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友人の結婚式に行く(7/5)。帰りにSAP屋さんになった友人からいろいろ話を聞く。
書き直した後から、この記述自体に注釈を入れるテスト。つまりこのブロッククォートはこの記述自体のメタデータ。C#を使え。ページの果ての最後の最後で、これは極論と言っても、釣られる人には遅すぎる。
と書き始めた。ただし、構造体がオブジェクト指向でない(継承に問題がある)というのはわけがわからない。コンポジションを知らないわけではあるまいし。また、これが意味を持つのは、ref,in,outといった引数への方向指定があるからだという点や配列(コレクションではなく)をきれいに無視しているのも変だ。っていうか、10も出すんだったら、引数の方向指定を入れろよな。用例がバカ過ぎ。 結局、実際にコードを書いたことも想像することもできずに、なんかの資料を元にまとめただけなんだろう。
ここまでが読後の印象#便利/不便、頭をつかわずに済む/済まないの観点からは、C#のこのあたりの仕様は間違いなく便利である。しかし、ユースケースを正しく把握していないこういう能書きが出てくる点を考えると、やはり難解な=排除すべき仕様かも知れない。
読後の印象を受けてまじめにあるべき姿を考えて見ている。次に、メタデータだが、XDocletとか見ると必ずしもソースに含めるべきかどうか疑問を感じ始めているので、手放しで賛成はできないな。むしろ、ソースと別立てで配備指定時に実行コンテキストに合わせて記述できるということが望ましい点が多いからだ。という結論になるのは、この筆者が、例としてEJBの配備記述子を挙げているからで、ここでもメタデータが意味を持つユースケースを正しく認識できていないと考えられる。もちろん、所詮、釣りなんだから、正しく認識した上で、あえて無意味な例を挙げるという深慮遠謀の可能性が0ということもない。
書いてから、内容を補完しようと読み直して追加しているうちに新たな視点=筆者の深慮遠謀が見えてきている。まあ、読んで損したというのが実感かな。
この部分は、最初に書いた結論の部分。
最終的な結論。
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