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あらためてクレメンスクラウスが振った蝙蝠(狙っているわけではなく、図書館で借りられたのがクラウス盤だったのだが、なんと見事な選択であることか)を聴いたり、クライバーが振った蝙蝠を観たりしていてつくづく感じることは、彼らの終末が実に優雅だということだ。
(ヴァルターの大地の歌で見事な厭世っぷりを示しているパツァークがアイゼンシュタインを唄っている)
HMVのは解説がおもしろい。なるほどなぁというか、クラウスって不思議な指揮者だな。
クラウス盤がドイツ零年に近い終末どまんなか(オーストリーだけど同じ帝国ということで一つに勘定してしまうわけだが)ならば、元のこうもりそのものが、1874年の作で、普墺戦争に敗けてハンガリーと2重帝国を作ってというようなぼろぼろの時期で、そこで作られた最も楽しいオペラがこうもりだ。
こうもりといっても日和見主義ではなく、仮装舞踏会に蝙蝠の扮装をしていって酔っ払って寝てしまったら、悪友が大広場にその恰好のまま捨ててきてしまい、結果として翌朝、衆人環視の中をこうもりのかっこうで家に歩いて帰ることになり、末代まで近所の子供からこうもり博士と呼ばれることになった男の、その張本人たる悪友に対する恐るべき復讐の物語だ。
序曲の途中ではじまる、きれいでリズミカルな曲が、劇の中では「これでお別れね……悲しい悲しい悲しいわ」という歌で、きれいにみんなで悲しみながら夜に待っているパーティーやら復讐やら罠やらを考えてウキウキ踊り出すという、まるでフランソワオゾンが映画でへたに真似ているような終末感で、最初歌詞を知らずにビデオで観ていて、お、あの曲だなと思いながら字幕を読んで振り付け観て意味がわかってびっくりした。メロディーと歌詞と行動が全然違うじゃん。というか、全編そんなのばっかりだから、観なければおもしろくないはずだが、一度、舞台を知ってしまえばCDを聴いていても楽しい。
で、そういう無内容な終末を100年過ごして、壊滅的にゼロ年を迎えたドイツ(オーストリー)だけど、優雅ということは良いものだ。
というわけで、優雅な終末を迎えるといいなぁと、こうもりを聴きながらしんみりと(もちろん足はワルツを踊っているのだが)思うくそ暑い夏の昼。
(ときどき、焼石に水の横に広がったダンスは夢に出てきて、猛烈にうなされるのだった)
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