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西荻窪に行く用があって、線路下の商店街をふらふらしていたら本屋があって中に入ったら、文庫コーナーに平積みになっている。が、まったく知らない。ノルウェーの巨匠と帯にあるし、カバー見返しにはモダニズム文学の先駆者とまで書いてある。さすがにそこまで書いてある人なら知らないはずはないと思うのだが、知らないものは知らないので興味を惹かれてつい買って読んだ。
おそるべきメロドラマなのだが、何かがおかしい。
舞台は田舎だ。
領主には美しい娘ヴィクトリアがいる。主人公ヨハンネスはその領地に住む粉ひきの息子だ。幼馴染の二人は互いに意識しあい始めるのだが、主人公は孤高の人だ。相手が自分のことを愛していると表現しなければ自分からする気にはならない。一方の娘も同じような性格だ。自然は美しく、冒険のための場所はたくさんあり、夢想によって別の人生を生きる。
このあたりまで読んでいて、どうもジブリの映画になりそうだなぁとか考えながら読み進める。
主人公は長じるに街の大学へ通い始める。休みに田舎へ帰ると娘はますます美しい。
娘が街の知人の家に来たとき、ついに娘から告白させることに成功する。が、次の瞬間から娘はそれがなかったことのように振る舞う。主人公は混乱し、詩が生まれる。詩によって世に出る。
領地へ戻り、主人公はついに娘を問い詰める。娘はついに父親が認めると考えているとしたらどうかしていると告げる。
しかし主人公にはなんの意味も持たない。ますます創作は活発になり、それなりに名を成すにいたる。
一方娘は領主の知人の息子、今では立派な中尉となったオットー(子供の頃は傍若無人に主人公の両親の悲嘆を無視して水車を破壊しようとしたりする愚物)と結婚することになる。
田舎へ戻ると美しかった自然が消失しかかっている。
主人公は式へ呼ばれそうになったり呼ばれなかったりやっぱり呼ばれたり、娘に翻弄されまくる。
さらには席を一等地から四等地へ移動させられたり屈辱を受けまくる。
横にいる禿げた家庭教師から嫌味な質問やら説教やらを聞かされる。
領主の財産は恐ろしい勢いで目減りしているのだと話合っている人たちがいる。
猟場でオットーは顔を粉砕されて死ぬ。
娘は解放され、大喜びで、しかし喜びを隠して主人公のもとへ行き、曖昧な言い方(得意技)を始める。しかし一歩遅く主人公は愛はないが、心へ喜びを与えることはできる別の娘と婚約してしまっていた。
「あなたがそれを望むだろうとは期待していなかった。これまでにずいぶんひどいことをしたもの。時間がたてば、いつかは赦してくださる?」
「ええ、もちろん、すべてを。問題はそれではないのです」
「なにが問題ですの?」
沈黙。
「ぼくは婚約したのです」と彼は答えた。
(この書き方は作者の特徴で、映画であれば音楽が高揚し泣いたり叫んだり大仰な身振りが入るようなシーンの直前でばっさりと章を打ち切る)
領主はすべての選択を誤ったことを知り自ら死を選ぶ。娘が本当に愛している相手を拒否し、金目当てで選んだ男は死んだ。いずれにしても破産だ。
街へ帰った主人公はますます創作に励む。
婚約者は別のもっと気持ちの良い青年を愛するようになる。確かに、登場すればするほど、気持ちの良い青年で、読者だけではなく主人公もこんなうっとおしい野郎より遥かにこの娘にはふさわしいと心から祝福を送ることになる。
そこへ家庭教師が登場。寡婦と結婚しておそろしく幸福であることを態度と言葉で告げる。そしてヴィクトリアが病気だと教える。
主人公は、それとは書かれていないが、元の婚約者は別の男へ向かったしとか何か考えていたのかも知れないが少し動揺する。
家庭教師はその動揺を引っ張りに引っ張ったあげく、ヴィクトリアからの手紙を渡し、そして教える。昨晩死んだ。
ヨハンネスは手紙を読む。
おしまい。
