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妻がアマゾンプライムで観てやたらと気に入ったらしく強くお勧めしてくるので観た(妻的には3周目らしい)。
すごくおもしろい。
公園に海豹か海象みたいなタクシー運転手が停まってネコとからむOPの猫がかわいいなと見ていると音楽がショワーンとなってタイトルが出てくる。この音楽の作り方はすごく好きだ。
というわけでまじめに観始めて1日に3回分くらい観ながらシーズン1を全編観た。というかシーズン2はあるのかなぁ。
物語は実に巧妙に仕込まれたハードボイルドミステリーで、主人公のタクシー運転手が乗せる客それぞれが持つ犯罪に巻き込まれていく。
後ろ姿から白くて長い首が特徴のカポエラ遣いだと一目でわかる写真に、運転手以外が気づかないといったシーンがあって妙に気になったが、そういった気になる点もすべてうまくおちがつく。
途中からヤマアラシのギャングがすべての台詞をラップするのだが、それもうまい。
音楽も絵も話も人物造形もすべてが完璧な作品ではなかろうか。
次々出てくる登場人物、見事に絡み合って最高にクール、スタイリッシュなフィルムノワール、山嵐のアンちゃんのセリフ回しもいかしてて、いつしか口調もリトミック、巻き込まれ型のクライムストーリー、冴えないおっさんのハードボイルド、売れない芸人つつもたせ、地下アイドルに悪徳警官、どこで誰が出会うか消えるか何が起きるか大都会、スマホに動画にGPS、小道具使ったカーチェイス、空に向かって飛ぶタクシー、笑いもあれば泣きもある、これはいかしたラブストーリー、落ちもつけばカタもつく、だけど続くよ人生は。
みたいな。
妻は、物語られない最後、主人公のタクシー運転手が殺されるのではないかと心配していたが、さてどうだろうか。そもそも乗せたのは1人なのか2人なのか別々なのか、ドブはドラレコから誰を見たのか、そこは語られない(が、1人についてはわかっているわけだ)。
押し入れの中から本物が出て来て主人公が安心するところも好きだが、色がうまい。
子供に誘われて有楽町のオルタナティブシアターでThe Last 5 Yearsを観る。
作者はパレードの人らしいが、パレードと異なり演者2人のオフブロードウェイ作品とのこと。
最初女がジェレミーと呼びかける去って行った夫に対する思いを歌う。
そこにスマホをいじる若いジェレミーが登場。キャシーに恋をしちゃったという歌を歌う。
キャシーは劇評が好意的だったといいながらエージェントに次の仕事を頼むがうまくいかない。
ジェレミーは教授に紹介された編集者から小説採用の電話を受ける。
キャシーはオハイオでのドサ回りの歌を歌いながら、ジェレミーのサイン会を見ている。田舎の本屋にもジェレミーの本が並んでいるのを見て誇らしい(のは1つ後だったかな?)
