電話がかかってきて「半音ずれている」と指摘するものがいる。しかも新聞にまで投書している。(どうも自分の弟子の母親らしくて閉口)。お前ら説明を聞いていないだろう。こればかりは、永遠にこのままのような気がする。
1949年に次のように書いたら物笑いのタネにされた。
将来のある時期に、進歩した科学技術と工業力を極度に利用した非常に性能の高い楽器が設計されるであろうこと。その楽器はあらゆる種類の音の波形を合成し得ると同時に、いかなる音の組み合わせも可能で、しかも甚だ容易に操作し得ること。
仲間たちからは揶揄されたが、1920年代にテレミンが、1930年代にはトラウトニウムという電子楽器が発明されていて、実験的演奏のデモンストレーションが行われていたことは知っていた。1950年代初頭になったらケルンの放送局には電子音楽スタジオが稼働開始し、モーグシンセサイザーを経て、80年代には鍵盤付きの高性能のシンセが日常の楽器になっているじゃないか。今後、もっと発展するだろう。
上の1949年の文章の最後はこう締めくくられる。
今日の音楽芸術と他の姉妹芸術との間に横たわる最大の相違点、すなわち創作衝動が様式化される過程に非常に大きい摩擦抵抗が存在するという特殊性(中略)から解放されるであろうこと。
正しいよ、先生。
今や、楽器はおろか歌ですら歌手を頼む必要も自分で歌う必要もない。ここまで来たぜ。
音楽の特殊性は、作曲と演奏の分断にある。
柴田南雄のわが音楽 わが人生には何度か、演奏家にうんざりさせられているというようなニュアンスの言葉が出てくる。集合しないとか、練習をさぼるとか、新進作家や指揮者をなめてかかるとかだ。
同じことを(ラジオ局については異なったようだが)テレビ局のテクニシャン(ディレクターを含む)に対しても抱いていたようだ。
(少しだけ、アーキテクトとプログラマーの分断を考えてしまったが、結局のところ、最後は自分で考え、構成し、設計し、実装しなければならないということだ。音楽にもそれができつつあるのだから、まして最初からコンピュータとネットワークの中に閉じた世界でそれができないわけがない)
技評の細谷さんから羽生さんの「はじめよう! プロセス設計」を頂いたのでパラパラ読んだ。
とにかく図が多くて、明解だ。
ターゲットはビジネスプロセスを明らかにすることにある。そのために図を使いまくって仕事(語り得ぬもの)をプロセス(語り得るもの)に落とし込んでいく。
そうやって明らかになったビジネスプロセスはシステム化の射程に入る。(何気なくあとがきを読んだら、まさにそう書いてあった)
はじめよう! プロセス設計 ~要件定義のその前に(羽生 章洋)
ビジネスプロセスと言えば、以前Enterprise Architecture Using the Zachman Frameworkを読んだのを思い出した。
「はじめよう! プロセス設計」を読めば上位2層(最上位のスコープは自然とカバーされるので)については十分と思う(体感としての規模感)。
Enterprise Architecture Using the Zachman Framework (MIS)(O'Rourke, Carol)
で、本書の図を眺めているうちにいろいろ考えた(というわけで、以降は本書とはあまり関係ない)。
最近、あまりUMLという文字を見かけないが、どのくらい使われているんだろうか?
