著作一覧 |
RESTの特性のサーバサイドステートレスという点にこだわりすぎると、CSRF自由自在となってしまう。というよりもどこからでも破壊的なメソッドを受け付けるようにしているのだから、CSRFではなく、単にそういうAPIだということだ。
それらのAPIの最初の時点で認証があれば、少なくともその操作を許可されているのだから(あるいは認証された領域外は許可されていないのだから)あまり考える必要はないと思う。
そうではなく、認証されていないクライアントが所定の遷移に従わなければ破壊的な操作を行えないようにするにはどうすれば良いのだろうか。
すると、HATEOASを使うということを思いつく。いきなり、POST/PUT/PATCH/DELETEできるというAPIでは無く、最初は必ずクライアントからのGETで始まるとする。そして各操作をeditリレーションのリンクで示す。たとえばGETするのが/book/{id}なら、破壊メソッドのURIは、/book/{id}/{key} (keyが破壊許可の識別子)とかすれば良い。
でも、これってセッションIDをパスに埋め込むのと変わらないか。
追記:deleteメソッドにリクエストボディを必要とするAPIみたいなかっこ悪いのはあり得ないことを前提として考える。というか、リソースの要素ではないものが、POST/PUTされるのは気持ち悪い。
オーチャードホールで、Kバレエ。ジュリエットはロベルタマルケスで、前回と同じ組み合わせ。
指揮者はいつもの福田和雄じゃなくて若手なのだが、冒頭2回目の解決の盛り上げ方とか、続く箇所のテンポの上げ方とか、新鮮で好きだ。
個々の踊りは前回よりメリもハリもついていて(子供が後からプログラムを読んで、前回は怪我からの復帰直後なので抑え気味だったのを今回直したとか言ってる、と教えてくれたので納得)、えらく見応えがある。
カンカンノウはあっさり気味(単に衝撃が薄れただけかも)だったけど、マルケスの可愛いさ=可哀想さとか、脚の上がらせ方とか上手いなぁと感心しまくり。トリオそれぞれも良く動いて回って楽しい。ただちょっと2幕は駆け足っぽかったかも。音楽の再構成については大公のモティーフ(だと思う)をキュピレットのほうに振るのはちょっと解せない気が今はする。にしても演奏がどうしてもバレエのオーケストラになってしまうのがなぁ。
前回も素晴らしかったが今回は輪をかけて素晴らしかった。
あと、カウフマンとかフォーゲルとか、キャンセル続出の中(リッシュのは集団だから慎重になるのはわかるけど)、来日したマルケスに感謝。
ヨーロッパの中堅どころで固めて、楽しいモーツァルトをみせてくれた。
演出はキャンプ場に舞台を移して、じいさんはキャンプ場のおっさん、姉妹の侍女はきのアルバイト、謎のイスラム教徒のかわりにハードロッカー(だと思って見てたが、プロダクションノートにはバイカーと書いてあるが同じようなものだ)、最後は喧嘩別れ(ここについてオリジナルを活かす解釈を昨日思いついたが忘れた)。
オペラグラスを使っている子供によると一番のイケメンはキャンプ場のおやじらしいがなるほど、グンターだ。
楽しみにしていたエレートは期待通りにひょうひょうと良い感じ。
つくづく劇場で観るモーツァルトは楽しい。
ロングポールは無限ではないので、どこかのタイミングでレスポンスを返す。あるいは、ブラウザ(の先のXHRの先のTCPソケット)がタイムアウトする。
どちらでも良いが、そこで次のリクエストを送る。ここに隙間が生まれる。当然の様にマーフィーの第五法則によって、この隙間でサーバーイベントがファイアされる。したがって、新たなロングポールも虚しく待ち続け、そして返って行く。
どうすればこの問題を解決できるだろうか?
