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先日、暇つぶしにマンガでも読むかと本屋に入り、本屋さんが選ぶマンガコーナーの上のほうに置いてあったので(1:売れてそうな本はおもしろい可能性が高い)、手に取って(2:絵柄は好み)、眺めたらフラワーコミックだったので(3: 発表メディアは重要)2冊とも買った。これがゴッホ兄弟をモチーフにしたマンガだというのは買った後に知った。
で、今日一気読みした。
ひさびさにマンガを読んで、涙が出てくるほど魂が揺すぶられた。
さよならソルシエ (2) (フラワーコミックスアルファ)(穂積)
(1巻だけはKindle化されているのだが、良くわからない運用だな。既に雑誌で発表しているのであれば、単行本化時にKindle版も出せば良いと思うのだが)
パリ、浮浪者が賭けチェスをしている。そこに良き商人の姿をした良い男(つまりは表紙の男であり、主人公のテオドルス・ヴァン・ゴッホ)が割って入り、強烈な印象を残す。畳みかけるように、男が画廊チェーンのパリ支店の店長であり、凄腕の商人であり、シャーロックホームズのような観察眼と推理力の持ち主であることが示される。対比として凡庸な画廊の部下と、アカデミーの大御所が提示される。
主人公の印象的な提示が行われる導入部のうまさとマンガとしての表現力にまず舌を巻き、ストーリーテリングの妙を味わいながら読み進めると、アカデミー支配下の画壇と、それに対抗しようとする若き芸術家達(の代表としてロートレックが提示される)、その中を巧妙に踊りながら、兄貴のヴィンセントを世に出すために、画というもののありようを変えようと暗躍するテオドルス、その中をあたかも山下清のようにただ絵を書きまくるヴィンセントが描かれる。
重要なのは、そこかしこに提示される、美術というものの価値観の披露であり、芸術とは何で、それが誰のためのもので、その存在意義とは何かということだ。
その主張はストレートで、それゆえに感動的だ。
その主張の上に、テオドルスとヴィンセントの兄弟愛を基調としながら、ギフテッドとは何かが問われ、ギフトを授かったものとそれを目の前にしながら授けられなかったものの葛藤が描かれる。物語の締めくくりまでぴしっと決まって驚愕する。冒頭の提示部でわれわれが知るテオドルスとは異なるテオが描かれるのは、すべて最後のためだったのだと驚愕する。
素晴らしい作品だった。
・さて、で、このログを記録するために、アマゾンを見て、本当にげんなりするのだが、どうして世の中にはかくも読解力が無い人たちがいるのだろうか。そして、なぜ、その読解力の無さを得意げにネガティブな反応として誇らしげに語るのだろうか。
短い物語の中に芸術とは何かという問いがあり、その解としてのパン屋の画があり、100年(という単位を使っているが、別に久遠と書かれていても同じ意味となる)という単位で生き残る作品とは何か、価値あるものを残すというのがどういうことか、といったわかりやすいモティーフが山ほど含まれていることと、ゴッホという(少なくとも現代日本で暮らしていれば)自明なイコンを使っていることから、何が書かれていて(それは実に多岐にわたるのだが)、何を作者が書くつもりはないかは明らかだ。
いや、たった一つ、マンガの読者(おそらくわざわざ美術館に足を運んだりはしない人も多いだろう)に、ゴッホという作家はすごいんだから、展覧会があったら実物を見てみようかな、という気にさせればそれで十分なことなのであった。
いや、ゴッホなら本物を死ぬほど見ましたよ、という人に対しては、ではその芸術(つまりは人類の至宝)のために、芸術家でないあなたはどのような貢献をしましたか? と問われているとも言える。その点については、これはゴッホではありませぬ、兄弟の書簡を百万遍読み直してから書き直したほうが良いとか得意そうにアマゾン評を書いている連中は、大いに恥じ入るべきだ。数10万部売れたそうだから、その中の数万人は本書を読んでゴッホという画家がいたという事実と、その作品がどうも素晴らしいものらしいということを知った可能性があるということを、まず賞賛すべきだろう。
いずれにしても、これだけの作品を生み出した漫画家の技量は見事だ。
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