男は有頂天時代。
キャシーはジェレミーの出版パーティに参加するかしないかで喧嘩をする。
二人は結婚し、二人で歌う。
キャシーはわくわくしている。
ジェレミーは何かうまくいかなくなっていることを感じる。執筆は孤独な作業で、キャシーはそれがわからないのか。
キャシーは田舎から出て来て高校時代の友人たちがマイルドヤンキー化したけど私は違うと歌う。
ジェレミーは編集者と懇ろになり、キャシーと別れることを決意する。
キャシーは今日のデートが終わってジェレミーに別れを告げる。ジェレミーはキャシーに別れを告げる。
と、恋して結婚して破局するまでを女は現在から過去へ男は過去から現在へ逆に時間をたどる。
シンクロするのは、結婚のときと別れのときだけだ。
この構成はおもしろい。舞台劇だからこそ空間の共存と時間の非共存が可能なのだな。
特に逆順になる女役の歌手は気分の切り替えが普通の劇の逆になる(あくまでもだんだん幸福になるわけではなく、諦念から希望満々に逆行するのだ)から難しそうだ。
僕が観たのは、昆夏美という人がキャシーで、どうにも痛々しい(が、実際には売れなく男に去られる役者ではなく、まさに今舞台で演じている人間なわけで、その役者というものの二重性がおもしろいといえばおもしろい)が、元気いっぱい、特に最後のほうの希望と野心に燃えているところはうまいと感じた。
ただなんというか、最初から成功しつつある男と、最初からうまくいっていない女の別れ話で、かつ視線は敗者(少なくともこの劇の時点で)側に置かれているのでそれほど気持ちが良い劇ではない。が、こじんまりとした心理劇としてはおもしろい。
曲は1曲目が、どうにもロイドウェバーの劇場ネコの歌みたいで、続く2曲目も(聞いているときはそっちの曲が聞こえるくらいだったが今となっては思い出せない)そっくりだなと感じたが、確かにパレードの作曲家らしい。リズミカルな曲がうまく、楽器の音色の重ね方は抜群だ。
子供も楽器の使い方がうまいと言うので、おそらく正規の音楽教育を受けているのではなかろうか? その意味ではレントの作者の対極のようなとか話ながら帰る。
The Last 5 Years Songbook: Movie Vocal Selections (PIANO, VOIX, GU) (English Edition)(-)
映画にもなったようだが、時空の構成が舞台と同じとは考えにくい。
一番好きな映画作家はジャックドゥミーだが、一番有名なシェルブールの雨傘は観たことがないままで来てしまった(一度、有楽町にかかったときがあって行こうとしたのだが都合がつかなかった)。
で、プライムビデオに入っているから観ろと妻に言われて観た。
双子の兄弟映画(にして双子の姉妹の映画)のロシュフォールの恋人はVHSやDVD(もちろん劇場でも)50回以上観ていて、双子の兄弟映画と言われているのだから似たようなものだろうと思って観たら相当違って驚いた。
というか、そもそも悲恋映画だと思っていたのだがこれまた大外れだった。
傘で行き交う人々(最後は傘をさしていない)を真上から撮影したシーンから始まる。
自動車屋に車が入って来て歌が始まる。
店主に残業を頼まれるが、今日はデートだからいやなこったと断る。ロッカー室で着替えていると同僚がやって来る。何に行くんだ? カルメンだ。おれは映画のほうがいいな。だってオペラは歌ばかりじゃん、とメタな会話。
カトリーヌドヌーブが傘屋で働いている。母親の店主に何か言われるがカルメンを観に出かける。店の名前はパラプリュイドゥシェルブールで、シェルブールの傘屋じゃん。題名はこの傘屋の名前でもあるのか。
母に結婚の話を切り出すと、まだ早いと言われそうというようなやり取りがある。なんかカトリーヌドヌーブは26歳くらいかなぁとか思いながら観ているので、そうなのか? と考える。
カトリーヌドヌーブに将来の夢は? と聞かれて男はガソリンスタンドの経営だと答える。娘が生まれたらフランソワーズにするわ。それは良い。一家に一人は娘がいるべきだ。まあそうだな。
男は寝たきりでときどき嫌な目つきをする寝たきりの伯母さんと暮らしている。お手伝いに近所の女性のマドレーヌが来る。
こっちのほうがカトリーヌドヌーブよりきれいじゃんと言ったら、妻はこの人、暗いから嫌いと言う。
案の定、カトリーヌドヌーブと母親の交渉はうまくいかない。あんた17歳でしょ、結婚には早過ぎるというやり取りとなりびっくりする(いやいやそれで17歳はないだろう。と思うと妻が実際は19歳だったらしいと言い、年齢は見た目ではわからないものだなぁと話す)。そもそも相手は何歳なの? どうせ徴兵されるわよ。それよりも、もっとおいしい結婚をしなさいな。
そこへ税務署から督促状が来る。質屋へ宝石を売りに行くことになり、そこで髭の宝石商が出てくる(というか、車屋の恋人も小男で並んで歩くとカトリーヌドヌーブのほうが大きい)。最初から色目を使い、母親は気付き、カトリーヌドヌーブは気付かない。
それはそれとして案の定、恋人はアルジェリアに送られることになる。
カメラを移動するトロッコの上に二人を乗せて引っ張って撮影しているのだろう。二人は宙を浮いているかのように身動きせずに移動する。良いシーンだ。
駅のシーンはなるほど、ミシェルルグランが盛り上げに盛り上げて悲しさで満ちている。
宝石商は母親に打ち明ける。かってローラという恋人に手ひどくふられた。ああ、ローラローラだなと観ているこちらは思う。そのローラはロシュフォールの恋人では殺されたことになっていて、母親のカフェの常連の太ったおっさんが犯人で逃亡することになる。
一方、カトリーヌドヌーブは髪を上げているのだが、これは美しい。なるほど19歳かも。妻が、この人額が猿っぽいから髪をちゃんと上げたほうが美人ねと言う。同感する。
ローラはユーロスペースで観たがオープンカーだけが印象に残っている。ポスターになっているからだろう。
一方、カトリーヌドヌーブは妊娠を母親へ打ち明ける。
まあ、孫は楽しみ! と母親は喜ぶ。問題は宝石商ね。あんたはどう思っているの?
