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とりあえず音の良し悪しについては別として。どうせ地下鉄の中で使うわけだし。
問題は右と左の区別がつかんのだ。
で、黒いパフだかマフだか、とにかくポワポワしたやつをずらすわけ。そうしないとLもRも読めないから。で、すぐにびよんびよんになってくる。で、1ヶ月くらいするとどっこかへ落っことしてなくなる。
Lのほうは、下のグレーがかったやつを白のままにしておくとか、縦棒にちょっとポッチを付けるとか、どうにかならんものか、と思ったがコストの皺寄せがここですか、そうですか。
縦棒が中心にくっついているところが既にダメダメインターフェイスだと思うんだが。(追記:微妙なオフセットがありました。気づかない私がダメダメだったのかも(と、ダメダメだ、と断言できないほどの奥ゆかしい差異)
ボタンを3回素早くクリックすると「左です」とかアナウンスが入るってのはどうだ? ソフトウェアだけでカタがつくからコストはそれほど上昇しないと思うんだが。
以前から(今はどうか知らないけど)飛行機の(エコノミークラスに関しては。きっとビジネスやファーストは違うんだろうが)ヘッドフォンって右も左も書いて無くて不思議でしょうがなかったんだが(でもモノラルってわけじゃないし)、実はそんなことは気にしないものだったのか!
で、突然思い出した微妙に同じような違うようなお話。
すごーく昔のその昔。FMレコパルとかいうような名前の雑誌があって、そこでお宅のステレオ拝見みたいな連載があった(と思う。まさかレコ藝とは思えないけど意外とそっちかも)。
で、相当、音にはうるさそうなこだわりがありそうなタレントというよりは歌手の家にオーディオ評論家が訪れる。
「このステレオはどうした、こうしたで、配線もみんな私がやったのですよ!」
と、とっても得意そう。で、アンプはどれどれを選んで、スピーカーはどこそこのなんとかグレードのどうしたを自分で選んだから、これは本当に音が良いとか、いろいろスピーカーの配置を考えたとか(というほど大したことはなく、どう見ても単に左右に配置してあるだけ)。
で、オーディオ評論家が、チェック!
「どうも変ですね」
「え? 良い音だと思いますけど……」
「いや、これはおかしいな」(ゴソゴソとチェックする)
「え、変ですか……」(不安がいっぱい)
「これ、どうも音の定位が変だと思ったら、+と-が逆でしたよ」
「え、そうなんですか。全然、気づきませんでしたよ〜」(といつの間にか屈託がなくなっている。音が悪い/良いという問題ではなかったからだろう)
なんとなく、無惨であった。
正しく古来ゆかしき(というのは嘘八百八町だが、というかこれも変換してくれないが、死語なのか? 「うそはっぴゃくやちょう」とか、「何で有馬の人形筆(これも変換してくれない)」とか「その手は桑名の焼き蛤(お、これは行けた)」とかおバカで楽しい言葉が無くなるのは当然とはいえ味気ないものだなの八丈島)日本語を使うとどうもイメージがよろしくないとカタカナを使うというたわけた風潮が1970年代くらいにあったじゃん。
昼飯と言えば良いのにランチとか、飯屋と言えば良いのにビストロとか、建物と言えば良いのにビルヂングとか(お、正しくヂが出てきたぞ。ディとか書かされるのかとちょっとどきどきしたが)、歌手と言えば良いのにシンガーとか、山師と言えば良いのにチャレンジャーとか、時代遅れと言えば良いのに「ナウな」とか、バカモノと言えばよいのに「ヤング」とかペを付ければ焼きそばなわけだがとか、だ。