見かけないのは、あまりに当たり前に使われるようになったので、誰もあえて何かを言う必要がない(啓蒙期が過ぎた)ということなのか、それとも誰も使っていない(衰退期に入ったか過ぎたか)のか、どちらなんだろう。
UMLがおもしろいのは、えらくまちまちな粒度の図表が定義されているところで、そこがとても便利なわけだ。
ユースケース図を使って、何が何をさせるのかを定義する。
アクティビティ図を使って、「何をさせる」の内部の動作を定義する。
シーケンス図を使って、上から目線でおおざっぱなインタラクションを定義し、下から目線で細かな同期/非同期のインタラクションを定義する。
アクティビティの内部の状態変化をステートチャートで詳細化する。
その一方で、モデル図を使って実装用のモジュール分割を定義する(その前に配置図を使って、コンポーネントを定義(あるいは選択)していくというのもあったが、先にパッケージを決めるのか、パッケージの中身のクラスを決めるのかは、どうも流儀によるように見える。おれは関連するクラスを同一パッケージに入れて同一スコープで配置するべきと考えているが、もっと孤立させるのが好きな場合は、細かくパッケージを分けるのだろう)。
実際には、どの粒度でアクティビティ図を書くのか、シーケンス図を書くのか、配置図を書くのかは、ケースバイケースで相当異なるのだが、図がたくさん用意されていることは、いろいろな方向からシステムの全体像を考えるのにきわめて有用だ。
妻が食品サンプルの天丼作りに行くというので合羽橋に一緒に付いていった(本来は作成者1人あたり約3000円弱(2000円強かも)の参加費を払うのだが、付き添い1人OKということで付いて行ったのだが、どうも子供を参加させる場合の親の付き添いのことだったような気がする)。
合羽橋の裏通りの商店街なのだが早く着いたのでぶらぶらしていると、そこら中に河童が書いてあったり置いてあったりして、なかなかおもしろい。
(かっぱ瓦版)
閉まっている店のショーウインドウ。奇妙だ。
民家のようなよくわからない店(質屋さんかな?)の軒下。結構でかい。
なんか、どれもどえらく素人臭いのが新鮮なようなノスタルジックなような妙な気分だ。いちおうゆるきゃらっぽいのも定義してあるようなのだが(写真なし)、これもなんかベクトルが違うように感じる。
で、時間となって元祖食品サンプル屋の合羽橋店別館に行くと、教室っぽくテーブルが置かれていて、向かい合わせに1人ずつ位置につくことになる。
最初に簡単な説明がある。以前はロウで作っていたが、最近は塩化ビニール(だと記憶しているが、メモしていないので間違っている可能性あり)が主流。
今回作る天丼は、米はビニール、天ぷら(何か別の用語を使っていたが忘れt。具材ではないし何だったかな?)はロウのハイブリッドだ。
最初、丼を選ぶと、講師の人が発砲スチロールのスタブを入れて、上からロウを流し込んで上げ底を作る。固まらせている間にご飯づくりとなる。
米は米そっくりでおもしろい。
それをボウルに取って、ボンド(白くて固まると透明になる黄色いパッケージのボンドみたいがだ、多分違うメーカー)と良く混ぜる。混ぜたら、丼によそう(「ご飯をよそう」の「よそう」というのはどんな漢字なんだろう?)
次に天ぷらづくり。衣用のロウはあらかじめ60度で溶かして如雨露みたいな口がついた小さい柄杓ですくって50cmくらいの高さから40度のぬるま湯にそそぐ。エビ天用の長方形の衣はじぐざぐに垂らしていく。野菜天用の丸い衣はできるだけムラができるように輪を書いてたらす(ムラがあれば薄いところから中の野菜の色が見えて本物っぽくなるということらしい)。
そうやって垂らした衣の上に具を乗せてから指でつまんで引っ繰り返す。ぬるま湯から引き揚げて形を整え、あまった衣はちぎって後で天カスとして利用する。水につけて固めてバットの上に上げて乾かす。
レンコンだけは、衣でくるんだ後から穴の位置に菜箸を使って穴を開ける。妻はくそまじめに穴の形通りに穴を開けたが、衣なんだから微妙にずれてでこぼこしているほうがそれっぽいのではないかなぁとか思いながら見ていた。
それにしても、いちいち、微妙に本物の料理に似た仕草やプロセスがあって、そこがえらくおもしろい。
最後、うまいこと盛り付けて、そこに天つゆ色のロウをかけて出来上がり(ロウが固まると具材が固定される)。
四角い箱に入れてお持ち帰りができるのだが、最初にエビの尻尾にあたる角に固定用の紙を丸めたものを置く。(全4か所の角に置くために、4個ある)
尻尾があるので、後から入れるのはやりにくいからだ。妙なところがきちんとプロセス化されていてちょっとしびれた。
元祖食品サンプル屋の合羽橋店 食品サンプル製作体験(妻はメール会員になっているのだ)。
