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3つ並んでる。ということに気づく程度のおらが春(寒いけど)。
と、上のエントリで怠惰をむさぼっているのではあるが、okujiさんのところの議論(かな?)がおもしろい。
創造や芸術の誤解(ツッコミ欄のやり取り含む)
創造という行為(ここにshiroさんが「成長」に関することを含めている点も注目すべきだ)と、金銭を得ることのみを目的とした労働、ただの消費(もっともその人が消費することで別のところでなんらかの創造が行われる可能性もある、と考えると、これは単なる人柱人生だよなと感じるが、もちろん価値ある人生である)、芸術という言葉で何を意味させるか、とかそういったこと。
こういう話題を読むと、多分小学生か中学生のころ読んだ星新一のショートショートを思い出す。ある企業が特に優秀な新入社員をまとめて無人島に送り込み、何も生産的なことはさせないようにする。彼らは退屈していろいろな遊びをする。そしていつまでたっても飽きないゲーム(球技+パズルみたいなの)を作ってそればかりやるようになる。かくしてその企業はそのゲームで市場を席捲するとか。
あるいは狼少年のようなタイプの伝説のようにも思うが、ニカラグアの聾唖の子供達が生み出した言語のこととか。
必ずしも創造に退屈は必要ではないだろうが、でも多忙から何かを生むのはそれなりに難しそうだ。逆にその多忙を創造に結びつけるということが、あのコミュニケーションスキル開発ということなんだろうか(と、突然、チャドファウラーのインド本を思い出す。あの本の本質というか論点は、コミュニケーションスキルやいわゆる業務知識というやつをハッキングすることで本人と経営側双方に幸福がもたらされる――そのために、コミュニケーションスキルとか業務知識というのがハッキングの対象たり得る興味深いジャンルだということを若い技術者に教える――ということだと思う)。
My Job Went To India オフショア時代のソフトウェア開発者サバイバルガイド(Chad Fowler)
(業務システム開発者のための現実的なプラクティス=職業観ハックの本)
創造と退屈とどちらを選ぶかと聞かれたら自由と答える、そんな人にわたしはなりたい。
あるいは、労働者と貴族とどちらを選ぶかと聞かれたら労働する貴族(逆じゃない)と答える、というのもありだなぁ。というか、かくあるべき、かくあるべく、かくあるべし。
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