著作一覧 |
各位に感謝します。
今回、swin/vrubyのCVS最新+おれパッチを同梱してあります。あの手のライブラリだと1.9対応はどう見積もっても簡単ではないけれど、ほとんど動く(Cygwinだとそのまま動くのだと思う)状態まで進めていたにゃすさんと雪見酒さんに感謝します。
カワイに行って、楽譜を眺めていたら、クルミ割り人形のスコアが目について眺めていたら、子供が欲しがる。おれも欲しい。
でも値段をみたら7000円を超えている。さすがに、ちょっと買えねえよとその場は終わったが、ふとアマゾンで検索してみたら、まあ買えない値段ではない。
Tchaikovsky: The Nutcracker: Complete Ballet In Full Score(Tchaikovsky, Peter Ilyitch)
(粉雪のシーンが表紙というのは胡桃割り人形としてはいかがなものかわ)
楽譜屋だと35ドルが7000円超えで、アマゾンだと3000円弱だが、在庫がいつはけるかわからない楽譜屋さんは辛いなぁと思いながら、結局アマゾンで買ってしまった。
さて、マラーホフ版の眠りの森の美女で、どうにも印象的な音楽なのに、ルグリのやつ(ヌレエフ版)では削除されていたシンデレラだが、あいかわらず思い出せず、子供と不思議がる。
確かにどこかで聴いたのだが、しかも印象的なのだが、しかしメロディーもどこで観たのかも思い出せない。
で、調べるためにカワイに行ったのだが、無いんだなこれが。組曲版(66a)には青い鳥以外は存在しないし。いかに、眠れる森の美女がマイナーか、というよりも長すぎるのが問題なのかも。
で、ついに、思い切ってiTunes Storeで全曲盤を買ってしまう。で、聴いた瞬間に子供が思い出した。
熊川版のクルミ割り人形で、ドロッセルマイヤーとクララの踊りに利用しているという。
言われてみれば、確かにそうかも。
で、あらためて観ると確かにその通り。曲が印象的なのに覚えられなかった理由もわかった。極度に早いパッセージのかけあいなのでメロディーとして記憶できないからだ(さすがにもう覚えたが)。
というか、バレエというのは不思議な音楽だ。
たとえば、交響曲が長すぎるからといって第2楽章の中間部を間引くとかできるか? やったら何を言われることやら。ハースに対するノヴァークとか。あるいはオペラでレシタティーボをすっとばすとか。
でも、バレエじゃ平気でちょんぎる、変える、再構成する、別の曲を引っ張って来る、すべて振付師の思うがままで、それに文句が言われているのは、目につかない(もちろん、深い世界ではいろいろあるのかも知れないが、ただの観客の立場では目にしない)。
こういう演出家の権力がむやみに高い表現芸術というと、映画だな。
たしかに、似てなくもない。
とっかかりとしては、俳優(映画)と舞踏家(バレエ)が、耳目を集める。しかし、実際に設計し、構築し、実装を指示する、つまりアーキテクチャを決めるのは監督(というかミゾンセーヌ、場面設定家)(映画)と振付師(バレエ)だ。いずれにしても、脚本家(映画)と作曲家(バレエ)は単なる切り貼り用の題材を提供しているに過ぎない。
それに比べるとオペラは作曲家の権限が異様に高いようだ。というか、そのあたりが、バレエの作曲家が2、3流ばかりの原因なのかも。
で、眠れる森の美女のフィナーレを聴いていると、どうにもリズムの刻みがドリーブっぽい。
そこで、プティパとチャイコフスキーの会話を想像してみたり。
「おい、チャイコ、お前の曲は暗いんだよ」
「や、そうは言っても、もごもご」
「バレエのこたぁ、振付師に任せときゃいいんだ。ずばり、おふらんす風にやってくれ」
「や、そうは言っても、もごもご」
「ほら、あれだよ、あれ。コッペだ、コッペ。あれを使え」
「や、そうは言っても、もごもご」
「とにかく、チャイコ、いいかい、チャイコ、おまえさんの長くてうっとしい曲でうんざりした人々を楽しませるんだ、チャイコ、わかったか、チャイコ、フィナーレはだな、チャイコ、コッペだコッペ、コッペでゴー」
「や、そうは言っても、もごもご」
「おれさまが、振付師だ!」
「わかりました」
とか。
(で、思い出したが、今はともかく、かっては指揮者の権限も異様に高かったようだ。楽想記号は無視するのは今でもありだが、ここでマエストロは死んだとか言って途中で曲を打ち切る、なんてのもあるわけだし)
ジェズイットを見習え |