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新国立劇場。あまりオペラブッファって好きではないのでスルーしようとしていたら、神々の黄昏のとき、ポスター見て子供が観たいというので行った。そのときにボックスオフィスでBが3Fの1列目で手に入ったからってのもあるけど。
オズのような流しのいかさま商人ドゥルカマーラがチェネレントラのときにお父さんをやったブルーノ・デ・シモーネで、今回も芸達者。このコアクマ(え、変換できないのか)めの歌詞を一回だけブリッコと翻訳して唄って受けを取っていた。
しかし特筆すべきはネモリーノのジョセフ・カレヤで、びっくりするほどいい声で、最初の登場シーンではびっくりした。が、残念、おれにはやっぱりドニゼッティは退屈で、途中で死にそうになったけど。
顔はおっかないが、実に良い声。イタリア(マルタだそうだけど)の歌手っていいよな。
アディーナ役のタチアナ・リスニックは写真でみるとただのおばさん(若いはずなので写真がまずいのだろう)だが、歌って演技していれば、確かに、才気あふれる小悪魔っぷり。それにしても、「わたしは薬なんていらないわ。だって、わたしは持ってるもん。それは、わたし。わたしのかわいい顔よ。わたしに見つめられたらどんな男だってメロメロよ」なんていうばかばかしい歌こそ、まさに大衆芸能なんだが、舞台を観に来ているのは紳士淑女の諸君なわけで(おれもそうなのか)、オペラって本当におもしれぇな。
で、つくづく思うのはオペラブッファはCDとかレコードで聴けばそれはつまらなくてうんざりするしろものだが(モーツァルトがどれだけ別格かということだ)、舞台で観るとそれは本当に愉しい。
あと、与那城敬という人のベルコーレも実に立派なものだった。
実のところ、愛の妙薬というのは筋は知らなくて、プログラムを買って読んで、ベルコーレってのは色男で滑稽な笑いを取る役(軍人だし)だが、実は恋敵を死地に送り込むような冷徹な計算をする悪いやつのような説明を真に受けていたのだが、少なくとも演出と対訳と演技からは、気持ちのよい戦争と女性が大好きな色男で、恋敵といえども金に困っていれば軍隊に誘ってやって、仲間を増やして楽しもう(こいつは前代未聞だぜ、恋敵を仲間にするなんて、だって軍隊愉しいからさ、というような歌を気持ちよく歌う)、というような役回りに見えて、どうしてこうまで異なるのかと奇異の念を持った。
演出は、文字と書物をベースにしたもの。カーテンが文字なのだが、Gは右下2箇所のみ、YとWは存在しない。最初縦三本がHかと思ったがHは一箇所だけあった。
モンモウ(おい、これも変換できないぞ)文メクラ(これも変換できないが、どうやって入力したらよいんだ? IMEパッドかな)文盲(音読みでやっと入力できた)の主人公(入隊申込書のサインを一瞬ためらう(当然、ちょっと戦争行くのを躊躇するのかと思わせて)やいなやベルコーレに「×でOK」と言わせるくらいだし、アディーナが本を読むのを尊敬して眺めていたりする)だから文字と書物なのか、実際書物はトリスタンとイゾルデ(イゾテッテ)だけど、それとも文字と書物こそが魔術なのか、まったく深い意図はないのか、いろいろ意味づけを考えさせる記号そのもの(文字はそれ自体が記号だ)というメタ構成であると同時に、建物にもテーブルにも自在に利用できる便利な大道具でもあるという実用性を兼ね備えたおもしろい舞台芸術。
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