ロングポールを2個使い、常にポールがかかっているようにする。
が、それは同一ドメイン2コネクション制限(を持つブラウザを前提し、かつ単一ノード複数ドメインを採用しない場合。いずれにしろクロスドメインのあれこれは面倒だから複数ドメインは採用しないのだが)を使い切る。UIによる中止動作や遷移をブロックしてしまう(そのUIイベントの先頭で、ロングポールをアボートすれば良い)。
サーバーイベントを滞留させて、隙間を新たなロングポールが届くまで引き延ばす(意味的には隙間を接合する)。
前者は出来れば避けたい手段だ。XHRの中断はリソースリークフリーか確信が持てなすぎる。出来ればレスポンスを受けて終わらせたい。
後者はバカみたくサーバの実装が厄介となる。DBへの書き込みイベントのような本質的に不揮発性の情報であれば、最後に受信した情報の続きを読めば(つまり、それがある限りロングポールではなく普通のよみこみだ)良いので話は単純だが、ここで問題としているのは、例えばセンサーによる検出のような揮発性かつ累積的情報だ。
と、書いてみれば結論は1つとなる。最後にポールによって得た累積値を持ってサーバーへリクエストを出し、既にその累積値と異なる値に変化していれば、その値を返せば良い。等しければ待ち状態に入る。DBのロウ追加の読み出しとそれほど違いは無い。異なるのは隙間が多数のイベントで区切られていても、最終状態のみしか受けられないことだが、累積値なのだからそれは問題とならない)。サーバーの実装は、元々累積値を持っているのだから何も難しいことは無い。
NHKホール。3Fの最後列なのでどんなものかと思ったが、さすがにオーケストラも歌手もちゃんと聴こえて来たし、むしろ正面から観られたので全体は良く見える。ただ、細部はまったく見えないし群衆が出てくると誰が誰かほとんど区別がつかなくなるのでゼッフィレリのばかみたいに大がかりな2幕の2階建て舞台は、ラッパ(フレンチホルンみたいだが)を手にしたショナールと外套を持ったコッリーネ以外はどこにいるのか、飯を食い始めるまでは皆目見当がつかなかった。
ミミはネトレプコが降りたのでドンカルロからのローテーションでバルバラフリットリ。昨年、トリノの公演でえらく気に入ったのだが、今回も素晴らしかった。
というか、まず幕が開く前にオーケストラはピットで勝手に練習しているものだがラッパが正しいのに驚く。本当は驚くべきではないのだろうが、しょっちゅうラッパがひっくり返る(練習中も本番でも)バレエのオーケストラに慣れているので、これにまず驚いた。
演奏は器楽だけだと普通なのだが、歌になると突如異様に遅くなる不思議な指揮(ファビオ・ルイージという人)。で、異様に遅いのだが歌手はうまいしオーケストラもうまいので、緊張感と陶酔感の両者が生まれて、それは見事なものだ。狙ってこういう造り方をしているのは間違いないから、すごいやつだ。正直80年代のマーラーでしか知らないので今は違うかも知れないけどバレンボイムのアメリカ版みたいなレヴァインより僕にはよっぽど良かった。
あと、舞台から遠いので逆に気づいたのだが、歌手の弱音というのは実に不思議だ。4幕で、ミミが私はミミを唄うところで、2回目の繰り返しでは弱り切って囁くように歌うのだが、これが小さい声でしかもしっかりと聴こえる。素人には(セリフなら音高を低くする方法となるし、歌だと声帯を鳴らさないように歌うことになるので)見当もつかない、不思議な技術だ。これまで、そういう技術が使われていることにまったく気づいていなかった。
4幕のチャンバラでコッリーネはベランダから隣家の屋根に飛び移ってバルコニーに置いてある植木鉢をショナールに投げつける、と高く外れてそれをロドルフォ(だと思う)がキャッチするとか、派手な演出。楽しい。
3幕は雪がちゃんと降っている。ここでも歌になるとテンポを落とすが、まったく破綻がなく美しい。というか、3幕がこんなに緊張感と美しさの両方がある幕だとは気付いていなかった。
2幕は派手な演出(ここだけはビデオで観たことがあったのだが、生で観ると迫力があるね。えらく遠くにだけど。パラピニョールがえらく派手)。
1幕でロドルフォが3人に呼ばれてベランダから下を見下ろすと、ミミも一緒についてきてベランダに出てくる。すると3人がヒューっと声を上げる演出がおもしろい(ロウソクとかは普通に消える)。特に2人になってからのテンポの落とし方が極端で時間が止まっているかのように進むのだが、歌手は息を切らさないしオーケストラはきちんと鳴らすので、異様に濃密。こういう演奏家を手にしたら指揮者としては何でも自由に造れて楽しいだろうな。
というわけで素晴らしい満足感を得られた。
というか、この指揮者どこかで観たことがあると思ったらホランダーの引退記念ガラのDVDだった。
ウィーン国立歌劇場ホーレンダー総監督フェアウェル・ガラ(2DVD)(DAMRAU DIANA (soprano))
(ジョルダーノのフェードラとロッシーニのウィルヘルムテルを振ってる)
人は自分のインセンティブを高めるためなら平然とダブルスタンダードをやらかしてくれる。
今、次の言明について考える。
文章はわかりやすさをもって本分とし、漢語はもちろんのこととして、倒置法、体言止めなどの本則を外れた表現、陽か陰かを問わず喩えを排除せよ、と。
でも。実のところその言葉を吐き出した同じ口から、次のような言葉が出て来ることがある。
もっとエレガントなコードを! パターンを! switchを捨てよ! 重複を排除せよ!
