著作一覧 |
イマージュとなると、ジャンドベルグ。マンディアルグに語呂が似てるが関係ないようだ。
で、それはどうでも良くて、最初に「イメージ」と偉そうに語ったヤツで印象的なのがゲイリーニューマンだ。ウルトラヴォックスというよりもジョンフォックスについて、素晴らしいがイメージの作り方で失敗している、おいらはそのへん抜かりが無いぜ、みたいなことを語っていたのが印象的だ。まあ、本人はタコ坊みたいな顔なんだが、2枚めのアンドロイドスタイルは様になっていたし、いずれにしろ、カーズやエンジニアや、流れよ我が涙はニューポリスソングとかは、今でも聴く。でもラクリメで1番良く聴くのはダウランドコンソートの天使の雑音集だったり。
現実には、ジョンフォックスのウルトラヴォックスは素晴らしい。アーティフィシャルライフ(ハハハ)や、アイウォンナトゥービーアマシーン(ウルトラヴォックス)、スローモーション(システムズオヴロマンス)。しかし、確かにイメージは……悪いなぁ。アイウォンナトゥービーアマシーンが収録されているファーストアルバムのすさまじいまでのカッコ悪さ。ハハハの?が付かざるを得ない焦点がぼけたジャケット。まさか、ここからロックロックが始まってアーティフィシャルライフへ到達するなんてどうすれば想像できるんだろう。というか、そもそもハハハというタイトルがダメダメだろう。ところが、一度、All the boys wearing ...と詠唱が始まると、僕には例えば多摩ニュータウンの(特に京王多摩センターのあたり−−深夜2時くらい。直線的なしかし起伏に富んだ道路と立体交差の白いセメントの塊、丘陵地帯に並んだ墓標の数々。街灯のせいで色相が平坦化されすべてが静止して見える。あるいは、稲毛海岸から幕張へ向かう道路とか、飛んでも無い数の人間を突っ込んでいながら、まったく動きがない、どうしようもないまでの白々しさ、−−そういった、まさに、僕達が目にする退屈な郊外と、そこでの夜の疾走感が甦ってくるのだ。ニューロマンサーの浦安として再発見することになる
システムズオヴロマンスは、やっとタイトル、ジャケット、音世界が一致した傑作となった。でも、裏ジャケット見ると、やっぱりカッコ悪いんだよね。もう、遅すぎたのだ。かくして、長くは留まってはいられないと歌いながら消えてしまった。消えてしまった後に、コマーシャルにウルトラヴォックスは再生されて、フロントマンが変わるということは、こういうことなんですね、と妙にスタイリッシュになり、成功した。しかし、ジョンフォックスの奇妙なネジクレ感は失ってしまってた。その頃、確かドラマーか誰かがインタビューで、もちろん成功は嬉しい。ミッジのおかげだ。でも、ジョンがシーイズアリクィッドで見せた半音ずれていくあのゾクゾクする感じも僕は好きだった、とか語っていたのが印象的だ。
そのシーイズアリクィッドを収録したメタルビートで、ジョンフォックスは復活した。プラザ。でも、僕にとってはその妙に静的な印象から、広場というよりは、去年マリエンバードの庭園とその中に佇む連中、あるいは、−思い出せない−が想起された。考えることは誰でも同じだ。新生ウルトラヴォックスのプロモーションビデオが、去年マリエンバードを取り入れた。
ソロの第2作がガーデン。これも傑作だ。雨の後のヨーロッパ。システムズオヴロマンス。
−インタラプト−
その頃、ホンダのCFに使用された曲はことごとくヒットした。サントリーが使用したやつも。記憶に残ってるのでは、シティがマッドネスを使って、ツートーンって言うか、スカ(テンポはロックステディ)が流行ったし、?でピッグバッグを取り上げて、フリーキーなのも流行った。でも、今になって思うと、スペシャルズではなくてマッドネス、リップリッグパニック(あるいはポップグループそのもの)ではなくてピッグバッグ、常に、2流を選択していたのはマーケッティング的に慧眼? サントリーだと、それこそ新生ウルトラヴォックスのニューヨーロピアンズとか。
でも、全然、流行らなかったのもあった。サントリーだとシンプルマインズのグリッタリングサンズ(だっけかな?)、ホンダだとジョンフォックスのユーロッパアフターザレイン。ヨーロッパ、ヨーロッパ、結局ジルには行かなかったな
−復帰−
そして第3作。あー、本人のアップがジャケットだよ……。曲は素晴らしい。来日もした。僕も厚生年金会館に行ったさ、それは。で、終わった。笑いながら手を振って、ここには長く留まれないをステージの上を走りながら歌っていた。健康的なアンチャンだった。
ゲイリーニューマンは、どうなっていただろう。4作目で陰りが見えてきたのは間違いない。そして5作目、僕はアンドロイドじゃないと言い出して、6作目で、オレは戦士だ、7作目で、オレはデテクティブ(本当にその順か忘れた)。どんどん神通力を失っていった。多分、飽きてしまったんだろう、それまでのスタイルに。そして、コロコロイメージを変えようとして、ことごとく失敗した。1度付いたイメージを払拭することはできないということを示す1つの例となったのだ。デビッドボウイは?
