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新国立劇場でアンドレアシェニエ。どうにも俗っぽいが、このオペラがこれまで聴いたこと観たことがある100有余のオペラ作品の中で最も好きだ。
前回は5年前だが、そのとき感じた1970年代のフランス固有(とはいえ大半のイメージはゴダール由来なわけだが)の毛沢東主義っぽい感じはずいぶん薄まっているように見えた。
なにより、ウルグアイの2人、カルロヴェントレとマリアホセシーリが実に良い。カルロヴェントレは声の色が好きだし(ちょっと微妙に音程が低い感じがしたけど)、シーリの声は調和的に聴こえる(ママラモルタは絶唱ではなかろうか)。それに比べると音は常に良いのだがジェラールのヴィットリオヴィテッリ(上から読んでも下から読んでもみたいだな)はなんかいまひとつぴんと来なかった(なんかパンテオーンは作れなそうだ。思い切りが悪いのかなぁ)。
今回、隅から隅までじっくりと楽しめたが、いろいろ物語の中で気づかなかった構造がいくつか見えたように思う。
パストラーレの美しい田園へアディーオアディーオというのは、詩人とは別のところで音楽家もまた王政の崩壊を予兆しているようだ。
冒頭、ジェラールは長椅子の上で貴族が何を口にしているかを皮肉っぽく歌う。次にマッダレーナは友人とかけをして詩人にある言葉を口に出させる。それに対して詩人は別の切り口でその言葉を歌う。3幕、ジェラールはその言葉への対比に理想を置く。しかしマッダレーナはその言葉を別の意味でジェラールが理想として歌った内容を歌にする、つまり詩人と同じ使い方をする。そこでジェラールははっと気づき、なんと深い愛だという。なぜかは知らないがアモーレという言葉の持つエロスとアガペーの鬩ぎあいを作品の通奏低音としているのだ。
2幕、マッダレーナはシェニエに庇護を求めるし、そこではっきりと兄という言い方をしている。3幕ではマッダレーナは庇護を求める立場に変わりはないが、理想と愛の板挟みで苦悩しているジェラールに、その理想こそが愛だと告げて、ジェラールの苦悩を昇華させる。以後ジェラールは愛に向かって邁進する。
つまり、指揮が抜群だ。音楽の構成力が物語の意味をくっきりと明らかにする。ヤデルビニャミーニ。少し早めのテンポで意味づけを明確にしていく。パストラーレが素晴らしく美しく(もちろん合唱も良いのだ)、晴れた日は音のバランスがオーケストラに少し寄っていたが、母が死んでは素晴らしく合っていた。(この指揮者も合唱指揮者を子供4人とともにフォアグラウンドに引っ張り出した。合唱の良さが気に入ったのだろう)。
密偵の松浦って人の声は好きだな。
# カーテンコールで、実はいちばんフォトジェニックなのは指揮者だったのが印象的。
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