この口は頭が悪いのだろうか?
エレガントなコードは良くて、エレガントな文章は悪いのか?
だが結論を急ぐことはまったくない。
光あるところに影がある。
別の側には、非エレガントコードの推進派がいるのだ。
かれらの叫びに耳を傾けてみよう。
コードはわかりやすさをもって本分とすること。3項演算子はもちろんのこと、仮想関数は利用せずswitchに場合を列挙せよ、すべてのポインタ演算はこれを認めず、言語はVBをもって本則とす。
ああ同じだ。
同じ狭量と猜疑の発露だ。くだらねぇ。
どっちも愚かなのだが、インセンティブからは明白だ。
実際はわかりやすいもエレガントも確固たる評価軸はなく、想定する受け止め手の知的レベルとそれに対する自己の希少性で損益を分岐させているだけのことだ。
わかりやすさを求められたら一言、修業が足りないのだから精進せよと返せば良い。
だが、それでも表現如何にあるべきかを求める旅こそ人生なれば、人はエレガンスを極めるべきなのだ。
職場のWindows Server 2008 (非R2 x64)で、Dns.GetHostAddressesに引数としてstring.Emptyを与える。
foreach (var addr in Dns.GetHostAddresses(string.Empty).Where((addr) => { return addr.AddressFamily == AddressFamily.InterNetwork; })) { System.Console.WriteLine("me: " + addr); }
すると、127.0.0.1と表示される。うーん? と思わなくもないが、間違っているわけでもないので、そういうものと考えることにした。でも、実際には192.なアドレスがアサインされているのだ。
やりたいことは、IPアドレスやホスト名のリストがあり、そこから自分をポイントしているものを抽出することなのだ。
で、string.Emptyではなく、自ホストを与えると、それも127.0.0.1が返ってきたので、まあ、OKであるなぁと。(忘れないように!!:外部に公開しているIPアドレスを与えて試してなかった)
しかし、さっき何気なく家のWindows7 (x64)で似たようなことをやったらびっくり。
表示されるのが、DHCPで得たアドレスと、VirtualBox用の内部アドレスと……と山ほどだ。しかし、127.0.0.1は含まれない。
含まれていれば、別に問題はない。
元のコードは、リリースされるプロダクト用で、リストから得た各エントリーについてやはりIPv4アドレスを列挙して、いずれかが含まれるかを見るから、仮にlocalhostとか書かれていても正しく処理できる。
しかしWindows7で、Dns.GetHostAddressesにlocalhostを与えると127.0.0.1のみが得られる。したがって、同じプログラムは期待する動作をしないことになる。
さて、ある一連の文字列(ホスト名かドット形式のIPアドレス)が自ノードを示すかどうかを互換性を持つ方法で調べるには、どのようにすれば良いのだろう?
