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NHKホールでメトロポリタン・オペラのドン・カルロ。
ドンカルロはカウフマンが降りたため、ヨンフン・リーという人。声も良いし良い男なので、まあ、それほどがっかり感はない。
エリザベッタは、フリットリがラボエームへ回ったため、ポプラフスカヤという人。広いNHKホールでちゃんと通るのは立派だし、まっすぐ気味の好きなタイプの声。ただ、なんとなく新国立劇場なら良さそうだが、微妙に期待ほどではないような。(オーケストラはやはり良い。というか、合計4時間くらいの長尺物だし金管使いまくり(1幕で狩の金管とホルンの掛け合いをやるは、3幕とかでは鳴りまくるは)だしで、確かにこういう音楽については、国内のオーケストラはちょっと辛いのかも知れない。)
むしろ、ロドリーゴと王様の歌手が素晴らしいできだったと思う(拍手も多かったような気がする)。
お話はとんでもない(さすがにイルトロバートレほどではないが)悲劇で今回初見なうえ、話も初めてで結構つらいものがあった。というのは3F一番奥からだと字幕がさすがにすべては終えないからだ。まあ、時代背景がわかるのでコンテキストは共有できている点は幸いだった(フランドルのプロテスタント独立の80年戦争末期が舞台なのだ)。
スペイン-フランス講和のために(ちょっとスペインの王様が政治的にサービスし過ぎて)息子ドンカルロの婚約者だったフランス国王の娘エリザベッタを妻にしてしまうことで巻き起こる悲劇(に、80年戦争がからむ)。
ドンカルロとエリザベッタは1幕で出会っているので、すっかりその気でむんむんしているところを、政治的に父親との結婚となってしまったため、母と子という関係となってしまう。そこに、フランドルでの虐殺を見るに見かねて信教の自由に政治的に目覚めた侯爵(のちに公爵)ロドリーゴ、次々と火刑にしたり銃を使って暗殺したりするカソリックの大審問官(役回りとしてはアンドレアシェニエのフーキエタンベルみたいな殺人装置)、息子と奥さんの浮気というよりも人民のために良かれとしてと思った政略結婚が家庭的な不幸の原因となって煩悶しまくる王様、絶世の美女で王様と浮気しているけどドンカルロにも魅かれまくっているエボリ公女(公女ってなんのことかな? 公爵の娘とかなのか。ちなみに急遽舞台に立つことになったからか、眼帯は無し。そのため、最初誰かわからなかった)と、数は少ないが、一癖も二癖もある濃い人々が愛し合い憎み合い大審問官以外はみな不幸になる話だった。で、ベルディの作曲当時のことを考えれば、カソリックから睨まれたくはないだろうから、あさっての方向にドンカルロが行ってしまって唐突に幕(まあ、殺されて天国へ上ったと解釈すべきだろうけど)。
物語が濃いところにもってきて、演出と美術が重々しく(でも3幕の火刑の場面は一見屋内だけに思わずつっこみたくなる)、しかもオーケストラが鳴るので、おそるべきオペラとなった。
なんとなく、ベルディが死んだという叫びで幕を開ける1900年(長さも似ているし)に通じるものがあって、オペラを観てはじめてベルトルッチのルーツが見えたように感じた(これまでベルディは、オテロとアイーダしか舞台では観たことが無かったので、4時間という長さがもたらす印象を持っていなかったからだろう)。
何しろ初見なだけに、2幕の最後で王様がロドリーゴに悩みを打ち明ける場面に衝撃を受ける。これが入ったことで、単純なメロドラマや圧政ものではなくなったからだ。それは4幕の最初の長いモノローグにも通じて、なんとなくトゥランドットの皇帝のような役回りなのだろうと考えていたら、むしろピンポンパン並みの関係者だったという印象。
18時開演で終演が23時近くなのでえらく疲れたが、ベルディのオペラに期待しているもの、お互いに全然違うことを唄いまくる合唱とか、リズミカルな行進曲調のやつ(4幕だと思うが、ロドリーゴとドンカルロの友情万歳みたいなやつ)など、堪能した。
音楽も良かったし、手元で観たいが、ヴィスコンティが演出している(制作というのは演出とは違うのかな)というところで、
ヴェルディ 歌劇《ドン・カルロ》英国ロイヤル・オペラ [DVD](ルイス・リマ)
が良いかな?