こういうあほうな風潮は1980年代になって急速にすたれたと思ったら、まだ残っていたのか。いや、それとも人々の意識の風化を待って再び甦ったかだ。目覚めよ、失われし虚妄の王国の民よ。
それが「チャレンジ精神」という言葉だ。精神だけ日本語にしてあるところがミソで、もっともらしい印象を与えるんだろうな。1970年代的に「チャレンジスピリット」と言えばさすがに怪しいと感づかれるからだろうからか。
でも日本語には、「戦闘機に竹槍」「戦車に竹槍」とか「自動小銃に日本刀」とか「欲しがりません勝つまでは」とか「軍服殿に敬礼」とか「月をなめるな」とかもっと正確に表現できる言い回しがちゃんとある。カタカタで言い換えればそれで状況が変わるとか、人をだまくらかせるとか、そういうのってとっくに終わったことだったのではなかったのかな。イメージが大切なところはどこも苦しんでいるのクオリア。言霊ですか、そうですか? それにしたって海は死にます山も死にます形あるものすべて滅びる備前徳利その通り。
追記:「精神」ってのは古式ゆかしいそのての言葉であったな、そう言えば。まさにファントム。まさにスピリチュアル。だから、カタカナ+精神で正しくその表現となっているのかも。精神注入棒でデペンデンシイインジェクションが表現出来る程度の実装を伴わないインターフェイス定義に過ぎないわけだしな。
こういうのって、愚かなことだと身にしみたんじゃなかったのか? そんなことが角川文庫だか岩波文庫だかの後に載っていたはずだが(makiさんが流用していたけど)、すっかり喉元過ぎて忘れ去られた暑い夏。
というわけで、日本語は正しく、「チャレンジ精神」ではなく「特攻魂行って来い(別名、行ったきり)」と呼びたいものだ。
ちなみに、努力と工夫でどうにかなるものに戦いを挑むことは、文字通り「挑戦」と呼ぶのだ。
音質へのこだわりと楽曲へのこだわりは全然別物だと僕は思うけどそうじゃない人もいるのかも知れない。
たとえば、左からピコ、次に右からポコというのが繰り返される音楽で、ポコがまったく聞こえないというのは、情報が半減しているということだよね。
音質ってのは、微妙な音の欠如(あるいは追加)であって、音符では表現しきれない情報だから(そういえば音質旋律という概念があったような気がしたけど、違う言葉だったかな。同じ音、確か減ロか何かを異なる楽器の組み合わせで流す部分:追記。大嘘。音色旋律だ)、その意味で大して気にしないというだけのことだ。
というわけで、片方ぶち切るのは、まったくもって却下。
ハープシコードってピアノフォルテと異なってディナミークが無いから、音の強弱というパラメータはない。
で、ピアノフォルテが出てきて音の強弱(音量?)というパラメータがそのての鍵盤楽器には入り込む(他の楽器にはもちろんあったわけだが)。
同じようにグリサンドしたり(歴史はぶっとぶけど)プリペアドしたりすることで音高にもあらたなパラメータが生まれる。4分音なんてのとかも徒花みたいだけどあった。音量、音高、和声があって音程かな。で、4管以上が当然となって音色。で、再現というものが生まれて、音質。ってことは音質っていうのは、エジソン以降のパラメータなんじゃなかろうか?
ってな具合にパラメータが増えるというのをプログラミング言語だとか、サーバーアプリケーションの構成とかにあてはめてちょっと考えてみたが結構、おもしろい。
逆に減るパラメータってのはあるのだろうか?
