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妻が図書館で借りて来た本を先に読めと渡したので読んだ。試した。おかしいぞ。
美味しさの常識を疑え! 強火をやめると、誰でも料理がうまくなる! (講談社の実用BOOK)(水島 弘史)
3つの極意と書いてあって、野菜も肉も弱火で炒めろ、塩は全体の0.8%の分量を量れ、包丁は30度で入れろ、ということだと思う(他にもごちゃごちゃ書いてあるが、適当に読んだので実は違うかも知れないけど)。
で、取りあえずは読んだことを頭から信じてやってみることにする。
でもモヤシを炒めるには10分かかると書いてあるので、なるほど、料理人に金を払うというのは自分の時間を大切にするということでもあるのだな、と感心した。10分もかけるのは時間の無駄だろ。
でもそれは大した問題ではないことが後でわかった。
とりあえず、強火というのは鍋の底のほうに火が行き渡る強さ、中火というのは鍋の底に火が届く強さ、弱火は着火口と鍋の底の中点に火の先端が届く強さという図解があり強火は加熱され過ぎるので弱火から中火を使いなさいと書いてある、ほーなるほど、そういうものですかと覚える。
で、肉を焼くには、フライパンが冷たいまま乗せて弱火で焼けと書いてある。えー、冷たいままですか? と驚きながら乗せてから焼くことにするが(ステーキ肉を使った)、面積の半分が空いていたので、そこにモヤシも入れた。
で、かき混ぜもせずに弱火で焼く。肉から油が流れ出すが、茹でる場合と同じで加熱した最初に出てくる水分はアクだから取り除けと書いてあるので、キッチンペーパー(という量でもないのでロール紙を使うのだが)で吸い込ませて捨てる。
というようなことやって5分くらいたつと肉が焼けて来た(というかゆだって来たという感じだ)ので引っくり返して、この調子だとあと5分はかかるなぁと、別のことして戻って来て、大体10分でお終い。なるほどモヤシを炒めるのも10分だなぁと食べてみてわかる。水なんか全然出ない。
確かに、今までの調理方法より正しいような気がするのだが、どうも違うのではないかという気がしてくる。
というか、違うだろ。
まず事実として、冷たいフライパンに材料を載せてから弱火で焼くというのは良い。弱火だから火が通るまで時間がかかるというのも正しい。確かに、書いてある通り、この方法で炒めると野菜から水が出ない。だからシャキっとした野菜炒めができたし、肉も割ときれいに焼ける。著者の主張の通りだ。
結果良ければすべて良し? いや違うだろうということだ。
この本を最初から読んでいて、肉を焼く前に常温に戻すというところで、とても感心した。
著者は常温に戻すというのは、室温に戻すということではなく、本来であればその肉のあるべき温度に戻すということだ、と主張する。人間であれば37度弱(いや、人間は食べないけど)、牛はもっと体温が高いので40何度か。
そりゃ無理だが、書いていることはなんとなくもっともらしい。
次に塩は少々とか曖昧なことを書いている料理書はゴミだ、正しくは浸透圧から0.8%と声高に主張する。
いや、それは変だろ? と気づいた。さっきの常温が元の生物の云々であるならば、どんな材料でも一律0.8%となるのはおかしいじゃないか。
そこで、あらためて考えてみると、強火、中火もおかしい。
アルコールランプでビーカーの水を沸かす実験で、炎の外縁部が最も高温になるから、底に炎の外縁が接するところにアルコールランプの台の高さを調節することを小学生の理科の時間に学習/実験した。炎に割り箸を渡して、外縁部に渡した箇所が最初に黒焦げになるのも実験した。
であれば、著者の説明の中火が最も鍋が高温になるはずだ。強火というのは炎の外縁部が周囲に逃げるので、鍋を持ち上げて振ったりするには良いかも知れないが、単にガスの無駄遣いとなるはずだ。
したがって、強火では加熱し過ぎになるというのは正しいとは考えにくい。
しかし、野菜炒めで水が出るのは火が強すぎるからだ、したがって弱火で時間をかけろというのは、調理結果からは正しそうだ。
そこで考えてみると、おそらくこういうことだろう。
ミソはフライパンが冷たい状態(つまりまだ点火する前)の時に、材料を載せるという点だ。
この場合、材料が持つ水分のせいで、鍋は100度を越えない。100度を越えないので焦げない。焦げないので外皮が破れず、水が出ない。素材の内部がじっくり加熱される道理だ。
通常、フライパンを加熱してから素材を入れる。
この場合、鍋は100度をゆうに上回る温度となる。おそらく180度にはなるだろう。
すると、素材を入れた時点で焦げてしまう(100度に下がるまでに時間がかかる)。その結果として外皮が破れて水が出る。
であれば、弱火かどうかは関係ない(が、水を張っているのと異なり、水を含んだ素材と素材の間には空間があるので、素材が載っていない箇所は100度を超える温度となり、さらに素材をかき混ぜれば100度を越えた箇所に素材があたり、結果的に焦げて破れやすくなる。また素材を動かすために、逆に100度を下回る温度となり、水が蒸発せずに水のまま残る)。
野菜は焦げてもおいしくないので、冷たいパンに乗せてから火を点けるのが正しいだろう。この時、時間がもったいなければ強火(中火)にすれば良い。重要なのはかき混ぜないことだ。あるいは弱火でも良い。その場合はかき混ぜても良いし、かき混ぜなくても良い。本書では油を上からかけてどうしたとか書いてあるが、それも不要だ。弱火で炒める(結果的には蒸していることになるのだが、外側はそれほどしんなりしなかったので、むしろ電子レンジ調理に近いかも)だけなら油は不要だった。かき混ぜたければ、油が必要だということなのだろう(油の沸点は100度を遥かに上回るのでかき混ぜても100度を下回りにくくなる)。その点でも著者は誤っていると思われる。
というわけで、結果としては正しそうなのだが、説明は間違っていると考えられる。弱火が重要ではなく、冷たい鍋に素材を入れてから熱することが重要なのだ。
というか、おれは肉に塩を付けて食べても少しもおいしいと思わないのだよ。0%で良い。ただし、わさびと醤油をかけて食べる。
0.8という数字は、ケネディ流のもっともらしく人を誤魔化すための数値ではないかと思うのだった。(が、自分の味つけを持っていなければ、少々とか一つまみとかわけわかんないしー、この本ってすごく科学的だし―、0.8%はかるしーとかやるのだろう。しかし、元の重量と、水分が抜けた後の食べる時の重量は、間違いなく異なるはずだが、0.8%の塩って当然最初の時点での計量結果だろうけど、食べる時の濃度じゃなくて良いのかね?)
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この人の店でお昼よく食ってた。おいしかった。フォアグラ丼とかあった。
羨ましいなぁ。書いてることは変なんだけど、うまい食物を素人に作らせるってことには成功してるくらいだから、うまい食物を作る気満々なんだろうし、そりゃ美味しいんだろうな。
同じ人の別な本を読んだんですが、「何を焼くにも肉がシューという音を立てる温度を維持せよ。パチパチは高すぎ。通常、中火でその温度は維持できる。強火でその温度に至ってもよいが素人さんには難しいので、冷たいままのフライパンからスタートするのがよい。適正温度を知るには小さく切った肉をパンに置いて聞け。肉なら最初から置いておけ」というような説明だった気がします。で、この方法は確かに肉は旨く焼けます。
その本の方が説明が細かいみたいですね。退屈な調理ですがシステマチックで出来にムラがないファミレス調理法という感じで面白いです。