なかなか恋人から手紙が来ないカトリーヌドヌーブは答える。
妊娠していることを言って、それで去っていくなら全然OK。もしそれでもOKというなら誠意は疑うまでもないから結婚する。
というわけで結婚する。クールだ。
一方、男はようやくシェルブールに戻る。傘屋は売りに出ている。
まるで郵便配達員に恋人をとられた恋々風塵の主人公のように絶望して無精髭でうろつき回り、態度が悪いので車屋も馘首される。
伯母さんは死に、マドレーヌからは軽蔑される。
ジェニーという娼婦にジュヌビエーブがいなくなったというと、ジェニーは私の名前もジュヌビエーブよと答える。
ついに傘屋は別の店になる。
そこで男は奮起して、元の夢の通りに伯母さんの遺産でガソリンスタンドを買い、マドレーヌに結婚を申し込む。
雪の日、ガソリンスタンドの表で男の子が遊んでいる。フランソワだ。
そこに車が入って来る。おれが出るよと男が出る。
結婚してすぐにシェルブールを出たの。母は先週死んだわ。娘の名前はフランソワーズよ。会う? いや会わない。
アルジェリアから帰ったあとのすさみ方を別とすれば、悲恋の映画というわけでもなく、それなりに万事快調だった。音楽が極度に悲劇的なだけなのだな。ロシュフォールの恋人のほうが楽しくて好きだなぁ。
とはいえこの映画も色彩が抜群。水兵さんがたくさん。時たまつなぎ直しているが、カメラを停めて人が通り過ぎる長いシーンもあってとても好き。ただ比較するとロシュフォールの恋人のブブを迎えに行きジーンケリーが出てくるまでのシーンのほうがさらに洗練されている。つまり弟映画のほうがさらに好きだ。
とはいえ、これはこれで良いものだった。やっぱりジャックドゥミーは好きだな。
なんか小山さんが観ろと勧めるので、かくしごとを観にお台場のアクアシティへ行く。
豊洲臨海公園が封鎖とか、国立競技場回りのようにとんでもない交通規制があるのではないかとびびってむちゃくちゃ早めに行ったがむしろ道路は全然空いていて、気持ちよくレインボーブリッジを越えてすんなりとアクアシティの駐車場に入ることができた。とはいえ4~5階は満車で6階。
早過ぎるので時間が潰れるかどうか微妙な気はしていたが、くまざわ書店が入っていたので無問題。
くまざわ書店は昔ながらの紙袋なので余分なやり取りもなく(いや、カバーは必要かの儀はあるが)気持ちよく買い物する。
ダンピアの3巻やとんがり帽子の9巻を買ったりしているうちに開場時間となった。
(この巻ではバランスの問題か、妙にダンピアが悪い子っぽく意地っぱりになるが、相変わらずおもしろい。ギニア虫のあたりではカマキリも人間も変わらんなぁとか思う)
アクアシティは別にがらがらでもなんでもないのだが、映画館はがらがらでなかなか寂しい。
かくしごとも結局10人いなかったような。
で、事前の知識としては、父娘ものというのと、久米田康治の作品だということぐらいだけで観たのだった。面倒なので予告編すら観ていないのだ。
で、久米田康治って絶望先生という作品名以外は実は知らなかったりする(一方、一緒に行った子供は絶望先生は観ていたらしく、声優がまんま絶望先生でどうしたとか言っていた)。
で始まると、すかすかなアニメで最初戸惑いまくる。確かに、久米田康治の画は見たことあるから、すかすかなのはわかる。が、スクリーンいっぱいに白抜きでキャラクターだけがどーんと出て来て留まって駄洒落を飛ばしたりするから、これはなんだ感が無茶苦茶ある(おれは、アニメであっても映画は映画として観てしまうから、あまりにも映画の文脈から離れるときついのだ)。
が、徐々に慣れてくると同時に、待て、この進行でどうやって話が畳まれるのか? と疑問になってくる。
