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たださんのところで見かけて読みたくなって買って読んだ。わりと厚いが読み始めるとあっという間だ。
(「本泥棒 site:sho.tdiary.net」 で結果が0だ。たださんのところはグーグルのbotを蹴ってるのか?)
この作品は絶妙だ。
物語は、ナチ政権下の1939年頃から1943年頃までの数年間に、貧乏なペンキ屋の養女になった女の子を中心に回る。貧乏だけど文句ないドイツ人なので(父親は文句のあるドイツ人なので家族離散、弟は(多分栄養失調に伴う)病死という羽目になるのだが、少なくとも養子に出た子供にまではたたらないようだ。良かったね)、最悪に悲惨ではなく、家があってベッドがあり、学校に通って友達と遊べる。友達はクラスで一番の成績で、トップクラスの運動能力を持ち、しかし天性のアナキストで、黒人指向で、腹ぺこだ(追記:熊のエピソードがとても好きだ)。
とはいえ、実の父親のスタンスの問題から教育を受ける機会が得られなかったらしくて、最初は文盲だ。そこを養父のおかげもあって(しかし、この養父は良い人なのだが、それほどは学がないので教えるのも難儀なのだが)他人に夜の長さの慰めを与えられるほどの読書人に成長するのであった。この養父との夜の勉強の物語はすばらしく美しい。このての話におれは弱いのだ。
その言葉を子供に教える親父は、かって危ういところ(つまりは第一次世界大戦なのだが)で死神から逃れることができたのだが、それは彼が上手に字を書ける(なんてことはないのだが)おかげであったというように、言葉、紙、ペンキ、鉛筆、書物、新聞紙、書物そのもの、壁、辞書、図書室、そういった文字(本)にまつわる種々のメディアが複雑に人々に絡み合う。
だが、それは主題ではない。
クリスタルナハトに始まる時代から60年以上過ぎて、欧州からオーストラリアへやって来た(逃れてきたのではなさそうだが)人の子供が、両親や、謝辞に出てくる近所のおばあさんたち(だと思う)から聞かされた/聞いたエピソードを消化して昇華してすばらしい作品に仕上げる。
しかし、ナチスやそれにコラボした人たちを糾弾することは主題ではない。結局のところ、誰一人として正しくはありえなかったので、しかもそれはどうしようもないことなのだ。すべてはうまくいかないからだ。
語り手は死神であり、主人公の女の子がオーストラリアで天寿をまっとうするところで邂逅し、プレゼントを与えるところからさかのぼって語られる。したがって、すべては語り手にとって既知である。そこで章のはじめに語られる物語のあらすじを説明してみたり、ある時点にまかれた種がどのように未来において実を良くも悪くも結ぶかほのめかしてみたり、はっきり書いてみたり、しかし、それらがその時点になると、軽く想像を裏切るかたちで、常に最悪の事態を逃れて進められたり、というような手法的な実験も多少はある。
しかしそれも主題ではない。
ナチスとドイツ軍の関係について、子供のころ読んだアンネの日記(ダイジェストでもなく、たぶん、伝記のようなやつだと思う)で、一家を連行しに来た軍人が、父親の第一次世界大戦のときの写真と勲章を見て、すごく複雑な気分になるというエピソードを思い出した。今、目の前に立っている男(つまりアンネの父親)は、まちがいなしのうじむしなのだが、しかしまちがいなく自分の大先輩でしかも英雄だ、いったいおれはどういう態度をとるべきなのか……英雄は英雄だ。敬意を払おう。
この温度差を思い出して、読んでいてほっとするところがあったりもするのだが、もちろん、それも主題ではないだろう。
この作品が優れているのは、正しく、一面的でなく、種々の技法を総動員して、過去の記憶を持ち込むことさえして、ある種の極限的な状況と、極限的な語り手を用意さえして、生きるということを、くそまじめに描いていることだ。もちろん、それが優れた文学というものだ。
記録:おれがなんとなく感情移入して読んだのは、親父は当然のこととして、本を盗まれる人なんだな。で、その行動がまさにその通りに思える点も、この本を評価できるところなのかも知れない。まったく、本を読む人は好きだ。
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「熱中症」でググると昨日の日記が出てくるくらいなので、ちゃんとクロールされてますね。偶然その日だけクロールから漏れてるのかなぁ。artonさんにリンクしてもらったから、近いうちに入ると思います:-)
本当ですね。>熱中症