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こういうの(というのは直接のリンク先じゃなくて、その先のこと)が好きな/進めている人が相手にしている人=製造業モデルみたいなことが大好きなのか、そういうことを言う人たち、って、実装して確認していない車に乗ったりするのかな。
とか思ったが133kmまでは大丈夫なはずだけど、実際に試していない/試せないから120kmくらいでも、とかまあ、世の中にはいろいろリスクはあるものだ。
でも、こないだ目の当たり(めのあたりじゃなくて、まのあたりと読む)にした、実際のコードでどう考えても考えていないすばらしくデザインパターンにのっとった雀を取るだけなのに波動砲というかフォトントービドーというかとにかく馬鹿でっかな大砲を作りましたみたいなソフトウェアを考えると、ことはそう単純でもないように思える。
いろいろなところがあるから必ずしもそうは言い切れないだろうが、
開発者―納品先
というだけじゃなくて
開発者―開発者―納品先
という場合のことだが(いわゆる2次請けとかじゃない)、ジャンルでいくと
ミドルウェア(フレームワーク)―アプリケーション―システム
と分けた場合に、最初と2番目ですらまともにコミュニケーションが成立していないことがあるのじゃないかということだ。
横須賀のほうの軍曹のやつを読んでいて1番不快になったのは、このフレームワークはきみらにゃ難しすぎたようだねへらへらとか言いながら去っていく連中の存在だ。この部分こそ本来、1番簡単にオンサイト顧客開発が可能なんじゃないか? いや、可能だ。しかも顧客ったって、プログラマなんだから共通の言語で会話できるんだからもっともスムーズに要件の吸い上げと実装の確認が可能なはずだ。
それがどの面下げて「難しすぎたようだねへらへら」と言えるのだろうか?
開発者―a―開発者―b―納品先
で、aについてのことを書いているのだが、bの部分で、「おや、動かないコンピュータですか。きみらにゃ難しすぎたようだねへらへら」なんてのが通用しないのは誰でもわかる。それが、aの部分でそれが成立可能だとしたら、それはあまりにもふざけた話じゃなかろうか。難しいといえるということは、難しい部分について把握していたということだ。その難しい部分を解決するのがプログラムだ。つまり、このくずのような連中はプログラムをまともに作ることさえできていないということじゃないか。
カネの直接的な流れがないのが運の尽きなのか? いや、それも違う。目に見えていないかも知れないがbが得た収益でaが使った先行投資がまかなえるのだから、実際には最左端は最右端ではなく中間を顧客として考える必要がある。
aの溝というのはbの溝より大きいんじゃないか? もしそうだったらそれは不思議だ。bは要求が右から左へ流れるのに、aは要求は神のお告げとして勝手に左の妄想から作られるてるんじゃないのか(というような雀を捕まえるための大砲をこないだ見たからそう思うのだが)、だとしたらなぜそういう変なことが起きるのだろうか。実装して確かめるだけではなく、実装されて確かめるというのも必要なんだろうな。
という疑問を持つと同時に他山の石という言葉を想うのであった。
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私も「難しすぎたようだね」に反応しました。自称「ソフトウェアの専門家」が率いる自称「アーキテクトチーム」様たちがしばしばおっしゃってます。