実は今知ったが、原作で12巻もあるじゃん(というような内容の厚みというのは観ていて了解できたが、せいぜい6巻くらいだと考えていたのであらためてびっくりだ)。
要は2点が観ていて引っかかったのだった。
・留めた画でのセリフギャグ
・尺
が、前者はそういう表現と頭が自然と切り替わったので途中から実に楽しめるようになった。
特に土地勘がむちゃくちゃあるせいか(そういう意味では目黒川の地図が出てきたあたりからこっちの世界にうまく気持ちが入り込めたようだ)、坂を上るとオシャPワールドで、蔦屋スタバの魔界があったりするあたりでは大爆笑だ。
尺については90分でちゃんと収まっていると思ったが、今観ると90分どころか79分なのか。それはそれで凄い。
なんだこのゲストキャラは? と思ったのは従兄の歌舞伎者が鎌倉にやって来るところと、倉庫の取材にいきなり来る女性ライターくらいで、後者はなんか紹介の仕方と名乗り方が印象的だけど他に出てきたかと終わったあとに子供に聞かれたくらいだ。
今やディティールの記憶は子供のほうが上なので、お前が知らなきゃおれが知るはずないと思ったが、ライターという点から、奥さんの事故のことやその後の捜索についてなどの記事を暴露したやつなんじゃないか? (当然、それに伴い身辺に出没して主人公たちと絡む) と言ってみたら、なるほどと納得していた。が、知らんがな。
最後、映画館のやたらステレオ感が強調された環境で君は総天然色を聴いて、間奏部とかおれの印象と違うなぁと思った(リミックスしたのかも知れないが、再生環境のせいだろうな)。
で、今まで何度も聴いていたのに、初めて机の上のポラロイドがそもそも白黒写真なのか、と気づいた。字義通り、思い出が色褪せて来たという雰囲気としてだけ捉えていた。(追記: と思ったが、天然色という言い回し(ポラロイドのフィルムの売りだったような)から、ポラロイド写真は天然色で思い出のと同様に色褪せて来たが、やはり天然色というような心理だろうな)
それにしても父娘ものというのは良いものだ(ここでルイザミラーやシモンボッカネグラや思い出のマルセイユなどを想起して、あまりの表現の違いと、意外なほどの共通点に思いをはせたりする)。あるいはなるほど10歳の頃かといろいろ考えたり(まあ、微妙な線だな。実は同じ布団に寝ていてちょっと引いたが、ブリュンヒルデと偽グンターの間のノートゥングのような何かがあったのような記憶があるが画を忘れた。というかリングも前半ヴォータン、後半ブリュンヒルデの父娘の物語だった)。
というか、目覚めていきなりマンガを書き始めるところとか、先日観たポンポさんと被るけど、好きなことやっている職業人ならではの業みたいなものに深い共感があって気分がむちゃくちゃ良い。
おもしろかった。この作品は仮に事前情報をより知っていたとしたら、まったく観なかったのは間違いないので、小山さん情報のありがたみに感じ入るところだ。
(なんか違う終わらせ方らしいが、どういうのがあるのか興味がなくもないが、でも観ない)
練馬区立美術館のまるごと馬場のぼる展に行く。
そもそもは中学生(だと思う)の頃、NHKで見た井上ひさしの11匹のねこがおもしろそうで(多分、ちら見したのだと思う)、全体を知りたくて間違えて馬場のぼるの11ぴきのねこと11ぴきのねことあほうどりを買ったことに遡る。
で、おもしろいのは良いがなんかこれは違うと思ったわけだが、それから数10年後に、子供が本棚にあったそれを気に入り、妻も気に入ったので、ぶた、ふくろのなか、へんなねこ、どろんこと残りも全部買うことになった。どころか、歌留多やマラソンのやつも買うことになった。
