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どっちも権威の後ろ立てを利用。たかうじのほうが源平交代説も手伝って有利。政治の規模についていくということ。ごだいごはそれができなかった。権威の安売りはだめ→大塔宮、というか、子供(こううみたい)。悪党というのは山賊に対応する。
いろいろ。
歴史の解説書みたいなものを別とすれば、太平記の時代、つまり鎌倉幕府の最後の将軍権力者の北条高時の治世に始まり、足利義満(室町幕府3代将軍)の誕生まででちゃんと読んだのは、山田風太郎だ。
これは、最晩年のひょうひょうとした融通にして無碍の境地の作品で、南北朝時代という形勢逆転に次ぐ逆転、昨日の敵は今日の友に寝首をかかれてさようならな時代を、とてつもなくわかりやすく書いていて、1950年代のへたくそな説明せりふが続く探偵小説家と同じ作家とは思えないほどのできだ。いい作品だ。
というのを3冊使えるとは言え、太平記(中学生のころに読んで途中で登場人物のまとまりのなさに挫折した記憶がある。上で比較しているが三国志のほうが練れているのは、政治的な習熟度という理由もあるのではないだろうか。つまり、項羽と劉邦のころの政治的未熟さの時代に三国志並みの登場人物が出てきているようなものだ)にそって書いたさいとうたかを(プロダクション)のストーリーをダイジェストする力量というのは、ただものではない、のはゴルゴ13でおなじみであった。
たとえば、僕の大好きな観応の擾乱。足利政権が安定した治世を京都にもたらして(南朝は吉野でほぼ死に体となっている)いる、この時代の敵味方の関係がちゃんと把握できる。山田風太郎も、さすがに観応の擾乱については、面倒であるというようなセリフで適当に切り上げていたような記憶があるけど。
しかし、いくら昨日読んだばかりとはいえ、相手は観応の擾乱、本を見ずに正しく経緯を書けるだろうか。いや、無理だ。したがって、でたらめの可能性は捨てきれない。
高師直(足利家の執権)の戦闘能力が突出してきて、吉野を破壊して、ほぼ南朝を壊滅させたために(しかし、尊氏の弟の直義がとどめをさすのを止めたのはどのような深慮遠謀によるものなのか)、我が世の春とばかりに主家を無視する増長ぶり。
しかも、貴族や寺社との調停も政治と心掛ける直義に対して、武士を徹底的に厚遇する、ある意味、すぐれた時代感覚もあり、高家の人気は高まるばかり。天皇なんか木か金で作って飾っておけば良かろう(京都だから仏像とか見て、そう考えたのだろうな)というある意味、正鵠を射た発言まで飛び出して、ますます武士からの人気はうなぎのぼり。
そこに塩冶判官の奥さんに横恋慕してどうたらこうたらしてついに塩冶判官を讒言して自害に追い込む無法ぶり(ここは、明から大順から清へと続く、李自成と牛金星と呉三桂の確執の先取りっぽい)、ついに直義が高家暗殺計画を立てるにいたる。
しかし、暗殺計画は未然にばれてしまったために、直義は高師直の軍に追われ、からくも尊氏の屋敷に逃げ込み、めんどうだから兄弟まとめて殺してしまえという考えも浮かんだものの、そうは言っても尊氏の人気はあなどりがたく、師直、尊氏と談判して直義は出家させることでその場は納まった。(なんとなく、家康のところに逃げ込む三成に対して迫る加藤清正の300年前バージョンという感じである)。
(ここで塩冶判官とのいきさつがあるのかも)
ついに怒り心頭、直義、挙兵する。と言っても、武士は尊氏と師直についているから、ちょっと考える。考えた末、吉野に行って、南朝と直談判、兵隊借りて、錦の御旗ももらって、京都へ攻めのぼる。
師直最初はうまく戦うが、京は攻めるに易く、守るに難し、逃げる途中で殺されてしまう。直義、北朝の天皇を抱え込んで、京を支配。南朝無視。
なぜか尊氏は逃げてしまったのだが、よくよく考えて、挙兵して京へ攻めのぼる。が、敗けてしまった。そこで尊氏、吉野へ行き、南朝と直談判、兵隊借りて、錦の御旗ももらって、京都へ攻めのぼる。
義直最初はうまく戦うが、京は攻めるに易く、守るに難し、逃げる途中で捕まってしまう。
違うな。これでは単純すぎる。尊氏の息子で義直の養子になっている直冬と九州軍団の進撃とかもあったはずだ。
それに、最後は南朝がどさくさまぎれに京都と鎌倉を占拠したりするはずだが、やっぱりきちんと把握するのは難しい。しかも、山盛りてんこもりの人間模様だのなんだのの彩りがあるわけであり。
という具合に、太平記の時代はおもしろいのであった。
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北条は将軍じゃなくて執権ですぅ。
確かにそうですね。しかも太平記の中で活躍するのは出家した後の坊さん時代だったわけで、結構、そのあたりからして、ややこしいですよね。
というか、直義が途中から義直になる乱暴狼藉はいかがなものかわ。というか、どっちだ?