うーむ、以前やったなあと思ったら「NET Frameworkで自ホストのIPアドレスを取得する」だ。でも、これで問題があることがわかったので、今や、2008 Serverからhostsは消してあるのだが(自ホストだけを消してもだめなのかな? それともその後、復活させたかな? これも調べる必要がある)。でもこの方法だと自ノードのIPアドレスは取れても、与えられたリストからの取り出しで失敗(ホスト名では127.0.0.1となる)しそうだな(Environemnt.ComputerNameとの比較も行えば良いか)。
新国立劇場で蝶々夫人。プッチーニ好きなのだが、蝶々夫人は舞台初体験だけではなく、全曲の歌詞を読むのも初体験なのだった。
とりあえず、何よりも、オーケストラが素晴らしかった。東京フィルだが、いつもとちょっと違う。最初、ピットの深さが浅いのかと思ったが、そうでもないようだ。ピットの深さが気になったように、音がいつもより格段に鳴るのだ。音楽で人の心を動かすのは、一にメロディ、二に響き、三に音量だ。メロディは希代のメロディメーカーのプッチーニだから当然として、響きは曲のオーケストレーションのうまさに加えて見事な合奏、そして音がえらく鳴る、これで泣かなければ嘘だろう。
例えば、ある晴れた日にで、盛り上がったところで十分に鳴っているのがさらに一段鳴る、これは驚きだった。
最初にこれはすごいと感じたのは、ピンカートンが将来のアメリカ人の妻に乾杯とかふざけたことを言っていると、コーラスが聴こえて来て、蝶々夫人が出てくるところで、間といい、響きといい、音の盛り上げ方が実にうまくて、それはプッチーニの才能だと思ったのだが、今にして思えば、演奏が抜群だったのだ。
指揮者がすごいのだろう、と思ってカーテンコールで子供からオペラグラスを借りて見てみると、これが若造で驚く。とんでもない逸材みたいだ。イヴ・アベルという創世記みたいな名前で覚えやすい。
アマゾンで調べると若手らしく妙な演目で載っている。
ヴェルディ作曲 歌劇 オベルト ビルバオ歌劇場2007 [DVD] [Import](-)
歌手では、特に領事をやった人(甲斐 栄次郎)が良かった。演技力も重要なんだな、と、観ていて気づかされるうまさ(歌も良いのだ)。
舞台は階段と柱、散った桜の花をうまく使った象徴的な美術とまっとうなコスプレの演出で、これが地味に良い。舞台があまり出しゃばらないので、歌手の演技と歌が生きるのだな。
これまで観た新国立劇場のオペラでベストだ。
蝶々夫人は、何となくそのての職業+夫人の語感から間違って考えていたが、最初が15歳という設定で、数ヶ月ピンカートンと過ごして3年待つのだから、たかだか18歳で死を選ぶのだった。15歳という年齢と、激しく勘違いをしてしまい(結婚の社会的意味を誤解して)自ら死ぬというのが、14歳のジュリエットや、多分17歳より下のエリザベートなどと重なる。
とすれば、コジファントゥッティの爺さんが仕掛ける結婚前のゲームは、極めて正しい教育なのかもしれない(これもおそらく姉が15歳、妹14歳とかだろうから)なぁ、とかオペラの世界の整合性の取られ方に興趣を覚える。
それにしても、ピンカートンの徹底的な腐れ方の描写には、原作者のアメリカの女流作家のフェミニズム(の萌芽)を感じる。蝶々夫人が歌う、アメリカの法律では夫からの一方的な離婚は許されないや、結局事後処理の段取りはピンカートン夫人(本妻)とスズキに任せられるとか。
心優しいが、どうにも非力な領事の名前がシャープレスというのは面白いな、と思った。
歌詞がわかったところで、あらためて持ってるカラスのやつを聴こう。
蝶々夫人を聴いていて、うまいなぁと思ったのは、2幕だと思うが、蝶々夫人とスズキがなんとなく蝶々夫人の解釈に納得して、安心してピンカートンの帰りを待ちましょうと歌うところ。観客はそれが希望的観測未満と知っているし、スズキも人生経験に照らしてどこか腑に落ちないものを感じているし、蝶々夫人も心の片隅で疑惑が沸き始めているのを感じている。
だから、希望に満ちた明るい歌なのに、フレーズの終わりがすべて未解決のまま取り残される。