というわけで、幼稚園の頃に子供が遠足には行かないと言い張り、妻となぜだろうと理由を聞くと、うひあはが怖いからだとわかるとか、へんなねこいいひといいひとという歌留多のセリフが何気なく口をつくとか、子供と一緒に散歩しようとすると先頭はとらねこ大将といいながら子供が先頭を歩いたりするようになるのであった。
というわけで、練馬区立美術館のまるごと馬場のぼる展には親子そろって見に行くことになるのも理の当然。
展示室は3つに分かれていて、すべて隅から隅まで見応えがありまくるため、3時間近く立ったまま眺めることになり、えらく疲れた。
第1展示室は11ぴきのねこで、最初のカラー印刷の仕組み(色ごとに馬場のぼるが原画を描いた)や、原画、そもそもの始まりとなったお城のねこのやつなどで、本が置いてあるコーナーに、件の井上ひさしの11ぴきのねこも置いてあって、おおこれを本当は欲しかったのだと思わず手に取るわけだが、後書きに、新劇の死となぜかそれだけは人気がある11ぴきのねこといったことが書いてあってなかなかに複雑。
その横に、11ぴきのねこの楽譜集があって、「11ぴきのねこ11ぴきのねこ11ぴきのねこがたびにでた」の曲もあって、あ、これじゃんと歌声が蘇ったりする。
というか、うひあはが、なかなか寝ない子供に「はやく寝ないとうひあはが来るぞ」と脅すために作った怪物だとわかっておもしろかった(が、さらに確か第3展示室のスケッチ集で、たくさんうひあはが残されていて、どこまでうひあは好きなんだとおもしろく思う)。
どろんこの最後が他と違うことが説明されていて、逆におれの中でどろんこの印象が薄い理由も想像がついた。
第2部はマンガ家としての馬場のぼる。
マンガ家としての馬場のぼるは1950年代が最盛期なのだろう(もちろん、死ぬまで大人用の政治マンガなどは書いているし、おれも夕刊4コマみたいなのを見た覚えがある)。
で、ポスト君だのぶうたんだのまったく見たことが無いマンガがたくさん。
特に、1970年代に少年ジャンプで企画されたらしい、わたしの子供時代というマンガ家競作シリーズのやつが全編展示されていて、これが実に良い。
中学生(小学生ではないと思う)1年のときの同級生がいつもうさぎを弁当に入れてきて、捕り方を説明する。それを聞いていた2年生に脅されているところに、さらにおっかない3年生が登場し、その3年生と3人でうさぎを捕まえるために奮闘する話で、最後まで実におもしろかった。
その他、子供のころに書いたたんくたんくろうとか(妙に納得感がある)、小学5年のときに書いた折り目がとんでもなく精緻な紙風船とか、ただものではない。で、予科練に入るわけだが、特攻とかせずに(どころか飛行もしなかったらしい。おそらく練習用飛行機すら無くなっていた時期なのだろう)敗戦を迎えられたのは実に日本のために良いことだった。
第3展示室になると、その他の作品ということでこれも見応えがありまくる。
さわりだけが展示されている羅生門の鬼のやつが気になると、最後に本そのものが展示されていたので読んで、なんともいやな気持になったり、かえる?えるの、はえるが実に好きだったり(かえるが2人で、かえるがはえた植物を眺めている。この実に秀逸な画は、展示場の入り口にも描かれている)、しりとりのまど⇒どあ⇒ページをめくってあほうどりと意表をついてりんご⇒ごりら⇒らっぱ……ときて、ことりと思うとこうのとりとさらに意表をつく(11わぁに似た感触だ)とか、実におもしろい。
すごく満足した。
モデルナ2回目の翌日だけあって、だるいしぽーぽーしている(こういう状態でプログラムを書くと山ほどバグが入る)ので、寝転がって(おかげでネコに襲われたが)Kindleで買っておいた萩尾望都の因縁話を読んだ。