もし、雑誌新青年の論客であれば、2つの殺人事件の真犯人探しをするだろうというのがまず思い浮かんだ。
オットー殺しと領主殺しだ。オットーを殺せる人間は多い。主人公ですらチャンスはある。また領主の領地を二束三文で買いたたくつもりの地主であればオットーを殺す明白な動機もある。ヴィクトリアも怪しい。そもそも顔が吹き飛んでいるということは、オットーは生きている可能性すらある。
一方の領主は狂言自殺が本当の自殺となった可能性がある。そういう書き方だ。保険に入っているのかも知れない(保険の話は別の箇所で出てくる)。
謎だ。
一方、これは不愉快なメロドラマでもある。不愉快なのは、主人公二人が共に見事なまでに恋愛向きではない性格の持ち主として描かれているからだ。すべての言葉にもったいがつく。もったいがつくので、相手は常に真意を取り損なう。そして常に悪い方向へ話を進めてしまう。
また、ここぞというところで出てきてヨハンネスにショックを与える家庭教師があまりに異様だ。最初の登場シーンの冴えない男っぷりと、最後の登場シーンの堂々たる男っぷりの描写の差は一体何なのだろう。悪魔だ。
なるほど、これはモダニズムの先駆と呼ばれるのももっともなことだ、と思いながら、巻末の結構な分量がある解説を読む。
ハムスンは貧乏な農家のたくさんいる兄弟の真ん中あたりで利発なことに目をつけた伯父に引き取られる。で学問でもするのかと思うと大違い、秒単位で管理されて仕事をさせられて殴る蹴るの暴行を受けながら生きることになる。後年、自分の作品に登場する中老年の男性に悪意を持っているのはこの時の経験のせいだと語ったらしい。なんということだ。
でもまあ、うまいこと抜け出していつの間にか出版社を丸め込んで作品を出したり(売れなかった)、パトロンを見つけて莫大な資金援助を受けて博打で使い果たしたり、アメリカへ行ってすべてを失って戻ってきたりして、やけくそのように書いた作品で時代の寵児となる(無目的な人が無自覚な悪意をもって世の中をふらふらする人物が存在しない作品というような紹介のされ方をしているから、おそらく地下生活者の手記をモダンにしたような感じなのではなかろうか)。その無目的、悪意、非物語性は全ヨーロッパの文壇に強い影響を与えて、1920年にはノーベル文学賞を受賞。
(もっともヴィクトリアは作品中もっとも美しくロマンティックで愛された作品だということになっているが、やはり何かがおかしい。ヨーロッパが一回死んだ時代ならではのことなのだろう)
が、晩年になってやってしまった。
ナチスを賛美し、ナチスと共に歩み、ナチスと共に弾劾を受けた。そしてナチスと共に語られることがない人間になってしまった。
なるほど、そういうことだったのか。
ノルウェーにハムスンがいるということは、フランスにセリーヌがいるようなものなのだな。
巻末の解説含めてなかなかおもしろい読書体験であった。
翻訳は素晴らしい。翻訳家の掌の上で読書体験させられる。見事な意思の力がある。
特に家庭教師の言葉が鋭い。
彼女もまた、本来の相手とは結ばれなかった。子供時代からの恋人、颯爽たる若き中尉殿とはね。(略)そうそう、ヴィクトリアの話では、あんたも姿を現わすはずだったのに、来なかったそうだな。これは余計な話か。ともあれヴィクトリアは疲れはてたのだ。尋常じゃなくね。愛する男の思い出が彼女を揺さぶり、心とは裏腹に陽気に振る舞った。踊って、踊って、一晩じゅう踊った。正気の沙汰ではないな。やがて彼女は崩れふし、床は血に染まった。
子供時代からの恋人――若き中尉殿――あんたも姿を現わすはず――愛する男の思い出という流れから、家庭教師の悪意が見えるのだが、解説を読んだら、まさにそうであるべくしてそのように翻訳したということが書いてあった。うまいものだ。
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