ここを聴いて、つくづくとプッチーニの巧妙さに感心した。すごくわかりやすく、しかも美しい。
NHKホールでメトロポリタン・オペラのドン・カルロ。
ドンカルロはカウフマンが降りたため、ヨンフン・リーという人。声も良いし良い男なので、まあ、それほどがっかり感はない。
エリザベッタは、フリットリがラボエームへ回ったため、ポプラフスカヤという人。広いNHKホールでちゃんと通るのは立派だし、まっすぐ気味の好きなタイプの声。ただ、なんとなく新国立劇場なら良さそうだが、微妙に期待ほどではないような。(オーケストラはやはり良い。というか、合計4時間くらいの長尺物だし金管使いまくり(1幕で狩の金管とホルンの掛け合いをやるは、3幕とかでは鳴りまくるは)だしで、確かにこういう音楽については、国内のオーケストラはちょっと辛いのかも知れない。)
むしろ、ロドリーゴと王様の歌手が素晴らしいできだったと思う(拍手も多かったような気がする)。
お話はとんでもない(さすがにイルトロバートレほどではないが)悲劇で今回初見なうえ、話も初めてで結構つらいものがあった。というのは3F一番奥からだと字幕がさすがにすべては終えないからだ。まあ、時代背景がわかるのでコンテキストは共有できている点は幸いだった(フランドルのプロテスタント独立の80年戦争末期が舞台なのだ)。
スペイン-フランス講和のために(ちょっとスペインの王様が政治的にサービスし過ぎて)息子ドンカルロの婚約者だったフランス国王の娘エリザベッタを妻にしてしまうことで巻き起こる悲劇(に、80年戦争がからむ)。
ドンカルロとエリザベッタは1幕で出会っているので、すっかりその気でむんむんしているところを、政治的に父親との結婚となってしまったため、母と子という関係となってしまう。そこに、フランドルでの虐殺を見るに見かねて信教の自由に政治的に目覚めた侯爵(のちに公爵)ロドリーゴ、次々と火刑にしたり銃を使って暗殺したりするカソリックの大審問官(役回りとしてはアンドレアシェニエのフーキエタンベルみたいな殺人装置)、息子と奥さんの浮気というよりも人民のために良かれとしてと思った政略結婚が家庭的な不幸の原因となって煩悶しまくる王様、絶世の美女で王様と浮気しているけどドンカルロにも魅かれまくっているエボリ公女(公女ってなんのことかな? 公爵の娘とかなのか。ちなみに急遽舞台に立つことになったからか、眼帯は無し。そのため、最初誰かわからなかった)と、数は少ないが、一癖も二癖もある濃い人々が愛し合い憎み合い大審問官以外はみな不幸になる話だった。で、ベルディの作曲当時のことを考えれば、カソリックから睨まれたくはないだろうから、あさっての方向にドンカルロが行ってしまって唐突に幕(まあ、殺されて天国へ上ったと解釈すべきだろうけど)。
物語が濃いところにもってきて、演出と美術が重々しく(でも3幕の火刑の場面は一見屋内だけに思わずつっこみたくなる)、しかもオーケストラが鳴るので、おそるべきオペラとなった。
なんとなく、ベルディが死んだという叫びで幕を開ける1900年(長さも似ているし)に通じるものがあって、オペラを観てはじめてベルトルッチのルーツが見えたように感じた(これまでベルディは、オテロとアイーダしか舞台では観たことが無かったので、4時間という長さがもたらす印象を持っていなかったからだろう)。
何しろ初見なだけに、2幕の最後で王様がロドリーゴに悩みを打ち明ける場面に衝撃を受ける。これが入ったことで、単純なメロドラマや圧政ものではなくなったからだ。それは4幕の最初の長いモノローグにも通じて、なんとなくトゥランドットの皇帝のような役回りなのだろうと考えていたら、むしろピンポンパン並みの関係者だったという印象。
18時開演で終演が23時近くなのでえらく疲れたが、ベルディのオペラに期待しているもの、お互いに全然違うことを唄いまくる合唱とか、リズミカルな行進曲調のやつ(4幕だと思うが、ロドリーゴとドンカルロの友情万歳みたいなやつ)など、堪能した。
音楽も良かったし、手元で観たいが、ヴィスコンティが演出している(制作というのは演出とは違うのかな)というところで、
ヴェルディ 歌劇《ドン・カルロ》英国ロイヤル・オペラ [DVD](ルイス・リマ)
が良いかな?
