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えー青土社がオカルト? それは発見だ! じゃなくて創土社だろう、と思ったらなんか地図しか売ってないじゃん(アマゾン調べ)。
でも創土社がなければ、アーサーマッケンもダンセイニ卿もラヴクラフトもないじゃん、なんて不幸な時代なんだ、と思ったらちゃんと出版社を変えて出てるのか。まったく意味がないが安心した。
アーサー・マッケン作品集成 (1) 白魔(アーサー マッケン)
それにしてもばかばかしく高いな、と思って封印された蔵書蔵の積もった塵埃の彼方より幻の書の1冊を取り出してみれば創土社じゃなくて牧神社だった。価格は1800円だから当時の物価は1/4かと言えばそうではないだろう(ものによりけりだし)。
おもしろいのでアマゾンの書評を引用してみる。
『生活の欠片』は、或る平凡な男のつまらない日常が、何時の間にか或る古文書を通じて神秘主義と混淆して行く様を描いているのだが、平井はこの主人公を「覚醒せざる文明忌避者」と評し、この作品を自分の好みの埒外だと思うなら、その人はマッケン文学の真の愛好者ではない、と大変な入れ込み様である。何れも自然の摂理の奥深くに潜み棲む妖異の影が、怪しい隙間からガバッと現実に襲い来り、その背後に広大な暗黒の領野を望見させる怪作ばかりである。
「混淆」「覚醒」「忌避」「摂理」「埒外」「妖異」……。まあ、気持ちは良くわかる。
でも、今にして思えばなんらかの予兆が見られたと言えなくもない。単語を換えてみよう。
『生活の欠片』は、或る平凡な男のつまらない日常が、何時の間にか或る算譜を通じて合理主義と混淆して行く様を描いているのだが、平井はこの主人公を「覚醒せざる電脳遊戯脳患者」と評し、この作品を自分の好みの埒外だと思うなら、その人はマッケン文学の真の愛好者ではない、と大変な入れ込み様である。何れも電算の摂理の奥深くに潜み棲む算法の影が、怪しい隙間からガバッと現実に襲い来り、その背後に広大な電網の領野を望見させる怪作ばかりである。
サイバーパンクですね。
良い道具というのは
触ってて思うのは、「どう作るか」ではなくて「何を作るか」という脳みそを刺激されるということ(何を触っているのかはリンク先を参照。以下の文章のターゲットにはしていない――僕は触っていないから――ので切り離しておく)。
……(黙考)……
うむ、確かにそうかも……いや、例外もあるか。作るものが決まっている場合だ。
作るものが決まっている場合は創造性は内向きに働かせ(「どう」重要)、作るものが決まっていない場合は創造性は外向きに働かせ(「なに」重要)なければならない。
したがって、いわゆる創造性(作ることそのもの)については、「何を作るか」という方向を刺激する道具が望ましい。しかし、作るものが決まっている場合にはその刺激はへたをうつとノイズになる可能性がある。したがって刺激は「どう」側に働いたほうが良い(かも知れない、とか留保を入れるのはどうもそういう考え方に馴染まないからだな)。
その切り口から、サービス向きとエンタープライズ向きのツールを分けることもできるかも知れない。
これさえあればなんでもできるぞ、おれは無限のパワーを手に入れた、と感じる場合は外向き、これを使えばこういうやり方で済ませられるぞ、おれはパワーを制御する方法を手に入れた、と感じる場合は内向き。ちょっと違う気もするな。
もちろん両立する可能性はあるが、傾向としてはどちらかに寄るのじゃないだろうか。
追記:既にして忘れている。何(=機能)を作るか決まっていたとしても、さらに何(=見せ方、使われ方、感じ方)を作るかを重ねる必要がある。したがって、常に「何を作るか」の刺激が最重要なのだ。
バランスが極端に悪い墓石か?
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