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日々の破片

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2010-09-18

_ 英国ロイヤルオペラのマノン

今日は(というか、昨日の17日)上野でマスネのマノン。席は4階中央。遠いが見晴らしは良く、音も良く通る。

マノン・レスコーを聴くのはこれが最初(と思ったが、後で確認したらデュエットで神父さんになったデ・グリューを訪れるとこを持っていた。が、ほとんど聴いたことがないとわかるiTunesの便利さ)。

1幕があくと、遠近感を強調するために2階の町並みを極端に小さくしたセットに紳士・淑女がやって来て宿屋の前で暴れるところ。こう始まるのか。セットの極端さが妙な効果を生み面白い。突然プワソンと聞こえて字幕に魚と出ていて、ああ、フランス語なのかと気づく。

しばらくして田舎娘に扮したネトレプコが出てきてきょろきょろちょこなんと振る舞うのに見とれる。大歌手だと思うから見事に見えるのか、見事に振る舞うから大歌手なのか、先入見があるので判断は難しい。トランクに腰掛けて脚をぶらぶら。40近いはずだが、舞台の上には世の中に対する好奇心でいっぱいの小娘が活き活きと動き回る。わたしは楽しむのが大好きの歌。デ・グリューは深みと甘みのある好きなタイプの声。きっとラテンの人だろうと思い、あとで配役表を見ると母音で終わる名前なのできっとそうだろう。オペラグラスで観ている子供によるともみあげが長いおっさんっぽいとのことだが、遠目にはがっしりタイプだが情熱的な騎士(称号が)っぽくて声と合わせて良い感じだ。というか、こんなにおっちょこちょいな出奔劇とは知らなかった。これがマノン・レスコーの物語という妙な台詞で自己紹介。それが枠組みになっていたと気づくのは最終幕が閉じたときだ。

幕間(合間はアイマと読むのだが、アイアイと読むことにすると面白い)は暗転のみで休憩なく2幕へ。というか、どの幕もぱっと暗転する演出。始まりはオーケストラのほうを向くやいなや振り始めるパッパーノスタイル(と2日目だとそう思う)。

2幕の妙な櫓に組んだ神田川沿いの四畳半のようなセーヌ河沿いのアパルトマンのセットも良い感じ。左側は一度デグリューがうろついたが屋根のようだな(明かり取りの窓が描かれている)。

小さなテーブルだったけど私たちには大きすぎたの歌とか、おおネトレプコだなぁと。良くのびる固い声。とにかく、歌もそうだが立ち居振る舞いが美しい。このあたりで、チャラララータチャララララーというモティーフがこの曲のイデフィクセなのだなと気づいた。というか、この後を含めて、このメロディー以外まったく記憶に残らない。妙な作曲家だ。

後頭部を鈍器で殴って気絶させるというあまりに乱暴な誘拐方法にびっくり(きっと、この後のデグリューの奇行は、この時に生じた脳障害ということだろう。違うと思うけど)。あと台詞の付け方によって、従兄レスコーに好感を持つ。どうにも良くわからないが、同時代のカルメンのホセと言い、兵士とオペラの関係(記憶の上だと愛の妙薬もそうかも)の良さというのは何なのだろうか。

この幕はいいなぁ。歌もセットも大好きだ。

3幕1場。大通りの喧噪。おや、これはボエームだなと気づく。その前がパリのアパルトマンだし。というかそもそもプッチーニもマノン・レスコーを作っていた。しかもマノンは大通りの女王として君臨して、ムゼッタ以外の何者でもない。プッチーニは自分のマノン・レスコーではマスネの影響を排除しているが、でも次のラボエームでは脚本的にオマージュを捧げたのかな? その歴史的な流れの1つとしてこの公演のマノン・レスコーと椿姫という2つの作品の組み合わせにも意味があることに気づく。椿姫は直接のマノンレスコーの子供だからだ。

この舞台でも親父役は堂々たる歌手がやっている。パリオペラ座が来るよという触れ込みだがコールドの揃わなさから考えるにやって来たのはロイヤルだな。というのはどうでも良いが紳士たちはチュチュをめくるだけでは済まず、最後は誘拐していくとは実におそろしい通りだ。

2場、左が寝室、右が礼拝堂という不思議なセット。それにしてもひどい話だ。カソリック教徒なら憤激するだろう。靴を脱ぎ捨てて抱擁して暗転。

話はひどいが歌はすばらしく美しい。ここでもチャララララーというモティーフが目立つ。

《ハートに灯を点けて》―情熱のデュエット (限定盤)(ジャコモ・プッチーニ)

これに収録されている君かあなたでしたか、だな。

4幕。右に縦の線。左に横の線。不思議な賭博場。テーブルを2つ並べて勝負。中段の右に別の部屋があるらしく、そこで乱闘。最後に親父の説教ソング。続けて4重唱で、ざまあみろ+もう勘弁ならぬ+やめろ+お慈悲を(だと思う)(ヴェルディの4重唱と比べると音の重ね具合が単純なのでそれぞれがうまい具合に分離していないように感じる。ヴェルディのx重唱というのはどうにも不思議な存在だ)。ひどい話だ。

5幕。連行されてきたマノンがいきなり袋だたきにされる演出。なんで袋だたきなんだ? (歩けなくて座り込んだから、とかそんなことだろうか)従兄レスコーが話をつけて助ける。ぼろぼろの服(この衣装でカーテンコールしたのだが、それはとても良い効果があるように感じた)。ネトレプコの亡霊のような動き(足使いを見せずに横移動する)。これがマノン・レスコーの物語と言って息絶える。最初と最後が灰色の服。

指揮は今日のほうが良い。曲のせいかな。特に4幕か5幕の序曲の2番目の主題のところで妙に交響楽的に音の渦が湧き上がるところ。

曲の印象はチャララララーというモティーフだけ。きれいなオーケストレーションだった記憶があるのだが、また、情景や言葉との結びつけもうまいように思うのだが、これというメロディーに欠けているように思う。マスネってオペラ作曲家よりも純器楽曲のほうが向いている作家なのではないかなぁ。逆にこれといった歌がないため、ほとんど途切れる必要がなく、それが指揮者のスタイルと合っていたのかも知れない(と、たった2作品を聴いただけで傾向を決めつける)。

いずれにしても、ネトレプコを含め、この作品を生の舞台で観られたというのは実に喜ばしいことだ。それ以外のメディアであれば曲の単調さによって途中でいやになってしまっただろう。演出(装置)、歌手(声と動き。特に動き)、管弦楽いずれも良かった。

パリ・オペラ座バレエ 「椿姫」 [DVD](パリ・オペラ座バレエ団)

マノン<-椿姫 の関係を示した作品。


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