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例によって玄海で飯食って、江戸楽(という池袋百点のような広告雑誌で、玄海でご自由にお持ちください。になっている)を貰ってきて読んだわけだが、松平定信のエッセイが妙におもしろかった(割と、いつもおもしろい)。
お題が川にかかる橋の連載で、今回は神田川(橋は忘れた)なのだが、まあ世代的にかぐや姫の神田川のネタになった(わかる)。
で、最初は自分は烏の行水である、から始まる。
で、なぜ一緒に出ようと言った女のほうが髪が芯まで冷えて石鹸がカタコト鳴るくらい待たされるのか? 男として解せないと続く。
で、喜多條くんと同じ番組に出る機会があったから、この疑問をぶつけてみた。
すると、まずおれはすごい長髪だったから(と語り出すということは実話ベースの歌、または作詞家としてストーリーを作っていたかどちらかだろうというのは、おれの憶測)洗髪の時間がかかる。しかし、それだけならばまだ良いが……と続いてなるほどと納得した、とある。
(おれは、それを読んで、いや、ってことはやさしさが怖いは、あなたじゃなくて、お前のほうだよ、と思った)
で、続けて、そういえば南こうせつから聞いた話だが、神田川の締め切りがぎりぎり過ぎて、顔を合わせて打ち合わせとか全然できないので、電話で歌詞を伝えられた、という話が始まる。
一生懸命、チラシの裏に電話で喜多條が読み上げる歌詞を写していく(ちょっとシューベルトっぽいが、あれは曲のほうだった)。で、歌詞ってそれなりに語調が良いから普通に読み上げていくうちに、節回しが入って来るわけで、喜多條くんも例外ではない。というわけで、「若かったあの頃」の部分は、実は喜多條くんのメロディーなのだ。
曲を70年代にはいやとなるほど聞かされたので、松平のエッセイを読むといちいち思い当たっておもしろいのだが、本当におもしろいのは、松平本人はまるで気づいていないわけだが、70年代(というか90年代半ばくらいまで)は、文字伝達よりも、口頭伝達のほうが、遥かにスピードがあったという点なのだった。(文字伝達は電報にしろ手紙にしろ、電話よりも遥かに遅い)
そこが一番おもしろいと同時に、だからあそこは喜多條くんのメロディーなんていうことは、今は起きないだろうな。
(嫌い)
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