10:45に始まって12時過ぎになったので、三ノ輪に移動して土手の伊勢屋で本物の天丼を食べた。
ゴマ油の匂いが天ぷら屋っぽくて実に良い。エビ、アナゴ、イカのかき揚げ(このイカが実にうまい)のいずれもおいしいが(おれはロにしたのでアナゴだが、妻はイにしたのでキスだ。ハにすると両方入るがさすがに気持ちよく食いきれそうにはない)、特に、獅子唐が味を引き締めて抜群。
好みからいくともっとつゆは濃い(濃いってなんだろう? もっとしょっぱいほうが良いというわけではいし(しょっぱさはこれで十分)、もっと甘ければ良いというわけでもないのだが)ほうが好きだが、やはり(おれは2度目だ)おいしい。満足した。
おそろしく不思議な舞台だった。
指揮のパオロアリヴァベーニは、素晴らしく歌わせて、メリもあればハリもある(東京フィルハーモニーがそれにばっちりついて来る)のだが、異様にテンポが遅く感じる。
1幕では、指揮者のテンポが遅すぎて歌が破綻しているのではないかと思ったが、全編通すと、指揮はこれで良く、歌手がついてこれていないだけなのではないかという気になった。
とはいえ、2幕のムゼッタのワルツが実に素晴らしい。石橋栄実。上物を脱いで歌い出すとゴミゴミしたモンパルナスがムゼッタの独演場に早変わりだ。呆然とした。今まで観たボエームの舞台の中で最も輝かしい。
ミミはアウレリアフローリアンという人で、美しい声だし声調も好きなのだが、今一歩調和がないように思えた。太陽は私ひとりのもののところとか、なんだろう? 声も歌も良いのに、響きが不足している感じがする。
ロドルフォのジャンルーカテッラノーヴァという人は演技も歌も良いのだが、残念ながらおれの好みではまったくない声で、相当残念な感じだ。しかし演技はすばらしく、演出の粟國淳のうまさもあるのだろうが、4幕のミミ、ロドルフォ、ムゼッタのマフの贈り主を巡るやり取りで、こんな手垢のつきまくった作品で思わず貰い泣きしそうになってしまった(ロドルフォが自身の情けなさに崩れ落ちるところ)。
コッリーネは実に立派、パルピニョールが見事に通る声でこれまた立派(子供に、ロメオの人だと教えられる)。
舞台美術の良さは、3幕の番小屋がいつの間にかマルチェッロが働く居酒屋に変わるところと、最後の屋根が傾いて雪景色(出会いの冬に変わるわけだが、実際には5月)になるところに顕著な気がする。1幕、ベノアが左から来るときに、右に良くわからない帽子の男が来ているのが謎演出。ベノアの登場を衝撃的にさせるための仕掛けなのだろうか。
モミュスで右に陣取ったショナールとコッリーネが他の2人の客と一緒にいるのは良くわからない。なんぱした女性2人ならわからなくもないのだが、1人は帽子の紳士に見える。
舞台の上(歌手)と下(指揮)がどうにもずれているように終始感じたが、しかし、良い舞台だった(観られて良かった)。
前回観た時も演出に感心しているが、同じところで引っかかっているのがおもしろい。歌手は今回のほうがムゼッタ含めて良かったと思う。あと、コッリーネに対するショナールの呼びかけが印象的なのも同じだ。
帰り、車の中でクライバー版で聞き直してみる(指揮者のテンポが異様に遅く感じたからだ)。と、それほど違うわけではない。すると、歌手側とのインターフェイスの問題なのかなと思ったわけなのだった。
(音は最悪だし、パヴァロッティの声は嫌い(とは言えロドルフォとしてはテッラノーヴァよりも好き)だが、それにしても圧倒的に素晴らしい。そういえば、今日の観客はスカラの観客と同じく適切な拍手だったな)
一番好きな歌劇ではあるのだが、いろいろ不可解な点が多くもある。
一般論としてはお涙頂戴の下世話なメロドラマという解釈が普通だろう。
アキ・カウリスマキですらインタビューに応えて、プッチーニのせいで失われたあるべきボエームの姿を俺は描いたぜ、みたいなことを語っていた。
ラヴィ・ド・ボエーム/トータル・バラライカ・ショー HDニューマスター版(続・死ぬまでにこれは観ろ!) [DVD](マッティ・ペロンパー)
だが、結果論はそうかも知れないが、聞いていると、とてもそうとは思えない。
時代的な制約として、リコルディもプッチーニも、稼ぐためには楽譜を売らなければならず、そのためには美しい歌が必須だということがある。しかも、それを客の耳に残す必要もある。
ベルディはリゴレットで後半女心の唄を歌わせまくるという技を使ったが、ポストワーグナーの時代であれば、ライトモティーフとしていくらでも繰り返せられる。
かくしてラボエームの中では私の名はミミが流れまくる。結果、主役はミミとなり、主役が死んでしまうのだから、悲しい悲しいお話となる。
が、実際はそれ以上にタラララン、タラララン、チャン! という上昇して下降して止めが来る4銃士のモティーフが流れまくっているのだ。調子を解釈すれば、タッタタターノ、タッタ並みのずっこけ節だから、さしずめズッコケ4銃士のテーマとでも名付けられるべきものだ。
