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akasara.rbの忘年会で、大場さんから、百人一首の競技についていろいろ聞いておもしろかった。
大場さんは5段なのでプロ資格保持者だとか。小学生のころからやっていたので中学の大会で優勝していんちきと言われたとか。素人が札の上に手を構えていても、なぜか勝てるとか。
読み上げにはプロ(専門家)がいて、その人でなければだめなこととか。
相撲の最後でガイジンがヒョーショージョーとかいって表彰するけど(今はどうか知らんけど)、ああいう感じの読み上げだと暴動が起きるんだろうなぁとか、観客席で思わず応援だか歓声だかを上げるとすさまじい勢いで会場全体を敵に回して睨まれてしまうとか。
1つの会場には数10組のペアが競うのだが、読み上げは1人でそれをブロードキャストするということ。しかも秒未満殺の世界。
それが3秒−1秒という組み合わせだということ。3:1というとボクシングの3分−1分が連想されて、なるほど、1対1の格闘技のほどよいリズムなのかなとか。
1人がブロードキャストするということは、もし、日本が和歌の国になって、正月になると全国で一斉に百人一首する状況を考えてみる。
東京で読み上げ者が読み上げる。
秒速は摂氏0度で331メートルということは正月なので東京で読むと九州に到達するには、東京−博多のバスが1150kmらしいので
(1150 * 1000) / 331 = 3474.32024ということは(3474/60)/60 = 0.965で小一時間かかるわけだから、これは勝負にならなくて地方格差と呼ばれてもしょうがないなとか考える。
電信技術ってすげぇな。と突然老境にさしかかったガウスが実験する見てきたようなウソのおもしろさを思い出したり。
世界の測量 ガウスとフンボルトの物語(ダニエル・ケールマン)
そういえば灯っている蝋燭は確かに1本だとか。
ジェズイットを見習え |
×秒速は摂氏0度で331メートル<br>○音速は摂氏0度で331メートル
いいツッコミだけど、「音速は摂氏0度で秒あたり331メートル」ですね。というか、「秒」が抜けると文意を損なうことは「音」と大して変わらないから○ってことはないな。
上記障害報告を取り下げます<br>×秒速は摂氏0度で331メートル <br>○音速は摂氏0度で秒速331メートル
それならいいですね。<br>でも、良く知っているのですが、書き手の意図は違うんですよ。実は「音の」(文脈から読み取れる冗長な形容なので省略)「秒速は……」なんですよ。<br>それはそれとして、ご指摘はありがとうございます。捨てハンドルかと思ったらフォローまで入れてくれてどうもです。
音で伝播しなくてもいいじゃんとか思うわけですが、地デジでどうにかしてインタラクティブにやっても3秒くらいタイムラグがあってダメだったりして。<br>わたしもがきんちょの頃は得意でした。図書館の大会で優勝しておしるこ飲む程度でしたけど。
>優勝しておしるこ飲む<br>負けるとおしるこ抜き? それはちびしい。
音に寄せるときびしいの意味だし、形に寄せるとさびしいの意味になる便利な言葉だな。
読みましたよ『世界の測量』。すげえ面白かった。これがベストセラーになるドイツって…。ただ、ガウスのいわゆる「驚異の定理」をネタにしなかったのはちょっと残念。この定理は、「世界の中に在って世界の曲がり方を計算できる」という定理で、いわば自分の頭が狂っているかどうか、自分でよーく考えると分かる、という定理。わざと避けたか。
おもしろいですね、この本。ベストセラーになる……というのは僕も感じたけど、そこが欧州ってものなんでしょう。<br>驚異の法則というのは(まあ自分でもそうだろうとは思いますが)初耳で、http://blog.livedoor.jp/calc/archives/50366550.html というページを見つけたのはいいけれど、いかんせん、基本量(で、http://www.lbm.go.jp/toda/physics/vector/node1.html を見つけたのは良いけれど)というところで躓いて先へ進めないのでした。
ガウス曲率Kが外在的な量を使ってどのように定義されるかは、<br>http://www.geocities.jp/maeda_hashimoto/tor/tor_ch02pr03p04.htm<br>で感じがつかめると思います。で、Kを内在的な量(第1基本量)で具体的に書くと、<br>http://ameblo.jp/mathing/entry-10129195276.html<br>のようになるのですが、これは記号の羅列を鑑賞するに留めます。定理の意義は、<br>http://www.geocities.jp/ikuro_kotaro/koramu/reman.htm<br>の「【6】ガウスがぶったまげた驚異の定理 」にある通りです。なお、「【5】曲率には2種類ある!」に「驚異の定理」そのものでなく「ガウス・ボンネの定理」があって、これは「三角形の内角の和と180度の差」という内在的な量とKの関係を表しているので、雰囲気としてはこれで十分かと。「驚異の定理」は、面白いのだけどいまいち一般に知られていないのは、コンセプトは非常に明確なんだけど、具体的に式で表現しようとすると著しくテクニカルになってしまう典型的例だからでしょうね。
ありがとうございます。意味は理解できたと思います。それにしても、こんなおもしろいものに気づかずに学生時代を過ごしたのは痛恨ですなぁ。<br>もし一般に知られていたら(ここから与太)ゲーデルの不完全性定理みたいに一般化されたかたちで、奴隷制から民主制へなぜ移行できるのか(政治への適用)、とか、人の国にいて神の国を知ることがなぜできるのか(できないと思うけど、宗教への適用)とかの言説に利用されまくりそうな法則ですね。
奴隷制と民主制はいいけど、神の国はちょっと無理があるかも。外から観察しなくても調べられるということは、最初の原先生の「頭が狂っているかわかる」がわかりやすいですね。
おかげさまで面白い話題を知ることができました。なんとなくアボットの「二次元の世界」を連想してしまいました。
確かに「俺たちは俺たちで何とかしますから」という態度なので、神様的には「バチあたり定理」と言えるかも。<br>しかし、煮ても焼いても食えないガウスのことだから、この定理で本当に驚いたかどうか。計算する前から確信していたのではないか。でも人々がその意義を理解してくれないので「驚異の」といういう言葉を使ってアピールした、というのが僕の説です。大ガウスが驚くこと自体が驚きだから。