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irbでテストしてたから気づかなかったけど、拡張ライブラリだから評価は構文木作った後になる。だから、文法エラーは日本語化されない。当たり前のことであった。
まったく存在自体を知らなかったのだが、きのうアスキーに行ったら受付に等身大のこれが置いてあって目がテンになった。で、思わず記念撮影。
なんだ、このもすごくかわいい段ボールのロボットは?
で、あとになってダンボーという名前を知ってちょっと検索したら、すごい有名人でもっとびっくりしたり。
ちゃんとアマゾンで売ってたり(アスキーに住んでいるのとは別のものみたいだけど。目は光らなかったし、質感もなにも本物の段ボールだったし)。
こっちはもっとくだらないなぁ(感嘆)。
【Amazon.co.jp限定】 リボルテック ダンボー Amazon.co.jpボックスver(-)
でも、アマゾンでこれが売ってるってことは、楽天バージョンとか、cbook24バージョンとかもあるんだろうか?
マーラー: 交響曲「大地の歌」 ほか(ケルスティン・トルボルク)
ヴァイオリンの音が甘美だというのは、欧州が2度目の大戦を始めるまでの話だ。
70年代には「甘美」なヴァイオリニストというのはまだ残っていたかも知れない。しかし、みんな(メニューヒンやオイストラフを挙げようか?)新古典主義の洗礼を受けていたし、突然、イスラエルからやってきたズーカーマンとパールマンという当時の若手の中に、過去の何かをみとめることができたくらいのことだ。
甘美なヴァイオリンというのは、ある種の演奏様式であり技術である。つまり、ポルタメントと僅かなルバートのことだ。
それは音を揃いにくくするし、あまりに微妙な加減が要求されるので、巨大なホールで整然と、録音も可能な正確さで、しかもある程度の大きな音を維持するには、向かない技術だったと思える。
最後に、チェリビダッケが、新古典様式ではあるものの、戦前の記憶を残しているかのような繊細な演奏で見せることがあったとは言えるにしても、それは明らかに時代的な要請からはずれていたし、捨てるべき過去の技術に過ぎないのだろう。
と、1930年代のウィーン、まだアメリカで録音のための技術を取り込んでいなかった若いワルターが、マーラーの直弟子のワルターが、1936年に、ドイツ零年の1ディケイドほど前に、惜別の音楽をウィーンの楽団と奏でる。細かな装飾に彩られた弦がからみあい、弦の動きに合わせて音が大きくなっては小さくなる、鳥の啼き声。
衰退する産業、技術、媒体は、衰退すべくして衰退するのだから、それはそういうものだ。衰退して消え去って70年(1人分の時間)が経過して、その時の人が味わえば良いのだろう。
ジェズイットを見習え |
ダンボーは無印、amazonバージョンがあって、もうすぐ<br>セブンイレブンバージョンが出ます。
無印というのは、まさに! という感じですね。<br>セブンイレブンはそれに比べるといまいちピンと来ないかも。
「ダンボー 取次ぎ」あたりでgoogると面白いかもしれません。
確かに面白い! けど、なんかさびしくもなってきたような。段ボールに本を詰めるんじゃなくて、ロボット作って盛り上がっている紙媒体の業界ってどうなんだろう。
御無沙汰してます。昨日ボクも同じインスタンスのだんぼーみました!