あと、5幕は聴いたことある始まりだなぁと思ったら、以前買ったフリットリのヴェルディ集に収められている曲だった。(コリンデイビスよりもルイジのほうが緩急が激しく聴こえた)
IIS7に対して、クライアントが(もちろんバグで)DOSISHなURIを与える。
そもそも仕様に合っていないのだから、それをURIと呼んでよいかは別として、つまりリクエスト行が、GET \foo\bar\baz.html HTTP/1.0みたいなやつ。
すると、すかさずIISは400 Bad Requestを返す。
ここまでは正しい。まったくその通り。
しかし、IISはこのリクエストをアクセスログに書かない。
それが、パイプラインの順序のせいなのか、それとも何らかのエスケープ攻撃の可能性と判断してログを表示した時の副作用を警戒してなのかはわからない。
わからないが、とにかくアクセスログに書かない。
かくして、こちらの手元には、クライアントを動かしたら400が返った(らしい)という情報しか無くて途方に暮れる。
ほんの数年前なら、まだマシンはリピータでつながっていたから、そのへんのPCをプロミスキャスモードにしてネットワークキャプチャを動かしてパケットを眺めればよかったのだが、今は、なんでもスィッチだ。なので、クライアントマシンとサーバマシンが鉄壁だと何も調べようがない。
というわけで、腐ったURIを投げているとわかるまでえらく時間を取られた。
結局、リピータを見つけてきて、クライアントとサーバとプロミスキャスモードにしたマシンをつなげた隔離島を作って確認したのだった。
あまりにもメトのドンカルロがおもしろかったので、ロイヤルのDVDを買って、観た。
ヴェルディ 歌劇《ドン・カルロ》英国ロイヤル・オペラ [DVD](ルイス・リマ)
(今のDVDって1枚に3時間25分も収まるんだな)
序幕:最初の森の民(?)による背景説明のシーンが無く、いきなりエリザベートと小姓の会話から始まる。
映像はいかにも古ぼけている(衣装まで色褪せてみえる)が、さすがにリマもコトルバスもうまい。(が、さらにエボラ公女のバリオーニという歌手が実に良い)
4幕の地下牢の舞台美術はおもしろい。ぱっと見、机、ベッド、台所完備に見える(が、もちろん窓はない)。ロドリーゴのザンカローニという人が背が高くていかにもまじめそうな忠臣かつ忠友らしく振る舞っているだけに、ドンカルロの残念な行動が強調されてしまう演出。5幕最後は亡霊に引きずられてドンカルロが退場する強烈な演出だった。
2幕は実に良い。ドンカルロとロドリーゴの二重唱はオペラを聴く喜びでいっぱい。中庭に入ると女官が刺繍をしたりヴェールを作ったりしている。閑そうだ。リュートは首が異様に長くておもしろい。というか、舞台を観ているときは良く歌詞が読めなかったのでわからなかったが、ヴェールの歌って、実に象徴的なのだな(ヴェールを被った女性が美しいのでサルタンが口説くと奥方だったという内容なのだが、その後、エボラ公女とドンカルロは逆のことを行ってしまうわけだ)。で、復讐してやると、良いこと思いついたと、死にたいの3重唱がまた良い。
3幕はカソリックの狂信性が見えない演出。むしろフィリッポ2世が(カボチャパンツを別とすれば)かっこ良すぎる(自分で剣を抜いて応戦とか、どこの始皇帝)。
確かに、歌手はいずれも素晴らしいんじゃなかろうか。これで映像がもっと鮮明なら良いのにね。
(このDVDはヴィスコンティの演出を元にしていると読める書き方をしているが、ライナーを読むとそれは完全なミスリードらしい。その点は悪質だと思う(が、良く宣伝文を読むと、プロダクションだけというのはわかるように書いてあってなんだかなぁという感じはする)。ヴィスコンティが演出した時に作った舞台美術や衣装を利用した演出というだけ。でも内容が良いからみんな許しているんだろうな)
(最初、byflowに書いたけど、良く考えたら日記に残しておかないと、おれが後で読み返せないことに気付いたので転記)
リマもリーヨンフンも小柄で確かに当時14歳、中二病まっさかりのドン・カルロという雰囲気を漂わせているわけだが(おそらく、ロドリーゴは17歳、少しばかり社会を見る目も養われ、責任感というものを理解して行動できるようになったところ(だが、心性は正義漢だということを別とすればチンピラっぽいと言えなくもない)、エリザベータは15歳でドンカルロよりは自覚的だし蝶々夫人よりは遙かに高度な教育を受けているようだが、エボラ公女は25歳くらい(この演出だとエリザベータに憧れていて実は大切に感じているというのが良くわかる)、フィリッポ2世は34歳、まさに農業国のスペインの重要な商業拠点フランドルをどう支配するかが国家存亡の問題と理解しまくっているところ)、ではこれがカウフマンだったらどうだったのだろう? というのは興味ある。
