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クロードミレールの『ある秘密』を観にイメージフォーラム。
(2回バラ売りと3枚券が同じ値段なので、先日2本観たときに、友人が気をきかせて3枚券を買ってくれていたのだった)
クロードミレールは、トリュフォーの弟子筋だけど、ジャンルが普通の娯楽映画に分類されてしまうような映画しか撮らないので、シャルロットゲンズブールが主演したレフロンテとか、小さな女泥棒は日本で公開されたけど(多分、アイドル映画枠)、後は鷹の眼(だと思うが、確かパルコパート3で観た。イザベル・アジャーニが出ていたような)とか、結局観れずじまいだった一番上手な歩き方くらいしか公開されてないんじゃないかなぁ。
で、どんな映画かも知らないまま始まる。
すると、貧弱な子供を古臭い水着の女性がプールへ連れて行き、自分は飛び込み台から飛び込む(で、レフロンテを思い出したのだな、おれは)。ここまでで、古臭い水着を通して乳首の突起とかむき出しの脚とか肩とか、実にいやらしくというか、セクシャルに撮るので、ああー思い出した、確かにトリュフォー(やたらと女性の生脚を撮る)の弟子筋というかクロードミレールは、こういう舐めまわす妙な視線の文体の人だったよと思い出す。水着が古臭いはずで、1955年とクレジットが出る。
すると1985年に変わる。デプレシャンの映画に良く出てくる人だと思う役者がその子供のなれの果てを演じる。
いったい、これはどういう話なんだ? とちんぷんかんぷんで観続ける。
この映画は結局、一種のサスペンス映画ではあるが、おそらく今後再公開されることもないだろうから、以降、すべての物語を自分の備忘のために書く。心理的なサスペンス劇として味わう予定の人は、以降を読むべきではない。と一応、書いておく。
子供は虚弱な自分の代わりとなる、たくましい幻影の兄の存在を想像する。それが高じて、食卓に兄の分の皿を出す。両親がそれを不審に思う。「兄さんの皿だよ」。親父激昂する。
屋根裏の整理をする母親。子供、何の気なしにトランクを開けると、馬のぬいぐるみが出てくる。もらっていい? と訊くと、あわてて取り上げてトランクに元通りに戻す母親。
ここまで、兄貴の幻影の映像もあって、まるで静かなホラーだ。
同じアパルトマンの向かいで薬剤師と整体師(母親が全裸でマッサージを受ける、また異様に長いセクシャルなシーンがそのうち入ることになるが、実にきっかいな作者だなぁ)を兼ねる(良くわからないが民間療法師ということなのかな)、両親の旧友らしい独身女性(もちろんおばさん)。
1942年から疎開したことが語られる。想像上の両親の疎開物語。
しかし、段々と核心に近づく。カソリックの洗礼を受ける(のだと思う)ことと、それを祖父には内緒にしなければならないということ、名前の綴りとか、外国人のおれにも、ユダヤの話だなというのは感づいてくる。
中学生になったときに、アウシュビッツのドキュメンタリーを観る授業を受けていると、クラスメートが「ユダ公にはいい薬だったよな」というような戯れ口を叩く。そこで殴り合いになる。両親に喧嘩の理由は話さないのだが、近所のおばさんはなんとなくわかってくれる。さらには、アプローチしてくる同じ学校の女の子のエピソード(苗字のこと)。そこから、徐々に、ドイツ支配下というか、ヴィシー政権時代の両親の過去がわかってくる。
実際に、たくましくスポーツ万能の兄貴がいたことや、母親は最初から父親の妻だったのではなく、その兄貴の母親が別にいたことなど。
とは言え、心理劇なので、兄貴の母親と兄貴は、その時点で予想がつくようにナチスに殺されたのではなく(結果論は別として)、主人公の母親に対する、兄貴の母親の嫉妬(というよりも、不安と恐れなのだろう)による、一種の無理心中だということが、現場に常にいる整体師によって語られる。
(が、なぜ疎開せざるを得なくなるのか、というか、実際には疎開ではなく、亡命をすることになるのかであるとか、どんどんフランス人の客が来なくなり店が成り立たなくなる様子、父親自身の反ユダヤ主義、書いているうちに思い出したが、結婚式(父親側に合わせてカソリック教会で、母親側に合わせてユダヤ教会で、都合2回行っているのだと思う)のシーンは興味深かった)、この映画は家族映画なので、ユダヤ人以外はほとんど出てこない(が、親父や山羊ひげの親戚はともかく、ユダヤ人といっても見た目はばらばらだから、なんだかさっぱりわからない。中国人ですか韓国人ですか日本人ですか、みたいなものだな)ことで、フランス人(この場合はゴール人とかラテン人ということになるのかなぁ、ユダヤ人ではない人たちということ)もナチスに協力していたんだよ、ということは黙って語られている)
それにしても、最初の妻との結婚式が始まる前の場面での、父親の視線と、主人公の母親の撮り方、河で水泳をする主人公の母親、窓から眺める父親、視線と視られていることに直接気付かないフィルムの中の人物と、そういう撮られ方をされている役者そのものとか、実に細かく映画らしい映画だ。
最後、この物語を語る大人になっている主人公が、この話を物語っている(娘と一緒にいる)場所が、今は廃墟となったピエール・ラヴァルの娘の別荘であることが語られる。そこには墓地があり、刻まれた名前(ディグディグとかモナーとか)から、そこがラヴァル家のペットセメタリーであることが示される。墓碑銘(つまり多分、犬の名前)を子供が読み上げる。1匹に1つの立派な墓である。
それに続けて、おそらくヴィシー政権時代に強制収容所に(フランス人の政権の手によって)送られて殺されたユダヤ人の名前を刻みこんだ1つの墓碑が映る。おしまい。
2007年の映画だそうだが。
この映画については、公開時のコンテキストが見えないのだが、
1) 多くのフランス人は、ヴィシー政権時代のことを忘れたか、または忘れたふりをしているので、それに対する(一種の)異議申し立て
(そういえば、両親はシモンとアンナは存在しなかったかのように振る舞った(あるいは彼らの名前を口に出すことはなかった)、というようなディアログがあった)
2) というか、(これも映画の中のディアログにあったが)、ナチスが悪いということにしているが、いやいや皆さん、皆さんが協力したのですよね、という(一種の)異議申し立て
が、根底にあるのかな?
(父親の父親だと思うが、ドレフュスの名前を口に出して、フランス人は、ユダヤ人が嫌いだから(この国でも良からぬことが起きるぞ)、と言わせているわけだ)
と、不思議に思っていたら、原作が翻訳されていることに気付く。で、アマゾン評を読み、フランスの高校生が2004年にベストに選んだとか書いてあって、うーんと複雑な気持ちになる。
ある秘密 (新潮クレスト・ブックス)(フィリップ グランベール)
日本で、1930年代から1950年までの家族の歴史を、きれいごと抜きで知っている(それは聞かされている、ということになるのだが)家庭ってどのくらいあるのかなぁと、跳ね返ってくるからだ。
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