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少女終末旅行、途中まで無料でぽつぽつ読んでいたが、最後の2巻は買って読んだ。
いきなり人類がほぼ絶滅した地球の廃墟をキャタピラ走行車で旅する2人組(良くわからんけど小学高学年くらいなのかな)の少女の物語。
片方はおばかで楽天的、片方は理性的という役回り。
淡々と見たものや出会ったものに感想を言い合いながら旅を続ける。
あまりに淡々としているので、その淡々さが周囲の静寂さ(実際には機械が稼働しているため騒音がすごい場所もあるが)と相まって、どうしようもない終末感が漂う。
どうにもならないし取返しはつかないことは明らかなので、『渚にて』のようにひっそりと世界は終わる(世界を認識する主体の消滅)のだろうなぁという予兆しかない。
渚にて 人類最後の日 (創元SF文庫)(ネヴィル シュート)
なのだが、あくまでも少女たちの表層的(たまに深淵を覗き込む)でおっとりのんびりした対話で進むため、ネガティブな感覚がまったく生じない。
食料と飲料の入手が困難なので常に腹を減らしているので、おばかな方はたまたま食べた魚にこだわりまくる(のが、最後に生き残った魚と、魚監視システムとのエピソードで効いている)。
読んでいてこのゆるさが実に心地良い。その視点はなかったというような斬新さだ。要はヒロイズムがまったく無いのだ。それこそ現代の終末SFに求められている視点ではなかろうか。
というわけで終末SFとして大傑作だった。
新国立劇場でジュリオチェザーレ。最初舞台で聴くとジュリオチェザーレの声は音量的に辛いなと思ったが全体音のバランスが良い(指揮者が上手い)のですぐに慣れた。
2幕(だったかな)でトロメオ(それにしてもプトレマイオスがトロメオになるのはわからなくはないがわかりにくい)を暗殺しようとセスト(だったかな)と護衛兵の代わりの職員軍団とのからくり人形的な一進一退の部分は美術館(博物館?)の舞台のおもしろさが生きていた。
クレオパトラがとても良くて、聴きなれた3幕の沈没した船が港に戻って来たは実に楽しめた(というか、この曲は輝かしい前奏といい、ヘンデルの楽曲中でも最高の作品ではなかろうか)。衣装が脚のシルエットを浮かび上がらせるのだが、これもきれいだ。テンポは聴きなれたメトのデュセーのやつよりも相当ゆっくり目で逆に曲の印象が変わって、これはこれでとても良い。
古楽器をたくさん揃えて実に良い音を聴かせてもらえてこれも良かったが(低音用の弦を持つため異様にネックが長いリュートの一種なのかな? とか見た目がおもしろい楽器もあって、2幕目で舞台上に楽団が出てくるところは見た目もおもしろい)、3幕でちょっとホルンが残念だったところがあった。20年近く前のバレエの楽団とは違って、最近あまりひっくり返りとか耳にしなかったので、ホルンはホルンでもこれも古楽器だったのではないかなぁ(音はポーワーとして実に心地良い響きだった)。
というわけで、ロマン派以降の音楽に慣れた耳には実に退屈なバロックオペラなのだが、演出的に工夫をこらしていて、舞台作品として実に楽しめた。良い舞台だった。
問題はやはり楽曲そものだ。ソナタ形式(提示ー展開ー再現)未満のダカーポ形式(1部-2部-1部)の、ソナタ形式でいうところの再現部が曲としては提示部と同じことによる退屈さで、もちろん歌手が装飾しまくって退屈さを抑制しようとはするのだが、そうは言ってもやはり退屈。特に加減を抑え気味だからだろうが1幕の退屈さは本当にうんざりする(逆にいうと2幕目以降はおもしろいのだが、そうはいってもコルネリアが出てくるとまたあの嘆き節かとうんざりすることに変わりはない。歌手にとっては損な役回りだ)。
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