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下部構造はとっくに資本主義になっているのだが、どうも上部構造は未だに封建制を引きずっているのだなと、『正社員』(とそこからリンクされているページ)を読みながら考える。
江戸時代、やんごとなき事情で藩がお取り潰しになる。あるいは厳封となりリストラが始まる。その藩に仕官していた侍のほとんどは(別の藩からスカウトされる人脈力があったり特異能力があったりする侍もいないわけではない)途端に食い詰めて(百姓と異なり農地は持たず、商人と異なりビジネススキルは持たず、職人と異なり技術は持たない)、しょうがないので人手が必要そうな江戸へ出てくる。
何人かは誰でもできる傘を張るという刺身タンポポ(でも実体は菊)な仕事につき、何人かは埋め立て工事の現場で働き、何人かは不良浪人として悪いことに手を染め、何人かは佐渡送りになる。
下部構造が劇的に異なるにも関わらず、上部構造はそっくりだ。
というのもそのはず、終身雇用という構造は、出仕して少しずつ出世して、すごいやつなら家老になるけど、一生足軽のままでも取りあえずは食えるという侍のビジネス構造にきわめて似ているからだ。
というようなことは、昭和30年代にはなぜ民主主義(これも上部構造だが、政治のほう)なのに、武士道みたいな生活をしているのだ? という疑問が生まれ、そのあたりの疑念をうまく汲み上げた、サラリーマン小説のベストセラー作家が生まれたりしている。例:南条範夫。武士道とはマゾヒズムと見つけたり――忠義という名目の下、主君の理不尽な命令やお作法という名の非人間的(まあ人権という概念がないわけで)なシステムの下に嬉々と従って苦しみながら死んでいく人を描く)と喝破したのだが、ブラック企業+社畜って昭和30年代にはいわれていたことなのですな。
結局、こういうことかな、と考える。
明治政府は革命(天皇が変わっていないので革命の定義に合わないため、維新とか自称しているけど、その意味では武力による政権交代を一般に意味するクーデターと呼ぶべきだろう。というか、レボリューションを革命と訳すのなら、クーデターも維新と訳すべきですな)によって、資本主義による効率性を取り入れて欧米列強にすぐさま追いつこうとする。そこまでは正しい戦略。そのためにはホワイトカラーを大量に作る必要があり(もちろん工業化するからだが、実際の作業を行う工員は比較的簡単に作ることができる)、そのためのメンタルモデルに武士道を残すことによった。でも、もしかすると軍隊の生成にメンタルモデルとして取り入れたというのも大きそうだ。なぜなら徴兵制によって全国民が一定期間の軍隊内での教育を受け、そこは「軍服様へ敬礼」「軍服様にお前の体を合わせるのだ」といった武士道顔負けの理不尽を導入したわけだからだ)。
追記:メンタルモデルとして取り入れるにあたって、労働法もそれに見合ったものにしていることになる。それが正社員の定義となる。
そのメンタルモデルを破壊して、資本主義に見合った上部構造を構築し直す機会は2度あった。
十分に資本主義が発展した大正デモクラシー期と、敗戦による秩序崩壊時だ。
でも、その2回のチャンスを生かすことはできなかった(とはいえ、2回目の時に軍隊と徴兵制を無くしたおかげで、理不尽度は多少薄まったはずが、高度経済成長のいけいけどんどんが、会社組織の封建制メンタルモデルの強化に進んでしまったのは不幸なことだったのだろうなぁと後知恵で考える。ものの本を読むと、大正と1950年代が相当自由な印象を受ける)。
実は3回目の封建制度からの脱却のチャンスがあって、それがバブルだった。滅私、それ何おいしいの? フリーターですちゃらかですよ、という風潮が生まれたのは良いことだった。需給が完全に逆転したから、封建制メンタルモデルで企業へ勤めるという考えが生まれるわけがない。
が、はじけてしまって逆方向。
これまでの封建制メンタルモデル脱却のチャンスは、ポジ(大正)、ネガ(敗戦)、ポジ(バブル)だった。(今気づいたが、おおざっぱには1920, 1950, 1980と30年周期だ。で、今が2010)
この3つを見ると一番インパクトがあったのはネガの時だ。
ならば、今、再びネガ方向のチャンスが生まれているのかも知れない。
(だが、おれはみんなの党は支持しない)
#というように、おれは進歩史観主義なので、封建制メンタルモデルは捨ててしまったほうが良いと考えるのだが、もちろん世の中には異なる考え方の人もいて、下部構造がどれだけ変化しようが、上部構造としての封建制メンタルモデル(忠義、滅私)こそ最高のビジネスモデルとみなしているのだろう。ものがメンタルモデルだけに、一度染み込んでしまうと変わることはないかも知れないなぁ。
#ヒント:上部構造がどうだろうと、左甚五郎は自由人だ。
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