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6/14で終了なので、行けるうちに行こうとわりと早起きしたこともあって、9時ごろに上野へ。でも着いたのは10時前というところで、早くも20分待ちの状態。前売りを買っていたので、チケット購入の行列はスキップできた。
いつもは、行列で自動的に流れにのってベルトコンベアみたく画を観るのは不快なので、遠巻きにランダムアクセスするのだが、今回はなんとなくベルトに乗ってみた。
フェルメールのところでえらく滞留する。しょうがないので観察した。
どうも、動作が停止してしまう客が定期的に出現するみたいだ。
すると、後続の人たちは正面からは観られないものの、それなりに観られたわけで、しびれを切らして、停止したすっとこどっこいを追い越す。
すると一瞬、さらにその後ろのベルト上の物体化している人間と、停止したすっとこどっこいの間に隙間ができる。
すると、ランダムアクセスを狙う蛆虫どもがその隙間に殺到する、という不愉快な状態になるのであった。
で、やっと停止状態のかすの呪縛が解けると、蛆虫がその位置まで移動したあと、そのまま固着してしまう。
すると後続の人間が、蛆虫の不快臭にへきえきして迂回して移動する。その瞬間、さらにその後ろの人物と蛆虫の間に隙間があくので、そこへ別の蛆虫が湧き出してくる。
したがって、人間の列はなかなか進まないということのようだった。
蛆虫は5匹以上観察したが、全員、オスだった。うち1匹はメガネを生意気にも人間みたいにしている長髪ぎみのばかい男(女連れだが、連れられているほうは前列には入らない)、残りは大柄な40代から50代のでぶだった。体型と行動には相関関係があるのかも知れない。
それでなかなかフェルメールを観るのには時間がかかった。それにしても実物は小さく、したがって精緻さはとてつもない。
おそろくし印象的だったのは、ミニョンのジョウビタキのやつ。おそるべき自然観察。ル・ナン兄弟の農民のやつ。仄かな楽しさ。ベラスケスの有名なやつ。ほっぺ。コールテ。メタ現実の嚆矢。ペールブリューゲルのLe Feu。火と訳して良いのだろうか? と疑問に思う不可思議な、あ、ちょうどクェイ兄弟のピアノ調律に似たものを感じる光景。ダウの歯を抜く男。握りしめた拳が痛そう。ドルチ。やわらかそう。フォントネイ。鎧の彫金が彫金に見える。
宗教画の赤白青と、自由平等友愛って何か関連があるのだろうか。
あと、思い出したがニレジハージの演奏ですっかり好きになったアッシジの聖フランチェスコ(ロッセリーニの映画も良かったけど)が2枚あって、どっちも気に行ったが、後から出てくるほうに聖痕が書いてあって子どもが十字架に架けられたのかとか真顔で訊くので返答に困る。事実としては困らないからそんなこたないと答えるわけだが、ではなぜ聖痕があるのかと訊かれると、そういうもんなんだろうなぁとしか言えない。というか、それが奇跡なのかな(と、カタログを今読んだりして)。
Ervin Nyiregyhazi at the Opera(Ervin Nyiregházi)
(っていうか、CBSのハムレットが入ったやつが聴きたいのだが2度と聴けないのだろうか)
ジェズイットを見習え |
展覧会は、なぜ現物がそこにあるにも関わらず、横に説明文を置き、さらにそれを読むことで作品に触れたような気持ちになるのだろうか。<br>作者が描いたかもしれない距離で、一本のマチエールを眺められることこそ至上。<br>音楽も、スピーカーからのわずか数メートル数十センチに何百年が畳み込まれているのではないかと思えば、指先ならぬ耳先が作意に触れ得るのではないかと恍惚に身悶えする。<br>――なんてことを、40代が見えてきた肥えた蛆虫の一匹は常々思っていたりします。<br>#いやあ、恍惚とするのは未熟で美しいものがいいですね。
蛆虫の行動規範と作品の鑑賞方法は関係ないですね。人間が産み出した作品は人間の行動で見れば良いだけのことです。ということが知りたいのかな?
いえ、不満を述べるばかりで解決したい気持ちはないもののようです。<br>蛆虫との対比の<br>>したがって、人間の列はなかなか進まないということのようだった。<br>この行が好きです(これもただの感想)
不満? 自分が人間であることの尊厳を味わっている状態の別表現?
ああ、おもしろいですね。