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えー、これが3部作の最後なのか? それは最期だ。
と絶望のあまり歩いても歩いても小舟のような負け犬3部作のトリを飾る傑作であった(どうでもよいが記号は「敗者」なのに、字幕で「負け犬」という言葉を使ってたので違和感を覚えた。というか、敗者の映画の中にセリフとして「敗者」が出てくるのにはちょっと衝撃を受けた。言葉なので「敗者」とは訳せないから「負け犬」としたのだろうけど)。
浮雲は相当なハッピーエンド。千客万来だし。
続く、顔のない男では、ささやかなハッピーエンド。ちょうど真夜中の虹くらいかな。べらぼうな幸せは来ないけど、でもまあ、ささやかに幸福ではある。未来のことはよくわかんないけど。
でも街のあかりは、違う。白い花のような逆転のカタルシス(には程遠いけど)すらない。
何もない。
でも犬はいる。腹をすかした犬のために勇気を振り絞ってウィスキーをあおってゴリラ(とクレジットには出てた)に立ち向かったりしたからか。
もしかしたら、明日のジョーみたいなもので、別の見方もできるのかも知れない。
でも、たぶん、ありゃだめだな。
つまり、本当の負け犬の映画なのだ。本当の負け犬の映画といえば、ファスビンダーの自由の代償。でも、あれは自由の代償な分だけまだ救いがある。自由を選んだんだから。
ところが、街のあかりは違う。すべての行動がすべて裏目に出て海の見えるところに座り込む。
ああ、それで良いのか。まなざしがある。
#突然気づいたが三原順のマンガって敗者のマンガだったんだな。
で、まあ、負け犬の映画のせいであまり晴れやかでもない気分のまま、ちょっとケータイのldRみてたら、読んだことないマンガを向井さんがお勧めしていたので、なんとなくブックファーストで大人買いして帰って読んだりして。
これ、園長の造形がいいな。物語の全能者なんだが、それをとてもうまく利用しているせいで説教臭くなく、でもうまく状況を説明している。
実は、数年前に築地の三代目のマンガがコンビニマンガになってるんで出ると買う状態なんだが、最初に妻が買ってきたのを読んでやたら気に入った。なんで、このマンガは気持ちが良いんだ? と不思議がっていると、妻いわく、ようするにイヤなヤツが出てこないからではないか? と。イヤというのは別に不快という意味ではなく、たとえば明白なライバルとかでも良い。無理やり言うと寿司ネタ卸の三代目がそれに近いのだが、でもそうではない。最初はスーパーの仕入れのオヤジがそんな感じだったのだが、すぐに変わってしまうので、結局、そういう存在が不在のマンガなわけだ。これがおいしんぼうとかだと課長とか、イヤなヤツが必ずいるもんだ。おそらく、イヤなヤツを出すと物語にメリハリを出しやすいんだろうと想像するわけだが、それが実は読んでいて単に不快感になるのではなかろうか?
ってのは、このZOOKEEPERにも、まったくイヤなヤツが出てこない(ワニを捨てるやつはいたけど)。新人がいろんな部署をたらい回しで見聞を広げるとかいうと、ブラックジャックによろしくが浮かんでくるわけだが、あれなんかイヤなヤツの大全集みたいな不快なマンガだったわけだ(赤ん坊のやつあたりから、そうでもなくなったけど)。
まあ、物語の中にイヤなヤツが出てくるというのは、主人公の主観の問題なのだから、イヤなヤツを主人公が認識する世界かどうかということでもあるし、主人公の性格付けの問題でもある。
というわけで、なんか、いい感じであるなぁ、と思いながらもあっという間に3巻分を読み終わったので子供にやって、おしまい。
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