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とは言え、本当に刺激を受けたのはセリーヌとボリスヴィアンとかだから、そういうのはおいておいて、それなりに役に立ちそうなものから。
これは、高校の作文の教科書だった。で、授業はろくに聞かなかったけどこの本は読みに読んだ。とにかく繰り返し読んだので、高速道路でパンクをしたときに回避方法をかって読んだポルノの1シーンから思い出して事なきを得たというようなどうでも良いエピソードまで覚えている。
というか、刺激は受けてないかも。
というわけで、それは取り消して、あらためて5冊。
言わずと知れたレビーのハッカーズには刺激を受けたなんてものじゃない。ところで、ここには3世代のハッカーが出てくるわけだが、
・LISPハッカー
・Homebrewハッカー
・ゲームプログラミングハッカー
僕は最初のやつが1番好きなんだが、やはり、2番目サイコーとか、3番目ですよ、とかいろいろな人がいるんだろうな。
テレビゲーム―電視遊戯大全(テレビゲーム・ミュージアム・プロジェクト)
UPUのテレビゲーム。これ、すごい本だ。どのくらい刺激を受けたかというと、テレビゲームをする必要がなくなるくらい刺激を受けた。
UNIXネットワークプログラミング〈Vol.1〉ネットワークAPI:ソケットとXTI(W.リチャード スティーヴンス)
ちなみに、手元にあるのは1991年に刊行された原書のソフトカバーと、第2版の翻訳版の2種類。特に最初のやつはいろいろ読んだし、試しにいろいろ実装した。ネットワークプログラミングをCでsocket叩くのなら、いずれにしても読むべき本だろう。
socket(というよりネットワーク)は、びっくりすくらいディスクやメモリーとは異なる。TFTPの行き違いの説明とか本当におもしろい。
ソフトウェア考現学―基礎概念への最新おもしろガイド (Fine soft series)(萩谷 昌己)
すでに何回か貼っているが、ソフトウェア考現学も読んで刺激を受けたな。これを読んだおかげで触ったことも無いAPLが変態で、PL/Iの図体がでかくて、FORTRANとBASICと4人合わせて大阪人だということを知ることができたくらいだ。とういか、この本が書かれた時でも人月の神話が出てきていたりするのだが。
先にプログラマは奴隷ではないといったが、じつをいえば、プログラマを奴隷化するための学問、それが、ソフトウェア工学なのだ。
——P.178
ということだ。語り口の軽さといい、内容の適当さといい、実に名著。
Common LISP―Common LISP言語仕様書(Steele,Guy L.,Jr.)
これは熟読した。言語仕様書というのを隅々まで読んだという点ではこれが最初の本だ。仕様書というものがどういうものか、これを読んで相当わかったような気になったし、言語というものをどう詰めていくのかとか関数とはどう定義するのかとか、実にいろいろ教えられたように思う。にもかかわらず、全然LISPでコードは書けない。読み方がLISPを使う方向から読んだからではないからだ。
追記:別にCLtLを読むことを勧めてるんじゃなくて、あくまでも僕が刺激を受けたということ。それはそれとして、C#でもJavaでもVB.NETでも良いから(このあたりは仕様がオンラインで読める)やはり言語仕様というのは読んだ方が良いとは思う。
こんなとこかな。
行政主催の痴呆シンポジウムなどに出ると、メインの講師がその手のデタラメを教えていたりすることはしょっちゅうで、普通に臨床に関わっていれば、こんなアホなことはいえないのになぁと、天を仰ぐこともしばしばである。ま、この手の人は自分がデタラメをやっているという自覚を得るほどの関わりをすることはないので、非当事者にはそれなりに響く、建て前だけのきれい事をいっていてもそれに気付くことは永遠にないのだけれど。
−−老人介護を楽になる方法から引用
これは、本当に不思議なことだ。痴呆の臨床例についてはわからないけど、相対的に同じ構造(何も知らないやつが何か意味ありげなことを言うと、本来知っているはずの人間がひれ伏してしまうという構造)を見ることがあるからだ。
ひとつの理由として、「言葉」の魔術、つまり「名前をつけること」があるかも知れない。人は、それを良く知っていても名前を知らない(というよりも、名前をつけるという知恵がはたらかない)と、自分が知っていることに対して根拠無く不確実さを感じてしまうのかも知れない。そこに口舌の徒が鳴り物入りで登場、ジャージャーーン。すると、魔法のように、その良く知っている物に名前があることがわかる。ガーン。しかし、どうも自分が良く知っているものとは全然違うように思うし、間違っているような気がするし、変じゃないかとは思うが、もう遅い。魔法にかかってしまっているのだ。何しろ、向こうは名前を知っている!
つまり、かまわんから自分でそれに名前を付ければ良い。後から同じものについてよりメジャーな名前があることを知ったら、その時点で付け替えれば良いだけだ。a = A.newとやって、b = a、とやるとaからbに変わったように表面上は見えるけど最初にA.newしたインスタンスには代わりは無い。
鬼追うもの (1) (プチフラワーコミックス)(佐藤 史生)
名前をつけるのは確か、これだったと思うが、記憶違いかも。
ジェズイットを見習え |
『テレビゲーム―電視遊戯大全』ってスゴいプレミアついているんですね……。
え、そうなの? というか、それはそうかも(内容だけじゃなくて、本自体のエディトリアルデザインも良いし)。
amazon マーケットプレイスでは6万円ですよ。確かに装丁カッコイイ。
ああ、電視遊戯大全でサーチすれば良かったのか。UPUで検索して無くて(ユーピーユーでも駄目)、テレビゲームで検索したらしこたま出てきたのであさましするのをあきらめたんだけど。<br>一応、あさまししておこう。しかし6万円とは。
無闇やたらにaをbとかcなどに言い換えるのは慎重に、ということだと思い、普段の自分に反省しました。。aの根本が見えないのに見えたような気になってしまう自分に・・<br><br>うっ、かなり的外れな事を言った気がする・・
「テレビゲーム―電視遊戯大全」が復刊ドットコムで復刊希望が出ていましたので、投票してみました。
ちょっと微妙かな。たとえば1988年に「DOSマシン大全」という本が仮にあったとして、かつ名著だとして、今、それを読む価値があるのか、というような意味で。<br>その一方で、テレビゲームは文化だから、たとえば1988年に24年組代表作品完全収録+インタビュー+解説だれそれみたいな本があったと仮定したら今でもそれを読む価値はあるかも知れないし。
1988年までのゲームの集大成らしいので、試行錯誤の氾濫を見てみたいです。<br>洗練されていくに従って消えていったものとか、見落とされて追及されていないアイデアとか眠っているのではないかと期待して。
ああ、なるほど。確かに日進月歩のメディアだから、H/Wに追いついていないだけで消えたアイディアとかありそうですね。