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玄海で水炊き食いながらご自由にお持ちくださいの江戸楽の9月号を読んでいたら、浮世絵に見る月見のような記事があって、ええと目が開かれた。
西洋絵画を学んだ歌川国芳が浮世絵に影を導入したとある。
それで頭の中で広重や北斎や国芳自身の画をいろいろ思い出すと、確かにどこにも影がない。
国芳の画もほぼすべてにわたって、同様に影を描いていない。(浮世絵検索で数千点眺めた)
しかし、新吉原には確かに影が描かれている。
月に照らされた足元にアクセントをつけてみたかったのかも知れないが、西洋絵画を学ばなければ影を描くということはなかったらしい。
なるほど、明治の錦絵の時代になっても影を描いたものは少ない。(明治~昭和初期の錦絵に見る自転車のある東京の町並み)
そういわれてみれば、とふと気づくわけだが、マンガ(劇画含む)にも影はあまり書かれていない。試しに、ベルセルク(細かな描画の例として最初に思いついた)を眺めると、俯瞰で戦うシーンの足元に影が書かれているものはあるが、ほとんどのコマに影は描かれていない。
どう考えてもベルセルクが浮世絵の影響を受けたとは考えにくいので、影をスルーするというのは日本の伝統なのではないか? という気分となる。
それでもいろいろ他の作者含めてマンガを眺めて気づいたが、そもそも足元から全身を描画することが少ないというのがまずある。書いてあってもごちゃごちゃするのを避けるためか、ほとんど足元にささっと線を引くくらいでやはり描いていないものが多い。
むしろきちんと影を描くのは心理描写(主に孤立感や絶望を表現する)のための特別なコマの場合のように見える。
(東京卍リベンジャーズから引用)
もちろん例外はあって、虎鶫にはほぼすべてのコマに影が書かれているが、それは全身が書かれたコマが多いということから来ているのかも知れない。
虎鶫 とらつぐみ -TSUGUMI PROJECT-(1) (ヤングマガジンコミックス)(ippatu)
(虎鶫は現代に蘇る宮谷一彦派(マンガ的な誇張が無い美しい筋肉の動き)という感じの鮮烈な画風で好き)
では、西洋には影があるのか? と、手元にある海外漫画というとバンドデシネしか無いが(フランクミラーとかはあるがすぐには引っ張り出せない)適当に日本のマンガに影響を受けたといっているバラックのラストマンを見てみると、基本的にどのコマにも影がある(無いコマももちろんある)。
影ってなんだろう? 画においてはモチーフでもないし主役でもないから省略できるはずだ。むしろ西洋画のほうがおかしいのではないか? と考える。
そこで、明らかに実用性を意識して描いている西洋の画家としてクラーナハを思いついていかにも(当時の)おかず性を意識した作品を見てみると……影を描いていた。
(ここまで)
ジェズイットを見習え |
漫画家だと板橋しゅうほうが比較的豆だと思います。影についてはストイキツァ『影の歴史』やバクサンドール『影と啓蒙』が参考になるかと。
> 影についてはストイキツァ『影の歴史』やバクサンドール『影と啓蒙』が参考になる<br>おお、おもしろそうです。どうもありがとうございます。