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いつもの新宿ピカデリーに行き損ねたので、夜にやってる東劇でメトライブビューイングのフランチェスカダリミニ。
神曲にあるというのはなんとなく知っているような気がするが、オペラの存在を知ったのは、ライブビューイングの予告編を観たときだ。当然、作者のザンドナーイ(マスカーニの弟子だそうだ)もこれが初耳。
初耳だろうがなんだろうが、予告編で音が鳴った瞬間に、おお、これは最良のベリズモとわかったので万難を排しても行く価値ありと考えたのだった。
ベリズモは、ようするに、その当時の流行りものなので、今となってはその枠組みを凌駕した大作家(つまりはプッチーニただ一人)か、記念碑的な作品(道化師とカバレリアルスティカーナ)、原作と合わせることで枠組みを越えた価値を持った作品(アンドレアシェニエただ一本)しか残っていない。というわけで、何かのはずみで聴けるとあれば、それは千載一遇の機会なので聴かざるを得ない。
で、まあ、文句なく最良のベリズモなのだが、そこからはみだしてはいないので、そりゃ消え去ってもしょうがない。
これは、あたるだろう。というわけで、間違いなくベリズモの傑作なのだが、こんなものが時代を越えて生き残れるわけがない。
音楽は美しいが、まったく印象に残らない。平易に過ぎるのだ。とは言え、3幕の二重唱とか素晴らしいんだがなぁ。でもまったく印象に残らない。
内容がくだらなすぎるのだ。たとえば、同じようにくだらないオペラのアンドレアシェニエが生き残れている理由の1つに、シェニエの第一幕のアリアは、詩が素晴らしい。
それに、歌が平易過ぎるということは、歌手が演奏会形式でアリアを取り出して歌うにはインパクトが無さすぎるのだ。私は神の僕ですのチレーアや、故郷を遠く離れてのカタラーニが生き残っているのは、これらの曲が真に崇高だということではなく、歌として歌手を引き付けるものがあるからだ。
ところが、ザンドーニには、オペラとして全体を観れば素晴らしく美しいのだが、これというものが無い。
だが、くだらなかろうが、歴史に埋もれるのが当然だろうが、素晴らしいオペラだった。こうでなくっちゃな。
幕間で、パオロを歌ったジョルダーニという男がうんちくを披露しまくって実に楽しかった。ザンドナーイはダンテだけでなく(多分想像するに、ジャンニスキッキと同じく3行くらいの要約で業火に苦しむ理由が語られているだけなんだろうか?)、ボカッチョも参考にした(じゃないなぁ。むしろ、画家の名前みたかったが、同名の戯曲家がいるのだろうとか思いながら聞いたはず)、うむ、忘れた。
『フランチェスカ・ダ・リミニ』全曲 レヴァイン&メトロポリタン歌劇場、スコット、ドミンゴ(Renata Scotto) (ヴェストブルックが10億回繰り返して観たとかインタビューで答えていたのはドミンゴ&スコットなのでこれだろう)ジェズイットを見習え |