まあ、想像がつく範囲だったが、一応一方の当事者として書いておきたかった(かつ、マネージャが妙な絡まれ方をしているし)というのはわかる。
・当時(まさにリアルタイム読者だったわけだが)、萩尾望都のギナジウムものを読みまくったあとに、風とが出てきたから、確かに中身全然違うと言われればそれまでだが、そういう舞台設定を後出しで使ったというようには感じたから、竹宮側の気持ちもわからんではない。というか、最後にマネージャが書いているが、おもしろいものは見た瞬間に自家薬籠中の小道具として書ける天才って、そりゃ驚異だろう(思い出したのは、何気なくミックジャガーがボウイに最近気に入っているイラストレーターを教えたら、すぐさまダイアモンドドッグスのジャケットに起用されていて怒り狂ったというやつ)。
・おもしろいのは、常に人気投票最下位のポーの一族が単行本を小学館の最小ロットらしい3万部で刷ったら3日で売り切れたという記述。このころから、週刊マンガは小学生が小遣いもって懸賞目当てでアンケートに応募したデータと、大人が単行本を大人買いする世界に分離したのだな。というか、小学館の編集者としては少女漫画の単行本の記念すべき第1段にポーの一族を選択したということは、その多重構造(アンケートに応募する子供と、実際に単行本買う大人の分離)を目ざとく感じていたのだろう。大したやつだ。
・佐藤史生がデビュー前の売れないアシスタント時代に、金が良いからと石綿の服の縫製のバイトをしていたと何気なく書いているが、癌で亡くなっているだけに、なんともいたたまれない感じ。
・というか、出てくるマンガ家たちがすごい勢いで鬼籍に入りまくっていて、過酷な職業なのか、そういう時代なのか(石綿服のアルバイトもそうだが)、なかなか複雑。
・出てくる作家をほぼ全部わかる(わからない人もいる)のには我ながら驚いた。そんなに少女漫画を読んでいたつもりはないが、このクラスターということなのかな。
・読みやすくはない(インタビューがそのままっぽい箇所、完全に本人が手を入れている箇所と、文体が飛びまくる)が、おもしろかった(エンタメではない)。
途中、ささやななえ(こ)のマンガが怖いと書いてあって、思い出したが、ささやななえの一連の恐怖漫画は本当に怖かった。特に、デッサンが狂っているのではないかと思いながらも、押し入れからぬめっーと人形が出てくるシーンのおっかなさとか他では経験したことがない。
子供と豊洲でインザハイツ。
ミュージカルだということと、新版のメリーポピンズの煙突掃除夫がからんでいるということぐらいしか知らずに観に行った。
これは抜群だった。
ヘミングウェイが余生を過ごしそうな海岸のカフェだかバーだかに髭のおっさんがいて、子供たちを集めて話を始める。
マンハッタンのハーレムより遥かに北、ワシントンハイツが舞台だ。
主人公はコンビニエンスストアという日本語訳だったが、ドラッグストアの店主の若者(といってもほぼ30歳らしいが、ラテン系は若く見える)。冷蔵庫が壊れているので牛乳が腐っている。これではコーヒーを売れない。そこに近所のおばあさんがやってきて、宝くじを買って、そういう場合はコンデンストミルクを使えばいいのよ、と教える。さらに、中学生くらいなのか少年がやってきて店を手伝う。
というような調子でずいずい調子よく物語が進む。
