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とまじめに書いてみたり。
今、なんでも良いけど(どうせ例だから)何かのプロジェクトがあってそこに参加することが決められていたりすると仮定する。
当然、そのプロジェクトのミッションってものがある。どうでも良いお題目でいけば、納期厳守とか稼動後障害発生率1件/?期間を目指すとか、そんなものだが、ここで言っているのは、そのチーム内での自分のミッションのこと。たとえば、なんちゃらマスターの更新プログラムを5本、なんちゃらバックアップツールのフロントエンドを1本、とかそういった具体的に割り当てられた作業のこと。
で、こいつを片付けることは戦術だということ。
戦術は戦略を成功させるためのステップに過ぎない。
そこで、戦術もちゃんと考えなければならないということだ。
たとえば、戦略を「現在の社内のプロジェクト運用の腐った方針を180%方向転換させ、XXXXな方法論に基づいた運用を行うようにすること」というように設定したとする。どのような戦略かは戦略立案者の立場によるから内容が正しいかどうかは置いておく。したがってXXXXには好きな言葉を入れると良い。たとえば、バザールでも良いしノンドキュメントでも良いしバーターリーでも良い。
それを実現するためには、戦術としていろいろあるどの方法を採用するかを考え、実行する。普通は3種類くらいから選択する。・隠忍自重で忠実に方針を守り信頼を勝ち得ていく、・基本的に方針を守るが、部分的にオルターネイティブを使えばよりうまくいくことを実際に示す(それには90:10は1つの目安となる。ここで0:100でやると和を乱す狼藉者扱いが待っていると考えられる:次項)、・無視してうまくやってのける。後ろに行くほど危険な戦術となる。特に最後のは、失敗すれば致命的だし、成功しても後ろから斬られる可能性がある。
というようなことを考えながら仕事をしている人間ってのは外から見てると大体わかる。結果的にそれまでの仕事の履歴が有機的に結びついているから単に経験がついているだけでなく、知見というものが養われているからだ。
ところが思い返してみれば、戦術と戦略の区別とかそれぞれの立て方といった重要なことは、中学生くらいになったら思考訓練として義務教育でやるべきことのように思えるのだが、そういった教育を受けた覚えはない。これは不思議なことだ。帰納法と演繹法は高校のころに教わった覚えはあるが、こっちはある意味、思考法としては基礎も良いところだから意味合いが異なるし。
いんすたんすをせいせいしてくれるっていうと誤解されそう(もちろん生成もするけれど、コンストラクタベース限定じゃないし、生成くらいは当たり前でありがたみがないということで)。っていうかせいせいって言葉もイマイチかな。
(っていうか、本当はつっこみたいのだが、外部つっこみ禁止らしいのでここで書いてたり)
しーさーはおぶじぇくとをつくったあとに、いんたーふぇいすやなまえをきーにせっとあっぷしてくれるんだ。だからおぶじぇくとのめそっどをすぐによべるんだ。おぶじぇくとのほうだってぷろぱてぃをよういしておけばすぐにめそっどのじっそうにはいれるんだ。
手品師のポケットというメタファを考えついたぞ。なべとにくとねぎとしらたきとしょうゆとさとうをぼけっとにいれとけば(えっくすえむえるでなにをいれるかはかいておくんだけどね)、あとはなべをとりだせばいつでもすきやきがたべられるよ(っていうか、ふろふきだいこんやおでんとかのほうがよいかも)
おぶじぇくとのほうだって……の部分に着目してみる。
その意味ではオブジェクトデシリアライゼーション(アンマーシャルでも良いが)の一種かも。だが、違いがあって第1にゲッタの作成は不要だ。根本的にデシリアライゼーションと異なるのは、元の状態が最初にあったわけではないという点だ。
ゲッタが不要という点から、ビーンを作るというのとは感触が随分異なる。もちろんデシリアライゼーションとは全然異なるから、バージョニングのようなものを意識する必要もない(というか、シリアライズされないからやはり意識は相当異なる)。
この作成時の感覚の独特さが、ある意味、1番の新しさのように感じるかも。
public class Foo {
Bar bar;
public void setBar(Bar newBar) {
bar = newBar;
}
public void doSomething() {
assert bar != null;
bar.doBar(); // おお、なんだこれは?
}
}
何気に目に涙。
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ひらがな攻撃は よ、読みにくいっす・・・(笑)