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ロボット・イン・ザ・ガーデンという名前は、先日子供にミュージカルに行こうと誘われたので初めて知ったのだが、本屋へ行ったらなかなか心惹かれる表紙の文庫があって、ふと手に取るとそれがロボット・イン・ザ・ガーデンだった。
まあ、そういうこともあるなと買って帰って読み始めて結局そのまま読了してしまった。
無職でそれなりに立派な家と財産でぷらぷら暮らしている男の家の庭に、そこから見える馬(の牧場)が気に入ったのか四角い旧型のロボットが居ついてしまう。
男は金があるからハッピーかというとそうでもない。弁護士として精力的に仕事をこなす奥さんとはあまりうまくいっていないのだ。その奥さんが、庭にいついたロボットが気に食わないのでどうにかしろと要求する。
しょうがないので、男はロボットとコミュニケーションを取ろうとするが、なかなかうまくいかない。うまくいかないのでのめりこんでしまい、ついに妻からは愛想を尽かされて離婚となる。
ロボットに対して愛着が湧いた男は、ロボットの破損した部品を修理するために製造元を探して、ロボットと共にイギリスからカリフォルニア、ヒューストン、東京と旅を続ける。
おもしろいかおもしろくないかの2択なら間違いなくおもしろい。いっきに読了したのだから間違いない。
が、いろいろ気持ちが悪い点も多い。
主人公の年齢設定(35歳)がまずなんといっても気味悪い。金と移動の自由と、そこに至るまでの人生観から逆算すれば35歳というのは設定として正しく思えるが、中身が17歳くらいの感じだ。
やたらと愛想の良いフレンドリーな人々で満ち溢れた東京の描写も薄気味悪い。物語の流れとしては暗黒のカリフォルニアからヒューストン経由でポップな東京という天路歴程っぽさが欲しかったのかなと思うが、こちらは実際にそこで生活しているわけで描写は気になるなぁ。
ただ、ロボットが地下鉄の駅ごとにチャイムが変わるのを気に入ったり、山手線の各駅のチャイムを覚えるまでぐるぐる回ったりするのは、悪くない。
出てくる人間のステロタイプ度もなかなかのものなのだが、特に後半の一種の敵役(登場人物紹介が、物語の前半までしか出ていないのは、たかがこんなレベルの物語ですら「ネタバレ」という不思議な概念に対する忖度なのか?)のムーヴがあまりにも馬鹿げていてご都合主義ですらないのにはあきれた。結論は同じになるにしても、もう少し動機付けをどうにかしたらどうなんだろうか?
要は主人公とロボットの二人を除くと、あまりにもステロタイプなのでペラペラ過ぎてそもそも不要なんじゃないかという気になってくる。おそらく作者の本能的なマーケティング力による想定読者層にぴったりなのだろう。良く書かれる側と悪く書かれる側が見事なまでに類型になり過ぎていて、そこが実に気持ち悪いのだった。
ただ、主人公がどうにかロボットとコミュニケートしようとするのが、自分が飼っている猫であるとか、乳児の頃の子供であるとかとのコミュニケ―ションの記憶と重なるように書けているのだと思う。そこが本書の唯一の深みとして読んでいておもしろい、のかも知れない。
もちろん、高度な技法として人間的なロボットと、非人間的な主人公以外の世界というものを表現しようとした、ということは一切ないなぁ。
というわけで浅薄ではあるけれど全体としては悪いものでは無かった。
少なくともロボットが名前の由来を語るところは抜群だ。感動的ですらある。まさにぐっと来るというやつで、牧場を走っている馬の映像とあわせて再現できるくらいだ。
あと、ラッキーなことにおれも味わうことができた、あの瞬間をすさまじくうまく書けている。
まさに一言なのだ。
あの瞬間を味わえるのはそれぞれにおいて世界で一人しかいないわけで、作者あとがきの後ろの謝辞にあるとおりなのだろう。
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