主な登場人物は、ドラッグストアの店主のウスナビ、店員(で甥っ子)のソニー、近所のおばあさん(1943年にアメリカへ移民してきた第一世代の生き残りらしいが、近所の若者たちの母親代わりでもある)、近所の美容院の3人組とそこでネイルアーティストをしているウスナビの憧れのバネッサ(やっているのはネイルアーティストだが、ファッションデザイナーになりたい。そのためにデザイン学校がある地域に引っ越そうとしている。のだが、ラテン系で収入が乏しいため空き室があっても満室と断られる。ゴミ箱から端切れを集めて服を作るのに利用しようとしていることが映される)、タクシー会社の社長とその社員のベニー(このての映画でベニーという名前だと、レントを思い出すので覚えやすい。ベニーはおれには黒人に見えるが、やはりラテン人らしい)、ベニーの恋人で社長の娘で物語の開始時点ではスタンフォード大学へ進学(街で最初の才媛ということで期待の星)しているのでワシントンハイツにはいないニーナ。
屋台のアイスクリーム屋がかき氷(ピラガというらしい)を売っている。大手チェーンのアイスクリーム屋のトラックが販売に来てお客を取られる。
ニューヨークでラテン系というと、ウェストサイドストーリーのプエルトリカンが思い浮かぶが、主人公はドミニカ共和国出身で子供の頃両親と移民してきたらしい。故郷へ帰るのが夢で、ドラッグストア(両親が必死に稼いだ金で買った店)の売上で故郷の海岸の台風で壊れたカフェを安価に購入する。
ということは、冒頭の海岸の店はウスナビの店なのか? と思っていると、ときどきシーンは海岸の店に戻り、一番ウスナビが語る物語の理解が早い子供はウスナビの娘とわかる。
ウスナビという名前の由来が語られる。移民船でアメリカの港に来た父親は、威容を誇る軍艦に感銘を受ける。これこそアメリカだ。そこで息子にその船に書かれている名前らしきものをつけたのだった。船が映る。US NAVY。
故郷へ帰ったあとは、店はソニーに譲ることにしようと考えて、叔父に相談に行く。するとおそるべき事実がわかる。ソニーは法的には不法移民なのだ。
ニーナがワシントンハイツへ戻って来る。学費が払えなったので退学するという。それはおかしいと社長が調べると、娘はいかに不当に扱われていて孤独かを切々と訴える。
学内のパーティがあったので、黒いドレスを着て出席した。すると賓客が皿を胸に突き付けて、さっさと料理を持ってこいという。なるほど給仕は全員ラテン系だ。一方、賓客にも学生にもラテン系は自分一人しかいない。
停電が起きる。デート中のベニーは会社へ戻るといいだす。それがおれの仕事だ。
急病人用の車の手配(配車はディスパッチなのだな)などを携帯のバッテリーがもつ限り頑張る。
停電は続き暑さの中、おばあさんが死ぬ。みんな落ち込む。
ニューヨーク市議会の選挙か何かの候補者の演説を聞いて、甥っ子は自分が(不法移民なので)大学へ進学できないことを知る。
そういった様子を見ていて、ニーナは復学して政治を志すことを決意する。
美容院の3人組がみんなのやる気のなさに怒りだして、ラテンの血が騒ぎまくる歌を歌って踊り、カーニバル状態となる。
一方、ウスナビの帰郷の日が近づく。バネッサとの仲はソニーの機転でうまくいきそうになるのだが、それよりもバネッサの夢の実現のために部屋を借りてやることに成功する。
In The Heights (Original Motion Picture Soundtrack)(リン=マニュエル・ミランダ)
なんといってもウスナビの役者が抜群。ラップも良い。というか、最近良いラップ映画を見るなと思ったら、オッドタクシーか。
ジェズイットを見習え |
_ いたさん [この記事がきっかけでOddTaxiを見て、昨日2周目を見終わったところです。気になる最後のシーンのその後ですが、Yo..]
_ arton [おおなるほど>オーディオドラマ。物語がうまくできているので多メディア展開できる(キャラが立っていたり可愛かったりかっ..]
_ いたさん [オーディオドラマ、少しずつ聞いていって、ようやく聴き終わりました。解決につながるのかと思ったら・・・ それにしてもよ..]