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日々の破片

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2012-05-20

_ 伽藍とバザールという言葉

中間層が、より下の層を(さげすむのでもなく、かわいそがるのでもなく、つまり上から目線ではなく)なぜか、やつらばかり得をしやがってと嫉妬するというバカげた構造がまた観察されたので、つい、排除型社会を読み返したくなって、手に取った。

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異(ジョック ヤング)

そこで、ぺらぺら見ていたら、P.41に何気なく見過ごしていた次のような記述があって、? と考える。

文化研究においても同じように、スチュアート・ホールとパディ・ワンネルは、1964年におこなった『大衆芸術』の調査委において、……(中略)……次のように述べている。――消費社会という教会の慈善市では、巨大なバザールが、都市大衆の習慣や外観、感覚を、流行という定期的な礼拝のために捧げるよう定めている。この礼拝が、大衆の想像力さえも組織してしまった。(1964,p151)―― ここで述べられた巨大なバザールは、1970年代には、都市における中心的な一大商業になっていた。消費社会が生んだ個人主義は、多様な選択可能性なくして成り立たないものであった(選択可能性の多様化のおかげで、人々は現在と過去のあれこれを組み合わせ、新たな下位文化を自在に作り出すことができる)(後略)

リバタリアンが、ジョック・ヤングの本を読むことは考えにくいが、引用元のホール&ワンネルは眺めたことがあるのかも知れない。ここでは、バザールは教会前広場で開催される(イタリアのドゥオーモ前のピアッツァで開かれる市がイメージしやすいが、おれがARしているのは、国連大学の妙な建築物の前で土日に開かれるエコ&有機なバザールの光景だ)。

つまり、伽藍とバザールは、同じ敷地の中で共存している(つまり、その敷地はノウアスフィアだ)。

この同じ敷地での教会とバザールの対比(人が礼拝する場所は教会(=消費社会そのもの)ではなくバザールのほうだ)をレイモンドが持ってきたという可能性は高いかも知れない(それ以前の問題として、アングロサクソン文化では、教会とバザールというのは常識としてペアで出てくるものなのかも知れない)。

と、考えて、民主主義者と共和主義者が妙なところでおれの中で出会ったのが、ちょっとおもしろかった。


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