あと、5幕は聴いたことある始まりだなぁと思ったら、以前買ったフリットリのヴェルディ集に収められている曲だった。(コリンデイビスよりもルイジのほうが緩急が激しく聴こえた)
ジェズイットを見習え |
エボリ公女はエボリ公爵夫人だそうです。<br>http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1194934.html<br>(孫引きで失礼。)
おお、どうもありがとうございます。そのページの情報はいいですね。<br>で、そこ読んで気付いたけど、メリート公の娘だから、やはり公爵の娘(えーと、つまり彼女のことを気にしているというよりは「公女」という言葉の意味が知りたいというか、この頃の女性は夫の従属物なのか父親(というか領地というか爵位というか)の従属物か、なので)を知りたいというか、そんな感じ)という意味のような気がしますね。<br>日本語として「菅原孝標女」(すがわらのたかすえのむすめ)みたいな感じなのだろうと想像しているわけです。
あ、でも夫のルイのことを良く見たら、確かに(最初のところでは単なる貴族としか書いてなかった)エボリ公になっていますね。ということは、やはり夫人のことなのかな。
いや、未亡人となっているから、公爵領を収める女性を公女と呼ぶと考えるのが素直か。
娘と夫人と本人が爵位をもっている場合とでの呼び分けは辞書をみるかぎりヨーロッパでも厳密ではないようですね。<br><br>英語の Wikipedia 情報では、<br>・Princess of Eboli<br>・Countess of Mélito<br>・Duchess of Pastrana<br>とそれぞれちがう肩書きで記述されているので、「エボリ公女」の公女はエボリ公爵夫人(未亡人)でいいみたいです。<br><br>http://en.wikipedia.org/wiki/Ana_de_Mendoza,_Princess_of_Eboli
どうもありがとうございます。ただ、それは違う肩書というよりも漢の寿亭公云々の関羽みたいなものですべての条件を満たしていることみたいです。<br>というのは、そこを読むと公女がprincess(王女と訳されることもあるけど、kingの子ではないので、公女)は夫のルイがエボリ第一公子(エボリ公の跡取り息子時点での奥さんなので、義理の父親のエボリ公の娘ということになるかと)、Countessは伯爵夫人(これはエボリの父親のメリトを夫が継いだのでということかなぁ? とちょっとわからないけど)、Duchessは公爵夫人なのでルイが父親を継いで公爵になったのでそれに伴って公爵夫人となったという意味でしょう。爵位は揮発性ではなくて、繋げていくものみたいですね。したがって、先頭の公女をベルディのオペラでは使っているけど、それは夫の父親の公爵の娘という意味になると思います。<br>おもしろいですね。
英語版Wikipediaの記述だけしか見ていませんが。<br><br>Anaの称号は、2nd Princess of Melito、2nd Duchess of Francavilla、3rd Countess of Alianoです。これらは"suo jure"と書かれているので、彼女自身が(おそらく父から継承して)有する称号です。したがって、これらの"Princess"、"Duchess"、"Countess"は女性の公爵、伯爵であって、「夫人」ではありません。<br><br>Ruiの称号は、1st Prince of Eboli、1st Duke of Pastrana and Estremeraです。"1st"なので、初代エボリ公です。<br><br>Ruiとの結婚によって、妻のAnaはPrincess of EboliとDuchess of Pastrana (and Estremera)となります。したがって、これらの"Princess"や"Duchess"は「夫人」です。<br><br>RuiのPrince of Melito、Duke of Francavilla、Count of Alianoは、当時の慣習法で、妻の権利によって名乗っている称号です。英語版WikipediaのRuiの項目で"iure uxoris"と書かれているのはそういう意味です。<br><br>というわけで、Anaの称号のうち、EboliとPastrana (and Estremera)の方は「公爵夫人」、MelitoとFrancavilla、Alianoの方は(女性の)「公爵」「伯爵」です。
なるほど。1stや2ndの意味は「代目」なんですね。それは納得です。
Wikipediaだけじゃつまらないから、いろいろ見て回ってたら、マドリードの観光案内のページを見つけた。http://www.sightseeing-madrid.com/princess-of-eboli.php<br>これだと、In 1559 Felipe II conferred on the couple the title of Prince and Princess of Eboli, which was a town in Naples.とあるけど、これはエボリ公爵とエボリ公爵夫人の称号を授けられたとなるのか、それとも両方とも1stで、エボリ公爵とエボリ公爵(これを公女と呼ぶのか?)を授けられたのか、どっちになるのかな?
時代を考えれば、夫に公爵位を授けただけでしょうね。先日のウィリアム王子の結婚式の際も、「ウィリアム王子にケンブリッジ公爵、キャサリン妃にケンブリッジ公爵夫人の称号を与えた」みたいな報道がありましたし。<実際にもらったのは夫だけ<br><br>"Principessa Eboli"の設定がAnaそのままだとすれば、おそらく「公女」は「プリンセス」に引きずられた誤訳でしょう。女性の公爵を「公女」と呼ぶことはありません。「女公(爵)」みたいな不格好な訳語があったり、女性の有爵者でも「〇爵夫人」と訳す変な慣習があったりもするようですが。
どうもありがとうございます。女公というのは気持ち悪いですね(竹久みちとかを思い出すからかな、女帝だけど)。まあ、日本が貴族制で爵位を配っていたころは、女性に爵位というのはあり得なかった(選挙権すら無い)から、訳語を作らなかったのが響いているんでしょうね。