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といってもコナンだけどな。
今回のは、こないだの飛行機のやつよりは面白かった。すさまじく不自然なアリバイ工作を可能にするためにはこうやってああやってと考えるのか、それとも最初に考えてから工作を考えるのか、ああいうのってどういう手順で導くのかなぁ、と考えたり。ということは、映画としてはそんなにおもしろかないってことか。映画として見てるわけじゃないってことだ。つまり物語の映画が成立してるってことだな。しかしいろいろ伏線を張るって作業は、これもストーリーから導いて後から伏線を張るのか、それとも伏線とそれが使われる状況を同時に発想するのか、いろいろ考えてみる。障害発生シナリオとそれへの防御や対応なんかを導くのと同じようなもんなのかなぁ。
で、星になった少年の前売りを買わされたり(象のぬいぐるみ)。象がいっぱい出てくるっておもしろいな。それにしても妙な動物だなぁ。
リチャードギアの鼻ってすごいな、と思ったり。でも、あの電車からダンス教室を見つけるシーンは映画だった。
作り手側の経験があると、そもそも「テレビに楽しませてもらう」という意識が希薄なのである。
メタなところに目が行くからという可能性がある。例)
バラエティとはそれを知らないとどうなるかという非常識を見せているだけであり、視聴者自身にとって得る物は少ない。
得る物が少ないとわかっているから、楽しませてもらえられない。(この話題はここまで、あとは、選択して見るということに話が移る。でも、選択するためには見なければわからないという罠)
楽譜からレコード(CDでも良いけど)に消費が移動するというのは、19世紀から20世紀にかけて西洋音楽が直面した問題だし、この10年ちょっと前くらいに、プログラミング雑誌が消えて無くなったことと同じことだろうけど。で、代わりにオプソ活用法とかに変わるわけだけど。まあ、問題領域に絞るってことはそれはそれでOKではあるが。
作るな、作るな、作るな、か。はいはい。
でも、おれは作るけどね。どんどん作ればいいんだよ。
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