結局、後から来たニューロマンティックの連中、その中でも1番キャッチーだったデュランデュランが全ての実りを刈り取って行ってしまった。どこへ? アメリカへ。スパンドゥバレエもNHKホールで見たがカッコ悪かったしなぁ、でも曲は好きだ
それから、数年して、青い髪、白い服で復活したのには驚いた。ピーターバラカンが、僕はこいつの曲は少しも好きじゃないが、でも面白い、とかコメントしてた。確かに、このスタイルなら完璧だ。でも、復活も何も、地道に今でも活動していたのにはもっと驚くが、それは最近のことになってしまう。
でも、本当に好きなのは、ジョイディビジョンだ。分割された歓びではなく、歓び部門。北朝鮮の実際にあるのかどうだかわからないが、いかにもありそうな組織の日本名として歓び組(それとも、正式機関で、北朝鮮での正式呼称なのか?)と同じで、元はアウシュビッツにあったらしい。だがきちんと日本語にすれば、慰安所ということになる。
で? なんで48時間ピープルを見に行かなかったんだい?
出力速度(逆に言うと、人間側の入力速度)の問題があるから、音声出力装置が表示装置に取って変わることは無いだろう。変わることはないにしても読み上げ装置が一般的なものになったとしたら、音声そのものは、フォントのように扱われることになるのかな? 現在はどうなっているのだろうか。機械的に合成して作られているとしても、どのような波形を元にするか、というような基礎的なデータというのはあるだろうし。
#とは言え、興味がないので、そんなことを一瞬、考えただけ。
高橋さん>のところで、狩野さんのきゅうりを知る。すぐに母音の位置を探して見るのは、遥か昔、PCワールドで見かけた記事または投稿を思い出したからだ。
それでは、読み上げますので打ってください。「ただでさえ、われわれ、早稲田が、誰でさえ……」忘れてしまった元唄は、もっと長い。
今回の私たちの行為は、遵法精神に基づいて行われた部分よりも、独創性のある創作行為に敬意を払い・その創作者を尊重する意識に基づいて行われた部分のほうが大きいので、現行法の下で東風フォントが32ドットビットマップの二次著作物として扱われるか否かとは無関係です。敬意を払うことを知らない人間が、他人に敬意を払うことを求めることはできない。敬意を払われる人間は、敬意を払うことを知っている。
ジェズイットを見習え |
ここ数年のジョンフォックスの作品は素晴らしいですよ。日本にあまり入ってきてないせいか置いてない外盤屋も多いですが、昨年は3枚もアルバムを出しました。80年代の4タイトルは紙ジャケ仕様で邦盤リイシューされましたし、新作も出してもらいたいものです。厚生年金会館には私も行きました。
>厚生年金 やあ、ご同輩。僕もライブ2枚組み(1枚はゴールデンセクションツアーなのでまさにあの時)は買いました。いつの間にか復活していて嬉しい限りですよね。と、今頃気付いてコメント返しても読まないだろうなぁ。
読みました。<br>今年は新作まだ出ないんですよね。<br>ワイヤーかエレクトログライドあたりで来日してもらいたいものです。
あ、びっくり。さすがに、1年たっちゃったしな。<br>ワイヤーってそういう店があるのかな?