それから字幕で歌詞を眺めていて納得したのだが、2幕でロドリーゴがフィリッポに忠誠を誓うところでは、その直前にフィリッポがまずロドリーゴの考えを最後まで聴いてやった上で否定し(無骨者の情のみの考えだからだが、歌詞は壮大で美しい)、それよりおれの悩みを聴けと自分の弱みをさらけ出し、最後におまえは男の中の男(だから、おれの悩みを知ったからといってそれを吹聴して回るようなことは無いと信じているというニュアンスを含ませつつ)、おれのために尽くしてくれ、と口説くところは、うまいものだ。春秋戦国でも死を賭して忠誠を誓う武勇型の家臣というのは主君から同じような口説かれ方をしているわけで、洋の東西、古今を問わず、主君からの信あっての忠ということだろう。(が、そのようにして忠臣のおかげで危機を乗り越えた主君は弱みを知られていることが理由となって、粛正したりするわけだ)
知らないうちにHikiがspamの餌食になっていて腐れ文字が入力されたらしく死んでいた。
なんで知らないうちかと言うとメール通知がなかったからだ。
で、直していたのだが、こういうのって辛いなぁ。
a =<<EOD hello ! #{ whoyouare.to_jis } beebzzbaa EOD
メール送るのでbodyをiso-2022-jpにしているわけだが、それが地の文字列とエンコーディングが合わないので例外となる。
なんかどうしようもないので、次のようにしたが、ひどすぎると思う。
a =<<EOD hello ! #{ whoyouare.to_jis.force_encoding('utf-8') } beebzzbaa EOD
正しい方法(ただし、埋め込み文字列はそのまま利用したいとして)はどうするべきなのだろうか?
ちょっとした、でもC++とかで書くのは面倒だしVBはあり得ないようなプログラムをC#で書いたのは良いが、それをVB6から使いたいという要望を受ける。
そういうときこそのCOM Interopですよ、とやったこたないけど(逆は普通にあるが)、やってみた。
ら、そこらで見つかる情報(MSDN含む)が、嘘ばかりでどえらく苦労したのでメモしておく。
もしかしたら、公開当時は嘘ではなく、.NET Framework 3.5以降で嘘になったのかも知れないけど。
まず、最初に、TypeLibIdは、最初からassemblyInfo.csに含まれている(vs2010の場合)。したがって何も考えなくとも良い(追記:はというのは調べているのにその上を見ていない罠。ツッコミ欄参照)。
次に、public classはデフォルトでは、TypeLibに移出されない。ここが「相互運用のための .NET 型の要件」がおかしいところだ。
パブリック型のメンバーも、COM から参照できるようにする場合には、パブリックである必要があります。 アセンブリ、パブリック型、またはパブリック型のパブリック メンバーの参照可能範囲を制限するには、ComVisibleAttribute を適用します。 既定では、すべてのパブリック型およびメンバーが参照可能です。
コミュニティコンテンツだから修正できるのだが、問題はこの記述が正で、実装がバグの可能性があることなのだ(ので、修正しない)。原文もvisibleなのがdefaultとなっている。
結局、上記のページを信じれば、特に何もしなくても(public 無引数コンストラクタがあり、型互換のpublicメソッドなどが定義されているpublicクラスであれば)、Tlbexpを実行すればそれだけでCOMクライアントから呼べるように読める。
が、それは間違いで、明示的にComVisibleAttribute(true)を設定しなければならない。以下のように(interfaceを定義するのは自然の理)。
[Guid("000000-D7D0-4087-B7C2-B060B994BC57")] // IID [InterfaceType(ComInterfaceType.InterfaceIsIDispatch)] [ComVisible(true)] public interface FooBar { [ComVisible(true)] string Hello(string whoareyou); } [Guid("000000-D7D0-4087-B7C2-B060B994BC59")] // CLSID [ClassInterface(ClassInterfaceType.None)] [ComVisible(true)] public class FooBarImpl : FooBar { public string Hello(string whoareyou) { if (string.IsNullOrEmpty(whoareyou)) throw new InteropException("who are you ?", 0x80004003); return "hello " + whoareyou; } } class InteropException : Expcetion { internal InteropException(string msg, uint hr) : base(msg) { HResult = checked((int)hr); // HResultはuintにしとけよな(ぷんぷん) } }