特に顕著なのは4幕で、どれだけ悲しい場面であろうとも、4人のうち誰かにスポットがあたると4銃士のモティーフが入る。普通に考えれば、すべてがぶち壊しになるほどの音の暴力なのだが、観ているとそうは感じない。
おそらく、プッチーニの構想はアキアウリスマキと同様に、ズッコケ4銃士のおちゃらけ生活を楽しく描く喜劇だったのだと想像する。ジャンニスキッキの作曲家でもあるのだ。もちろんミミは死んでしまい、それはその場では悲しいのだが、それすらエピソードに過ぎず(悲しむことすら楽しみだ)、4銃士の自由な魂は不滅と歌うはずだったのではなかろうか。
ベノアのところまでは良い。
そのあとも、鍵を隠したり(当然、そういうノリであるから、ミミは自分で蝋燭を吹き消すべきだろう、で、おっちょこちょいの隣人ですみませんとふざける)、口説くチャンスを逃さず手を取って、なんて冷たい手だとかおちゃらけるつもりだったのではなかろうか。
が、唐突に希代のメロディストが目覚めてしまい、しかも楽譜売りまくりの商売人の才覚が後押ししてしまい、どうやって生きているのかっていうと生きているけど気分は100万長者、私の名はミミだけど花は生きていない、なんと美しい人なのか、と、まるで4回転ジャンプを決めまくってしまったかのような超傑作の連発をしてしまった。あわてて、3人との掛け合い漫才(詩人が詩を見つけたようだ)とかを入れたりしてももう遅い。
天下のメロドラマになってしまった。
2幕はそれでも喜劇の性格を維持している。不自然なほど多重世界の物語を作り、片方でおもちゃ屋と子供のやり取りや軍隊の行進を入れて、片方でムゼッタとルルの駆け引きを入れて、同時にマルチェッロの意地の張り具合(おれは死んでいなかったの箇所はそれにしても素晴らしい)、なぜか急に恋愛評論家となるミミの世間ずれしまくっていることの明白化(1幕でも、ロドルフォの「一緒に居ない?」「友達に付き合うべきよ」「そのあとは?」「ふふふふおばかさんね」と、これっぽっちも純真な乙女ではないことを明らかにしているわけだが)と、これでもかとさまざまな要素を突っ込んで猥雑感を作る。うまいものだ。
3幕も、本来であれば、ムゼッタとマルチェッロの痴話げんかとミミとロドルフォの別れ話は同一比重でおもしろおかしく作るはずだったに違いない。が、ここでもメロディストの本能が目覚めてしまい、あの美しい春になったらお別れねになってしまい、ムゼッタとマルチェッロの罵り合いの印象が薄まってしまう。
なだれ込んだ4幕も最初のうちでこそズッコケ4銃士トーンを維持しているが、ミミが3人に挨拶するあたりからどんどん悲劇になっていってしまう。
唐突に外套に別れを告げたり、ショナールの役立たずっぷりを強調したり、実はムゼッタが敬虔だったりして悲劇調を打ち破ろうとするのだが、私の名はミミのフレーズを強調しまくってしまう(楽譜を買わせるんだ)ために、すべてがぶち壊されてしまう。
かくして、観終わった後の印象は、ズッコケ4銃士のおもしろおかしいその日暮らしではなく、詩情と美しい歌に溢れた悲しい悲しいメロドラマとなってしまうのだった。
どんなに印象的でも1日以上たったら忘れてしまうのかな?
前菜は真鴨の(多分)コンフィ。骨までしゃぶれるうまさ。よくわからないが素揚げの青い香草が付け合わせ。
スープは、カブのポタージュによくわからない葉っぱ(カブ?)。肉は豚の乳。最初フォアグラかと思ったら固くて、おや? と思って口に入れると脂肪がうまい。
次が赤牛を炙ったやつと牡蠣を揚げたもの。レタスみたいな見た目のもっと固い葉っぱが付け合わせだったかな?(あやふやになってきている)赤牛は実にうまかった。
柑橘系のすばらしく美味しいソース(実際はなんだったか? 2016/12/02追記 思い出した。バニラ)がかかっていたのはこれかな?(ソースの味は覚えているが、どれにかかっていたかは覚えていない)
またも赤牛かと思ったら猪。赤身で、これも赤牛なのかな? と思ったら猪(豚みたいな肉だとばかり思っていた)と知って意表を突かれた。
これはカリフラワーのココナツソースがかかっていたのは、猪かなぁ(覚えていない……)
鳥。ネギ。シイタケ。和風食材のフレンチ。
菫と(忘れた)のサラダ。スプレー式でバルサミコの香りが強いドレッシング。
醤油滓と里芋。
と、全体は忘れていることが多いのに、個々の材料はえらく鮮明。
どれも、肉と、野菜の組み合わせで、それが独特な香りでエンターテインメント性に溢れた、おいしくおもしろい料理で、実に楽しかった。
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