そう言えば、うま味が正式なパラメータになって、辛み(鹹味じゃないほう)は痛みと等しいから味のパラメータからは削除されている表をこないだ見かけた。
ジェズイットを見習え |
音楽で右と左って可換じゃないんですか?←あんまり気にしてない人。
音楽を再生してみて、不自然だったら逆だと気づくのでは(オーケストラとか)。気が付かなければ可換ということで:-)
そうか、iPodで聴く音楽は可換だったのか! なんとなく納得。<br>でもジョルジオモロダー系(スパークスとか)は微妙に気づくかも。左、右にピコピコしないと不自然。
マジックで印をつけるとか、テープを巻いておくとか。<br># ダサダサとかは言わない約束
正しいステレオ録音だと楽曲と共に位相成分が録音されるので厳密に言うとLとRは可換ではないです。ですからマイク2発だけの加工無しでステレオ録音したオケなんかは逆位相では広がりも無く聞けたもんじゃないですよ。<br>そもそも位相成分なんて気にしないジャンルでは左から聞こえるか右から聞こえるかだけの差なんで気にしなければ可換でしょうね。
先にエントリ見るべきでしたが私の書いた内容自体、思い切り+と-の事とLとRの事を勘違いして書いてしまいました。早とちりもいいところです。失礼しました。
それを読んでから+/-には気をつけているから、取り違えるとどうなるかは知らないんですよ。<br>L/Rについては、違和感がある曲は確かにありますね(実際にスピーカーの配置を間違えていた時とか、忘れたけど何かの曲を聴いて気づいたことがあった。左で汽笛が鳴るとか第1バイオリンが無いとかそういうのではなかったので、それが位相成分に関したことだったのかな?)。
おもしろいことに、+/-ひっくり返した方が、好ましく聴こえたりする事もあるんですよね。部屋の形が完全に対称じゃないからでしょうけど。昔は3ウェイとかが流行って、1つのスピーカーボックスに3つくらいユニットが乗っていて、ネットワークを通るから、もう、こうなると3つのユニットで位相がピッタリ合うなんて事はあり得ないわけで、そういうシステムでは極性がどうのという以前の状況でした。でもみんなありがたがって買ってましたね〜。
懐かしいですね -> マルチウェイ全盛時代<br>ヘッドフォンの場合は一部の製品以外はドライバは一発ですから位相が変に録音されている楽曲はスピーカで効いていた時よりはっきりと解りますよね。<br>アコースティック(ジャンルじゃなく録音)なもの程LR、+-共にきちんと合わせないと聞いた時に違和感でまくりです。
「チャレンジ精神」はもしかすると「frontier spirit」あたりから作られた言葉なのかもしれませんね。「嘘八百」と「八百八町」って別の言葉では?と思ったり。
あ、もちろん別の言葉です。江戸(時代からの)の言い回しで、尻取りみたいに意味のないつなぎ合わせをやって語呂を良くする方法です。大体、地名+名産物を付けます。「なんでありましょう?」の「ありま」と「有馬の人形筆」で「なんでありまの人形筆」とか。<br>僕の年齢だと爺さんとかは普通に喋ってましたが、最近は耳にしませんね。<br>#という伝統的な言い回しは継承しても良いかも、という気持ちと、二葉亭四迷が言文一致という方法論を作るためにこのあたりの言い回しをどう文学に組み込むかという文章を書いていて感銘を受けたので、使える限りは使うつもりってのもある。
iPodのヘッドフォンについて同感です。おかしい。+/-を取り違えると音は広がって(音源が遍在して)聞こえます。昔のラジカセでわざとそう作ったものがあったとか。+/-を左右とも同時に間違えると普通です。当たり前だけど。LRが逆でも脳内(認識レベル)で逆に戻すことが出来ると思う。視覚でも出来るぐらいだから。
>+/-を取り違えると音は広がって(音源が遍在して)聞こえます<br>おお、なるほど。それで上のオーディオ評論家の続きを思い出しました。たしかステレオ自慢側は、オーディオ評論家の「これで正しく聞こえるでしょ?」に対して「なんか前のほうが良かったみたい……」とか答えてました。読んでた時は負け惜しみを言ってるのかと思ったけど、実際に気持ち良い音だったのかも知れませんね。(試してみたくても、LRを自分で結線するようなスピーカーセットは手元にはもう無いけど)<br>>LRが逆でも脳内(認識レベル)で逆に戻すことが出来ると思う<br>なるほど。言われてみればそうかも知れませんね(良く知っている曲なら。むしろ知らない曲のほうが違和感を覚えるかも)
○についてる|がちょっとだけオフセットしているので、<br>訓練したらなんとなく左右わかるようになりました。<br>わかりにくいのに違いありませんが。
ええ、っと確認したらびっくり。本当だ。確かに微妙に違う。<br>……やるなApple。