ComVisible(true)しないと、空のtlbが生成されるだけだ。
ちょっと、一部うろ覚えの箇所あり。
東京交響楽団のコンサートを聴きに府中の森。なんか途轍もない住宅地のはずれにでっかなコンサートホール(3つもホールがある。どりーむとふるさとともう1個)がのっぺりと建っているという、実に奇妙な場所だ。
指揮者の飯守泰次郎という人はプロフィールを読むとおれが生まれた年にデビューとかあるので、相当の年齢だと思うのだが、めりはりの効いたくっきりした指揮っぷりで楽しい。
コンサートマスターが小柄な女性でやたらと拍手を受けるなぁと思ったら、ソリストも兼ねていて大谷康子という人。楽しそうにツィゴイネルワイゼンとか初めて聴くけどモンティという人のチャルダッシュとか、ハンガリー&ジプシー系の技巧的な曲を弾きまくっていて達者なものだった。体全体でリズムと取るスタイルの演奏は観ているこっちも楽しくなるので良いなぁ。割と席が前のほうだったので、ツィゴイネルワイゼンを弾いているところとか良く見えて、チョンチョンっていうのはそこだけぱっとピッチカートでやっているのか(音の通りだから当然なのだが)とかわかっておもしろかった。演奏しているところを観るのは良いものだ。モンティでは速いところで舞台を左右に動いて弾いているところを観えるようにしているということは、奏者もそれを意識しているということなのだろう。コンサートってのはつくづく面白いものだ。
(なるほど、モンティという人の曲は得意なようだ、が、このCDは顔が違うような気がするけど化粧の仕方の問題なのだろう)
で、こうもり序曲から始まるのだが、演奏はうまいものだが、なんか妙に中音が強調される奇妙な音響でちょっと気持ち悪い。コンサートホールの形状の問題か座席の位置の問題なのか? でも指揮と同じくめりはりが効いていてリズミカルでしかしきれいに歌って(ただなんか妙に野太い音がし過ぎてそれがホールの音響の問題のように感じたのだが)いて、演奏は良い感じなのだが。で、この曲はオペラそのものを知って聴くと、あの曲、この曲、この場面というのがやたらと楽しいのだが、知らないで聴けばオペラが始まるとえーあの曲がこう使われるのかぁと意外性があってそれはそれで楽しめるなぁと、実にうまく仕込まれていると気付く。楽劇とかだとこうはいかない。というわけで、12月の新国立劇場が楽しみとなる(全然関係ないわけだが)。
で、森麻季が出てきて仕草をいろいろしながらこうもりの歌。知っているのだが場面を思い出せないもどかしさで、後で小間使いの歌と聞いて、仕草に納得したり。ここでも音響がおかしい。中音がでか過ぎて声が聴きとりにくい箇所が相当あって、最初、森麻季の声が弱いのかなぁと思ったが(最初だからそういう面もあったとは思うが)、どうも妙な残響がある。
で、佐野成宏という人が出てきて(というか、森麻季以外は全然知らないのだが)カヴァラドッシの歌を歌う。
いい声だ。が、コンサートでは全部で4曲歌ってそれが死刑前の歌と、恋人の死を前にした歌と、別れの手紙にとまどい怒る歌と、勝手な妄想で苦しむ歌と、どうも楽しくない歌ばかりの選曲で、そういう歌が好みならしょうがないが、そうでなければ1曲くらい田舎者ぞろいのフィレンツェなんだから鼻がでっかな知恵ものを暖かく迎えてやりましょうの歌とか、愛だよ愛、でも教会や政府や貴族が食い物にするぞの歌とか、楽しくも力強い歌も入れれば良いのになぁとか思った。
オーケストラは楽器の入れ替えに応じて人も入れ替わるのだが、トライアングルの人が妙に若いのが目についたが、ともかく全体に若い雰囲気で、しかも抜群にうまくて(それが定番曲ばかりだから練習もたくさんしているのだろうが、それでもやはり)感心した。思わぬところで良いものが聴けたという感じだ。
ヨハン・シュトラウス2世「こうもり」/クライバー指揮 [DVD](パメラ・コバーン)
2年前に定価2700円くらいで買ったDVDが、7000円とかで売っているのを見ると、不思議な感じがする。
ジェズイットを見習え |
Before...
_ arton [ETagを使った楽観ロックとして考えるのはどうかな? ETagを上限時間とパスワードの合成とするとか。時間はハッシュ..]
_ 星一 [CSRF を防ぐ上では、別に上限時間はいらないと思うのです。なぜかというと、パスワードがばれたらそれはセッションハイ..]
_ 星一 [ETag はリソースがかわったら変わらないとおかしいか。すみません酔っ払ってました。]