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人は自分のインセンティブを高めるためなら平然とダブルスタンダードをやらかしてくれる。
今、次の言明について考える。
文章はわかりやすさをもって本分とし、漢語はもちろんのこととして、倒置法、体言止めなどの本則を外れた表現、陽か陰かを問わず喩えを排除せよ、と。
でも。実のところその言葉を吐き出した同じ口から、次のような言葉が出て来ることがある。
もっとエレガントなコードを! パターンを! switchを捨てよ! 重複を排除せよ!
この口は頭が悪いのだろうか?
エレガントなコードは良くて、エレガントな文章は悪いのか?
だが結論を急ぐことはまったくない。
光あるところに影がある。
別の側には、非エレガントコードの推進派がいるのだ。
かれらの叫びに耳を傾けてみよう。
コードはわかりやすさをもって本分とすること。3項演算子はもちろんのこと、仮想関数は利用せずswitchに場合を列挙せよ、すべてのポインタ演算はこれを認めず、言語はVBをもって本則とす。
ああ同じだ。
同じ狭量と猜疑の発露だ。くだらねぇ。
どっちも愚かなのだが、インセンティブからは明白だ。
実際はわかりやすいもエレガントも確固たる評価軸はなく、想定する受け止め手の知的レベルとそれに対する自己の希少性で損益を分岐させているだけのことだ。
わかりやすさを求められたら一言、修業が足りないのだから精進せよと返せば良い。
だが、それでも表現如何にあるべきかを求める旅こそ人生なれば、人はエレガンスを極めるべきなのだ。
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