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ふと思ったのだが、もし、まだHotjavaを保存している人がいたら、今のマシンで動かしたらどうだろうか? ばかっぱやで超快適とか。
と思ったけど、HTML4.xじゃないし、cssをサポートしてないし、Javascriptもきっと動かないし、使い物にならないか……
はえー(しかしバンドルされてるJREをつい使ったら、文字コードが……だった)
しかも、1.6でexe化させたら、スペイン語(だと思う)を吐いて死ぬもんでアンインストールもできなくなる。なんだか、とってもホットくん。
1940年代半ばに、20年後にはかくあるべし、かくあるべく計画され、承認され、そして回り始めたのだが、さてその結果はどうなったか? を50年後の今、もう一度見返して、いろいろ考えてみようという貴重な資料。
萩原さんの考え。
カント語が出てこないので対応が取りにくいが、悟性でどうにかなる領域(属人的領域)を脱すると、理性から求めなければならなくなり(綜合的判断をくださなければならなくなり)、結果的にそれはアプリオリな純粋直観であるから、定義から矛盾律とは異なる原理が必要となる、ということを書いているのかなぁ、と思う。(と書いてしまうとそれが矛盾律に従っていることに気づき、ちょっと愕然とするのであるが、この文章自体は単に萩原さんが書いたものを紹介しようと試みているのだから定義から分析的判断であり、したがって矛盾律に従うのは当然のことであった)
ちなみに、現在は先験的主要問題を読みつつある状態。
#こういうのって、待ち行列の理論を知らなくてもキューを使おうと考えてかつ実装できてしかも適当な数の窓口相当のものを設定してそれなりにシステムが回るってのと同じようなことで、知らなくても適用している/可能かも知れないが、しかし、誰かが考えておかなければならないことなんだろう、と考えているので(というか、それが人間の文明ってもんだ)、ようするに哲学ってのは重要だなぁとあらためて思うってこと。
とりあえず、これだけは書いとかないと。
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