著作一覧 |
Macも使ってみたいもんだと、iBookを買ったのが2003年の暮だから今を去ること、丸4年だ。
で、情報を得るために(くまりんさんや、よしだむさんからいろいろ教えてもらえたのはありがたかったが、それはそれ、活字も欲しい)、雑誌も買ってみとこうかと、アスキーのMACPOWERを半年くらい買っていた時期があった。
これはとても不思議な雑誌で、すこしもコンピュータ雑誌とは思えなかった(DOS/Vマガジンとかと比べた場合)。エディトリアル雑誌というか、デザイン雑誌というか。なるほど、確かにMacはコンピュータじゃないのか、とか思ったり。でも川崎さんの連載とか読み応えがある記事もあったりするし、僕はエディトリアルは気になるので(突然Cジャーナルを思い出したが、ありゃ逆方向に突出していた。まるで突然変異(という雑誌)みたいだった)しばらくは買っていたのだが、そのうち買うのをやめた。
それから幾星霜……で、次に続く。
MACPOWERに連載されていたらしい(そのころは読んでないので知らない)建築家のエッセイというか作品解説というかをまとめた本をアスキーからもらったので、読み始めた。ちょうどこないだ読んでいたキノコの本を読み終わったからいいタイミングだ。半分ほど読み終わったので、書いても良いだろう。
どうも、毎号1つの自作建築を取り上げて、なぜそういうデザインにしたのか、それはどのような施主の思いを自分なりに解釈した結果なのか、それを実装するためにはどのような技術が必要(あるいは建材が必要)なのか考えたり調べたり探したり、その結果どのような成果物(建物)が生まれたのか、そしてどのように施主に受け入れられたのか、あるいは利用されているのか、それが建築家としての自分のプロフェッションの深化にどうフィードバックされているのか、を、その建物の写真を載せて説明しているのだが、ここまで読めばわかるように、当然のように抜群におもしろい。
というのは、人間の生産活動で真に興味深いのは思考過程と、その成果物のマッチングだからだ(うまく一言で表せていないな)。しかも、それが美とか気持ちとか快感とかに関連することならなおさらだ。
だから、恋という言葉で、施主が自分の建築と個的に付き合う(つまりは住むということだが)ことで、生じて欲しいと望む、特別に親密な関係をさしているようだが、その一方で、この人自身が、作品を生み出すことに傾ける気持ちが、また恋のようなものだ。
わかりにくいかな。でも、次の図に置き換えればわかるだろう。
Matz→Ruby|プログラミング言語←プログラマ
で、プログラマ=施主、Matz=この人(中村拓志)のスタンスということだ。
この関係は、
CODASYL→COBOL|プログラミング言語←プログラマ
という関係とは異なり、妙に個的な関係にある。
そのような建築によって生まれる空間が持つ質というのは本当に空気のようなものになるのかも知れない(でも、読んでいて気づくのは、無名の質というものが、実は真に無名であってはならないというパラドックスだ。そこで、はるか昔に読んだ蓮見重彦がブルータスに書いていた評論の一節を思い出す。確か、シュレンドルフの映画がつまらないのはシュレンドルフの個性が作品につきまとっているからで、ゼメキスの映画がつまらないのはゼメキスの個性が作品につきまとっているからで、ブニュエルの映画がすばらしいのはブニュエルには個性なんかないからだ、というような言い回しだったような。真の普遍性を獲得するためには、個性といった夾雑物を昇華しきるほどに個性的でなければならないというような趣旨なんじゃなかったっけな)。
まあ、それはそれとして、南房総の海と山の景観を生かすオペラグラスみたいなかたちの家とか、砂漠の町の森に囲まれたショッピングモール(これは完成予想図まで)とか、子供が自分で使い方を見つけて遊んでいる本来は奥行き感を出すために設けた窪みがある家とか、極度に薄い壁で仕切られた美術館とか、板から家がはえている北国の家とか、それぞれについて、なぜそうなったかの解説を読むのはおもしろい。
というか、依頼主の要望を、依頼主の想像力(知識)では不可能なレベルで実現するために、技術と想像力を駆使してカタチに仕上げる、という一連の流れっていうのは、それがどのような仕事であっても興味深いし、参考になる。(誰だ、建築とソフトウェアは異なると言っていたのは?)
ジェズイットを見習え |
Macはコンピュータじゃないです。<br>どちらかというと、新興宗教にはまった人が買った壷みたいなものです。<br><br><br>Mac最高
もっとポジティブな言い方をしたほうが、それっぽくていいなぁ。<br>たとえば、<br>Macはコンピュータじゃないです。<br>それは、ライフ、まるでワイフ、とか。
くそ、ライスを忘れていた。