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『小さな町の小さな百貨店、お母さんと贈り物の思い出』を読んでいて、子供からの最初の(お金を使う)プレゼントのことを思い出した。
その頃、小遣いをあげていたかどうかは全然覚えていないのだが(小学校の4年か5年で、おそらくあげていないような気がするが、お年玉貯金みたいなものは持っていた)、とにかくそれが最初の買い物によるプレゼントだった。
秋頃だと思うのだが(夏休みの可能性もある)、家族で科学未来館へ行きいろいろ観たあと、1階のお土産物売場に寄った。で買うでもなくうろうろ見ていたら、どうも子供の動きがおかしい。何かこそこそしていて、そのうち母親の方へ行き何か喋りあっている。そのうち、何かを買っているのが見えて、おれではなく、母親のほうにねだりたい何かがあったのかな? とか思うと同時に、なんとなくおれに何かを買ってくれているのかなというのは感じた。が、その後何もくれなかったのでそのまま忘れてしまった。
というようなことをさらに忘れたその年のクリスマスだ。
子供がおれにプレゼントをくれた。何だろうと開けてみると(でも確か、包みは科学未来館のものだったようで、その瞬間に科学未来館のお土産物売場での怪しい動きは思い出した)、宇宙飛行士の携帯ストラップだった。
おれが欲しそうにしていたから、とか理由を言われたような言われなかったような、そのあたりの記憶は全然ないが、宇宙を飛行できるくらいに嬉しかったのは覚えている。物を買ってプレゼントにして、しかも時期が来るまでずっと待っていたとは。大きくなったなぁという嬉しさだ。子供からのプレゼントの本質って、おそらくその成長したなぁという感覚なのだと思う。それは同時に、ここまで育てたという自負心をくすぐるものでもあるのだろう。まったく得難い感覚だ。
その後、数年もたたずに携帯ストラップとしてズボンの尻ポケットと手の間の往復旅行に酷使された宇宙飛行士は、腕が無くなり脚が無くなり、ついに紐以外はどこかへ飛んで行ってしまってデブリと化したが、最初にもらった(買い物された――幼稚園で作ってくれた父の日の画とかはまた別の話だ)プレゼントだという名誉はおれの記憶にしっかりと残っている(が、書いてみたら、覚えていることは少ないものだ)。
次にもらったプレゼントは、修学旅行のお土産のウサギの小さな置物で、これは引き出しの中に無事な姿でしまわれてある(数年はPCの上に載せていたのだが、当時の環境もあって雪ウサギが茶色い野兎に変わってしまって、これはいかんとしまったのだった)。
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