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なぜ買おうとしたのかは忘れてしまったが、多分デザインに対してなにがしかの引け目を感じているからだろうけど、フラットデザインの基本ルールという本のKindle版を買って、ちまちまと読んでいる。
フラットデザインの基本ルール Webクリエイティブ&アプリの新しい考え方。(佐藤 好彦)
iPad版のKindleで読んでいるのだが(PWでは読む気にはなれないし、おそらく読めない)、横持ちして見開きで読むと実に感じが良い。ほとんどのページ(見開き分)が、左側に能書き、右側にいろいろなサイトやアプリケーションのキャプチャとなっていて、それがうまくレイアウトされていて、本そのものがフラットデザインの基本ルールにおそらく則っているように見える。
シズル感がある本だ。
また、文体が自分のものとはかけ離れているのだが、なかなか新鮮で(とは言え、MAC POWER文体というか、このタイプの客観性を装う主観文体はある種の領域で見かけなくもないが、最近目にしていなかった)それも楽しい。自然と、フラットデザインになるのが、時代の当然の要請のような気分にさせてくれる。そうか、デザインとはアフォーダンスだった。
つまり、眺めていても、読んでいても気分良く、フラットデザイン主義に傾いて来るのだった。
その本の60%のところに、『引き算のデザインよりも、論理への愛を』というコラムがあり、それにしびれた。
フラットデザインは引き算のデザインだというが、それはおかしい。引き算しなければならないということは、すでに過剰だということではないか。
個別に考えるのではない。引き算とは、ローカルルールによる個別事情の反映ではないか。そうではなく、グランドデザインがあり、そこから個別の美が生まれる。
要約すると矛盾がわかるが、まあ、それがデザインというものだ。
で、そこで類推ロジックが頭の中を駆け巡る。
つまり、フラットデザインとは、関数型プログラミングのことだったのだ。
OOPLフレームワークを個別ソフトウェアに適用するというのは、多くの場合、まさに引き算となる。そのため、個々のフレームワークが過剰なものとなる。
類推ロジックが、ハートブリードと囁く。誰も使わない機能を追加することで、誰もまともに向き合うことなくばらまかれ、目立ちもしないので引き算することを忘れて、気付くと血が流れ出している。
過剰な機能はバグだ。
グランドデザインは、機能の組み合わせのためのフレームワークとなり、個々の美は関数としてプログラムされる。
ソフトウェアにおけるフラットデザインとして考えれば、その美しさは明らかだ。
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