著作一覧 |
突然、平田風が吹き荒れた。
駿河城御前試合―南条範夫原作集 (上) (レジェンドコミックシリーズ―平田弘史作品 (5))(平田 弘史)
駿河城御前試合―南条範夫原作集 (下巻) (レジェンドコミックシリーズ―平田弘史作品 (5))(平田 弘史)
最初はこの2冊。
シグルイがどうなるのか知りたくなったせいで、今、手に入る御前試合がこれしかないからつい買ってしまった。
しかし、無明逆流れは劇画化してないのであった。という誤算。というか、劇画化されていなからシグルイなのか。
南条範夫は結構読んだので、各冊後半部の戦国残酷物語のシリーズもほとんど読んだことはあるのだが、あらためて読むとなんだか不愉快な気分になってくる。
それはそれとして、箍が外れたようなもので追加で2冊購入して読み耽る。どうでも良いが耽るがいきなり老けると変換されたが読み老けるというのはおもしろい表現だ。手が遅い人は、勉強しても実行しないから読み老けるとか。
うわぁ、血だるま剣法って、山上たつひこのアレの元ネタだったのか。とどこかで見た構図と思ったら呉智英の解説を読んで納得したり。にしても、衝撃的な絵である。途中、絵が荒れるは、手がついたりなくなったり、おいそれは無茶だろうとか(影丸伝の人体改造のほうがまだ納得するぞ)山ほどの衝撃が待っているが、誰かこの作家の暴走を止めてくれと言うほど暴走していくのであっと言う間に読み終わった。手足を失ってからのスピードと絵の荒れっぷりは恐ろしいものがある。いったい、なんだこれは。
しかし「おのれらに告ぐ」は題が良いが血だるま剣法と並べて読むと興を削がれることはなはだしい。短すぎて心の動きがないからだ(しかし話は目付けを出したせいで妙にうまくまとまっているのであるが)。
血だるま剣法=あしたのジョー
という見方ができるのは、構造が似ているからだ。
明日のジョーは都合3種類の話がある。
力石が死ぬまで。ホセカーロスリベラと殴りあうまで。チャンピオンと戦うまで。
血だるま剣法にも3種類の話がある。
師を斬るに至るまで、四肢を失い山へ去るまで、串刺しになるまで。
で、大方と違って明日のジョーでは僕は3番目がなかなか好きだ。後は終らせるだけなので、適当に引き伸ばすために次々と送り込まれる刺客たちとそれを迎え撃つ。2人の作家がそれぞれやる気を失って単に書いているだけ(だということのようだし、言われてみればルーチン的なのでそれと気付く)なのだが、そこにも工夫もあれば筋もある。横倉会長とそれに貰い泣きする丹下段平のエピソードとか(出世までとハリマオに潰されるまで)好きだな。同じように血だるま剣法でも3番目はもうでたらめもいいところだし、それまでと打って変わって絵が粗いのはページを埋めるために突っ走ったからに見える(「おのれらに告ぐ」ではすっぱり抜け落ちているのは荒唐無稽だからだけではあるまい)。にも関わらず次々と両腕を失った刺客達が襲ってくるところに一つも二つも工夫があり、最後まで何をしでかすかわからない。キムはチョムチョム、ハリマオはコマネズミ、みたいなものだ。
それがし乞食にあらず (平田弘史傑作選 (昭和四五年~四六年))(平田 弘史)
で、こいつは、とにかく題名が素晴らしくて買った。が、よもやこんな物語だとは。というか、冒頭の「我れ枯るるとも」の唐突な決着にまず度肝を抜かれる。これはひどい。ページ数制限がなせる技か? よく読むと「それがし乞食にあらず」を除いて、終り方がすべて唐突だ。というか、腹を斬れば決着がつくというのはなにがなんでも、便法が過ぎるんじゃなかろうか。(御前試合にも、単に馬に乗って去って行く唐突大魔神な話があったがそんなのばかり)
が、物語は物語で作品をまとめるための便法だと考えれば、どの作品も、そこに至る経緯の話だということに思い当たる。至ってしまえばさぶらいの世界、斬って終るは理の当然。したがって、読む側はそこに至るまでの思いを想像するしかあるまい。それを補強するのが細部まで描かれた絵なのであろう(血だるま剣法の3部目は細部がなかったりするけど)。
全然話はずれるが、「ゆうた」とかの表記をことさらあげつらっている点や結局全部の内容を記述してしまっていることから、どうもしたり顔でひとり悦に入っているように思えて、つくづく不愉快な感じを受ける。読み老けた男と呼ぶにふさわしい男であるな、と解説者について感じたのであった。
ジェズイットを見習え |
>力石が死ぬまで。ホセと殴りあうまで。チャンピオンと戦うまで。<br>ホセ・メンドーサはチャンピョンと同一人物な気が…<br>ハリマオでいいのでしょうか?
確かに。カーロス(カルロスかも)リベラですね。ハリマオはボルネオ生まれのハリマオであってると思ったけど。白木葉子が連れて来たやつ。