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日々の破片

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2025-07-19

_ ジェイミー

子供が奢ってくれたのでジェイミー観てきた。

最初に映画版のほうを観たのでロコシャネル(このココをもじった名前も大概だと思う反面、シャネルがいかに戦ってシャネルになったかと考えると練られた名前っぽい。でもそれを言ったらバナナだってジョセフィンベーカー由来なのでは?)は単なる引退した服屋程度の役回りとしか認識していなかったが、舞台ではバス停のシーンで父親に捨てられた子に新たな父親として抱擁するって、とてつもなく重要な役回りだった。と言うか歌も歌いまくるし。

で、母親とロコが(劇中ポソッと呟くように)同じ失敗した人間としての共通点を持つ親としてジェイミーを見守るというのが生きてくる。

構造的におもしろいのは母親とレイ、ジェイミーとプリティの関係で、母親とレイは最初セクシャルな関係なのか?と思うと全然違って(レイは普通に男大好きで不自由していなさそう)、これがシスターフッドってやつか、という関係で、

ジェイミーは衣装倒錯ではあるが全然ホモセクシュアルではなくとは言えノンバイナリーというわけでもなくノンセクシュアルというよりも単に自分大好きに見える一方でプリティは普通にジェイミーに恋心を抱いているように見えるがちょっと我慢している感じ。

で、そのプリティの爆発の向け先がディーン(映画版のディーンがぬぼーっとした抜け作っぽいのに対して舞台版ではいかにも洒落ものヤンキーで、こっちのほうが見栄えがするが田舎のFランより下の高校(基本全員が就職するし、優等生のはずのプリティですら、教師に夢を持つのは良いことで運が良ければ獣医になれる(獣医のほうがある意味意思疎通の面で人間よりも難しいのでは? とか思うが学力的には人間の医者のほうが難しいだろう)とか言われているのだから大したことは無さそうだ)と考えると、映画版の抜け作顔のほうが実情に即しているのかも知れない。まったくどうでも良いことだった)になるのが劇的にはおもしろい。まあ、よくまあこれだけズバズバと真実の矢を放てるものだという脚本の妙味がある。

要は、主要な二人組がほとんどセクシュアリティ無しの良い関係に見える点がおもしろい。ちょっと珍しい。

舞台見ていて母親が2幕で絶唱するところは凄かった。

プリティは可愛い綺麗な声(しかもアニメ声ではない!)でビューティフルが素晴らしい。というか映画版でも思ったが何がなんでもジェイミーに引きずられ過ぎ(特にトイレのエピソードがひどい。おそらく逡巡が長過ぎるからかも知れない)。

ジェイミーコールは映画版では会場外で起きるが、舞台版だとプリティ以外(もう1人いるけど)は会場に入った外でプリティがしばらくの間1人でやるからこちらのほうが切実感は強い。

一方、映画版ではジェイミーがやたらと意固地に参加することにこだわるのに対して舞台版ではあっさりと引き下がろうとする(周りが止める)のは、物語の流れからいけば、父親問題を解消してミミミーでもなくジェイミーとして自己を確立した以上、プロムに出るも出ないもどうでも良くなっているわけだから、筋が通っている。し、それだけにディーンにある種の救いの手を差し伸べる余裕があり、それが決して上からの強制的なものではなく同等な立場感を見せるのは役者の動き、演技、声含めてうまいものだ。

と、悪印象が全然なく、実に良いものを観た。

(最後、ついお見送りしてもらったが、なんというか実質的には単に手を振ってもらうだけでくだらないのだが、まさに舞台を観終わった感があって実に良いものだった。自分でも意外なほど良い気分になってお疲れ様と自然に頭が下がる)

Everybody’s Talking About Jamie ~ジェイミー~(ジョナサン・バターレル)

舞台のほうが遥かに良い。

_ 砂時計サナトリウム

池袋から、鉄道駅バス(中央の地下道。バスアーキテクチャは大嫌いになった)の大混雑を抜けて副都心線で明治神宮前から表参道に出てクアアイナでパイナップルバーガーを食べて、そのままイメージフォーラムへ。

クエイ兄弟20年ぶりくらいの作品を観るのだ。

最初はクリストファーノーランのクエイというドキュメンタリー短編。そうか、クリストファーノーランのアイドルなんだな(わからなくもないし、ノーランは英国出身なのか)。

クエイ兄弟(双子なのか?)がどうやって作品を作るか説明する。

人形は小さいからスポットライトを当てるのも大変だが、小さなライトを使う。

目にはオリーブオイルを垂らす。水だと蒸発してしまって効果が出ない。口にも少しオリーブオイルだ。よだれ。

移動撮影は地獄の作業で腰に来る。100歩ずつ交代する。

大鰐通の人間の眼が光るのを見せる。少女と言っていて、えー少女だったのか! と驚いた。

どこまで本当でどこからがノーランを煙に巻くための虚言かさっぱりわからん。

と、なかなかおもしろい。映像作品がおもしろいのだから、ノーランは無能ではない。

でいよいよ本編。最初にクリストファーノーランプレゼンツと出て来るが、プロデューサーとかには出てこない。ってことは自由に作らせる太っ腹出資者なのか? テネットなんかで稼いだ金をクエイ兄弟の作品に投資したのか? 見直したぜ、とか思いながら本編が始まる。

最近(といっても20年)の作品のように人間が出まくるのかと思ったら、原作もシュルツだし、大鰐通に戻った人形芝居のようだ。もしかして中期(この作品が後期の始まりとして)の人間使いまくりは腰に来ていたからかな?

サナトリウム。父親が入院している。列車で訪問。

あたりからジェイミー疲れが出て来たのかだんだん意識がサナトリウムの世界に没入してしまった。

どうも記憶が曖昧に過ぎる。父親は宙に浮くなにかを発明したらしい。その遺産はどうなるのか。主人公はそのまま列車の旅を続ける。途中人間の女性が動いていたような。

途轍もなくクエイ兄弟の幻惑の世界を堪能したのは間違いないが、あまりに記憶がない。


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